夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『槿花一朝の夢』の木槿(ムクゲ)、78歳の私、恋して27年が過ぎ・・。

2023-06-29 10:01:29 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
民間会社の35年近く勤め2004年(平成16年)の秋に定年退職した後、
多々の理由で、年金生活を始めたひとりである。

そして自主的に日常の買物担当となり、殆ど毎日のように独りでスーパーなどに行ったりした後、
この後は、独りで住宅街の中の道を歩いたりし、
川沿いの遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした年金生活をした翌年の初夏、いつものように買物に行った時、住宅街を歩いていると、
ある御宅の庭先で宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が咲きはじめていた・・。

私は宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅で花びらは白く、
心澄んだ気品を秘めたような花と魅了されて、少なくとも27年は過ぎている。


               

私が50歳の頃までは、公園、ご近所の御宅にも咲いていたと思われるが、
意識させられたのは、一冊の文庫本であった・・。

今は亡き作家・山口 瞳(やまぐち・ひとみ)さんの作品を
確か1985年(昭和60年)の頃から愛読してきた私は、
たまたま1994年(平成6年)年の夏、山口 瞳さんの『男性自身 木槿の花』(新潮文庫)を読み、
亡くなわれた作家・向田邦子さんへの鎮魂曲のように綴られた随筆を読んだりしていた。

この随筆を読み終わった後、山口 瞳さんは白の花の木槿、と綴られていたのであるが、
向田邦子さんの作品であったなら、宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が相応しい、
と私は勝手に思い重ねたりした。

この時以来、私は宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を見るたびに、山口 瞳さんの随筆に導かれて、
向田邦子さんの顔立ちを思い浮かべながら、
向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた作品を甦(よみがえ)ったりした。

いつの日だっか、都立公園で丹精込められた五種類ばかりの彩(いろど)り豊かな木槿(ムクゲ)を観たが、
近くの御宅で、さりげなく咲いている宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の方に、遥かに魅了される。

このような思いを私なりに秘めているので、
山口 瞳さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆の作品、
そして向田邦子さんの数多くの遺(の)こされた小説、随筆、テレビドラマ・脚本の作品、
散策をした時などで、不意に私の心の片隅みから蘇(よみが)ってくることがある。
               

このような心情のある私は、いつの日にか我家では宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を植えよう、
と思ったりしていた。




過ぎし2007年(平成19年)の6月に、伊勢神宮に近い鳥羽の観光旅館で、
2泊3日の滞在型の団体観光ツアーの旅の帰路、
鳥羽港から伊勢湾フェリーを下船後、渥美半島の伊良湖岬から団体観光バスに乗車してまもなく、
休憩を含めて、道の駅で下車した。

そして私たち夫婦は未知の地であったが、私は道の駅のドライブ・インの売店の外れで、
小さな園芸店の即売されている幼い樹木が数多くあり、
この中に偶然に木槿(ムクゲ)の幼い樹を見かけた・・。

簡素な黒いビニール鉢に入り、樹高が20センチ足らずで、花芽は5つ前後付いていた・・。
値段は確か200円程度であったと記憶している。

そして売店の女性の販売員の御方に
『宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)は、ありませんか?・・』
と私は尋(たず)ねたのであるが、
無念ながら、販売員の御方は花木に全く無知の方である上、観光バスの出発も迫ってきたので、
私は妥協して買い求めたりした。

帰宅後、まもなく地植えにしたが、かぼそい樹形であったが、
夏の終りの頃まで、10数輪咲いてくれた。

そして毎年成長して、3年過ぎた初夏に、
樹高は2メートルを超えて、100輪ぐらい花を咲かせ、私は悦んだりした・・。


               
☆14年前の頃、記念に撮ったりした☆

私はここ35年ぐらい、我が家の小庭にある樹木・花木・草花に関しては、
太陽の恵みの陽差し、そして雨、その地の土に馴染んで成長しなさい、と身勝手な主(あるじ)の私であるが、
この木槿(ムクゲ)は、自力で私の期待に応(こた)え、勢い良く成長してくれた。

しかしながら数多くの花は咲くが、花火のように多彩な色合いを彩(いろど)るのである。
無念ながら宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の純白の色合いには遠く、
紫紅色の花が彩(いろど)ってくれる高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)に近い花びらもあり、
或いは淡い紅色の花びらもあり、どうしてなの、と私は戸惑ったりしてきた。
               
花木の園芸の栽培の御方が、たわむれに各種の木槿(ムクゲ)を取り混ぜて、
この中のひとつとして、我が家にある花火のような色々な花びらを咲かせる木槿(ムクゲ)になったのかしら、
と無知な私は思ったりしている。



☆14年前の頃、記念に撮ったりした☆


確か6年前、駅前の園芸店で純白の色合いである宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)を見かけて、
立ち止まって眺めて、樹高30センチで花びらが6輪咲いていた。
そして価格札には、野口英世のお札の値段と同じで、私は心が動いた・・。



そして30秒ぐらい思案したが、結果として私は断念した。

確かに底紅で花びらは純白の色合いの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)には、
気品ある美を感じて、圧倒的に魅了されて27年過ぎてきたが、
我が家の雑種のような木槿(ムクゲ)は、健気(けなげ)にも我が家の地に馴染んで、
早や16年が過ぎ、愛(いと)おしさを増してきている。

そして我が家の木槿(ムクゲ)でも、朝の冷気が残る頃、花びらは秘かに開き、
日中の熱い陽射しを受けながら、凛とした色合い見せて、
夕暮れの時に閉じ、花の命(いのち)は終わりを告げるように、儚(はかな)さを感じさせる。
               
このような一輪が花びらは、儚(はかな)くも一日で命を果てるが、
たわわな莟(つぼみ)からは、競演するように初夏から盛夏に向けて彩(いろど)り、
古来より『槿花(きんか)一朝の夢』と伝えられていることに、
 この時節にときおり私は眺め、深く教示させられている。




のような心情を秘めている私は、市内にある都立の『神代植物園』にある『むくげ園』に、
この時節、幾たびも青年が麗しき女性に恋焦がれるように、訪ねてきた。




たまたまここ一週間、曇り空の中、私は記憶のかたみとして撮ったりした。








恥ずかしながら私の思いを発露した写真、このようになっているが、
思いを寄せる深情は、人一倍強いと思われるが、

いつになったら写真は上達するのよ、と微苦笑したりしている。

いずれにしても、儚(はかな)い美しさに魅了されて、27年が過ぎている。

コメント (2)
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