夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

桔梗(ききょう)の花、改めて78歳の私は、過ぎし青年期より心を寄せて・・。

2023-06-27 14:17:43 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
いつものように自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策すると、
過ぎし3週間前の頃より、あじさい(紫陽花)は多彩に彩ってきた・・。

この後、
公園の中で、桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)が咲き始めて、
今年も咲いてくれた・・と微笑みながら、見惚(みと)れてきた・・。



そして遊歩道の片隅にも、咲き始めて、初夏の彩りの情景に、
心は和(なご)んだりした・・。



過ぎし3年前の2月より、新型コロナウィルスの烈風に伴い、幾たびの自粛に私は戸惑い、
閉塞感のある世の中に息苦しく感じていた私は、
多種多彩な木槿(むくげ)の花に、心が浄化されたりした。




このような心情で散策していると、10日前に桔梗(ききょう)にめぐり逢えて、

青年期に恋焦がれた恋人に逢えたような心情で、
長らく見惚れたりした・・。



私が桔梗(ききょう)の花に魅了されたのは、
思い馳せれば東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋より、数年後であった・・。

東京オリンピックが開催される直前、私は二十歳の誕生日を迎え、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した後、アルバイトをしながら、
養成所に通い映画青年の真似事をし、シナリオの習作をしたりしていた。

この後、養成所の講師の知人の新劇の長老からアドバイスを頂き、
映画で生活をするは大変だし、まして脚本で飯(めし)を喰(た)べていくは困難だょ、
同じ創作するなら、小説を書きなさい、このような意味合いのアドバイスを頂いたりした。

                       

私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたりした・・。

そして小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻を基盤として精読した上、
純文学の月刊誌『文学界』、『新潮』、『群像』、
中間小説の月刊誌『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を購読したりしたりした。

こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。


私は作家・立原正秋氏に関しては、確か純文学の月刊誌を購読してまもない頃、
氏の著作の『剣ケ崎』(新潮社)の短編集を購入し、

深く魅せられて、過去に発売された単行本の『薪能』(光風社)を古本屋で買い求めたりした。

そして、これ以降は作品、随筆が発表されるたびに、
買い求めて、熱愛し、精読していた・・。

この当時の私は、契約社員で警備員などをしながら、小説の習作に専念していた。
確かな根拠はなかったが、私には独創性がある、と独りよがり自信にあふれて、
純文学の新人コンクールの小説部門に応募したりした。

しかしながら、当選作の直前の最終候補作の6作品の直前に敗退し、
こうしたことを三回ばかり繰り返し、
もう一歩と明日の見えない生活をしていた。

こうした中、街中の園芸店で、片隅にあった
桔梗(ききょう)の花に、

立原正秋氏の書物から感じられる香りに、漠然としながら感じたりした・・。

やがて春の彼岸の時、私の実家で、お彼岸の懇親の時、親戚の小父さんから、
『今は若いからよいとしても・・30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と素朴に叱咤された。

結果としては、30代に妻子を養う家庭のことを考えた時、
強気の私さえ、たじろぎ敗退して、やむなく安定したサラリーマンの身に転向したのは、
1970年(昭和45年)の春であった。



やがて、1980年(昭和55年)の夏、立原正秋氏は無念ながら病死され、

これ以降も追悼などで、立原正秋氏の綴られた未刊の小説、随筆が出版されたり、
或いは立原正秋氏の友人、知人らに寄る氏に関する随筆が出版され、
私は買い求めていた・・。

こうした中、私は園芸店で桔梗(ききょう)を10前後買い求めて、
庭先の片隅に植えたりし、まもなく我が家の小庭は、
桔梗(ききょう)の花が20数輪彩ったりした。

その後、三周忌記念出版として、『立原正秋全集』全24巻が角川書店から、
昭和59年(1984年)から発刊され、私の書棚には単行本が少なくとも30数冊はあったが、
心新たにの思いで購入した。

そして、愛惜を重ねながら、毎月配本されるたびに改めて精読したのである。

私は拙(つたな)い読書歴なかで、小説・随筆に関して、

明治以降の作家の中で、最も影響を受けたのが、立原正秋氏となった。

作品はもとより、文体、そして庭園、茶事、食べ物、日本酒、焼き物など、
私の青年期から30代の終わりの頃まで、多大に教示された人であった。



そして私は、氏が埋葬されている北鎌倉にある寺に、
心の節度としてお墓参りに訪れた時、境内に桔梗(ききょう)の花が7輪咲いていて、
御手本のように整然と植えられて、感銘させられたりした。

しかしながら、まもなく会社の業務も多忙となり、庭の手入れもままならず、
やがて宿根草の桔梗(ききょう)でも雑草にまみれて、あえなく消え去ってしまった。

これ以来、我が家の小庭には桔梗(ききょう)はなく、
自宅の3キロにある公園、遊歩道、住宅街の歩道を散策した時、
めぐり逢えた時、愛惜を重ねながら、お待ちしていましたょ・・、
と心の中で呟(つぶや)きながら、長らく見惚れたりしている。


余談であるが、桔梗(ききょう)は万葉集の中で、
秋の七草と称され「朝貌の花」は本種であると、学んだりしてきた。

そして秋の七草覚えるには、
・女郎花(オミナエシ)
・薄(ススキ)
・桔梗(キキョウ)
・撫子(ナデシコ)
・藤袴(フジバカマ)
・葛(クズ)
・萩(ハギ)

上から頭の文字をつなげて「お好きな服は(おすきなふくは)」という覚え方が、
やさしいですょ・・と年配のうるわしき女性から、
私が40代の初めに教えて頂いたりしてきた。

このように桔梗(ききょう)の花に、青年期より心を寄せたりしている・・。

コメント (2)
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