♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

休刊

2018年01月03日 10時20分12秒 | 雑関連
1月3日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(時々くもり)
(裕のコレクション)絵馬


1月2日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

(改修された社殿で)初参拝
わが地区の氏神様:切幡神社


明けましておめでとうございます。
2018年1月1日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

2018年わが家からの“初日の出”
(わが家からみる過去の)初日の出


12月31日(安芸区のわが家付近)天候:小雨

シンビジウムを温室に取込みました。
(わが家の)シンビジウム


12月30日(安芸区のわが家付近)天候:お日様が顔を出しています。
きょうから休刊と思っていましたが。
昨日いまは三原市になりましたが、旧御調郡(みつぎぐん)久井町(くいちょう)へ行ってみました。
久井町原爆(死没者)慰霊碑を訪ねることを主目的に。
帰りがけJA久井支店横でみたのが、蓄魂碑でした。

知らなかったのですが、Wikipediaを参照すると
『963(応和3)年頃から、多数の牛馬商人が参集し、牛馬の売買が盛んとなり 久井牛馬市の基礎が定まったと伝えられている。
江戸時代1680(延宝8)年久井牛馬市は、広島藩の公認となり中国・四国地方はもとより、近畿・九州・北陸地方からも商人が大勢集まった。
この頃から備後「杭の牛市」は豊後(大分県)の「浜の牛馬市」、伯耆(鳥取県)「大仙の牛馬市」と共に日本三大牛馬市の一つとして広く知られるよう になった。
明治時代になってから、市場開催日が一回から三回になり、昭和の初め頃までは一万数千頭の牛馬が集まり、大変な賑わいであった。
しかし、 農作業の機械化などの急激な社会情勢の変化により次第に衰退に向かい、
1964(昭和39)年に千年以上続いた歴史に幕を閉じることになった。』とありました。

わたしは、まだまだ知らないことだらけ、というよりも、知っているのがわずかだということでしょうね。
(裕編集の)万物関連の慰霊・供養碑など
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