ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

愛犬と安寿と厨子王 <ワンコの物語 3話>

2011-09-24 | Weblog
 愛犬ココがいなくなって、今日でもう2週間になります。家族全員が探索に全力を投入しました。近所にお住まいの知人友人にも助けられ、また見ず知らずの方々から励ましやアドバイスもたくさんいただきました。本当にありがとうございます。わたしたち家族は、これまで考えられるだけの手立てを打ってきたつもりです。

 ふつか前、木曜の夜に電話がありました。警察からです。「行方不明の犬の心配をしておられるのは、わたしも痛いほど分かります。しかし信号機や道路標識のポールや道路のフェンスなどにポスターを貼るのはいけません。苦情も届いています」
 わたしたち家族は話し合いの末、電柱や街路樹をはじめ、すべてのポスターをはずすことにしました。ただご好意で私有地やお店などに貼ってくださった方と、ほんの一部、気になるポイントのみは残しました。ご容赦ください。
 それにしても警察からの注意は、10日以上たってからの連絡です。「これまで警察は大目にみてくださったんだ。10日を過ぎたので、そろそろあきらめてください」。きっとそういう考えからの指示だろう。そのように受け止めました。お目こぼし、ありがとうございました。

 愛犬との再会のことを考えていて、ふと『山椒太夫』が読みたくなりました。厨子王と母との再会を思い出したからです。子どものころに読んだきりでした。森鴎外『山椒大夫』と、ねじめ正一『山椒太夫』。この2冊は文章がかなり異なります。ねじめ本から引用します。人買いにさらわれ行方のわからぬ母を探し続けた厨子王が、島で偶然に再会する場面です。

 子どもたちと生き別れ、目の前でうわたき(乳母)に死なれて、美しかった奥方は見る影もなくやつれ、おまけに安寿と厨子王の身を案じて泣き暮らしているうちに両眼を泣きつぶして、とうとう眼が見えなくなってしまわれたのだった。
 眼の見えない女にさせられる仕事といえば、鳥追いしかない。というわけで奥方は、鈴のついた縄をもたされ、むしろに広げた粟の前にすわらされ、粟をついばみにくるすずめをば、日がな一日追わされていた。
 ――厨子王恋しや、ほうやれ。安寿の姫が恋しや。うわたき恋しや、ほうやれ。
 その日も奥方は、そんな歌を口ずさみながらすずめを追っていた。歌い終わると、悲しさのあまり地面にどうとうつぶせになる。気をとりなおして起きあがり、歌いながらまたすずめを追う。そしてしばらくすると、またどうとうつぶせになって、わが身の不運を嘆くのである。厨子王がそばをとおりかかったのは、まさしくそんなときだった。
 「おかしな鳥の追いようもあるものだ。もう一度追ってみなさい。ほうびをやろう。」
 母とも知らず、厨子王は話しかけた。わからなかったのも無理はない。別れた母と、目の前の鳥追いの女とでは、それほどまでにちがっていた。
 「ほうびなぞ無用のこと。追えとおっしゃるなら追いましょう。」
 奥方もまた、いま話しかけた声が厨子王とは気づかない。鈴のついた縄をもちなおすと、ゆっくり打ちふりながら、小声でさっきの歌を歌いはじめた。
 ――厨子王恋しや、ほうやれ。
厨子王はその場にこおりついた。
 ――安寿の姫が恋しや。
女の顔を、食いいるように見つめた。
 ――うわたき恋しや、ほうやれ。
 「お母さま!」
 厨子王は母にだきついた。
 「お母さま、厨子王です。世にでることができて、こうしておむかえにまいったのです。」
 ………

 わたしはこの物語を読み返して、ふと浮かんだのが「ココの歌」をつくって町中を歌いながら歩き回ろうか、という考えです。
 ♪ココ、どこ? 元気かい?
  ココ、そこ? おすわりくん、食べてるかい?
  ココ、どこ? 待ってるよ。
 推敲します。I shall meet Coco !!

○清水羲範・ねじめ正一『おとぎ草子・山椒太夫ほか』講談社 21世紀版 少年少女古典文学館16 2010年
※これから犬の話を連載してみようかと思っています。前回と前々回を1話2話とし、今回を「ワンコの物語」第3話としてみます。
<2011年9月24日 南浦邦仁>
コメント
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