ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

第3波が来たからと言って・・・・

2020-11-13 07:00:00 | ドラマ・ワイドショー

相変わらず週刊誌は酷いなと感じています。

女性セブンは「皇嗣家を去る」眞子さまだそうですし、文春は紀子妃の悪口ばかり。

宮内庁が左翼だから抗議も訂正もなし。

そもそも眞子さまのお誕生日で仲がよいところを見せつけた佳子様とどうして断絶するんですか?

そうなると、近藤真彦の不倫も本当なのかどうなのかわからなくなってきますが、あれだけ写真が出回ってしまったらしょうがない。

最近は山Pをあっさり退所させ、しかも事後報告のジャニーズ事務所は抗議するでも記者会見するでもなく沈黙を貫き、マスコミはそれ以上追わない。

このずるさと言ったら

今時「近藤真彦」と言われても「それだれ?」状態でしょうけど、確かに一時は「たのきん」の中でも最も売れっ子でレコードセールスも一番だった。

だけどとにかく生意気な態度で私は好きじゃなかったな。

彼が母を亡くした時、「母代わり」になったのが黒柳徹子で以後、マッチは黒柳さんの相続人のような立場になっている筈です。

もし、黒柳さんが病気とか認知症などで「徹子の部屋」を続けられそうに亡くなった時は、マッチが引導を渡す約束・・・だったよね。

今や「テレビ界の生神さま」のような黒柳さんの影響が大きく、マスコミもすっぱ抜いたはいいけどこれ以上大騒ぎ出来ないのでは?

そもそも5年以上も不倫がばれなかったことが不思議です。

40過ぎて子供も恵まれてやっと落ち着いたと思ったら・・・中森明菜を裏切った近藤真彦の性根は変わっていなかったようですね。

(日本一の歌姫を精神的に追い詰めて自殺未遂までさせた罪は大きい)

で、いよいよ第3波が来たらしい。

スペイン風邪の先例に習えば、第3波が最も致死率が高くなったんですよね。

ウイルスの毒性が強まり流行が広がったらしい。

ちらっと本で読んだだけですが、古来よりもっともウイルス対策に長けていたのは皇室だそうです。初期の皇室では用明天皇や藤原氏などが亡くなっていますが、天皇自身が罹患してなくなった例は少ないのだそうです。

江戸城の方が、将軍15人中14人が伝染病に罹っているといいます。

幕末では(「仁」の時代)外国船の到来により伝染病が流行り、幕府などは対策に苦慮していました。

それでも大正時代よりは徹底的な感染予防やソーシャルディスタンス、給付金の制度がよかったようです。

明治時代もまあ頑張った・・・にも関わらず大正時代にはマスクをつける習慣も、休業もなく、ましてや学校が休みになるという事もなく患者が増え続けたそうです。

今、政府や都道府県は頑張っていると思うんです。

でも「第3波」だからすぐにGO TOをやめろとか、自粛しろとかいう事は間違いではないかと思います。

(GO TOで感染したのは137人)

また尾身さんが主張するような「会食の場では喋らず、左手でマスクを外し右手で食べ、会話の時はすぐにマスク」っていうのも限界があり・・・そこまでするなら会食しない方がいい。

北海道のような極寒の地で「換気の為に窓を開けなさい」というのも無理があり。

何だかもう国民がやれることはやってると思うんですけどね。

もし、これが本当に第3波なら、先例のスペイン風邪よりサイクルが短い。

ということは終わるのも早いのかもしれません。

期待だけ・・・して、せっせとマスクを作ります。

 

 

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日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像38

2020-11-12 07:00:00 | 日本一強い女 皇嗣妃殿下の肖像

 2002年9月21日 高知県での国体「よさこい高知大会」に出席

 2002年9月22日 四万十市のトンボ公園でトンボを観察

 2002年9月25日 結核対策推進優良市町村表彰式

 2002年9月25日 モンゴル国立舞踊団コンサートを見る

 2002年9月30日 テニスジャパンオープン戦を見る秋篠宮殿下

 2002年 藤城清治展を鑑賞する

 2002年10月12日 日韓友好オペラ「春香伝」を見る

 2002年10月15日オランダ クラウス殿下の葬儀に出席

 

 2002年10月16日 大坂「ニューアース2002」

 2002年10月27~28日 水族館技術者研究会出席の為島根県訪問

 

 2002年10月31日 秋の園遊会

 2002年11月7~8日イトヨシンポジウムに参加する為岩手県大槌町訪問

 2002年11月28日 高円宮殿下の葬儀に出席

 2002年11月30日 秋篠宮殿下37歳の誕生日

 

 2002年12月3日 フィリピン大統領を迎えた宮中晩さん会

 2002年12月5日 難民の子供達に光を 点灯式

秋篠宮一家は仲がよくて。大槌町で手を繋いで歩いているお姿は微笑ましいですね。

まさかこの町が津波にさらわれようとは・・・この時は考えもしませんでした。

 

 

 

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どこの国のマスコミなのか・・・・

2020-11-11 07:00:00 | つれづれ日記

 とても異様でした。

ここ数日のアメリカ大統領選の報道。

まるでここはアメリカのように騒いで盛り上げて、トランプの敗走が濃厚になると、バイデン上げに徹し。一体ここはどこの国?

(バイデン推しの海野氏、うざい)

 

立皇嗣の礼が行われたというのにワイドショーでほとんど取り上げられない不思議さ。

ミヤネ屋は見事に一日中トランプ・バイデンをやってました。

翌日はヘンリー王子とメーガンですよ。

愛子天皇がダメになると無視を決め込むわけ?

しかも、嘘つき週刊誌のひどいこと。女性自身の「眞子さま「私の役目は終わり」」って何?本人から聞いたのか?

内容といえば、婚姻届けは親の許しがなくても出せるとか。眞子さまもそういう手に出るのではないかとか。想像するにしてもひどすぎます。

早く何等かのお言葉を・・・・という気持ちはわかります。

だけど、それが出来るかどうか

一つには、正しく意味が伝わるかどうかわからないという問題があります。

今のマスコミは言葉を切り取るのが得意だし、歪曲するのも得意。

結婚しないことになりました」 → 何でどうして? → 「それでも眞子さまのお気持ちは揺るがない」 → 「眞子さま駆け落ち・臣籍降下へ」みたいな文句が並ぶでしょう。

皇族からはっきりと断りを入れることは出来ない先例があります。

とにかく相手側が辞退しないといけないのです。皇族の意を汲んで「忖度」して自ら身を引く。そして何も語らないのが礼儀なんです。

かりにやんわり「辞退して欲しい」と言ったら・・・・

辞退して欲しい」→「婚約不履行で訴える」→「金よこせ」

マスコミは大々的に「皇嗣家、小室家から訴えられる」と載せて、今度は小室側の言い分を延々と載せるでしょう。

 KKの留学は真に眞子さまの為だった

 皇室が一度決めた事を反故にしていいのか

 眞子さまとの結婚を夢見て来たKKの気持ちはどうなるのか

 帰国しても国民から後ろ指をさされることになる。ゆえに損害賠償を請求する。

 日本の民法に則し「互いの意思によってのみ」婚姻は成り立つ筈と書き立てる

 「眞子さま引き裂かれた愛」「眞子さま皇族として税金で暮らしたい」などの悪口が載る

ちょっと考えただけでもマスコミが書きそうな事は思いつきます。

それは皇嗣家も同じでしょう。

それでも!誰かが「黙れ!もう決まったこと」と言ってくれたら終わるのに。

眞子様の結婚を裁可した上皇陛下は無言で上皇后が「実は反対だった」と言い募り、その度に「じゃあ、何で裁可してんねん」と怒り心頭になります。

 

KK母の警備が再びついたという話が本当なのか。

もし本当だとすると、ある日、正式に宮邸に呼ばれて「お断り」されるのではないか。

あるいはその逆なのか。

個人的には眞子さまの気持ちがどうであろうと結婚は無理だと思っています。

あの・・・人を愛するというのは一言でいうと「相手を知りたい」と思うことで、「結婚」とは相手と同じ屋根の下で暮らしたいと思うこと。

愛と恋と執着は違います。

そしてどんなに燃え上がっても2年の間、一度も実際のお互いを見ることが出来なかった場合、炎は消えます。

戦前の「許嫁」制度じゃあるまいし、何年でも待ちます~~は今はもうないでしょ。

結局、自分の事しか考えられないKKという男の利己的な面があらわになっただけでした。こんな男、アメリカで別な女性をひっかけているに違いありませんって。そういう疑いを持たないような女性は、彼を愛しているとは思えない。

 

でも、とにかく「何等かの発表」があるまではマスコミは、眞子様をネタにあることないことを書き続けるんだろうなあとうんざりします。

「週刊誌の偽証罪」をもっと徹底的に調べて欲しいです。公安の方々。

いくらなんでも書かれる方の名誉棄損も甚だしい!

 

 

 

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はいからさんが通る 2回目

2020-11-10 07:00:00 | 宝塚コラム

 このところ、毎週日比谷に行ってる感じです。

今回の観劇は私一人だったのですが、姫ちゃんがどうしても元ジェンヌさんのお店でもう1本パンツを買いたいというので同道。

そしたらブーツも気に入っちゃって2足も買ったんです。

さすがに高額に。

そしたら姫ちゃん「ママ・・・パンツのお金出して~~~」と甘え声。

「は?」とちょいちんもくしたら きららさんに「出ました。親子の沈黙。不思議な親子なんですよね」と面白そうに去って行かれ。

しょうがなく払う羽目に。

そこにさりげなく入って来たのは・・・・まっつ!

ぶ・・ブラックジャックみたいな髪の色でお買い物。

こういう事があるから楽しいのよね

空いている時間にゆっくり品物を見ることが出来たのも幸せでした。

姫が、そろそろ柚香光他メンバーについて書けというのですが、正直言って書く事なんかないです。

柚香光と華優希。二人が幸せならそれでいいじゃない?そういう舞台でしょ?

他のメンバーなんてみーーんな付けたしみたいなもんだし?

二番手も3番手も個性的か?と言われたらうーんとなって、褒める所を探して見るけどそれほどオーラを感じないというか。

「私が一番!」的な人を見つけられないんですよね。

なので、それは翌週に回して、今回は舞台では語られなかった「はいからさんが通る」の裏側について語ります。

というのも、私の近くに坐っていた若い人達が

「原作読んだ?」

「読んでない・・っていうか読む気ない」

「長いしねーー」

「文字多いから・・舞台で十分」とかいう会話をしてるのが聞こえてきて

あのくらいの長さの漫画が長いとか文字が多いとか・・おいおいって思ってしまったの。だからこそ舞台がジェットコースターでもみんな何とも思わないんですよね。

でも深く知れば「ああ。なるほど」って面もあると思うんですよね。

 紅緒と少尉の出会いは木から落ちる

「ハーフブーツにえびちゃの袴。赤いリボンもひらひらと」と柚香少尉は楽しそうに語っていますが、実は少尉は「いやだいやだよハイカラさんは」と歌っているんです。

大正時代はまだまだ男尊女卑。

「ハイカラ」という言葉はこの時代に出来たのですが、ちょっと皮肉をきかせていたんですよね。

矢絣は女学生の定番。

そして少尉と紅緒さんが出会うのは、紅緒さんが木から落ちるところ。それも当時は下着をつけていないのでモロに・・みちゃった!

しかし、このシーンは今から半世紀も前に放送された朝ドラ「おはなはん」のパクリだったのです。

 

 蘭丸の成長を描いて欲しかった

「紅緒さ~ん」と泣いてばかりの蘭丸ですけど、紅緒に市内で叩かれていた時はまだ子供。結婚を嫌がる紅緒を積極的に「駆け落ち」に誘ったのも蘭丸。

そして蘭丸はいつしか立派な女形になり「若師匠」と呼ばれるまでになるのです。

 

 紅緒が舞踏会で着ていたドレスは流行おくれ

紅緒が伊集院家の舞踏会で着ていたドレス、回りの貴婦人のドレスもバッスルスタイルですが、大正に入るとバッスルは消え、コルセットも消えモダンになります。

原作では少尉が出征中に紅緒がおじい様と華族会館の舞踏会におばあ様の若かりし頃のドレスを着ていくのですが「流行おくれ」と馬鹿にされ、そこから大騒動になります。

 

 伊集院伯爵がなぜ紅緒を気に入ったか

それは出会った時の目線が、亡き息子、宗一郎にそっくりだったからです。

この伯爵はただ意固地なだけでなく筋を通そうとする面もあり、少尉とラリサさんの事があり、紅緒が花村家に帰っても決して少尉達を迎えようとはしませんでした。

紅緒も申し訳ない・・・ただそれだけで。

でも、それも紅緒のおかげで解決するのですが。

 

 冬星さんの婚約者のつめ子さん

冬星さんのお母さんが見せたお見合い写真のつめ子さんは、冬星が紅緒が好きというと「わらわの婚約者」と言って編集部に押し掛け紅緒のストーカー状態に。本筋には関わらないのですが、毎回紅緒とのし烈な戦いを繰り広げるのです。

 

 「好きですよ。あなたが」

これは舞台では伊集院少尉が紅緒さんを負ぶっている時にいうセリフ。

でも原作では面と向かって「少尉は私を好きですか?」と聞かれ「好きですよ」と答えます。すると紅緒さんは「あ、そう」と言って部屋を出ていくのです。

自分の容姿に自信があってモテる事も自覚がある少尉なのに紅緒がそんな反応だったので逆に自信を無くしてしまう。

 

 環は実は優等生

紅緒がバケツを持って立たされている時に反抗してくれる環ですが、原作では舞台以上に「進んでいる女」で、宿題を忘れていないのにわざと忘れた振りをして紅緒の肩を持つというしっかり者。さらに、少尉に片思いをして紅緒への嫉妬心を抱くシーンもあります。どうやってそれを昇華していったのか。それは少尉が紅緒を深く愛していることがわかったからです。

 

 鬼島軍曹がいたからラリサの存在がわかった

鬼島軍曹は吹雪の時に少尉と別れたあと、馬賊になります。

その彼がサーシャ・ミハロブナという・・少尉のお母さんを草原で見つけ、そこで彼女が伊集院忍の母であることを知ります。しかし彼女は亡くなり。

それで鬼島はその事を伊集院家に伝えようと帰国するのです。

 

 ラリサがサーシャを忘れられない理由

ラリサは引っ込み思案な令嬢でサーシャに思いを打ち明けられずにいたのですが、サーシャの方から結婚を申し込みました。

夢のような結婚生活・・・とおもいきや、サーシャはいつも出掛けてばかり。しかも女性との噂が絶えず、夫婦関係に亀裂が入ってしまいました。

本当はサーシャは皇帝一家の亡命を画策していた事をしった時はすでに時遅し、自分達が追われる身となりサーシャは死に、義母とも別れ別れになってしまったのです。

そんなラリサが瀕死の少尉を見つけた時、サーシャと間違えてもしょうがない事情がそこにはあったのです。

 

 紅緒が冬星さんと結婚を決めた理由

伊集院家の屋敷に目をつけた冬星さんの母が大金を出して屋敷を手に入れようとするのですが、それを知った冬星さんが必死に止めます。

お母さんは冬星さんが出版社をやめて家に帰って来ることを条件に屋敷を諦めます。

冬星さんは迷わず家に帰ることを決心し、登記書を貰って少尉に渡すのですが、少尉は断ります。

そんな冬星さんを見ていた紅緒は申し訳なく思い、自分からプロポーズします。

結局関東大震災で東京は燃え、結婚もなしになったのですが、冬星さんは伊集院家の登記書をプレゼントしたのでした。(いい奴)

 

 冬星さんが紅緒を助けに行けなかったほんとの理由

はっきり原作に描かれている訳ではありませんが、震災の時、炎の中に紅緒を助けに行こうとする冬星さんを止めたのはお母さんです。普段は感情を表さないお母さんが「かあさんはお前がいないと生きていけない」というのです。その言葉に負けたというか。最終的に家族をとったというか。

大正時代は「スペイン風邪」が流行った時代でもあります。それも第一波より第2波の方が死者が増えてパンデミックな状態でした。

軍隊から感染が広がったケースも多く、生死の危険が常に付きまとっていました。それに戦争、そして大震災です。

でもあの時代の女学生達は、竹久夢二や吉屋信子が大好きで「S」と呼ばれる姉妹関係を持って疑似恋愛を楽しんでいました。

両親のいいつけはしっかり聞くこと。家のお手伝いをすること。弟妹の面倒を見ること。お嬢様といえど自由に何でも出来たわけではありません。また「職業婦人」は思った以上に大変な道。

なんせお金持ちのお嬢様は働かないので、環のように華族のお嬢様なのに就職するなんて当時はありえませんでした。

ただ、あまりにも封建的だった明治の頃よりは女性の服装も髪型もゆったりして、華やかになった。だから私達はつかのまの大正時代に思いをはせるのです。

とはいえ、大正が終わって昭和も5年くらいまでが平和。

あとは中国との戦争が待っていますから職業軍人の家庭の伊集院家も花村家も大変な思いをし、やがて戦後には爵位が消え、屋敷も消え・・・少尉と紅緒さんは生き延びたかな~~などと原作を読んだ当時は考えておりました。

原作の重みを感じつつ舞台を見ると、また違ってくるのではないでしょうか。

 

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立皇嗣の礼 朝見の儀

2020-11-09 07:15:01 | 皇室報道

お天気がよくて何よりでした。

それにしても朝見の儀が暗くなりつつあるときに行われるとは・・・・

まあ、その方がローブデコルテは映えるけど。

朝見の儀の為、皇居に入る天皇皇后

皇嗣としての務めを立派に果たしていかれるよう願っています」

これからもお健やかにお務めを果たされますように」

 

とてもご立派なお二人

そして仲がいいーー新婚時代を彷彿とさせますね。

 

お疲れ様でした・・・・

 

上皇上皇后へもご挨拶に。

 

とにかく全体を通して安定感が半端ないです。

両殿下は儀式に慣れていらっしゃる。

このお二人がいれば日本もまだ救われるかもしれませんね。

本日は本当におめでとうございました。

 

 

 

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立皇嗣の礼  2

2020-11-09 07:10:00 | 皇室報道

儀式を終えて次は宮中三殿へ。

壺切の剣を天皇陛下から賜りました。

この壺切の剣を天皇が皇太子時代に売っぱらった・・・っていうんだから怖い。

じゃあ、これはレプリカなのか?いや、買い戻したものと言われています。

壺切の剣こそは「東宮」の証。

これを渡したくない・・・・絶対に渡したくない・・・思いが今上にあったということで。内心は煮えくり返っているのか?

儀装馬車に乗ります。

コロナ禍でなければどれだけ華やかなパレードになったでしょうか。

やっぱり皇室の儀式に馬車は欠かせませんよね。

 

そして宮中三殿参拝

 

 

賢所皇霊殿神殿に謁するの儀に参列した皇族方

 

拝礼する眞子内親王

拝礼する佳子内親王

 

その頃、伊勢神宮では立皇嗣の礼の奉告の儀が黒田清子祭主と共に行われました。

 

 

 

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立皇嗣の礼 1

2020-11-09 07:00:00 | 皇室報道

2020年11月8日 立皇嗣の礼が滞りなく行われました。

誠にめでたく存じます。

皇嗣同妃両殿下のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

ご仮寓所を出る秋篠宮両殿下とお見送りの悠仁殿下。

悠仁殿下のお辞儀があまりにご立派で涙が出そうでした。

車に乗られる殿下

深々とお辞儀をされる悠仁殿下。そして車が去ったあと、マスコミ各社にもお辞儀をされて戻られました。

皇居に入る天皇陛下

見たくないだろうけど・・・・皇居に入る皇后陛下

勝ち誇ってます。

皇居に入る眞子さま

 

多分、紀子様の装束は檜扇菖蒲の紋、そして皇后陛下の装束はハマナスが描かれています。

ネットの住人というのは細かいところまでよく見てて、私などは全然気づかなかった部分を指摘。

 皇后の装束の紫の部分が出過ぎている。

 皇后の装束の裾の処理が下手

つまり、天皇皇后付きの式部の人達は作業が苦手で綺麗に装束を整えられなかったというわけです。

紀子様の緑は出過ぎていませんし、裾の処理も確か。

皇嗣殿下の後ろも波打っています。

紀子様の歩き方が本当に美しくて平安絵巻を見ているかのよう。

この方は平成の即位の礼ではお雛様であらしゃった。

そして今回は貫禄もつき、母后の面影が。

天皇陛下、杓を懐に入れるのにもたもたしてしまって・・・・

言われてみれば確かに皇后陛下の赤い部分の裾が乱れていますよね。

文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します」

皇嗣としての責務に深く思いを致し、務めを果たしてまいりたく存じます」

寿詞を述べる菅総理

列席した皇族方。眞子さまと佳子様は二人で紅白の色目。

常陸宮ご夫妻がお元気そうで何よりです。

退場する皇后陛下。ぺこぺこお辞儀してました。

とにかくお辞儀すれば失礼にならないと頭の中にインプットされている感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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皇室ウイークリー

2020-11-08 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

10月30日・・・天皇陛下 → 通常業務

11月1日・・・天皇陛下 → 旬祭

11月2日・・・両陛下 → 財務大臣表彰の国税庁税務職員及び総務大臣表彰の地方公共団体税務職員と会う

11月3日・・・天皇陛下 → 文化勲章受章者と会う

11月4日・・・天皇陛下 → 通常業務

11月5日・・・天皇陛下 → 神宮神武天皇山陵昭和天皇山陵に勅使発遣の儀

 

秋篠宮家

11月5日・・・妃殿下 → 「第47回「日本賞」教育コンテンツ国際コンクール授賞式」(オンライン)

 文化勲章受章者に会う日が1日しかないとは。かなり寂しいです。

  恒例のお茶会もないんでしょうね。皇后にとっては「よかったーー」でしょうけど。

 何でも皇后陛下は元々明治神宮参拝する気はなかったんだそうです。

  でも上皇上皇后が参拝すると聞いてドタ出して来たとか。

  「予定が立たない」という皇后陛下ははっきりいってわがままなんじゃないですか?

  もういい歳だし、適応障害だのなんだのって言ってる場合じゃないでしょう?

  たとえばそういう系の薬を飲んでいたとしても、調整できるし慣れている筈だし。

  薬といい付き合い方が出来ないのは医者が悪い筈だし。

 旬祭も「お慎み」だし。一体、皇后は何をしたいのか?

  あまり歩いてなさそうで、お辞儀をすると体が揺れる。多分めまいを起こすんだと思いますが。運動不足ですよね。チャリティに関心がある割には何もしないし。

ひたすら自分の娘が天皇になる日を祈っているんでしょうか?世の中には、税金で好き勝手に浪費しても何も言われない本当に運のいい女性がいます。それが皇后です。

 10月2日 立皇嗣の礼の習礼に向かう両陛下

 

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眞子様佳子様明治神宮参拝

2020-11-07 07:00:00 | 皇室報道

 8日は晴天になりそうですよ

さて、眞子様と佳子様が明治神宮を参拝されました(カワちゃん踊りあがって喜ぶ)

昔からお揃いだけどちょこっと個性を感じさせるファッション・・・これがお長服にも表れていますよね。でも、もうちょっと飾りをつけてもいいと思うけど。

儀式が形骸化するにつれて、お長服も使いまわしが多くなり、制服のようになるんですよね。

昭和の頃、好き勝手に派手なデザインをお召しだった美智子さまは特別だったというわけです。

コロナ禍で「地味」でいることが求められている。

それはしょうがないんですけど。

この世代はつくづく可哀想な部分があると思っています。

それにしても、明治神宮の中でさわやかな春風が吹くかのごとく清楚で美しいお二人。

マスクをしていても、気品を失わず、清く正しく美しく。

後ろ姿でさえも美しい

いよいよ「立皇嗣の礼」が近づいてきました。八百万の神様。どうかこの高貴なご一家をお守りください。

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勅使発遣の儀

2020-11-06 07:00:00 | 皇室報道

 天皇が伊勢神宮と神武天皇に「立皇嗣の礼を行いますよ」という報告をする為に勅使を派遣する「勅使発遣の儀」が行われました。

天皇陛下がお召しになっているのは「お直衣」と呼ばれる装束。

体が曲がっているような感じに見えますけど・・・・

天皇になっても儀式慣れしてないような感じだし、回りも勿論慣れてないような。

でもとりあえず「立皇嗣の礼」はスタートしたのです。

 「皇太子にはならない」「天皇にはならない」と言ったというフェイクニュース

週刊誌は当たり前のように秋篠宮殿下が「皇太子にはならない」「即位拒否」と報じましたが、ご本人がそう言ったかどうかの確証などないのです。

理由として挙げられる「帝王教育を受けていない」あるいは「天皇になる教育を受けていない」というセリフですが、これもよくよく考えればおかしな話なのです。

 徳仁親王時代からいわゆる「帝王教育」はない

そもそも帝王教育とは何か。中国史劇などを見ていると四書五経に始まる世継ぎならではの考え方を教え込むことだと思うのですが、現在天皇になっている徳仁親王は「あなた、本当に帝王教育を受けたの?」という程酷い状況です。

昭和になって、天皇が人間宣言した時からいわゆる「御学問所」もなければ「東宮殿」もなく、「先生」と呼ばれる師匠もなく、上皇だって帝王教育を受けたとは思えません。

上皇はバイニング夫人に左翼的な民主主義の教育を受けてしまったが為に、自虐史観を持ち、昭和天皇と溝が深かったと推察しています。

その息子の今上が「普通の家庭で育てたい」美智子妃との間で「帝王教育」を受けたとは思えないのです。

確かに浜尾侍従が終始傍にいて「しつけ」をしていたようですが、浜尾さんは礼宮も一緒に見ていたわけで。

だから秋篠宮殿下が「帝王学を受けていない」というはずがないのです。

もし、言ったとしても「それがなんだ。もうお前しかいないのだからしっかりせい」と励まして東宮に立てるべき上皇陛下でした。

それなのに「皇位継承権1位」だけど内廷皇族ではなく、宮家扱いの「皇嗣」に据え置いたのはなぜなのか。誰の意見が通ったのかといぶかしく思います。

世の中には、皇嗣にも皇太子にもならずいきなり「王」が天皇になった事例もあります。

天皇の第二子で、男系男子である以上「東宮」になる資格は十分にあった筈なのに。

 

また、いわゆる「皇后教育」を拒否して今にいたる雅子さんが「皇后」になっている事実をみれば、生まれも育ちも立派な皇族の秋篠宮殿下が「教育を受けていないから天皇になれない」というのはおかしな話です。

 愛子内親王の立ち位置のズレが怖い天皇家とマスコミ

週刊誌によると、将来、もし秋篠宮が天皇になったら並びは悠仁親王→眞子内親王・佳子内親王→愛子内親王になる。それが云々なのだそうです。

それこそ将来、愛子内親王は「天皇の従妹」になるわけですから。

ゆえに何としても「愛子天皇」を実現したい。だから盛んに「国民の大多数は愛子天皇に賛成」

と書かせるわけです。

この所のマスコミの書きようは本当にひどくて、見出しだけ見て「秋篠宮って」と悪口を言う人も多いです。

NHKでは当日25分だけの放送。朝見の儀はやらない。

中曽根さんの葬儀より質素すぎる程質素な儀式で、パレードもなければ記帳すらない。

過去にこんなに国家に嫌がらせされた皇嗣がいたかと思う程です。

 

 眞子さまの結婚に肯定的な人がいる?

週刊誌によると、秋篠宮家では眞子さまを説得する為にご意見番を何人か用意して、話をさせたらしい。でも大多数が「結婚に肯定的」で否定的だったのはわずかだそうで。

そんな話があるかっ!嘘つくな!と

さらに「小室家の400万円を肩代わりしてもいいから結婚させて」と第三者が現れたが秋篠宮殿下は見向きもしなかったらしいです。

誰?「400万肩代わり」を申し出た人は。

お金さえ解決すれば結婚する資格があると思っている浅はかさ。

小室家の後ろにいる人達が問題なんじゃありませんかっ!

矛盾する週刊誌。

「紀子様は悠仁殿下が即位しても内親王方には皇室に残って欲しいと思っている」と書きつつ「眞子さまは皇室を出たいから1億円を拒否してでも臣籍降下する」と書く。

どこからそんな思想が出てくるのか、文字を見るだけで腹が立ちます。

嘘でもなんでも書けば「力」と思っているマスコミを潰してやりたい。

長年、宮家を誹謗中傷し苛め抜いて来た国民達がいる事は事実。

人の世に正義はないものかと恨めしくなります。

11月8日は晴天になりますように。

 

 

 

 

 

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