10年近くの仙台赴任を終え、2015年5月から大阪へ赴任中のオヤジの日記です。
2014年以前のカテゴリは整理中です。
よっぱのときどき日記



はやいもので、あの大地震の日から四十九日が過ぎ、昨日は各地で再びの集中捜索が行われたとのことで6ヶ所で7遺体が収容されたとニュースで伝え聞いた。

変わり果てた姿であったとしても、再び家族に会いたい。遺体として確認をしたいという気持ちはよく分ります。
その方々が

「よかった… たとえどんな姿となっていたとしてもまた会えた。」

と仰るのはあの日から49日が経過し、色んな避難所などや心当たりの場所を探しまわったけどどうしても会えなくて、見つけられなくて…

ある覚悟が心の中に出来上がったその後でようやく見つかったわずかな特徴を我が家族と認められたという事。

最悪の事態であっても、どこかの瓦礫の中でまったく誰にも見つけられぬまま、家族との再会を果たせぬまま朽ち果てなかったという事に対しての

「よかった…」

であって、決して本当に「よかった」のではないという事。



赤の他人が訳知り顔で「よかったですね」などと声をかけて欲しくない。



と思う僕はなにものなんだろう。






今日からゴールデンウイークが始まり、全国から被災地へボランティアをしようと向かっている方々も多いという。

そんな中、被災地近くに暮らしながらも「仕事」にかこつけて人のために何もしない僕がいる。

「自分の会社の売上の事を考えればいい。ウチの仕事は結構人のためになる仕事のはずだから、売上が上がるという事は人の役にも立っているという事だ」
というかなり都合のいい意見もある。

そして、
「まず、自分の生活を成り立たせて初めて何か他の事が出来るんだ。だから、まず今手の届きそうな仕事を獲得し、こなして初めてそういう事を考えろ。」
という考えもある。

上の二つはどちらも大きくは間違っていないと思うし、自分でもそう思っていない訳ではない。



そんなこんなに揺られながらも

「ちくしょ~ そろそろゴルフやりてぇなぁ~!!」

と思う僕もいる。



いったい なにものなんだろう 本当に。





基本的に人の役になんか立たずに、ただ生きてきたぼく。



そして、きっとこのままただ生きていくのだろう。
ずっと。


だらだらと。

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荷物を新しい家に運ぶ引っ越し作業日にしようと思っていたのだけど…


寝てた




ほとんどずっと寝てた



なんだか背中もバキバキだし腰も痛い



金曜の夜は多分12時前に寝たはず

5時 6時 7時 … と1時間おきに目が覚める


金曜日は5時くらいまで一度も起きていないので 5~6時間は寝ているのでこれくらいの時間に目が覚めるのは当然なのかもしれないのだけど、最近ずっとこのパターン


早い日は3時頃から毎時目が覚めるというパターン


微妙に疲れが取れていないのかもしれないね


昨日は結局早起きしているにもかかわらず、13時過ぎに朝昼兼用のご飯を食べた後また横になってうつらうつら…

ちょこちょこ目を覚ましながら5時過ぎまでうつらうつら…



今日はやんなきゃ!引っ越し!






さて、お話は変わって文章塾の仲間にmidiさんというかたが関西におられます。


僕が参加し始めた頃、文章塾は800字(以下)の文章を書いてお互いに批評(コメント)し合うというスタイルで進められていたのですが、




midiさんから頂く的確で厳しく愛に溢れたコメントで一番恐かったのが

「○○の部分からこの辺りにかけての表現が冗長です」

この「冗長」という言葉に恐れおののいていたのです。

たった800字しか使えない中でテーマに沿って文章を書いている中で「回りくどく余分!」である「冗長」




いやぁ…恐かった(笑)




その反対にとっても嬉しいだろうと思えるコメントが(というのは僕は常に目指してはいたけれど一度も言ってもらえなかった(涙))


「過不足なく○○です。」





少ない字数の中での


「過不足なく」


憧れでした。
1度くらいい言われかったなぁ




そんな憧れのmidiさんについに褒められました。

midiさんのブログの記事に「ええおとこ」というカテゴリがあるのですが、なんとそこに「よっぱ」が登場したのでした。

彼女の分類する「ええおとこ」にはいわゆる男前(イケメン)は居ないので、僕もきっと顔で選ばれた訳ではないのだと思うのですが、厳しい先生に初めて褒められたガキ大将(いや、決して大将ではないのですが)のようなチョイ照れ状態になりました♫



midiさん どうもありがとう。

恥ずかしながら褒められていることに10日間も気づいていませんでした

ごめんなさい。



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【お願いします。拡散してください】内閣府が、今後の原子力政策に対する世論の意見を募集中です。直接政府に届きます。数が勝負。http://t.co/KSdq7FA 国民の9割くらいが反対しないと国は原発を止めないです。 @higashimototiji


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物議をかもしたプロ野球も先週開幕しました。

選手会が延期しましょうと言っているのに「どうせドームなんだしナイターもデーゲームも使用する電気量は一緒なんだから予定通り開幕するんだ」などとバカなことを言い放った等々の事もあり、一般的にも

「なに言ってんだ!! 二度とセリーグは見ねぇ!!」

などと憤った方々も多くおられたことと思います。

会社の経営を考えれば興業を成功させなくては収入もないだから、人気が落ちても興業を強引に… という考えだったんでしょうがあのまま決行していたら洒落にならないくらいの野球離れになった可能性も否めません。



お花見や旅行・ゴルフなど全てにおいて自粛ムードが全国に漂っているようです。



「東北であんなにひどい目にあっている人達が居るのに自分達がのんびり遊んでいたら申し訳ない。」

とか

「電気について計画停電だなんだと大変だと言っているのに遊んでいていいのか!?」

など正義感に燃えたり、被災地に向けて同情したり

色々な事情での自粛ムードなんだと思います。






被災地の近くに住まう僕が思うには

例えばプロ野球。



「福島原発の影響で東日本の電気が足りない、一般人が多く努める会社や工場の休みを調節しましょう。自販機はどうする?」などと言っている状況の中で一般家庭何千軒分の電力を消費してどうしてもやらなきゃいけないかどうか?


僕個人の意見から言わせてもらえば…

東日本(東電管内では)やらなくても良いんじゃないか? ましてや、あの3月には…

です。


東京電力管内に一杯電気を送れない西日本でやればいいじゃん!(実際そうなりましたので後だしじゃんけんみたいで恐縮ですが)


西日本にも巨人ファンは(アンチも含め(笑))山ほどいるし、普段東京まで行かなきゃ見れない地方の巨人ファンに一杯いいプレーを見せてあげればいいじゃん。
そしたら、ファンも喜ぶし、普段触れ合えないファンとの交流を出来る選手も幸せ。それをナイターでテレビを見ながらビールを飲む東京の巨人ファンも幸せってもんでどうなの?

たしかに100%満足じゃないかもしれないけど、それでも皆がぎらぎら敵対するより大岡裁きの三方一両損みたいなことでどうでしょう?




例えばテレビ、
お笑いは笑いを届けることでしか応援できません。だからバラエティをやりましょう。笑う門には福来る

確かにそうかもしれません。

でも、それって衣食住足りて色んな事に余裕があって初めて笑えるんじゃないだろうか?


家族の遺体もまだ見つからない

住む所も見つからない

っていうなかでテレビ見て笑えるんだろうか?


慰問に来られた生の声と温度に思わず嬉しくなってしまう事はあるだろうけど、テレビにそんな力あるんだろうか?



そんなに何万キロワットも使って出さなきゃいけない情報だらけなんだろうか?
出来れば、テレビショッピングやバラエティなどどうしても必要じゃないものはそれこそ輪番でも良いんじゃね?

などと考える僕は被災地酔いして自己満足な偽善野郎なんだろうか?





ま、とにかく個人的な行事に対する大幅な自粛は不要じゃないかなぁ?

それより、社会の仕組みとしての節約や規制などなどを考えるのが税金からいっぱい給料もらって貶しあいと縄張り争いばかりしている議員さんの仕事なんじゃないだろうか?

僕には社会を変える力はありません。

もっといえば会社を変える力すらありません(笑)



「新人研修やるんなら東北に来て1週間くらいボランティアをやらせてみたらいいんじゃないの?
きっと人生観変わってもっともっと役に立つ社員に育つんじゃね?」

なんてこともよう言わんヘタレな僕ですが顔まで出してるから許してね。



仙台は雨が雪に変わりました。

積もることはないと思いますが、こんな時期にまだ雪かい!



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先週流失容器についての話を書きましたところ、結構反応が多かったので続報として本日見て、撮影してきたものを載せさせていただきます。



1.自衛隊さん達が瓦礫処理をした際、瓦礫とは少し違う扱いとして危険物のみまとめておいておくという暗黙のルールが成立しています。














2.今回津波で引きちぎられているのは「高圧ホース」と呼ばれるボンベの一番直近のゴムと金属の繋がる部分(当然ゴムが弱いのでゴムの所で引きちぎられたような形となる)が多いようです。その他は調整器と呼ばれる機械の部分とか、配管のどこかからということもあります。







3.まだまだ瓦礫処理が終わっていない場所も多く、中には500kgや1t位(いずれも外身だけで中身を入れる倍位の重さ)あるガスタンクも流されたりしています。
























以上、仙台市の沿岸部の本日時点での状況でした。


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大阪から応援に来てくれていたH氏が帰阪するため仙台空港まで送りに行ってきました。
先日仕事で近くまで行った時はまだ空港も開いていませんでしたが、13日から大阪と東京への便が一日に数往復飛ぶようになったのです。



空港の近くも、セスナ機や自動車、がれきの山の横で桜がきれいに咲き始めました。



街中ではガラスに映る車がチョロQみたいになっていました(笑)






午後からは、5月から再オープンしたいという津波被害を受けたホテルの工事の下見に宮城野区蒲生地区へ行って参りました。







ひどい所は家の土台のみが残り見渡す限り流されてしまっています。

もう少し内陸側に行くと、家が残りさまざまなものが突っ込み積み重なり…

1ヶ月以上経っても景色はあまり変わっていません。今も自衛隊の方々や消防・警察の方が多数動いておられます。




そんな一般のお宅は写真には撮りませんでしたが、自分が働く業界に関するもので気になるのはやはり瓦礫とガスボンベです。

















各社が一生懸命回収していると聞いていますが、私の車に積み込む訳には行きません。


二次災害だけは起こらないで欲しいものです。

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北海道のきのめ塾長が見舞いの支援物資を送って下さいました。

シップや絆創膏にタオルetc.


文章塾という場所で知り合っただけの僕のために

「今、仕事をしている人が少しでも元気になってくれればと思っています。」

というお手紙とともに






本当にありがとうございます。



1週間以上車中泊を続けていた時に家に呼んで何日も泊めて下さったMさんの家があるほか、色々とコメントなどで応援して下さった皆さんが居る仙台市内から遠くは関西までの西側や

色々と力を分けてくれたり調べごとをしてくれた友人たちがたくさん居る東京方面を含む南側

についで

北の地へも足を向けて寝られなくなりました。



今回の震災で人の温かさを知り、感謝する事も憶えました。

いま、行方不明になっているかたや亡くなられたかたの知り合い縁者の数だけ悲しみや絶望がある事も知りました。

こんな歳になって、
今まで知っていると思っていたことも色褪せるほどに色んな事を感じ直しました。

この一ヶ月

すごく怒りっぽくもなりました。
すごく涙もろくもなりました。
すごく心広くもなりました。

きっと、ストレスやら不安やらなんやらなんだろうとも思います。


そのうち少しずつ元に戻っていくのだろうとも思います。

または、前にもぐらさんが仰っていたように
ぺちゃんこになったままなのかもしれません。
粉々になって違う形に固まっていくのかもしれません。



数年後の僕は今の僕を振り返ってどう思っているのか



今回の震災、県庁所在地のある仙台市も被災した上に、気仙沼・女川・石巻・南三陸町・多賀城・七ヶ浜町・名取・岩沼・亘理・山元などの津波が酷かった地域を抱えて避難人口も多い宮城県がすごくクローズアップされていますが、原発がらみも加えてのトリプルパンチとなっているうえに、ここ数日震度6弱など酷い余震に悩まされている福島県も、あまり報道されないけれどかなりの津波被害を受けている青森県八戸から、津波と液状化などに悩まされた千葉県まで太平洋側の全ての県で悲しみと途方に暮れておられる方々が多数おられることと思います。

「がんばろう日本」という言葉だけでは言い尽くせませんし

「がんばれ」というにはあまりにも過酷な状況だとも思います。


今の僕に、人のために出来ることはあまり多くありません。
だけど、出来る範囲で恩返しをしていこうと思います。

お世話になった方々に
そして、同じ災害に見舞われた数多くの方々に


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つい先日も酷い余震がありましたが、今日も福島県を中心に震度6弱の余震がありました。
なかなか、落ち着きませんね…

そんな中僕の写真生活も引き伸ばし機が震災にあい、ぶっ飛んだおかげで完全分解してしまったために赤線生活に戻ることは当分ない事が決定いたしました。


そこで、都の盟友time@さんに無理やり印画紙を押し付けることにしました。
5"×7"
ORIENTAL VC-RPⅡ
ORIENTAL VC-FBⅡ(バライタ)
ARISTA.EDU ULTRA RC VC SEMI-MATTE

8"×10"
ARISTA.EDU ULTRA RC VC SEMI-MATTE
ARISTA.EDU ULTRA FB VC SEMI-MATTE(バライタ)
ARISTA.EDU ULTRA FB VC GLOSSY(バライタ)
FUJIBROMIDE REMBRANT V(バライタ)
FUJIBRO VARIGRADE WP



本日、杜の都から首都へ嫁入りします。



元気で可愛がってもらうんだよ♪


赤線に連れて行かれても恨んじゃ駄目だよ


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4月7日23時32分 若林区で震度6弱という東北関東大震災本震以来最大震度の余震がありました。

折角夜毎チマチマと片付けて新しい家に運んだものも再びグチャグチャ(笑)
箪笥は40cm位移動し、冷蔵庫や食器棚も数十cm移動。色んなものが落ちて割れ… 
はぁぁ… 片付けなんかするんじゃなかった

会社の方もまたまた色んなものがひっくり返ってしまいました。








なんだか片付けるのも面倒くさい感じ。


そうそう、地盤が少し(5cmくらい)下がってます。





ま、なるようになるやな



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仙台発 柴田町から山元町へのルートでした。
柴田町から山元町へ行くのに少し遠回りですが、角田市を抜けて山を越えるルートがあり、その山の天辺には航空局の通信局もあります。一軒目の配達が予想より随分早く終わったのでそのルートを抜けて山の上から亘理・山元を見てみようと思いました。




見晴らし距離の素晴らしい所ですので、すぐ横の東屋の所にあちこちからの災害派遣の自衛隊さんの通信部隊がいました。


亘理・山元方面












相馬方面



です。

亘理・山元方面はまだまだ水が引いていない所もあります。

実際に下に降りると















浜吉田駅





これを見る限り東北本線から分れていく常磐線の復旧は随分先になりそうです…



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今日の午後、商品の配達と差し入れを持って石巻のお客さんの所へ行きました。

石巻港ICを降りて、石巻街道から商店街を抜けて石ノ森章太郎の漫画館の所を抜けて女川街道へのルートです。


渋ちゃんたちのバンド、ビックリ★ビートが去年と一昨年の夏にライブをやった場所は津波の被害で変わり果てた姿となっていました。


そこから少し石ノ森漫画館の方へ向かうと何隻もの船も流されて積み重なったりしています。今日、NHKのカメラが撮っていたのでニュースで流れるのかもしれません。






橋の欄干は打ち寄せたものに押され曲がってしまい、車も突っ込んでいたりしています。

右折してからの女川街道はところどころ未だに冠水状態で











実際には家に家が突っ込んでいたり、車が突っ込んでいたりとかなりひどい状況なのですが、以前にも書いたとおり僕にはカメラを向けることはできませんでした。

現在僕が住んでいる若林区や仕事で出かけた多賀城・名取・岩沼・亘理・山元なども相当ひどい状況ですし、立ち入りできない所は現在も相当ひどい状況だと思います。たまたま僕の目に触れていないだけ…
石巻の沿岸部や旧北上川周辺は、生活している町がやられてしまっていて七ヶ浜などと同じく無残な光景に言葉が出ませんでした。

本当は今回の津波被害を受けて大変じゃない所はないのだと思いますが、テレビで見る原発よりも直に見た景色の方に心が乱れます。

申し訳ありません。

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今日は仕事の関係で名取へ行ってきました。

名取岩沼方面は、災害復旧に関係するガス業界のお仕事に就いているとはいえ一般人の僕たちが入れない所だらけです。

警察で通行止めにしていて(がれきなどで進めないのも事実ですが…)随分と遠回りをしなければなりません。




















見渡す限りのがれきの山や、家や仙台東部道路のすぐ近くまで(一部はそれよりも内陸まで) 家の屋根や漁船などが流されてきています。

3週間たってもこの有様で、津波の恐ろしさがよく分ります。


いったいどこから手をつけていったらいいのかという気持ちのかたもいっぱいおられることでしょう。


道路は片付けてくれても、敷地内や田圃・畑はどうなるのだろうか…?


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