ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

秋篠宮ご一家 日本パラグアイ学院生と会う

2023-07-20 07:00:00 | 皇室報道

7月19日。朝の9時半。

秋篠宮家のご一家は日本パラグアイ学院の学生らと交流されました。

なんというか、悠仁殿下、随分大人びた感じで落ち着いてるなという印象です。そこはかとなく威厳もあるし。

本当に美しいご一家なんだと思います。

眞子様がパラグアイの公務を積極的に行って来て、今もこうして交流があるって素晴らしい事ですよね。

本当はもっと笑ったりしている筈ですけど、マスコミは意地悪だなと思いました。

 

同日、皇后は「養蚕納め」で、3種類の繭をお供え。

え?春は4種類って言ってなかった・・・・・?謎です。

そしてここでも、愛子内親王が手伝ったとか何とか。

内親王は蚕に感心持つ前に、国民に関心を持つべきですね。

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録32

2023-07-19 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

2005年1月1日 天皇一家

2005年1月2日 一般参加

2005年1月18日 六本木の全日空ホテルでディナー

雅子様はまるで「しかえし」のように自由を手に入れました。

天皇ご一家で写真を撮る時には、自分から床にぺたんと座り込み、秋篠宮家の方々もそうせざるをえなくしてしまう。

お正月は挨拶だけしてすぐに東宮御所に帰っておせちを食べる。

大切な一般参賀は5回のうち、1回しか出ない。

儀式という儀式は完全に休んで、全て「治療の一環」で済ませます。

 

外務省の同僚、それも男性ばかりと全日空ホテルでディナーをするというひそかな楽しみも出来ました。

まるで皇太子様はコキュのように、いいなりでしたのでそれこそ好き勝手出来たのです。

それでも愛子様の事が頭から抜け落ちたわけではありません。

自分が得意な習字は覚えさせようと必死でしたし、青山劇場のリトミックも続けていました。

ただ、気の毒な事にお友だちが・・・雅子様も愛子様も出来なかった事です。

2005年2月14日 長野県奥志賀へスキー旅行

奥志賀のスキー場へはこれから毎年来る事になります。

グラン・フェニックスという中国系のホテルを貸切って、特に皇太子一家が宿泊する一番上のフロアには絶対に誰も入れないようにして、思い切りスキーを楽しむ。

勿論、皇太子一家が滑っている時は、回りをSPが囲い、スキー場のリフトは動かなくなり、全てが「雅子様仕様」に変えられました。

かまくらにも一度入って見たかったし、久しぶりのスキーも大好き。

まるで雅子様は子供に戻ったような気分になりました。

全てが「治療の一環」なんですから当然ですよね。

2005年2月22日 文楽鑑賞

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祝!ご成婚30周年 雅子さま語録  31

2023-07-18 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2004年11月5-11日 御料牧場静養

雅子様の静養な私的な外出には必ず「治療の一環により」という枕詞がつくようになりました。

しかし、何の治療で、どのように役に立つのかは誰もわかりません。

いつ公務に完全復帰するのか、今後どうしていくかについてまるっきりわかりません。

女性週刊誌は友納尚子が毎日のように

雅子様は男子出産のプレッシャーで病気になった。精神的にひどい時でも精神科を受診させてくれなかった。育児休暇をくれなかった。香淳皇后の葬儀を欠席したのは科学的流産だった。産後の肥立ちが悪い雅子様を酷使した宮内庁。いじめたのは宮家。愛子様の育児に集中したいと雅子様は考えている。

皇室が悪い、国民が悪い」と呪文のように続けるので、当然それを鵜呑みにする人がいて「雅子様は私と同じ」と考える人が出て来ました。

世の中の「嫁」という人々がみな、姑にいびられ、夫からは冷たくされ、自分の自由を認めて貰えない。そんな自分を雅子さまに投影して同情するのです。

そんな流れになっていくので、「雅子さまは可哀想」と思う人も増えます。

そうなると、どんな時でも国民を味方につけてきた皇后さまの立場が危うくなります。

皇后様は自分が責められないように、沈黙するしかありませんでした。

 

2004年11月15日に紀宮清子内親王のご婚約が発表されました。

お会いての黒田慶樹さんは秋篠宮さまと同い年でご学友でした。

民間の企業にお勤めでしたが、東京都の試験を受けて受かり、地方公務員となられました。

実は、このご婚約は秋篠宮さまが紀宮様の為に一肌脱いだのです。

全く知らない誰かに嫁ぐより、小さい頃から「お兄様のお友達」として馴染みのある男性の方がいいだろうと思ったから。

無論、この時、紀宮様は34歳。当時としてはお子様を望むのは大変な事と思われました。

黒田さんにしても40になるまで独身を謳歌してきたのです。今更結婚を受け入れるかどうか。

でも秋篠宮さまは、皇室の内部が段々変化していくことにより、これ以上妹が両親の側にいると傷つくだけではないかとお考えになったのです。

黒田さんには「どうか承知してくれないだろうか」とお頼みになりました。

大恋愛もない、お見合いというわけでもない。

黒田家が紀宮様を受け入れるというこのご結婚。それでもお二人は感謝してお兄様殿下に「ありがとうございます」とおっしゃったのでした。

しかし、この結婚に反対だった人がいます。

それは皇后様でした。

皇后様にとって紀宮様は常に側にいるべき内親王です。

立ち居振る舞い、言葉遣い、礼儀作法なんでも完璧な娘は母の作品です。

30歳を過ぎたあたりから皇后さまにとって紀宮様はいなくてはならない存在になりましたし、もし嫁ぐとしても実業家や外務省の誰か、大使クラスなどを考えていたのです。

それがまさかサラリーマンの妻になるとは。

黒田さんとの結婚話が出た時も、小さく無視を決めておられた皇后さまでしたが、まさかそれが本当になるとは。

 

そして紀宮様の結婚に「蚊帳の外」にされた皇太子様も大層怒っていらっしゃいました。

別に妹君の結婚を決めてあげようと思ったわけではありません。

しかし、婚約にいたるまで一切が秘密とされて来たこと。その「秘密」に自分は混ぜて貰ってない事に腹が立ったのです。

婚約記者会見でも紀宮様も黒田さんも「秋篠宮両殿下には感謝申し上げます」とはっきりおっしゃっていました。

 

皇后陛下の予想外の所で動いた秋篠宮、そして妹の結婚に対して仲間外れにされた皇太子様。どちらも秋篠宮家には小さな恨みを抱えるようになってしまったのです。

 2004年11月20日 雅子様の祖母江頭寿々子死去

江頭寿々子氏はチッソの江頭豊氏の妻です。

本来なら皇太子夫妻も葬儀には参加すべきではなかったのですが、東宮家はわざわざ3人で駆け付けたのでした。

 

11月30日は秋篠宮さまの誕生日で、いわゆる「人格否定発言」等に対してこのような発言をされています。

殿下「5月の発言について,私も少なからず驚いたわけですけれども,陛下も非常に驚かれたと聞いております。私の感想としましては,先ほどお話しましたようなことがあるのでしたら,少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。

もう一つありましたね。

東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労ですね,これは私はどういう意味なのか理解できないところがありまして,前に皇太子殿下本人に尋ねたことがありました。

東宮御所の成り立ちに伴う様々な苦労とは,皇太子妃になって,つまり皇室に嫁ぐとふだんの生活においていろいろな人がその周りで働いている,近くで生活している空間においてもいろいろな人が周りにいる,そういう人たちに対する気配りというか,配慮ということであったり,なかなか容易に外出することが難しい,そういうことだそうであります。

そういうことを前提として私たちにそのような苦労があったかというと,主に私というよりも家内に関係するのかなと思います。

確かに東宮御所という大きい組織に比べれば,私の所はかなり周りにいる人たちの数も少ないので比べるというのは非常に無理があると思いますけれど,それを踏まえた上でどうでしょうね。

妃殿下「結婚してからの生活は,新しく出会う務めや初めて経験する慣習などが多くございました。

どのように務めを果たしたらよいか,至らない点をどのように改めたらよいかなど,不安や戸惑いなどもございましたが,その都度人々に支えられ,試行錯誤をしながら経験を積み,一つ一つを務めてまいりました。

両陛下は私たちの考えていることや感じていることを静かにお聞きくださり,私たちの務めや娘たちの成長を温かく見守ってくださいましたことに大変ありがたく思っております。

また,宮様が私の考えや気持ち,おかれている状況を的確にとらえて導いてくださったことは生活する上で大きな支えとなりました

この発言は、皇太子様がもっとも触れてほしくない点だったので、もう言葉がありません。弟殿下に裏切られたような気がして大変ショックを受けました。

けれど、秋篠宮が内親王の状態について変に暴露しなかっただけいいではないかと必死にご自分を慰めました。

雅子様は紀子様の、こういう「いい子ぶる」所が大嫌いで、記者会見を見たあとはひとしきり不機嫌で部屋に閉じこもってしまいました。

紀子様のような学歴もないくせにいい子ぶって姑に好かれる次男の嫁、ほっとけばいいのに、負けたと完全に思ってしまうご自分が嫌です。

 

 2004年12月1日 愛子内親王3歳

愛子様はすくすくと3歳を迎えたかにみえました。

音楽に合わせて踊って見たり、木の上に登らされてみたり・・・でもどこか幼い印象がぬぐえません。

 2004年12月9日 雅子さまの誕生日

「体調は少しずつ快方に向かってきているように感じます。本格的に公務を再開するのにはまだしばらく時間を要するかもしれませんが、早く元気姿をお見せできますよう、関係者皆さまのお力添えを頂きながら引き続き回復に努めていきたいと思っております」

 2004年12月19日 高松宮喜久子妃殿下薨去

 2004年12月26日 「皇室典範に対する有識者会議」が始まる。

そしていよいよ、小泉内閣による「愛子天皇」擁立の動きが始まりました。

勿論、後ろには小和田の父君、外務省、そして大鳳会がいるのです。

首相は正直、女帝と女系の違いをしりませんでしたので、「愛子さんが天皇になってなんで悪いの?」っていう感じでした。

その無知な所に父君は付け入ったのです。

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女性達はもっとLGBT問題を考えるべき

2023-07-17 07:00:00 | 政治

先日、最高裁で出た判決

 性同一障害と診断された50代男性が長い間「女性用トイレ」の使用を制限されたのは違法として裁判を起こす

 職場の対応は不適切と認める判決

裁判所が最も重要視したのは多分、医師による「性同一性障害」の診断だと思います。

その人は経産省に勤める国家公務員です。

女性が「嫌だわ~~」「不快よね」と思い、その空気を察した職場が、男性トイレか、もしくは遠い場所の女子トイレを使ってねという話だったと思うのですが。

しかし「感情的に判断すべきでない」という結果になったのです。

 

でもね、「快不快」の感情を制限しないといけない職場というのは、女性にとって「差別」にあたるのではないでしょうか。

性同一性障害の女性に対する差別は許さない」が「真っ当な女性への差別」になっているのです。

もっとも、今回の判決はあくまで「職場内」の話と言う事で、我慢しなきゃいけない、あるいは無頓着にならなきゃいけないのは経産省内の女性達だけって事になりますか。

本当にそれでいいんですか?

 

ちょっとした経験。

ある手続きに来た見かけはどう見ても男性、名前も男性が、実は法的に「女性」だとわかった時。

個人的にですが「いくら法的に女性になったとしても、この人物が女子トイレに入って来たら嫌だ。まして温泉やスパの女性風呂に入って来られたらやっぱり嫌だ」と思ったんです。

眉を剃っても声が可愛くても化粧を落とせば顔は男のままです。

法的に「性別」を変えるには

 男→女・・・去勢手術

 女→男・・・豊胸手術

が必要なんだそうで、いわゆる「見た目」がしっかり自認する性に見え、性器の有無が重要なんだそうです。

 

今回の人は戸籍上も女性になったわけですから、もし「女子トイレを使用します」「女性風呂を利用します」と言われたら断れないんですよ。

「私は身も心も法的にも女性になったんですから」って言われたら言い返せますか?

この話を職場でしたら「え?今の人そうだったの?」という人達。

そして「法的にそうなんだから仕方ないじゃない」と男性達。

「知らねえよ。そんな細かいこと考えねえよ」と言った人もいました。

だから女性職員に聞きました。

「あなたの娘がトイレに入った時に、トランス女性または性を変えた女性が入って来ても容認できますか?お風呂はどうですか?」と。

そしたら複雑な顔をされました。

誰一人、自分の事として考えていなかったんです。

 

多様性が認められている昨今「見た目男でも女でもいいし~~心が男で見た目女でも逆でもいいし~~ありのままの自分でいいんじゃないかな~~」って言われたら拍手しますよね?

そうだそうだ、多様性万歳。トランスジェンダー万歳。

性的マイノリティの権利がようやく認められて来たと。

女性が「自分は男」と性自認しても、見た目が変われば別に害はないです。

例えば「子宮を摘出した」「胸をとった」といっても、男性側に何か害がありますか?

いいか悪いか別として、トランスジェンダーで声高に「私の心は男です」という女性はほとんどいません。

しかし、その逆、つまり「私は女性」という男性は声高に発信し、女性トイレや風呂の使用を求めたりします。

あるいはそれを認めようとする大きな動きもあります。

なぜでしょう?

犯罪に利用しやすいからです。

いわゆるエセ自認です。

 

その性自認が嘘でも本当でも女性には多大な「害」があると言う事を、世間の男性は、最高裁の裁判長はどれだけわかっているでしょうか?

自認する女性と、真っ当な女性の大きな違い、それは

 生理がある

事です。

小学校の高学年あたりから50代前半くらいまで、女性は月に1回、ほぼ1週間程生理がある為に、貧血になったり精神的にダメージを受けたり、授業や仕事に支障が出たりします。

一人ひとり期間は違うし、その重さ辛さは違いますが、全ての女性が月に1回、非常に不快な思い、具合の悪さ、出血の漏れなどに煩わされている事は事実です。

30年以上40年近くそういう思いをするんです。女性は。

そしてそれは女性のみが行う事が出来る「出産」への準備になります。

どんなに「なくなっちゃえばいいのに」と思ってもなくならないし、むしろ無月経は病気です。子供を産んでも産まなくても女性の体はそういう作りになっているんです。

当然女子トイレには「サニタリーボックス」があります。

ショッピングモールなどのそれは綺麗だし、あまり気にならないけど、学校などにあるものは金属製で自分で蓋をあけて生理用品をちゃんとトイレットペーパーに来るんで捨てなくてはいけません。

でも、(日本の女性だけかもしれないけど)蓋を開ける音すら気になる事があるんですよね。

というくらいデリケートな場所なんです。

温泉やスパもそうですが、生理中は入る事が出来ません。

だから女性はいつもその周期を気にしながらスケジュールを組みます。

修学旅行などで生理になったらそりゃ大変。

ちょっと想像すればわかると思いませんか?

それに妊産婦だって温泉やスパは利用しますよ。

その中に、昨日や今日、いや性転換して2年や3年経過しただけの女性が堂々と入って来たら・・それは本当の女性に対する冒とくではないかと。

「好きで見かけ男に生まれたのではない」と言われるかもしれませんが、それは私達も同じです。

神様のいたずらで男OR女に生まれて来たのです。

幸いにして、心と体が一致しているから普通に仕事して結婚して出産も出来てるわけですよ。

恵まれてますか?

じゃあ、今一度生まれ直して、30年も40年も月に1週間以上の不快な思いを体験したいですか?

貧血、頭痛、イライラ、だるさ、眠気、人によって症状は様々ですが、一度もそれを経験しない女性はいないでしょう。

出血量の多い日はそれこそ眠る時も気を遣うし、トイレに行く回数は増えるしゴミも増える。洗濯も大変になったりする。

だけど、件の「性同一性障害」の女性は、性転換してないわけで体は男性のままですよね?

また性転換した彼女も、今更生理があるわけでもない。

つまり「私の心は女」という男性は女性のいいとこどりをしているんじゃないでしょうか?

スカートはいて、胸を大きくして化粧で美しくなって・・・それで堂々と「女」っていうのは、失礼ですよ。

 

だから性的マイノリティには、そういう独自の「世界」が出来て来たのであり、日本はそういう意味では非常に寛容でした。敵対する事もなかった。

だけど・・・お願いだから当たり前みたいに「女子トイレ」使用は言って欲しくない。

少なくともみかけ男性には見られたくないものだってあるんだよ。

それが女性の「恥じらい」の部分で、それがあるから女性ともいえる。

何とかスケジュール調整してやっと大浴場で足を伸ばすぞ~~って思って入ったら「女性です」という男性が堂々と入って来て「嫌だ」とすら言えないのってあまりにも女性が可哀想じゃないの?

正直、小学生男子が堂々といるのも嫌ですけどね。

 

経産省の性同一性障害の人は、そこまで考えて物を言っていたのか?

そこまで考えて裁判を起こしたのか?

そんなはずないよね。

「私、心は女なの。お医者さんにも性同一性障害って診断されたの。だから私には女子トイレを普通に使う権利がある」って事でしょ?

そんなの・・・ひどいと思う。

私のようなもうすぐ還暦の女がこんな事を問題にするのに、どうして女性まっさかりの人達は声を上げないの?

女性と言うテリトリーを守らなかったら、自分の娘や孫娘が嫌な思いをするかもしれないんですよ。

それとも「へいきへいき。これ、生理用ナプキン。見る?つける?って言えちゃう」女の子の方がかっこいいですか?

 

 

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録  30

2023-07-17 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2004年9月24日 愛子内親王の映像を宮内庁が異例の公表

雅子様は、内親王の「自閉症疑惑」に神経をとがらせました。

父君にも「絶対に隠さなければならない秘密」としてきつく言われていましたし、雅子様自身、それを公表する気もないし何があっても違うと言う覚悟でいました。

ですから、影武者にはもう一働きして貰う事にしたのです。

沖縄豆記者の日に、ハープ奏者を招いて、その子にハープをいじらせます。

雅子様はあたかもそれが愛子様であるかのようにふるまいました。

子供は宮事のない楽器にちょっと驚きつつ興味津々で触ります。

がんがん音を立てると喜びます。

これで「音楽に造詣が深い愛子様」の完成です。

さらに、父親が記録していた影武者のビデオを取り寄せ、そこに皇太子様の音声を乗せる事にしました。

少女はラフなトレーナー姿で「うずらちゃんのかくれんぼ」をすらすら読みます。

けれど東宮御所にはその本がなかったので、皇太子様は「もりのこえ」の本を読みました。

少女:もういいかい?もういいかい?もういいかい?どこにいったのかな。パパも

皇太子様:はい。おーいもりぞう声を聞かせてくれよ

少女:うずらちゃんみーつけた。今度はひよこちゃんをみつけ・・

皇太子様:いくら呼んでも答えはありません。

 

国民の誰もがこの映像を変には思いませんでした。

なぜって、実際のところ、本物の愛子様を見た人などいないからです。

それに皇太子様の声は事実ですから、皇族が嘘をつく筈ないと誰もが思い込んでいたのです。

よくよく見れば、実際の愛子様より年上で絵本を読んでいるというより、覚え込んでいる感じなのですが、これで国民には十分でした。

娘のプライベートな姿を本人の承諾なしに出したくない」とおっしゃる雅子様に対し皇太子様が「国民は心配しているのだから」と説得したようにも本堂されました。

2歳の女の子の親権は親にあり、承諾も何もないのですが、おかしいよねと誰かが言ったとしても、当時の国民は「それが皇室というものでしょう」としか解釈しませんでした。

 

雅子様は雅子様なりに本当に必死に愛子様の育児に向き合っていたのです。

体が硬くてこわばったりしないように、リトミックに同伴し感情が豊かになるように頑張りました。

東宮御所で飼っている犬を触らせて「可愛い」という感情が生まれるのではないかと期待しました。

とにもかくにも全ては内親王の為でした。

 

 2004年10月4日 帰京

那須静養時には、皇太子様だけ公務の為に一旦東京に戻り、その後、お迎えにいらしたりしました。

「迎えに来て」と言われるのも愛情の証であり、頼る人間が自分しかいないのだと思うと妙に生活に張りが出て、それだけガソリン代がかかるとか、側近が大変な目に合うとか、そんな事は一切おかまいなしに雅子様のいいなり状態になったのでした。

10月20日は皇后陛下の古希のお祝いがあり、雅子様は行きたくないとおっしゃったのですが、「皇太子妃のお務めです」と言われ、仕方なく車に乗り込み、マスコミに手を振りました。

その時、発表されたお誕生日文書は

もう45年以前のことになりますが,私は今でも,昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で,沿道の人々から受けた温かい祝福を,感謝とともに思い返すことがよくあります。

東宮妃として,あの日,民間から私を受け入れた皇室と,その長い歴史に,傷をつけてはならないという重い責任感とともに,あの同じ日に,私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし,私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた,その後の歳月,私の中に,常にあったと思います。

陛下が東宮でいらした時は,昭和天皇をお助けし,昭和の時代を支えていくという,静かな,しかし強い陛下のご気迫を,常に身近に感じておりました。

また,お若い頃より伝統を今に活かしつつ,時代の要請に応えていこうとなさる陛下のお気持ちは,いつか私のものともなって,このお気持ちをともにしつつ,皇室での日々を過ごしてきたように思います

とつづられました。

また、雅子様については

東宮妃の長期の静養については,妃自身が一番に辛く感じていることと思い,これからも大切に見守り続けていかなければと考えています。家族の中に苦しんでいる人があることは,家族全員の悲しみであり,私だけではなく,家族の皆が,東宮妃の回復を願い,助けになりたいと望んでいます。宮内庁の人々にも心労をかけました。庁内の人々,とりわけ東宮職の人々が,これからもどうか東宮妃の回復にむけ,力となってくれることを望んでいます。宮内庁にも様々な課題があり,常に努力が求められますが,昨今のように,ただひたすらにそしられるべき所では決してないと思っています」

と書かれました。

誠に皇后陛下らしい、お気遣いのこもった文章でございました。

しかし、この文章に噛みつくマスコミが現れました。

すなわち、英国タイムスです。

それによると「皇后発表の文章は雅子妃への叱責」というものでした。

確かにそう読める文章ではありましたが、日本では反抗出来ないマスコミと違い、英国は何と辛らつな事でしょうか。

 

雅子様は正直、皇后の文章の意味がわかりませんでした。

周りも「ご心配下さっている」というので、そうなのだろうと思いました。

しかしながら、小和田家に里帰りすると

馬鹿者。あれはお前へのメッセージではないか。皇太子妃としての務めを自分はおろそかにしてこなかったぞと怒っているんだ。それに気づかないのはバカだ。

だって侍従も女官も・・・あの人達、全然信用出来ないわ」

あなたが一番信用すべきなのは、私達でしょう。節子や礼子もいるわ。血のつながりが一番なんだから」

と母君は必死に雅子様を慰めました。

次の静養の話だがと父君はおっしゃいました。

どうしても外国へ行きたいんだろう?」

それは・・・」

スイスなんてどうだ?」

スイス?行けるの?」

いけるさ。最悪でもヨーロッパだな。必ず行かせる」

本当?

雅子様の瞳は急にキラキラと輝き始めました。

久しぶりに雅子様が笑ったので、ご両親はほっとされました。

とにかく、雅子様は外国へ行きたいのだから、行かせれば父君ももう責められないだろうと思ったのです。

どうせ金は内廷費を使うのだから小和田家としては痛くもかゆくもないのです。

楽しみにしていろ」

父君がにやりとしました。

 

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皇室ウィークリー

2023-07-16 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

6月30日・・・天皇陛下 → 大祓の儀

7月1日・・・天皇陛下 → 旬祭

7月3日・・・両陛下 → 日本芸術院授賞式

            人事異動者に会釈

7月4日・・・天皇陛下 → 神宮関係者に会う

             通常業務

7月6日・・・天皇陛下 → 離任ベルギー大使に会う

7月7日・・・天皇陛下 → 通常業務

7月9日・・・両陛下 → 第22回国際自動制御連盟世界大会」開会式

※ 写真はコラではありません 嘘だと思うなら産経ウイークリーを見て下さい。

天皇:さあ、座ろうか?ま・・え?え?

7月11日・・・天皇陛下 → 認証官任命式

              通常業務

7月12日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

       両陛下 → シニア海外協力隊・日系社会シニア海外協力隊と懇談

             人事異動者に会う

7月13日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

 

皇嗣家

6月30日・・・佳子内親王 → 第31回伝統工芸人形展」および「第29回伝統工芸諸工芸を見る 

               大祓の儀

      両殿下 → 世界水泳2023の説明をうける

7月3日・・・妃殿下 → 国際天文学連合アジア太平洋地域の天文学に関する国際会議」について説明を受ける

    佳子内親王 → 第22回東京都障害者ダンス大会ドレミファダンスコンサート」について説明を受ける

     両殿下・佳子内親王 → 人事異動者に会釈

7月6日・・・両殿下 → 「第47回全国高等学校総合文化祭」について説明を受ける

 まず、文句。

 宮内庁は両陛下の予定を2週間以上更新しておりません。

  秋篠宮家はちゃんとしているのに何でですか?

  自動車・・は皇后陛下、ドタ出だそうです。

  写真を見て本当にびっくりしてしまいました。嘘だと思いました。でも嘘じゃなかったんです。こ・・皇后ともあろう人が下着をつけていない?

「暑いからいいわよ。何も着なくて」って感じですか?うそ~~今までの中で一番の大失態ではありませんか?

  いくらご優秀でも、外務省出身でもハーバード出身でも下着つけないでスーツを着るってありえないでしょ。それを「はい」で通す女官もどうかしてる。気が狂っているんじゃないですか?皇后も皇后宮職も。

 芸術院の授賞式

皇后:(能面をつけるのに)息苦しくないですか?

   陶芸はやったことがあります

とか言ったそうな。

天皇陛下はなんと中原中也の「子守歌よ」の一節をそらんじ、「中原中也が好きで読みました」と、そして「サーカス」の解釈を求めたらしい

通常、この後は茶会の筈が、立ちっぱなしでお話でしたね。

さて、西村宮内庁長官が「タイミングが適切でなかった」と発表した後、皇嗣家の側近トップ(恐らく皇嗣大夫)が

「タイミング」については「長官のお考え」

「節目節目で必要な説明をしてきた」

と反論しました。

佳子様一人が分室に残った事について、何でこんなに大事になっているのかとご本人も驚き、憤慨されていると思います。

成年皇族が一人暮らしして何が悪いのかということ。

何度もしつこいけど、三笠宮彬子女王の生活の仕方はかなり税金を食っていると思いますよ。

久子妃の「趣味が公務」であっちこっちの鑑賞公務に税金使って海外まで行くと言うのも贅沢過ぎるのではと思う位です。

 

それはおいておいて、今回は皇嗣大夫が宮内庁長官に反論した形になりました。

これは何を意味するのでしょうか?

長官の「承知していません」がやたらひっかかったんですね。私。

冷たくて突き放すような言い方で、結果的に燃料投下になってしまった。

皇嗣大夫は「(長官に対し)節目節目に必要な説明はしてきました」と言いました。

つまり

 皇嗣邸を完全に壊して立て替えるのではなく、秩父宮邸を残しつつリノベーションすること。

 今までの皇嗣邸と違い、今回は「公の皇嗣御所」の役割を入れると敷地的に狭くて家族全員がそれぞれ必要な部屋を持つ事が出来ないこと

 ご仮寓所を壊すのではなく、事務棟として残し、その一角に内親王方が住めばよろしいと考えられて来たこと

 その点に内親王は同意したこと

 さらに必要があれば赤坂東邸も公務の場として使うこと

これらについて節目節目に宮内庁長官に説明したと言っています。

しかし、長官はそれを聞き流したか重要な事ではないと思っていた。

そこにマスコミの「叩き」が入って、皇嗣大夫が発表したら「何で今更。実はもっと裏があるんでしょ」とさらに「叩かれた」

ゆえに宮内庁長官の出番になり、一切を皇嗣大夫のせいにした。

だから「それは違います」と反論した。

内部抗争勃発かなと思います。

皇嗣家に仕える側近は、日々嫌な思いをしていると思います。

ご一家が誹謗中傷される事で、宮内庁内では自分達も同様に見られているのではないかと不信感を抱く者もいるでしょう。

かといって国家公務員である以上、配属されたら逃げられない。

思った以上に皇嗣家は仕事が複雑でその場の機転が必要。

「機転」が最も苦手なのが公務員ですから、そりゃあ「お難場」だろうと思います。

では民間委託すればいいのにと私などは考えますけどね。

 

ただ、皇嗣大夫も定例会見があるわけですからきちんと、旧秩父宮邸の歴史的価値を発表すべきだったと思います。

戦後、旧皇族、旧華族の屋敷は全てGHQに摂取され、壊されたり姿を変えたりしました。

香淳皇后の実家の一部が聖心女子大学に残った。

そこから嫁が来た・・事について香淳皇后が傷ついたかもしれない事も宮様はご存知だったかもしれません。

私なども、時々「旧宮邸」だったカフェなどに行きますが、ごくごく一部の広間だけが残り、そのまま残す事が出来なかった事を残念に思っています。

 旧秋篠宮邸

礼宮殿下と紀子さんの結婚が発表され、華やかな結婚式が行われ、紀子ちゃんブームに沸いた1990年8月29日。その日は本当に寒い日だったのを覚えています。

紀子様はローブの上にコートを羽織っていましたね。

で、オープンカーではなく、乗用車で宮邸に行く道々、手を振られたのですが、その美しさと品格には驚きました。

そして宮邸について・・・びっくり。え?これが宮邸?

バブル時にこのボロ家・・特に池がある処、小さい頃によく見た一軒家の風景で昭和40年代くらいに戻ったんじゃ?と思いました。

この建物は昭和6年に乳母官舎として建てられ、戦後、赤坂御用地に移築。一時、鷹司和子さんが住む。

東宮御所の隣りにあるこのボロボロ家は築59年。

殿下はこの建物の改築等には一切携わらず、紀子様一人で屋根の色とか間取りなどを考えられたそうです。

職員が住むには狭すぎるのでプレハブの事務棟が作られ、紀子様唯一の希望「結婚後も勉強を続けたい」の為に狭い2畳の部屋に向い合せにパソコン置いたら、かがむ事も出来なくなったそうで。

その当時、テレビでも言われていましたが

「兄より先に結婚したこと」

「結婚が早かったこと」を理由に美智子さまが「ここで我慢せよ」と申し渡したと・・・当時はそうなのかなと思い、でも数年で新しい宮邸が作られるかなと思ったのです。

だって・・・その宮邸も驚くほど立派なのに、筆頭宮家がボロボロ家で、ドレス姿で玄関を入る所を映像で観ましたが、あまりにもそぐわなかったです。

秩父宮妃が大層心配されて「私の死後はここを秋篠宮邸に」と遺言なさいました。

 秩父宮邸

知らない人もあると思いますので。

秩父宮殿下は昭和天皇の1歳年下の弟宮で、明仁皇太子が生まれるまでは筆頭宮家でした。妃の勢津子さまは会津藩出身。

香淳皇后、高松宮妃とも近しい関係。

ゆえに当初

こんな御殿に住んでいて、さらに御殿場に別邸があったのです。

戦争で燃え、秩父宮両殿下は御殿場で静養していたのですね。

殿下は肺結核になり、戦後、亡くなられるのですが、新しい秩父宮邸が建てられたのが1970年代とすると、元々勢津子妃一人用の御殿だったわけです。

延べ床面積490くらい。

三笠宮、高円宮邸が延床700くらいですので、いかに小さいかわかるでしょう。

 

 旧秋篠宮邸

東宮ご御所の隣りにこんな小さな建物。それが筆頭宮家のお住まい。

雅子妃は笑いが止まらなかったろうなと思います。

宮内庁のHPでは平成9年から住んでいる、雑誌では平成12年から住んでいると書かれていますが、どうなのかな。どちらにせよ、この時点で築30年。

悠仁殿下が生まれて、2階にプレハブを増築して育児室にしたと聞いた時にはもう何だか悲しくて。

こういう事に対し、秋篠宮の両親である天皇皇后は何も思わなかったのかなとつくづく感じます。

他の宮家と比べても各段に狭くて古い。

それを大事に改修しながら暮らしていたのが秋篠宮家です。

 

 ご仮寓所と新秋篠宮邸

この二つが必要になった理由は、秋篠宮殿下が皇嗣になられたからです。

それまでの御屋敷では海外要人を招いたり出来ないので新しくする必要があったのです。

考えても見て下さい。皇太子たる皇嗣が旧秋篠宮邸に住んでいて、そこに他国の王や王妃が来たらどうするのですか?

となりにはやたら立派な東宮御所があって、「ああ、あれは上皇夫妻が住んでいるんです」って言ったら、「え?隠居した人がこっち?」と思うでしょう。

皇嗣の御殿を作るのは国家の威信です。

それでも、秋篠宮殿下はお屋敷を譲って下さった秩父宮妃への最上級の敬意をこめ、出来るだけ文化財的なものを残し後々価値が出るようにされたのです。

ご仮寓所は皇嗣職の為で、東宮御所を使う事が出来たら作る必要がないものでした。

つまり、天皇家3人と上皇夫妻が身の丈に合わない豪華な場所に住んで、空き部屋を独占している為に割を食ったのが秋篠宮家です。

 

上皇后は平成になった時、吹上御所を改修するのではなく、わざわざ新宮殿を建てさせました。その時に昭和天皇が愛した林がなくなったと言われています。古い吹上には香淳皇后が住み、今は空き家です。

 

そもそも上皇夫妻は高松宮邸ですら「狭すぎていや」と言ったのです。

高輪はうっそうとしていて、側に泉岳寺がありマンションもあります。

これで狭いと言われたら秋篠宮家の5人はどうすればいいんだ?

 

佳子様がご仮寓所に残られたのは、「降嫁」を前提としている事もあるけど、宮邸の「公」の部分を広げ、事務をスムーズに行う事を考えると、どうしても1部屋は増やせないとの苦肉の策ではないかと思います。

将来、悠仁親王が天皇陛下になられたとき、この宮邸は文化財として大きな価値を持つ事でしょう。

もしかすると悠仁殿下のお子様が住むかもしれない。

そういう大局を考えてのリノベーションであった。

 

それなのに金勘定ばかりをマスコミは報道し、予算が変わった、減った増えたとあたかも浪費しているかのような印象操作は目にあまります。

私は許す事が出来ません。

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録 29

2023-07-15 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

2004年5月21日 英国タイムズが「ぶしつけながら彼女(雅子)は天皇ご夫妻に対して敵意を持っており、お二人が死ぬのを待っている」と報道

 2004年6月9日 英国タイムスが「Japanese Crown Prince demands palace reform>と報道

In this information void, wild rumours flourish. They include talk of the Prince and the Princess being estranged and of Princess Aiko suffering from autism. But the Crown Prince’s remarks yesterday set out the most credible reasons for Masako’s distress: the extraordinary difficulties of imperial life for a highly educated, cosmopolitan woman

 

 2004年6月18日 林田東宮大夫の発言

「自閉症とは不本意」

 

どんなに否定して見せても、事実はどこからか漏れるもので、それを最初に手にしたのがなぜかイギリスだったと言う事です。

東宮夫妻は両陛下に敵意を持っていて、二人が死ぬのを待っている」との報道を目にした宮内庁は真っ青になりました。

書かれた両陛下も青くなる始末で、どうやって火消すべきか協議します。

しかし、雅子様が両陛下に対し「敵意」を持っていたのは事実で、その「敵意」は夫である皇太子様にも向けられ、軽井沢へ籠城となり、離婚も考えたわけですが、最終的には小和田の父君のアドバイスで元の鞘に収まることになりした。

考えても見ろ、天皇が死ねば皇太子が天皇になる。そしたらお前は皇后。どんな権力も思いのままだぞ。それまで我慢するんだ」と説得されれば「そうかな」と思ってしまう雅子様。

だからこのような記事が出ても全然ご本人的には構わなかったのですが、千代田はそうはいかず、すぐに皇太子様を呼び出して釈明を求めました。

いわゆる「人格否定発言」の後から、何を質問してもはっきりとした答えをしない皇太子様へのイライラは陛下のみならず、皇后陛下も紀宮様もピークに達する程だったのです。

この報道について釈明してみなさい」と陛下がおっしゃると、皇太子様はうすら笑いをして

事実ではないと思います」とお答えになりました。

思う?とはどういう事なのか。そもそも東宮のいう人格否定のあった動きとは何だったのか

それは・・・やっぱり世継ぎのプレッシャーとか」

世継ぎを産むのは皇太子妃の務めだ。まさかそれを知らなかったわけではあるまい」

でも、雅子は望んでいなかった事なんです。だから心が壊れたんです。みんなが無理強いするから・・・」

話しになりません。

では新しい公務とは

それは考え中です

これまた話にならず・・・・・

その間にも日一日と愛子内親王は大きくなっていきます。

敬宮の様子はどうですか。なぜ連れてこないのですか」と皇后様が問えば

皇居に来ると具合が悪くなるんです」

・・・・ではあなたと敬宮だけでも」

それは雅子が嫌がります

敬宮はどこか悪いのですか」

・・・そんな・・・事はないです。愛子はとても優秀なんです」

両陛下とて、内親王が自閉症であると言う情報は入っていましたが、別段可哀想と思うよりも、今後、どのような療育を施せばいいかと前向きに考えていらっししゃいました。

特に皇后さまは、生まれた時からかなり「ごゆっくり」だった浩宮様の為に、女官に対し一挙手一投足を決める程の「ナルちゃん憲法」を編み出し、浩宮様の頭が混乱しないように努めました。

でも今時の「ごゆっくり」な方への療育の仕方は違うでしょうし、何より昔とちがって「障碍は個性」と言われる時代です。

きちんと公表し、適切な療育者を見つけるのが先ではないかと思われたのです。

しかし、何をどう言っても皇太子様は納得せず、「雅子が」と言って聞かなかったのでした。

融通のきかない皇太子様の欠点がここに現れ、一直線に「雅子が」に向かう息子の姿に皇后陛下は哀れを感じられたのでした。

 

イギリスタイムスは、さらに「愛子内親王は自閉症」と書きました。

これには心底雅子様は驚き、「何でわかったのよ!誰かバラしたの?スパイがいるの?」と怒り、またもリビングの家具をひっくり返すような暴挙に出られたので、なだめるのが大変でした。

スパイも何も、内親王を見ればわかる事で、その当時の日本でもネットでは「どうみても愛子様は自閉症」の噂が広がっていました。

しかも、日本のマスコミは「雅子様はうつ病」「いや、強迫神経症」と色々噂を流します。

まだ何の診断もついていない雅子様についてここまで書かれたのではたまったものではありません。

林田東宮大夫はついに定例会見で

雅子様について「うつ病」「強迫神経症」などの噂を流布する事は勝手な憶測であり事実ではありません。また愛子様自閉症説は「事実無根であり、はなはだ不本意です」と言いました。

「不本意」という言葉は、「そういう風に思われるのは本意ではない」という意味です。「事実無根」の次に「そういう風に思われるのは本意ではない」と言ったのはもしかすると東宮大夫の「真実に気づいて欲しい。本当は事実なのだ」という事だったのかもしれません。

 

一方、愛子内親王への療育については少しも進展していませんでした。

週に何回かは母君がいらして「学習院じゃ駄目よ。皇居にいるのと同じでのびのびした教育は出来ないもの。他の保育園とか3年保育の幼稚園などに入れたらどうなの?」

と雅子様におっしゃり、雅子様は「3年保育かあ・・」それなら一日中自分がついていなくてもいいかもしれないし、信頼できる所に預けられれば安心と思いました。

しかし、どこの幼稚園も「警備の問題」があるのでお断りしますとの返答が返って来ました。

皇太子の娘が入園してやろうというのに、断る権利などあると思うのだろうか?

雅子様の様々な行状・・・というか、いわゆる「人格否定発言」に見られる被害者意識は、社会人としてあってはならないものでした。

仮に愛子様を預かる保育園などがあったとしても、どんな難癖をつけて「愛子の人格を否定した」と言われたらどうするか。

そう、皇太子夫妻はすでに「クレーマー」の兆候があると思われていて、知らないのはご本人達だけだったのです。

3年保育など実現出来るわけないと東宮職も思っていました。

まずは内親王の発達障害をきちんと公表してから。専門教育を受けさせるのが一番であるという見解は変わりません。

しかし、雅子様はそれを執拗に嫌がりました。

後押しをしたのは母君で「愛子ちゃんにそんな障碍があるとわかったら世間からどんなに馬鹿にされるか」と心配していたのです。

ダメ、絶対に公表しちゃ駄目よ。障碍児用の施設もダメ。養育係を探すべきだわ」

事あるごとに東宮御所に現れて雅子様と部屋にこもり、延々とい続けるこのお客に女官達はうんざりしていました。

7月4日、皇太子様は学習院OBオーケストラの定期公演に出演されたのですが、幕間に一度東宮御所に戻るという「事件」まで起きました。

女官が困り果てて、何とか食事をとって貰えないかと懇願し、それでも返答がないので皇太子様に連絡をしたという次第でした。

過熱するマスコミ報道に林田東宮大夫は「医師達の判断で、今後は雅子様の治療の一環として私的なお出かけや静養が増えると思うが、そういうプライベートな事は報道しないで欲しい」と規制をかけました。

病名については「適応障害」と発表されたのですが、なじみのないその言葉にまたもマスコミは騒然となりました。

 

 2004年7月28日 沖縄豆記者との懇談

優秀な愛子ちゃんの姿を見せるべきよ」とおっしゃったのは母君で、これは父君の意向を踏まえていました。

そうは言ってもどうやって・・・?

そこは小和田の父君が助けて下さいました。

外務省の中で愛子様によく似ている同い年くらいの・・・といっても、少し年上でしたが、女の子を見つけ出し影武者に仕立て上げる事にしたのです。

勿論、機密保持として大金が必要でしたがそれは東宮が負担する事になりました。この件には小和田家だけでなく嫁いだ二人の妹君の配偶者のコネクションや、外務省大鳳会も関わり、レベル5級の秘密としての契約が結ばれたのです。

さすがに皇太子様は実際の内親王ではない子供を連れ歩くのには抵抗がありましたが「絶対に成功する」と説得され、何気ない感じで沖縄の豆記者との面談に連れて行く事にしました。

この影武者は度々要請があり、今後、長い付き合いになっていきます。

確かに、沖縄豆記者との面談はうまくいきました。

誰もが「愛子様」であると信じて疑わなかったし、少々年上に見えても「成長が早いんだな」程度の認識でした。

「こんにちは」と挨拶が出来たこの子の演技力(?)もお墨付きです。

このようにして、東宮家は次第に国民を欺いていく方向に舵を切りました。

皇太子様はほとんど無意識に、雅子様はひたすた自分と娘の身を護る為、そして加担した宮内庁は今後、東宮家には逆らえなくなります。

勿論、スルーした天皇家も同じで、罪の共有を余儀なくされていったのでした。

 

 2004年9月24日 那須静養

雅子様は、愛子様の為に青山劇場にある「リトミック体操」に申し込み、自ら愛子様を教育するという手法を取る事にしました。

さらに自閉症疑惑を払しょくする為の策も練りました。

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西村長官 マスコミに燃料を投下してどうする!馬鹿者!

2023-07-14 07:00:00 | 皇室報道

西村宮内庁長官は13日の定例記者会見で「佳子様が皇嗣邸に移らず分室で一人暮らしをしている理由についての発表がタイムリーではなかった」

と言ったそうです。

 西村長官に言いたいです。

 自分が言った言葉が皇嗣家に+になるかならないか判断できないのですか?

 よりによって「タイムリーでなかった」と言った事により、より皇嗣家がマスコミに叩かれる原因を作ったのですが、どう責任を取りますか?

 「皇嗣一家が2022年に引っ越しをする」と発表したけど、結果的に違った事は「反省」とする理由はなんですか?

 この「反省」という言葉が、より皇嗣家に対して「身勝手な皇族」とか「悪い皇族」のイメージ作りに貢献してしまった事についての「反省」はありますか?

 西村宮内庁長官は皇嗣家を貶めたいのですか?

真面目に答えてください!!

ツイッターでも呟きましたが、私達国民が「秋篠宮家への誹謗中傷を止めて」と訴え、努力しているのに、その芽を皇室関係者が自ら摘み取るような行為をするとはいかがなものか?

いや、正直言って許せません!宮内庁長官の辞任を求めたいくらいです。

先日、皇嗣大夫から「新しい秋篠宮邸には元々眞子様と佳子様の部屋は作られなかった。経費節減の為だった。ゆえに佳子様は今もご仮寓所と呼ばれた分室に住み続けている」と発表しました。

なぜこのような発表がなされたかと言えば、ここ数か月マスコミが皇嗣家を叩く理由として

 新しい秋篠宮邸は予算を大幅に超えて贅沢した!

 全部紀子様のせい!

 佳子様が今もご仮寓所に入る事が発覚!宮邸は一つじゃなかったのか?

 佳子様と皇嗣家が断絶している

と連日連夜書きまくっていたのです。

それに対してやっと皇嗣大夫が

 当初の予算より大幅に削減されたのが今の宮邸。

 旧秩父宮邸をベースにして残した

 最初から眞子様と佳子様の部屋は作られなかった

 佳子様はご仮寓所に住んでいる

 秋篠宮邸は狭いので、公式な場としては赤坂東邸を使いつつ、ご仮寓所は職員の事務棟として残した

という発表をしました。

するとマスコミは

 皇嗣大夫の言ってる事は嘘だ

 佳子様は眞子さまの一件以来、以前として眞子様の味方となりご両親と断絶状態で皇室を出たい意志を持っている

 何で今頃、この発表なのか?

 最初から部屋を作らないなんておかしい。秋篠宮家は屋敷に必要以上の経費をかけて贅沢している。絶対にそうである

 新しく改築するならさらに2億円追加も

と書き始めたのです。

それに対して西村長官は

 皇嗣大夫の発表は「タイムリーではなかった

 皇嗣大夫からは「発表事項としてまとめるのに時間がかかった」

 「なぜまとめるのに時間がかかかった」かは承知していない

 2022年に皇嗣一家は引っ越しをすると言ったのに、実際にはそうでなかった事は「反省」すべき点である

と言いました。

早速、ネットでは

 やっぱり秋篠宮は嘘つき

 やっぱり佳子様は家族と断絶している

 やっぱり秋篠宮家は税金を無駄遣いしている

のオンパレードで、恐らく来週の週刊誌もそうなるだろうと思っています。

 

この責任、西村宮内庁長官はどう責任を取るんですか?

広報室はわざわざマスコミにマイナスの燃料投下した事についての意見はないのですか?

何が悪いって西村長官は全ての文言を「否定文」で言っている事です。

これでは完全に逆効果なんです。

 

そもそも佳子様、いえ皇族が親と同居しなきゃならない法律ってあるんですか?

昭和の時代、常陸宮殿下がまだ義宮と呼ばれた頃、すでに「御殿」があり、一人で住んでいらっしゃいました。

今、三笠宮邸には百合子妃殿下と瑤子女王が住んでいるけど、彬子女王は京都に住んでいて別邸まで持っている。

信子妃殿下が職員宿舎に住むのは果たして許される事なんでしょうか?

また高円宮邸にはもしや頻繁に典子さんが来ているのでは?宿泊してたっておかしくないと思われ、それをいうなら皇居に本当に小和田夫妻がいないという証拠はあるのか?

 

佳子様が分室に住もうが宮邸に住もうがそんなの勝手じゃないですか?

正直、眞子様と佳子様にはお二人だけの「御殿」があってもいいと思っていましたし。

そもそも皇嗣家は東宮御所に住むべきなのに上皇夫妻が独占しているから住めないんですよ。

ゆえに宮邸をリフォームしないといけなくなったという事情をマスコミは無視している。

宮内庁長官が言うべきは

 秋篠宮家には皇位継承権を持つ男子が2人いるにも関わらず、ふさわしい御殿を両殿下が遠慮された為やむなく宮邸の改修工事にせざるを得なかった。

 旧秩父宮邸の文化財としての保護と活用を考えた時、また敷地の広さから、別邸を作るには至らず、ゆえにご仮寓所をそのまま職員棟として活用する事になり、佳子様用の部屋も作る事が出来なかった為にそのまま住んでいらっしゃる。

 宮内庁としては、成年皇族として宮中祭祀・公務に積極的に励まれ、役割を果たしている佳子様専用の部屋を用意出来なかった事は慙愧に耐えない。

 秋篠宮ご一家は今も昔も公務等に向かう姿勢にぶれなく、筆頭宮家、そして皇嗣家としての役割をきちんと担っていらっしゃる。

 マスコミがご一家の分断や、宮邸の改修工事にかかった費用を勝手に憶測で書き連ねる事には断固抗議する。

 宮内庁としては引き続き、皇嗣家のご活動を出来うる限りお助けしたいと思っている。また、来年成年皇族になられる悠仁殿下についても同様である。

と発表すべきだったのでは?

官僚は言葉を作る為にいると思うのに、宮内庁長官にしても皇嗣大夫にしてもあまりにも言葉の使いかた稚拙だと思います。

皇嗣家を潰したいと思っているマスコミや左翼に孤軍奮闘させている宮内庁はこの件で本当に皇嗣ご一家が長屋王家のようになったらどうするつもりなのか。

天皇家の3人及び上皇夫妻は「内廷」の名の元にやりたい放題をしている。

そのシワ寄せが将来の天皇一家に来ている事になぜ気づかないのか?

愛子内親王は大学4年になっても単独公務もしない、お忍び歩きばかり。

完璧に嘘がばれているのにそれでも国民を騙しているつもりの天皇家を庇う事は宮内庁も同罪で罰を受けなければいけませんよ。

 

私達は皇室を護る為には秋篠宮家を助けていかなくてはならないと考えています。

なのに宮内庁自ら宮家を貶めるとは

無知の涙です。本当に。

 

 

 

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録  28

2023-07-13 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 2004年5月10日 皇太子による人格否定発言

その日、皇太子殿下は覚悟を持って記者会見に臨んでいました。

2004年5月10日、一人で訪欧する為の記者会見です。

一度は別れたいと思った皇太子様ですが、軽井沢の別荘で散々小和田の父君に説教され、「なぜ雅子が追い詰められたか。それは皇室が世間が雅子のいい部分を少しも理解せず、時代遅れの要求ばかり突き付けて来たからにほかなりません」と言われました。

そりゃ、殿下がもう雅子をいらないというなら我が家としては引き取るしかありませんが、こんな風に心を病むきっかけになったのは他ならぬ皇室なのですから、きちんと責任と慰謝料を払って頂きたい

ここまで言われても皇太子様は自分が脅されているとは思いませんでした。

ただただ、妻に申し訳なく、内親王が可哀想でたまらなくなったのです。

私は離婚など考えていません」思わず殿下はそうおっしゃいました。

確かに皇室は旧弊で古い体質で、私も窮屈だと感じる事が多々ありました。

皇族である私ですらそうだったのですから雅子などは・・皇室が変わるべきなんですね」

ええ、その通りですとも。その思いを記者会見でぶつけて下さい」

え?どのように?

そこで、皇太子様は小和田の父君から沢山の指導を受け、そして今、記者会見の場にいるのです。

記者会見では雅子さまについて

今回の外国訪問については,私も雅子も是非二人で各国を訪問できればと考えておりましたけれども,雅子の健康の回復が十分ではなく,お医者様とも相談して,私が単独で行くこととなりました。

雅子には各国からのご招待に対し,深く感謝し,体調の回復に努めてきたにもかかわらず,結局,ご招待をお受けすることができなかったことを心底残念に思っています。

殊に雅子には,外交官としての仕事を断念して皇室に入り,国際親善を皇族として,大変な,重要な役目と思いながらも,外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました。

今回は,体調が十分ではなく,皇太子妃としてご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを,本人も大変残念がっております。

私も本当に残念で,出発に当たって,後ろ髪を引かれる思いです。

私たちには,ヨーロッパの王室の方々から,いつも温かく接していただいており,フレデリック,フェリペ両皇太子殿下とは,限られた機会の中ではありますけれども,楽しい思い出が多くあるため,今回のことはとても残念に思っているようです。

雅子の長野県での静養のための滞在は,幸い多くの方々のご協力を得て,静かな中で過ごすことができました。

この場をお借りして,協力してくださった皆さんに雅子と共に心からお礼を申し上げます。

雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと申しておりました。

長野県での滞在は,とても有益なものではあったと思いますが,まだ,雅子には依然として体調に波がある状態です。

誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。

それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。

最近は公務を休ませていただき,以前,公務と育児を両立させようとして苦労していたころには子供にしてあげられなかったようなことを,最近はしてあげることに,そういったことを励みに日々を過ごしております。

そういう意味で,少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども,公務復帰に当たって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには,今後,いろいろな方策や工夫が必要であると思われ,公務復帰までには,当初考えられていたよりは多く時間が掛かるかもしれません。

早く本来の元気な自分自身を取り戻すことができるよう,周囲の理解も得ながら,私としてもでき得る限りの協力とサポートをしていきたいと思っています。

今後,医師の意見によって,公務復帰に向けては足慣らしのために,静かな形でのプライベートな外出の機会を作っていくことも必要であるかと考えています。引き続き,静かな環境を保たれることを心から希望いたします

と一気にお話になったのです。

記者達はぎょっとしました。

まさか、皇太子殿下の口から「雅子のキャリアと人格を否定する動きがあったことは確かです」などと不穏な発言が出るとは思わなかったからです。

記者達は畳みかけます。

皇太子一家の公務の負担の軽減と女性天皇についてお伺いします」

それに対しては

公務の在り方については,私は以前にもお話したように,新しい時代にふさわしい皇室像を考えつつ見直していくべきだと考えます。女性が皇位に就くことについては,ここでは回答は控えたいと思います」

この時点では皇太子様の中で「新しい時代にふさわしい皇室像とは何か」という事については何も考えていなかったのです。

ただただ「旧弊な皇室を新しくするべき」と小和田の父君に言われた事をそのままおっしゃっただけです。

しかも皇太子様は「雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと・・・」と伝書鳩のような行為をなさったのでした。

記者はさらに突っ込みます。

というか、殿下のおっしゃる事がほとんどわからなかったからです。

妃殿下のキャリアや人格を否定するような動きがあるとおっしゃいましたが,差し支えない範囲でどのようなことを念頭に置かれたお話なのか質問させていただきたいのですが

殿下は

そうですね,細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど,外国訪問もできなかったということなども含めてですね,そのことで雅子もそうですけれど,私もとても悩んだということ,そのことを一言お伝えしようと思います」とお答えになりました。

これで記者会見は終わりです。

つまり、突き詰めていけば「外国にいけなかったから体調を崩した」と言ってるのと変わらないと言う事なのだろうか。

なぜそんなに外国へ行きたいのだろう。

外交官だったから?

皇太子殿下は「雅子は外務省にいれば出世していた」という小和田の父君の言葉を信じていらっしゃいました。

それを潰してしまったご自分の責任を非常に大きくとらえていたので、せめて記者会見でお妃を庇おうと思われたのでした。

 

しかし、事はそれでは済まなかったのです。

このいわゆる「人格否定発言」はすぐに海外に発信されました。

さらに、この発言を受けて湯浅宮内庁長官は

具体的に何をさしていらっしゃるかわかりません」と言い、林田東宮大夫も

そこまでおっしゃる心境は理解出来ません」とはっきり言いました。

殿下がお小さい頃に養育係だった浜尾元侍従は

ちょっとそれは宮様おっしゃりすぎじゃないですか

陛下のご学友の橋本明氏も「なぜ(両陛下に)相談せず最初にマスコミにぶつけたのか」と半ば怒り心頭で発言しました。

「そんなに外国へ行きたかったとは・・・」宮内庁は唖然としました。

皇太子妃のお勤めはお世継ぎを儲けること、そして宮中祭祀、殿下をお支えすることであるのに、愛子内親王が生まれてこのかた、雅子様は理由をつけては公務を突然休むという社会人としてありえない事をやっており、さらに、勤労奉仕団への会釈も全くなさらなくなっていました。

その理由は、雅子様は勤労奉仕団という面々に信用を置いていなかったからです。自分のテリトリーである東宮御所の敷地内に一般人が入り込む・・もしかしたら何か盗んでいくのではないかとそのようにお考えだったのです。

普通に考えれば勤労奉仕団というのは、戦後すぐに荒れ果てた皇居に胸を痛めた一般人が宮内庁に申し出て、お庭の清掃をした事が由来です。

それから昭和天皇も平成の両陛下も、勤労奉仕団に会釈をされてきたのですが、雅子様だけはそれを拒否して来たのです。

 

ご自分のキャリアとは何なのか。

それはハーバード大を出て、外務省に入り、自称ですが「外交官」を名乗り、お父様の力で仕事を貰って、休みがあればすぐに外国へ観光やスキーに行っていた、そんな生活の事です。

ご自分が大学の時はマスコミが大勢かけつけて、自分を「お妃候補」だとお持ち上げ「外務省に入った若き女性」として雑誌にも載りました。

その時ほど幸せだった時はなかったと、今になって思います。

皇室に入ってからは、どこへ行くにも宮内庁の許可が必要で、外国訪問は秋篠宮に取られたりしていました。

全ては「お世継ぎを得やすい環境を作る為」だったのですが、雅子様からすればそれは余計なお世話でした。

皇太子妃として、外務省を下に見て海外で華やかな生活をする・・・そんな望みを持っていたのに完全に断たれてしまったのです。

しかも、やっと産んだお子様が発達障害とは。

一体何の為に今日まで生きてきたのか。

何の為に皇室に入ったのか、意義がわからなくなってしまったのです。

雅子様は元の外務省に戻りたいと思いましたが、さすがにそれは無理。

父君にも「皇室の中で存在意義をみつけなさい」と言われてしまいました。

せっかくの欧州訪問も自ら棒に振ってしまいました。

雅子様の怒りと悲しみはどこまでも深く、決して決して癒えないような気がします。

 

世間が大騒ぎしている中、皇太子殿下は

皇居に挨拶して、さっさと欧州へ飛んで行ってしまいました。

 

そもそも海外訪問するのに「後ろ髪をひかれるとは相手国に失礼ではないか」との意見を筆頭に「記者会見で自分の不満を述べるとは何事か」と保守的な人達は非常に怒りました。

千代田では天皇陛下が「皇太子は何を言っているのか」と我が子が別人になってしまったかのような姿にショックを受け、参内のおりに質問しても答えず、あっさりと行ってしまった殿下に非常に怒りをあらわにされていました。

 

しかし、この「人格否定発言」は常識とはかけ離れた方向に進んでいくことになります。

すなわち「雅子様を病気にしたのは宮内庁であり、両陛下であり、秋篠宮家である」という論調です。

特に皇后陛下が姑として雅子様に辛くあたったと誠しやかに雑誌に書かれます。

いつのまにか皇太子一家には友納尚子という得体のしれない皇室ジャーナリストがつき、どこで見て来たのか?という程細かく雅子様の心理描写をして、「雅子様は悲劇のヒロイン」として祀り上げてしまいました。

友納尚子や雑誌が書く「雅子様の理解者」には「政府高官婦人」というこれまた誰の事かわからない人物の言葉が出てきます。

雅子様にとって皇太子様とのご結婚は「お約束が違う」という事だったのではないでしょうか。雅子様はあのまま外務省にいたら将来の総理大臣になっていたかもしれない優秀な女性です。そのような方を皇室と言う旧弊な世界に閉じ込めて籠の鳥にしてしまった罪は大きいですね。世界的に見ても女性の地位が上がらないのは、皇室が旧弊だからでしょう(政府高官婦人)」といった具合です。

 

次第にマスコミの論調は「雅子様お可哀想」に向かって走り出したのです。

 

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世代のギャップ?孤独になっていくなあ・・・

2023-07-12 07:00:00 | 宝塚コラム

何から始めましょうか・・・・・

そうそう、宝塚歌劇も110周年という事で来年のスケジュールが発表されたのですが、ネットでは「どれもつまらなそう」という意見が多い。

古い観客を大事にしたいのか、今風の観客を得たいのか、その両方なのか、両方ってありえるのかなとか色々考えてしまいました。

ファイナルファンタジー」なんてまさにゲーム世代にはハマるのかもしれないけど、古い私にとっては「またゲームかい」と思ったりする。

一方で雪組100年にちなんで上演される「ベルサイユのばら」フェルゼン編。

こちらは・・・見たいけど見たくない。

いや、無理。絶対受け入れられないって。韓国の「ベルばら」に対抗しても無駄じゃないの?って思う。

そもそも植田紳爾脚本は古い。音楽も古い。

それに普通にフェルゼン編とか言ってるけど、「ベルばら」の主役はやっぱりオスカルとアンドレじゃないのか?って思う。

今まで散々、いろんなベルばらを見て来たけど昭和のに比べて満足したものは1作もありません。

だけど、そう考えること自体がもう時代遅れなのかなと。

もしかしたら池田理代子を知らない、「ベルばら」読んだことない、かつて女子世界を席巻した少女漫画ブームを知らない今時の人達だったら、わりとすんなり納得してみちゃうのかなとか。

いえね、職場にAさんというバレエを習っている娘がいる40歳代がいまして。

私が平成元年に結婚したんだよ~~っていうと「その頃私は小学生でした」とかいうので。そんなんばっかな人達に囲まれてしまい。

で、娘さんがバレエをやっているなら宝塚見る?って言ったら

「見たいんですけど」というので、DVDを解説付きで貸しました。

子供が見てもわかりやすくてショーがあるもので」って注文が入ったので

「めぐり会いは再び」3部作を。

感想は面白かったようですが、娘さんが好きになったのは涼紫央と真風涼帆。

お母さんが好きになったのは柚希礼音。

え?礼真琴ファンにならず・・・・・?

で、「もうちょっと見る?」って言ったら「はい!」っていうので、私的には出来るだけ面白くて笑えるものという事で

この3作をチョイスして渡しました。

勿論、解説付きで。

「こうもり」はそもそもオペレッタですし、音楽で必要なものじゃない?って思ったし、落語も勉強になるかなとか、でもさすがに「料理の鉄人」は知らないよねとかあれこれ考えて渡しました。

すると「娘がお友達に「ポーの一族」を借りて来たんです」っていうんですよ。

え?ポーは2幕物だよ?」

はい。でもそのお友だちが宝塚と言えばポーの一族っていうらしくて

へえ。萩尾望都知ってるの?

へ?は・・はぎ?なんですか?」

萩尾望都。ポーの一族の原作だよ。あの芝居は最初にずらずらと説明が入るからわかるかな・・・」

ああなる程。でも柚香光さんがかっこいいらしくて」

そうね。確かに柚香光はかっこいいよ。(娘さん達がすでに柚香光の退団前提に会話しているってのがなんですけど)

 

だけど。そうだよね。萩尾望都知らないんだよね。知らない世代なんだよね。

萩尾望都を語らずしてBLを語るなと思うけど、もうそういう時代じゃないんだよね。

ああ、DVD見る前に原作読んでよ~~とはとても言えない。孤独。

 

で、今度は50代前半のBさんに「萩尾望都知ってる」って聞いたら「誰ですか」って言われてまたショック。

小さい頃、漫画読まなかったの?」

読みました。「キャンディ・キャンディ」と「SWAN」を。でも、漫画って全巻揃えるの大変じゃないですか?でも「SWAN」は学校のバザーで11巻まで300円で売っていたので買って読んで、初めてその後まで買ったんですけど、親に全部捨てられました」

この、親に全部捨てられました・・・という人の何と多い事でしょうか?

里中満智子は知ってる?

あ、名前は・・・」って感じですね。

私自身は小学校1年から漫画を読み始め、(最初に買ったのは美内すずえの「パンドラの秘密」だった)今に至るけど、古い本程ずっと全巻揃ったまま今もとってあります。

全巻揃えるのが大変と思った事はないんだよね~~

ふぶきさん、文学少女だったんですね」っていうので、「え?」と。

私が考える文学少女は「太宰治が好き」とか「江戸川乱歩大好き」とかそんな人達の事をいうのだと思ってました。

残念ながら私、苦手・・・小さい頃は「赤毛のアン」に代表される少女小説ばかり読んでいたし、クリスティにはまったりしてたけど。

恥ずかしくて漫画読んでるだけで「文学少女」とは言わないんだけどな。

でもきっといわゆる「文学少女」の意味って「オタク」って事なんだろうなと解釈。

ふと、もっともっと少女漫画について話せる相手がいたらいいのにとか、何で「ベルばら」は昭和の方が偉大なのか語る相手がいたらいいのにとか、つくづく考えて孤独になりました。

同世代でもこんな話を長々出来る相手はいないもんね。

将来、ボロボロになった少女漫画を広げて一人ぶつぶつ言ってる自分を想像すると悲しい。

「貸して下さい。読んでみたい」って言ってくれたら大喜びで貸すのに。

「文字を読むと頭が痛くなる」人ばかりじゃなあ。

 

一人だけ「ベルばら」読ませて泣いたという職員さんはいたけどね・・・

これが世代間ギャップってことか。

って事はですよ。「ANOTHER WORLD」で「恋患い」って言葉が出て来るけど意味わかんないだろうな・・説明文つけるべきだったかなと考えてしまいました。

とりあえず今度は「CASANOVA」貸そう・・・

 

 

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