10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
2014年以前のカテゴリは整理中です。
よっぱのときどき日記



あの地震から2週間


仙台の市内は随分普通な雰囲気(特に見た目は)になってきましたが、津波の被害エリアはまだまだまったく地震直後と変わらないといっても良いくらいの状態が続いています。


随分水は引き、立ち入り禁止のエリアもどんどんと狭くなっている(大きめな道に関しては)とはいうものの、特に田んぼでは何とか道が通れるようにどけましたという程度です。


若林区の海寄りエリアで僕が時々写真を撮ったりしていた近くです。




まだまだ捜索は続いています。










多賀城市のジャスコの近くです。こちらでもまだまだ捜索は続いていました。
















自動車の整備工場に置いていたガスのタンクが津波でやられてしまい、建物に突っ込んだので撤去して欲しいという依頼で多賀城のジャスコ裏に行ったのでした。











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仕事で仙台東部道路を走りました。

ここの所ずっと長町からのって東北道だったり、4号線だったり街中へ出かけたりをいう感じでした。

名取・岩沼方面へ行ってもいちばん海寄りでイオンモールの辺りまでしか行ってませんでしたので、仙台東部道路から見える光景は凄まじいものでした…


特にゆりあげ周辺などは、東部道路の近くまで大きな漁船が打ち上げられてきており、小さな船などは東部道路より4号線側まで流されて来ており、車と船と色々なものが田んぼだった所に転がっているという様です。


テレビで見る気仙沼や陸前高田もとんでもない被害ですが、以前の風景を知らないのでまだ「うわぁ…」と言えるのですが、よく見ていたエリアの変わり果てた様を目の当たりにするとその声も出ないような気持ちになりました。


若林JCTという僕のいるところからほんの少し離れたあたりも車が積み重なっていて、現在重機で動かしヘドロや車を取り除いているというところでした。



参った…

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朝6時から東北自動車道が全線開通します。


これで物流がとっても楽になるのか、それとも逆に人があふれ余計にガソリンが入れられなくなってしまうのか?

全く予想がつきません。



ただ、被災した親類縁者を迎えに来て連れて帰ってあげることはできるようになります。




そうすれば、消えそうな命の光を灯し続けることが可能になるのかもしれません。


それは本当に素晴らしいことだと思います。








物見遊山で来る人はいないと思います。皆さん自分の知り合いを救出に物資を届けに暖かい心で来られるのだと思います。


まだまだ東北は寒いです。
さすがにチェーンが必要なほど積もることはないと思いますが、気をつけて走って下さいね。

ボランティアのかたも沢山来られるのかもしれません。
ありがとうございます。





地震の日から毎日励ましのコメントを下さった皆さん。
本当にありがとうございます。


もぐらさんの阪神淡路を経験されてのアドバイスと毎日の激励、本当にありがたかったです。
儚い預言者さん・44さん・satomiさん・きのめさん・おさかさん・t@さん・とーまぷさん・万吉さん・コマンタさん・sawaさん・蝶子さん・suzu.さん・takeさん・あ~さん・チーさん・リョーコさん・沈の字さん・龍一
本当にありがとう。
コメント返しもできず申し訳ありませんでした。


皆さんから「パワーと元気の素」いただきました。



まだまだ始まったばかり、大変なのはきっとこれからだと思います。


これからも元気を分けて下さいね。



本当にどうもありがとう。

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どうもありがとう。
出来るだけ毎日記事をアップしているのは、「今日も無事に生きているよ♪」というメッセージです。


僕のエリアでは、取りあえず命の心配はなくなっています。

商店も少しずつ開いてきました。




僕は、全国に出先がある会社に勤めているおかげで、物資も調達してもらえたり我儘も聞いてもらえています。



だけど仙台に来てから知り合った人の中には、地元にしか知人が居ないし縁者もいないという人も少なくありません。
あと、親は年寄りでほとんど動けない。家に入った津波の水が引かない。
というような人もたくさんいます。


いま、皆が一斉に知人に向けて品物を送っても、例えば佐川急便の店止めで引き取りに行って3~4時間もかかって探してもらって引き取るという状態です。




例えばボランティアに来たいと思っても、宿泊する場所や燃料等々色々な問題があります。





自己完結で衣食住の確保が出来て手伝いが進む。


気持ちはとってもありがたいけど、動かないことが助けになる事もあるという事をわかってもらうしかないのかもしれません。





悲惨な状況が沢山あるの中で、僕の置かれている状況は全く大丈夫な状況です。





原発や地震の影響での計画停電や諸々で首都圏も大変な状況だと思います。






どうか冷静に過ごして下さい。

買占めや。過敏な行動をしないで、節電や節約を少しだけして出来るだけ普通の生活をして下さい。

ダメそうなら、本当にどうにもならなくなる前にSOSを出します。


その時は思いっきり助けて下さい。



ツイッターでつぶやいた折に色々教えて下さったことで随分助けてもらいました。
本当にありがたかった。






今回の地震で甘えることもおぼえました。

少しの我慢もおぼえました。

だから、我慢しすぎないでちゃんと甘えます。



どうもありがとう。

心配してくれてありがとう。



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じっくりと家に入りました。


半日がかりで部屋の扉がようやく少しだけ開きました。

部屋の中は



たんすもや机もひっくり返り、押し入れから飛び出したものでぐちゃぐちゃです。



丁度このひび割れたところ





の裏側の部屋なのでひどい有様でした。




ウチのマンション90世帯の中で唯一扉が二度と閉まらない家になってしまいました。



裏のベランダの方も割れてます。



室外機は吹っ飛び、ベランダに引っかかっています。

その後もようやく自分の時間が取れたので、家を探しに行きました。


会社の判断待っている暇はありませんでしたので独断で仮契約してきました。

比較的近くで何とか1件見つけることが出来、もう少し動ける状況になったら、貴重品等高価なものとベッドなどだけ運び込もうと思います。


家が流されたり壊れてしまった人や街ごと壊滅してしまった人などが物件も見ずに契約していっているので住宅も不足しています。

街が動いて行くのはとっても素晴らしいことなのだけど、何となく取り残されていきそうな嫌な予感がして来て昨日は慌てて自分の身の回りの事に走り回り、並び、過ごしました。



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トモさんが連絡をくれた。


「仙台市泉区に親戚があって、電気も水道も復活したのでお風呂に入れるよ。遠慮しなくて良いからいつでも入りに来て頂戴。連絡してね。」


って言ってくれた。




自分達もすごく大変な時期に、いくら姪っ子の友人とはいえ見ず知らずの他人を受け入れてくれるという暖かい気持ちに触れて本当に嬉しかった。



相談してくれたトモさん。 どうもありがとう。

受けて下さった、トモさんのご親戚。 どうもありがとう。





元気を頂きました。


どうもありがとう。


Mさんのお宅にもお風呂がありますが僕だけ時間帯がずれるので、いつ入ってくるか分らない灯油がもったいなくて申し訳なかったので我慢していたけど、今朝久しぶりにシャワーを浴びました。


みなさんどうもありがとう。



東京や千葉、全国大変な状況な中励まして下さる皆さん 本当にありがとう。


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強がってはいるけど、本当はきっと滅茶苦茶弱い。

不安もある。







家も借り直さなきゃ



その前に少しずつでも片付けななきゃ…





あれから一週間。




部屋には遂に電気も通ったようだ。



でも、あの扉は歪んでしまって二度と閉まらない。


それでも、随分ましな方なんだろうな。




よし、今日も一日乗り切ろう!


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昨日帰ろうとして外に出たら雪が積もっていました。





東京から応援にきてくれている上司や社員さんは不便な中会社に寝泊まりしてくれています。
でも僕は、家の扉が閉まらないので盗難など何となく不安で家の近くに居たいという我儘を聞いてもらい車中泊を続けていました。

車中泊を続けている間にも雪の夜がありましたが、こんなに積もったのはありませんでした。一昨日からMさんのお宅で寝泊まりさせて頂いているのは先日の記事にも書きましたが、昨夜も車中泊だったらどんなに心細かったことでしょう。

僕は運よく良い人に巡り合え、良い会社(大企業という事ではなく、こういう時に休みも返上して支援物資をかき集め、何とか現地に届けてくれるような暖かい会社という意味)に勤めたおかげで色んな救援を受けている事が出来ますが、地元のみの零細企業や個人商店でこの先が全く見えず、家もいつ倒壊するか分らないという状況でおられるかたや、家も勤め先も潰れてしまい、今は避難所や知人宅に身を寄せている方々にはどんなにつらい雪でしょう…

3月も終盤になって…


わざわざこんな時期に降らなくても…


そういえば昨夜Mさんのお宅でテレビを見ていた時、塩釜の避難所の映像で「あっ!!○○さんだ!連絡取れなかったけど生きていたんだ~。良かった!!」と明るいニュースもない訳ではありません。

さぁ、今日の仙台は何とか晴れそうです。

今日も生きていこう♪


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とにかく電話が通じない


携帯電話でネットを通じて情報を取ろうとしても当然どうにもならない。




街中の電気など復旧はすごく早く、自宅が大丈夫だった人は比較的早い段階でネットやテレビによる情報が入っていたものと思われますが、避難所や電気の来ていない地域での情報収集は困難を極めました。


今日の夕方5時、会社に電気が通りました。


ホッとしました。



色々調べる事も可能になりました。




たまたま電波が通じた時にツイッターやブログに書くと、色々な人たちが「ここに情報あるよ」と教えて下さいました。

本当にありがとうございました。


でも、見れませんでした。





パソコンもほとんど使えない状況で

iPhoneの感度の悪さなど…




かなりつらい状況が続いたような気がします。


ライフラインって本当にライフラインなんですね


でも皆さん、本当にありがとうございました。


僕の被災なんてまだまだ大したことはありません。
それでもこんなに滅入るのに、家が流されたり潰れてしまったりした皆さんの不安は計り知れないものがあります。



明日で1週間。
まだまだ先は長い。のんびりやろうと思います。(会社では怒られるかもしれないけど…)

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昨夕、仙台に来て知り合った「ニコ兄さん」や「M夫妻」から連絡をいただいた。

「よっぱさん、ウチにおいでよ。晩御飯食べようよ。」

物流がどうにもならなく、ガソリンもなく、ガスもなく自由にならないなかで朝市で並んで手に入れたお刺身や動き回って手に入れたビールをふるまって下さった。

おまけに

「潰れかけた家だけど、毎日ここへ帰っておいで。いつまでかかるか分らないけど一緒に乗り越えましょう。」

と言って下さった。




人の優しさにふれて涙が出た。






被災から5日間、緊張感が緩んだらなえてしまいそうで色々我慢していたこと



平らな場所で寝る(車以外)


お酒を飲む


思いっきり笑う


泣く


の4つを開放してしまった



今思い出しても嬉しくて涙が出る





ありがとう Mさん




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yoppaoz

でつぶやいています。



東京や関東一円も大変なことになっているようなのに、励まして下さるみなさん



どうもありがとうございます。


元気もらってます。




暗くなってきました。

電気が点かない事務所での仕事はそろそろ暗くて限界です。



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僕は新聞記者でも報道関係者でもでもなく、ただの被災者であり、仕事中に見かけた部分を少しだけ切り取っているので、同じ、いやもっとひどい状況に苦しんでいる人の表情を撮ることがどうしてもできません。

























また、あまりにひどい状況にはカメラを向けることができません。



お察し下さい。



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仙台の若林区から七ヶ浜や多賀城市に向かう産業道路。津波の影響でこの瓦礫の山を徒歩で超えていくしかありません
会社の仲間とその家族の安否も気になりますが、とても探しに行ける状態ではありませんでした。


中央分離帯です

三井のアウトレットレットがある辺りです。

ここから先は通行止め

昨日の状態では徒歩で膝上まで水につかりながらようやくいけるかどうか…


友人はこれを乗り越えて多賀城まで関係者を探しに行き1名を連れて帰ってきました。

僕は行かずに断念してしまいました。
ごめん…

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