夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

あべ静江ちゃんの『みずいろの手紙』の歌を思わず唄い・・。

2010-07-08 12:02:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の6年生の身であるが、
今朝、久しぶりに梅雨の間の晴れ間となり、まばゆい朝の陽射しを受けた。

私は朝のひとときも、現役時代の時間に追われながらと違い、ゆったりと過ぎていく・・。

今朝、私は歯を磨き、顔を洗っている時、

♪みずいろは 涙いろ
 そんな便箋に

【『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠、作曲・編曲・三木たかし、唄・あべ静江 】

このような鼻歌を唄いだした。

洗濯機のそばにいた家内は、
『カァーン!!・・』
と私に向って云った・・。

家内はNHKの『素人のど自慢』の番組の評価の鐘の音を真似て、
私が鼻歌を唄うたびに、どうした訳か解からないが鐘の音は殆どひとつであり、
微笑みながら発声するのである。

私はかまわず、タオルで顔を拭(ふ)きながら、

♪泣きそうな心を たくしてね
 あれこれと

【『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠、作曲・編曲・三木たかし、唄・あべ静江 】

と唄ったりした。

テラスに下り立ち、煙草を喫ったりしている時、
どうして今朝は『みずいろの手紙』になったのだろうか、と思ったりした。

過日、私が敬愛している亡き作詞家の阿久悠(あく・ゆう)氏の書かれた本を読んだりしていたので、
このようなことが脳裏に残り、鼻歌となって、唄ったのだろう・・。

私は現役時代、幼年期を想いだしたりする時は、
多くの方と同様に、その時に街に流れていた歌を甦(よみが)のである。


確か『みずいろの手紙』が街に流れていたのは、
1973(昭和48)年の秋の頃だったと思う・・。

当時の私は、あるレコード会社で3年生で、コンピュータ専任で孤軍奮闘していたが、
シャンソンに熱中していた頃でもある。
業務の関連上、当時は満天の星空のように名曲が散りばめられ、
私なりに聴いたりしていた。

この1973(昭和48)年の当時を思い浮かべれば、
天地真理の『若葉のささやき』、アグネス・チャンの『ひなげしの花』、麻丘めぐみの『わたしの彼は左きき』、
沢田研二の『危険なふたり』、西城秀樹の『ちぎれた愛』、チューリップの『心の旅』、
フィンガー5の『個人授業』、南こうせつとかぐや姫の『神田川』が思いだされる。

このような中で、清純な顔立ちで大人ぽい女性が、あべ静江という歌手で、
しっとりと唄った『みずいろの手紙』を聴いたりすると、
独身だった私は数多い若き女性歌手の中で、最も好感していた。

この方のレコード会社の契約先は、無念ながら他社だったので、
お逢いできる機会もなく、
今の私はこの歌と共に、ささやかな遠い思いでの歌手のひとりである。


http://www.youtube.com/watch?v=ZcgaXxoNUuE
☆【『みずいろの手紙』 作詞・阿久 悠、作曲・編曲・三木たかし、唄・あべ静江 】☆

尚、私は人前でカラオケなどで唄うのは、苦手であるが、
家の中で唄ったり、散歩、買物の折などは心の中で唄うこと多く、
幾つになっても悪い癖のひとつである。


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