夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ビール』、ささやかな私の想いで・・。

2010-07-25 18:12:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、

夕食の時に殆どビールを呑みながら、頂くことが多いが、
ときおり思い出したかのように純米酒の辛口を冷やして弐合ばかり呑むこともある。

私は呑兵衛であるので、ビールに関しても、ひとしお数多くの想い出がある・・。

サラリーマンの現役時代、
30代の頃は、家内とデパートの買物、都心の公園に散策した折、
銀座、新宿のビアー・ホールの『ライオン』に寄ったりしていた。
私はビルの屋上にあるビアー・ガーデンは、
一品料理のつまみの選定が乏しく、日中の暑さの余韻もあるので、苦手であった。

この点、ビアー・ホールは一年中営業をしているので、
それなりに一品料理に創意工夫され、美味なことが多く、
ドイツの田舎料理も楽しめる時もある。


この時代は、店内にドイツ民謡が流れ、ドイツの衣装を召した女性の店員が多かったのである。
周囲のお客もグループの方が多く、
生ジョキーをかたむけ、談笑に花盛りが多かった・・。

このような爽やかな賑わいの中、
私は壁際に展示されている10種類のジョッキーを見つめていたりしていた。

結果として、私は花瓶のような3リットル入り陶器のジョッキー、
家内は長靴のようなクリスタル・グラスの中ジョッキーを選定して呑んだりした。


私は数多くのサラリーマンと同様に多忙な身で、
休日を迎えると、何よりの開放感の面持ちとなり、
日曜日の昼食の時に、大瓶のビールを5本程度は呑んだりしていた。
その後、眠くなり、昼下りの数時間眠り、睡眠不足を補(おぎな)ったりしていた。


ある日、家内と夕方のひととき帝国劇場の付近にいた時、
小雨が降りだしてきたので、付近のシティ・ホテルに避難するように入った。
幸い地下は、レストランなどの食事処となって折、
手軽なビールで軽食をと思いながら、席に座ったのである。

ビールを呑み、単品の5品を家内と食べ比べをしたりしていた。
この時に、欧州人と思われる60代の男性が、
ヴィオリンを片手に近寄ってきた・・。

そして、何かリクエストの曲はありますか、
と片言の日本語で訊(き)かれ、
私は少しためらいながら、『アマポーラ』か『愛の歓び』のどちらか、
と云ったりしていた。

私は2曲も弾いてくれたので、細身のヴィオリニストに程々のチップを手渡した後、
ビールを追加したりしていた。



定年退職後は、夕食の時に、缶ビールの350miを2本ばかり、
コブレットのグラスで呑んだりしている・・。

『俺も弱くなったよ・・このぐらいで充分だょ・・
齢をとったのかなぁ・・』
と私は家内に云ったりしている。

『貴方の40代まで、黙っていれば大瓶3本ぐらいは呑んでいたじゃ・・ないの・・
もう一生分呑んでしまったのだから・・充分じゃ・・ないの・・』
と家内は笑いながら、私に云ったりしている。


家内と結婚した時、お酒を取り決めていた。
日本酒だったら弐合、ビールの場合は大瓶で2本までと誓言したりしていたが、
現役時代の休日は超えていた、と苦笑しながら思いだしたりしたのである。


定年退職後の数年は、月に数回は、主庭のテラスで、
樹木の木陰に寄り、風に吹かれながら、ビールを呑むこともある。

こうした折、若き頃は、キリンのラガー、アサヒはスーパー・ドライ、
サントリーはモルツと一時的にこだわったり、
やはりサッポロのエビスに限るなどと確信したりしていた時もあった。

今の私は、この中でビールであれば、
過ぎ去った日々に思いを馳せることが多いので、
どの銘柄でも、私のかけがいのある友となってくれる。

しかし私は国内旅行の時は、いまだに北海道はビールに関しサッポロ・クラシック、
沖縄の場合は泡盛が呑めない私は、オリオン・ビールとしている。


このようなささやかな思いがあったが、
昨年の2月より市の推薦のメタボの研修を受けて折、
保健師の麗(うらら)かで清純なしぐさの女医さんとの指きりの約束をしたせいか、
アルコールが大幅に変化して我ながら驚いている。

研修を受講するまでは、殆ど純米酒の辛口を2合前後を呑んだり、
ときおり缶ビールを500mlをコブレットに注(そそ)いで、2、3本を呑む晩もあった。

研修後の私は旅行、懇親会、冠婚葬祭以外の日常生活は、
殆ど缶ビール350mlを2本としているが、
ときには1本で満足してしまう晩もあるので、我ながら不思議と感じたりしている。


このように綴ったりしていると、若き頃の日々を思い馳せ、
懐かしき『アマポーラ』などの名曲を『YouTube』で聴いたりしている。

http://www.youtube.com/watch?v=-dIOVI5J45c
☆ Nana Mouskouri - Amapola ☆


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亡き敬愛する山本夏彦氏の遺された名言に、私はうなだれ・・。

2010-07-25 09:42:48 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
ここ2週間ばかり、2002(平成14)年10月に亡くなわれた山本夏彦氏の遺された名言を、
たびたび思い浮かべ心は彷徨(さまよ)いつづけている。

この名言は、総合月刊雑誌の『文藝春秋』(八月号)に於いて、
特別企画として『的中した予言50』と題された特集があり、
著名人の方が、各界で活躍された人の言葉を基軸に、
《われらの未来を考えるヒント》を目的として掲載されていた。

この中で、私は各界で活躍された人の言葉を数多く学んだりしたが、
特にジャーナリストの徳岡孝夫氏が山本夏彦氏を取り上げた寄稿文に、
心身叩きつけられた感じで、幾度も読み返したのである。

《・・
   驢馬(ろば)は旅に出ても、
       馬になって戻るわけではない
                    ・・》

この名言を山本夏彦氏を遺され、この言葉に徳岡孝夫氏が亡き山本夏彦氏に愛惜を深めながら、
解説されている優れた寄稿文である。

無断ながら一部を引用させて頂く。

《・・
(略)
人は新しい知識、新しい生き方を求めて旅に出る。
山野を歩かなくてもいい。
一冊の本の中へと旅立つことがある。
それまで想像もしなかった地平線がひらける。
また珍しい人と会う。
それまで知らなかった物の考え方を学ぶ。

驢馬は、そういう地図上、精神上の体験から学んだ末、
元の主人の家に戻る。
旅の間に賢くなり、せめて馬になっているはずだと自負するが、
詮ない希望である。

驚くなかれ彼は、出発前と寸分違わぬ驢馬である。

つまりアホは、いくら学んでも死ぬまでアホである。
非常な判決だが、真理だから仕方がない。

(略)
・・》
注)寄稿文の原文をあえて改行を多くした。


私は飛躍させて、自身の半生に置き換えて、今後の残された人生を思索させられたのでうる。


2004(平成16)年の秋の定年退職後、
まもなくして偶然にブログの世界を知り、
若き日々より中断したこともあったが日記を書いたりし、
これとは別の状況で色々と綴ったりしてきたが、
改めて何らかの形式で公表したく、これ幸いと幾つかのブログ、
ブログに準じたサイトに加入して綴ってきた。

定年退職後の身過ぎ世過ぎの日常で日々に感じたこと、
或いは思考したことを心の発露とし、明記してきたことはもとより、
幼児からサラリーマンの退職時までの色々な思いを
書き足らないことも多々あるが、余すことなく綴ってきている。

誰しも人それぞれに、苦楽の光と影を秘めて日常を過ごしているのが人生と思っているが、
私なりに時には、ためらいを感じながらも心痛な思いで、
綴ったりしてきたこともあった。


私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けたこと、
祖父や父が長兄、次兄と後継ぎ候補の男の子に恵まれたので、
秘かに今度は女の子を期待していたらしく、私は何となく感じて、いじけたこと。
そして、小学生に入学しても、兄ふたりは優等生で、
私は中学生までは劣等生だったこと。

小学2年の時に父が42歳の時に病死され、まもなく祖父も亡くなり、
農家の旧家でも大黒柱のふたりが亡くなることは、没落し、貧乏になること。
そして、幼年期には本といえば、『家の光』しかなく、
都心から引越してきた同級生の家には沢山の本があり、愕然としたこと。


高校時代になって初めて勉学が楽しくなり、
遅ればせながら読書にも目覚めたり、小説らしき習作を始めたこと。

そして大学を中退してまで映画・文学青年の真似事をしたり、
その後は幾度も小説新人の応募で最終候補作に漏れ、落胆したこと。

この後は、コンピュータの専門学校に学び、
これを梃子(てこ)とした上で、知人の強力な後押しのお陰で、
大手の民間会社に中途会社にできたこと。

そしてまもなくレコード会社に異動させられて、
六本木にある本社でコンビュータの専任者となり、時代の最先端にいる、と勘違いしたこと。
この間、幾度も恋をしたが失恋の方が多く困惑したことや、
結婚後の数年後に若気の至りで一軒家に茶室まで付け足して建てて、
住宅ローンの重みに耐えたこと。

そして、定年の5年前に出向となり、都落ちの心情になったこと。


このように私は大手企業のサラリーマンの一部に見られるエリートでなく、
屈折した日々の多い半生を歩み、定年を迎え、
半生記は自慢史が多いと云われているが、私は程遠い存在である。

私は確固たる実力もないくせに、根拠のない自信があり、
感覚と感性は人一倍あると思いながら、独創性に優れていると勝手に思い込み、
ときには独断と偏見の多い言動もしたりしてきた。
そして、ある時には、その分野で専門知識があり優れた人の前では、
卑屈になったりした・・。
このように可愛げのない男のひとりである。


私は定年退職時の5年前頃からは、
漠然と定年後の10年間は五体満足で生かしてくれ、
後の人生は余生だと思ったりしている。

昨今の日本人の平均寿命は男性79歳、女性86歳と何か本で読んだりしているが、
私は体力も優れていないが、
多くのサラリーマンと同様に、ただ気力で多忙な現役時代を過ごしたり、
退職後も煙草も相変わらずの愛煙家の上、お酒も好きなひとりであるので、
平均寿命の前にあの世に行っている、確信に近いほどに思っている。

世間では、よく煙草を喫い続けると五年前後寿命が縮じまるという説があるが、
身勝手な私は5年ぐらいで寿命が左右されるのであるならば、
私なりの愛煙家のひとりとして、
ときおり煙草を喫ったりしながら、思索を深め日々を過ごす人生を選択する。
そして、昨今は嫌煙の社会風潮があるので、
私は場所をわきまえて、煙草を喫ったりしている。


このように身勝手で屈折の多い人生を過ごしたのであるが、
この地球に生を受けたひとりとして、私が亡くなる前まで、
何らかのかけらを残したい、と定年前から思索していた。
あたかも満天の星空の中で、片隅に少し煌(きらめ)く星のように、
と思ったりしたのである・・。

私はこれといって、特技はなく、
かといって定年後は安楽に過ごせれば良い、といった楽観にもなれず、
いろいろと消却した末、言葉による表現を思案したのである。

文藝の世界は、短歌、俳句、詩、小説、随筆、評論などの分野があるが、
私は無念ながら歌を詠(よ)む素養に乏しく、小説、評論は体力も要するので、
せめて散文形式で随筆を綴れたら、と決意したのである。


私は若き日のひととき、映画・文学青年の真似事をした時代もあったが、
定年後の感性も体力も衰えたので、
ブログ、ブログに準じたサイトに加入し、文章修行とした。

何よりも多くの方に読んで頂きたく、あらゆるジャンルを綴り、
真摯に綴ったり、ときには面白く、おかしく投稿したりした。
そして苦手な政治、経済、社会の諸問題まで綴ったりしたが、
意識して、最後まで読んで頂きたく、苦心惨憺な時も多かったのである。


私の最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨 長明が遺され随筆の『方丈記』があるが、
このような随筆のかけらが綴れれば、本望と思っている。


このように思い続けてきた私は、7月10日に発刊された総合月刊雑誌の『文藝春秋』(八月号)に於いて、
徳岡孝夫氏が亡き山本夏彦氏に愛惜を深めながら、山本夏彦氏を遺された名言を精読して、
私は拙(つたな)い半生を思い馳せながら、うなだれたりしたのである。

果たして、私の念願の清貧の数寄者になれるか、
或いはあえなく挫折するかは、現在の私としては判らないでいる・・。

ただ確かなことは、願望ばかりで努力もしないことは、
もとより何事も望みが叶えることは出来ないので、
残された人生に独創性ある文章修行して、圧倒的な筆力を学ぶしかないと思ったりしている。


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