伊良子序さんが新著『昭和の女優』をつい先日、上梓されました。登場するのは原節子、田中絹代、京マチ子、淡島千景、岸恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、倍賞千恵子、岩下志麻、香川京子。
新聞記者時代に映画担当が長かった彼は、たくさんの俳優や監督たちにインタビューしまた膨大な数の作品を観てきた。この新作には単なる芸能本ではない深みがある。女優たちの人間、内面が浮かんでくる描写が絶妙である。そして昭和という彼女たちが生きて来た時代が活写されている。
1949年生まれの伊良子は次のように記している。右肩上がりの時代に少年期、青年期を過ごし、壮年期、中年期に雲行きが怪しくなり、老年に達したいま、深い霧の中で道を見失いそうになっている。
名作で彼女たちが演じたヒロインは、いま日本人たちが失いそうになっているものを持っている。やさしさ、たくましさ、ひたむきさ、健気さ、強さ、そして美しさ……
「彼女らが演じた役と女優人生をたどれば、『昭和』がいきいきと再現されるようだ。そして、混迷から抜け出るヒントを与えてくれるような気がする。/なぜ『昭和』にはあれほど熱気があったのか。彼女たちの軌跡を追ううちに、それがかすかに見えてくるようだ」
実はこの本を読んで、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』をみたくなった。近所のレンタルDVDで借り、数十年ぶりに鑑賞した。中学3年生を演じる吉永はまぶしい。1962年日活作品。
埼玉県川口市が舞台だが、中小の鋳物工場が立ち並ぶ庶民の町である。吉永の父は鋳物職人だが、時代は変化しつつあり、いくらか自動化された溶鉱炉(キューポラ)が導入され、古くからの職人たちは生きにくくなりつつある。貧しい家計から定時制高校進学を決意した吉永は、時代の最先端をいく真空管工場の女工になることを決める。また北朝鮮に帰国する同級生たちの描写も重い。
団塊世代が小中学生だった同時代の作品である。『昭和の女優』は、戦後を振り返る現代史でもある好著。
ところで同じ著者の作品に、アメリカのスリーマイル島事故のその後を取材した著作がある。同原発のメルトダウン事故は1979年だが、9年後に数カ月かけてアメリカ各地を取材した『スリーマイル島への旅』。10年近く前に一度読んだ本だが、女優から思い出し再読した。なお取材の2年前にチェルノブイリ事故が起きている。
同地の主婦、メアリー・オズボーンは植物の異常をずっと追っている。彼女の家の庭にあったタンポポや、友人宅のカエデ。葉はふつうのものの6倍ほどもある。そのほかにもたくさんの植物が奇怪な姿をしている。オズボーンはそれらの標本を数多く集めた。スリーマイル島周辺の放射能が植物の染色体の突然変異に関係していると判断されるが、政府もほぼすべての植物学者も認めようとしない。学術的には放射能との因果関係をはっきりできないという見解だ。
マスコミの取材もたくさん受けたが、すべて掲載されない。アメリカだけでなく日本のテレビからも取材はあったが、驚いたことに内容はすり替えられ、電力会社のPRビデオになってしまったという。
オズボーンはこう語っている。「そうならないことを願っているけど、いずれ日本でも同じような大事故を経験する可能性がありますよ。そうなったら、日本は国土が狭いから、被害は大きいだろうし、推進派と反対派の闘いもアメリカよりずっと激しいものになるでしょうね」。いまから24年前の警告である。
日本でも福島第1原発周辺では、似たような現象が起きつつあるのであろう。植物学、動物学、海洋学などなど、これまでに登場した学者たちとは異なる研究分野の方々の真摯な調査探求が必要になるはずだ。スリーマイルでは当然、微生物も異変を起こしている。
スリーマイルのオズボーンさんは地元の一介の主婦である。地元民は事故から8年(当時)もたって、原発の後遺症や恐怖を再びつのらせる彼女たち反原発運動の連中を排除しようとしている。みなもう、忘れたいのである。とっくに安全であると確信したい。
伊良子は次のように語っている。地元でいつまでも反対運動を続けることは難しい。最初は災害事故を起こした企業を相手とするのだが、何年もたつと「ふと気づいた時には、政府も周囲の住民たちさえすべて敵というケースが起きてくる」。ほとんどの住民が、絡めとられてしまうのである。
原発問題に限らず、多くの市民運動が共通して経験してきた泥沼である。福島第1の地元と周辺市町の市民は、これからどうなって行くのでしょう。わたしたちは、決して忘れてはならない。
○伊良子序(いらこ・はじめ)著作
『昭和の女優ー今も愛され続ける美神たちー』 2012年3月 PHP研究所
『スリーマイル島への旅ー原発、アメリカの選択・日本の明日ー』 1989年 エディション・カイエ
<2012年3月30日 南浦邦仁記>
新聞記者時代に映画担当が長かった彼は、たくさんの俳優や監督たちにインタビューしまた膨大な数の作品を観てきた。この新作には単なる芸能本ではない深みがある。女優たちの人間、内面が浮かんでくる描写が絶妙である。そして昭和という彼女たちが生きて来た時代が活写されている。
1949年生まれの伊良子は次のように記している。右肩上がりの時代に少年期、青年期を過ごし、壮年期、中年期に雲行きが怪しくなり、老年に達したいま、深い霧の中で道を見失いそうになっている。
名作で彼女たちが演じたヒロインは、いま日本人たちが失いそうになっているものを持っている。やさしさ、たくましさ、ひたむきさ、健気さ、強さ、そして美しさ……
「彼女らが演じた役と女優人生をたどれば、『昭和』がいきいきと再現されるようだ。そして、混迷から抜け出るヒントを与えてくれるような気がする。/なぜ『昭和』にはあれほど熱気があったのか。彼女たちの軌跡を追ううちに、それがかすかに見えてくるようだ」
実はこの本を読んで、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』をみたくなった。近所のレンタルDVDで借り、数十年ぶりに鑑賞した。中学3年生を演じる吉永はまぶしい。1962年日活作品。
埼玉県川口市が舞台だが、中小の鋳物工場が立ち並ぶ庶民の町である。吉永の父は鋳物職人だが、時代は変化しつつあり、いくらか自動化された溶鉱炉(キューポラ)が導入され、古くからの職人たちは生きにくくなりつつある。貧しい家計から定時制高校進学を決意した吉永は、時代の最先端をいく真空管工場の女工になることを決める。また北朝鮮に帰国する同級生たちの描写も重い。
団塊世代が小中学生だった同時代の作品である。『昭和の女優』は、戦後を振り返る現代史でもある好著。
ところで同じ著者の作品に、アメリカのスリーマイル島事故のその後を取材した著作がある。同原発のメルトダウン事故は1979年だが、9年後に数カ月かけてアメリカ各地を取材した『スリーマイル島への旅』。10年近く前に一度読んだ本だが、女優から思い出し再読した。なお取材の2年前にチェルノブイリ事故が起きている。
同地の主婦、メアリー・オズボーンは植物の異常をずっと追っている。彼女の家の庭にあったタンポポや、友人宅のカエデ。葉はふつうのものの6倍ほどもある。そのほかにもたくさんの植物が奇怪な姿をしている。オズボーンはそれらの標本を数多く集めた。スリーマイル島周辺の放射能が植物の染色体の突然変異に関係していると判断されるが、政府もほぼすべての植物学者も認めようとしない。学術的には放射能との因果関係をはっきりできないという見解だ。
マスコミの取材もたくさん受けたが、すべて掲載されない。アメリカだけでなく日本のテレビからも取材はあったが、驚いたことに内容はすり替えられ、電力会社のPRビデオになってしまったという。
オズボーンはこう語っている。「そうならないことを願っているけど、いずれ日本でも同じような大事故を経験する可能性がありますよ。そうなったら、日本は国土が狭いから、被害は大きいだろうし、推進派と反対派の闘いもアメリカよりずっと激しいものになるでしょうね」。いまから24年前の警告である。
日本でも福島第1原発周辺では、似たような現象が起きつつあるのであろう。植物学、動物学、海洋学などなど、これまでに登場した学者たちとは異なる研究分野の方々の真摯な調査探求が必要になるはずだ。スリーマイルでは当然、微生物も異変を起こしている。
スリーマイルのオズボーンさんは地元の一介の主婦である。地元民は事故から8年(当時)もたって、原発の後遺症や恐怖を再びつのらせる彼女たち反原発運動の連中を排除しようとしている。みなもう、忘れたいのである。とっくに安全であると確信したい。
伊良子は次のように語っている。地元でいつまでも反対運動を続けることは難しい。最初は災害事故を起こした企業を相手とするのだが、何年もたつと「ふと気づいた時には、政府も周囲の住民たちさえすべて敵というケースが起きてくる」。ほとんどの住民が、絡めとられてしまうのである。
原発問題に限らず、多くの市民運動が共通して経験してきた泥沼である。福島第1の地元と周辺市町の市民は、これからどうなって行くのでしょう。わたしたちは、決して忘れてはならない。
○伊良子序(いらこ・はじめ)著作
『昭和の女優ー今も愛され続ける美神たちー』 2012年3月 PHP研究所
『スリーマイル島への旅ー原発、アメリカの選択・日本の明日ー』 1989年 エディション・カイエ
<2012年3月30日 南浦邦仁記>