ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

女優と原発

2012-03-30 | Weblog
 伊良子序さんが新著『昭和の女優』をつい先日、上梓されました。登場するのは原節子、田中絹代、京マチ子、淡島千景、岸恵子、吉永小百合、浅丘ルリ子、倍賞千恵子、岩下志麻、香川京子。
 新聞記者時代に映画担当が長かった彼は、たくさんの俳優や監督たちにインタビューしまた膨大な数の作品を観てきた。この新作には単なる芸能本ではない深みがある。女優たちの人間、内面が浮かんでくる描写が絶妙である。そして昭和という彼女たちが生きて来た時代が活写されている。
 1949年生まれの伊良子は次のように記している。右肩上がりの時代に少年期、青年期を過ごし、壮年期、中年期に雲行きが怪しくなり、老年に達したいま、深い霧の中で道を見失いそうになっている。
 名作で彼女たちが演じたヒロインは、いま日本人たちが失いそうになっているものを持っている。やさしさ、たくましさ、ひたむきさ、健気さ、強さ、そして美しさ……
 「彼女らが演じた役と女優人生をたどれば、『昭和』がいきいきと再現されるようだ。そして、混迷から抜け出るヒントを与えてくれるような気がする。/なぜ『昭和』にはあれほど熱気があったのか。彼女たちの軌跡を追ううちに、それがかすかに見えてくるようだ」

 実はこの本を読んで、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』をみたくなった。近所のレンタルDVDで借り、数十年ぶりに鑑賞した。中学3年生を演じる吉永はまぶしい。1962年日活作品。
 埼玉県川口市が舞台だが、中小の鋳物工場が立ち並ぶ庶民の町である。吉永の父は鋳物職人だが、時代は変化しつつあり、いくらか自動化された溶鉱炉(キューポラ)が導入され、古くからの職人たちは生きにくくなりつつある。貧しい家計から定時制高校進学を決意した吉永は、時代の最先端をいく真空管工場の女工になることを決める。また北朝鮮に帰国する同級生たちの描写も重い。
 団塊世代が小中学生だった同時代の作品である。『昭和の女優』は、戦後を振り返る現代史でもある好著。

 ところで同じ著者の作品に、アメリカのスリーマイル島事故のその後を取材した著作がある。同原発のメルトダウン事故は1979年だが、9年後に数カ月かけてアメリカ各地を取材した『スリーマイル島への旅』。10年近く前に一度読んだ本だが、女優から思い出し再読した。なお取材の2年前にチェルノブイリ事故が起きている。
 同地の主婦、メアリー・オズボーンは植物の異常をずっと追っている。彼女の家の庭にあったタンポポや、友人宅のカエデ。葉はふつうのものの6倍ほどもある。そのほかにもたくさんの植物が奇怪な姿をしている。オズボーンはそれらの標本を数多く集めた。スリーマイル島周辺の放射能が植物の染色体の突然変異に関係していると判断されるが、政府もほぼすべての植物学者も認めようとしない。学術的には放射能との因果関係をはっきりできないという見解だ。
 マスコミの取材もたくさん受けたが、すべて掲載されない。アメリカだけでなく日本のテレビからも取材はあったが、驚いたことに内容はすり替えられ、電力会社のPRビデオになってしまったという。
 オズボーンはこう語っている。「そうならないことを願っているけど、いずれ日本でも同じような大事故を経験する可能性がありますよ。そうなったら、日本は国土が狭いから、被害は大きいだろうし、推進派と反対派の闘いもアメリカよりずっと激しいものになるでしょうね」。いまから24年前の警告である。

 日本でも福島第1原発周辺では、似たような現象が起きつつあるのであろう。植物学、動物学、海洋学などなど、これまでに登場した学者たちとは異なる研究分野の方々の真摯な調査探求が必要になるはずだ。スリーマイルでは当然、微生物も異変を起こしている。
 スリーマイルのオズボーンさんは地元の一介の主婦である。地元民は事故から8年(当時)もたって、原発の後遺症や恐怖を再びつのらせる彼女たち反原発運動の連中を排除しようとしている。みなもう、忘れたいのである。とっくに安全であると確信したい。
 伊良子は次のように語っている。地元でいつまでも反対運動を続けることは難しい。最初は災害事故を起こした企業を相手とするのだが、何年もたつと「ふと気づいた時には、政府も周囲の住民たちさえすべて敵というケースが起きてくる」。ほとんどの住民が、絡めとられてしまうのである。
 原発問題に限らず、多くの市民運動が共通して経験してきた泥沼である。福島第1の地元と周辺市町の市民は、これからどうなって行くのでしょう。わたしたちは、決して忘れてはならない。

○伊良子序(いらこ・はじめ)著作
『昭和の女優ー今も愛され続ける美神たちー』 2012年3月 PHP研究所
『スリーマイル島への旅ー原発、アメリカの選択・日本の明日ー』 1989年 エディション・カイエ
<2012年3月30日 南浦邦仁記>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京のタクシードライバー <幸せシリーズ26>

2012-03-23 | Weblog
 友人から聞いた話しです。時間が間に合わないので、自宅の太秦からJR京都駅までタクシーで向かったそうです。太秦はなかなか読めない地名ですが「うずまさ」。東映の映画村や弥勒菩薩の広隆寺が有名です。京都駅までならタクシー料金は3千円くらいするのでは、といらぬ心配をしてしまいました。
 ところで偶然に乗ったタクシーの運転手さんが、とても感じのいい方でまた話し好き。わたしの友人は女性ですが、話しを聞き出すベテランです。彼女のブログ「太秦からの映画便り」が好評ですが、いつも映画監督とのすばらしい対談を掲載しておられる。映画好きにはおすすめブログです。

 さてその運転手さんですが、語られた経歴が実にユニークです。ほんの数年前まではサラリーマンでした。社名を聞けばだれでもが知っている超有名企業。今年度も大黒字を計上する優良大会社です。彼は役員でした。何期でも続けられたのに、わずか1期2年で会社を辞めてしまった。奥さんは何といったでしょうね。
 退職金はかなりの額でしょう。まず夫婦で海外旅行三昧。また車が好きなので高級外車も購入。しかし退職後1年ほどで、落ち込んでしまったそうです。「残りの人生、何をして生きていけばよいのか……?」
 悩んだ挙句の結論は、自分が好きなことに生きがいを求めよう、ということだったそうです。好きなのは自動車の運転と京都。東京人の彼はまず、京都の岡崎に中古の狭いマンションを購入しました。東京の自宅には妻と独身の息子がふたり住まい。単身の彼は京の町を毎日走りたくて、タクシー会社に就職しました。
 「京都は大好きで若いときから何度も旅行で来ていました。名所旧跡も結構くわしいのです。いまは観光のお客さんを案内してあれこれ説明するのが、最高の楽しみです。地元のお客さんにも喜んでもらっていますよ。というのは京都の道路は、ほぼすべて走って覚えました。通り名をまず記憶し、数え切れないほどの町名もいま覚えつつあります」
 勤務は週4日ほど。休日にはいつも未開拓地を訪れる。また読書家で、京都の歴史や宗教、食や伝統工芸そして庭園史や風俗にも精通しておられるそうだ。「しかし大切なのは、知ったかぶりをしないこと。自分は詳しいと自負されているお客さんを、決して越えてはいけませんからね」
 東京の奥さんは度々京都にやって来る。何しろ狭いながらも無料の宿があるのです。「不思議なもので、退職してから夫婦仲がよくなりました。役員といってもサラリーマンですよ。かつては自分が幸せだと思ったことは本当に少なかった。いまが最高の人生です」

 このブログ前々回でセレブな奥さま方を紹介しました。京の料亭に来た彼女たちがこの話しを聞いたら、どう思うでしょうか?
<2012年3月23日>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京の元気シニア 続編 <幸せシリーズ25>

2012-03-20 | Weblog
 前々回に「元気なシニア」と題して京都のシニア芸能祭典を紹介しました。うれしいことに読売新聞が今日の朝刊に掲載してくださいました。京都版3月20日付け。引用させていただきます。タイトルは「古稀超えて『技』競演」、以下記事。(数字)は年齢です。

 おおむね70歳以上のベテラン“芸能人”たちが長年磨いてきた芸を披露する「第1回 京都シニア 芸能の祭典」(実行委員会主催)が22日夜、中京区木屋町通三条上るのライブハウス「ライブスポットラグ」で開かれる。ウエスタンやどじょうすくいなど、最近はなかなか目にすることの難しくなった演目が、円熟の技とともにステージを彩る。(夏井崇裕)
 出演するのは、ボーカル・石橋イサオさん(79)を始めとする5人組で、ウエスタン音楽を奏でる「オールド・ウエスト・アコースティック・バンド」と、一乗路公一さん(80)、北波誠さん(69)のコンビでの都々逸と三味線。
 さらに、石橋祥弘さん(86)と仲間たちによるどじょうすくいがあり、ハワイアンバンド「カラパナ」(男性3人、女性1人)の軽やかなギターと、90歳の田北栄子さんを筆頭とする「アイランド・ビューティーズ」(女性12人)のフラダンスの競演が、ラストを飾る。
 これら4組のグループは、お互い老人ホームの慰問などで顔見知りとなり、「最近の若者はとかく元気がない。自分たちのステージを楽しんで若者が発奮してくれたら」と企画を練った。
 「オールド―」の石橋さんは約60年、カントリーミュージック(ウエスタン音楽)ひとすじで生きてきた。若い頃には東京の音楽事務所に所属したこともあるが、歌謡曲を求める事務所の姿勢とそりが合わず、古里の京都へ。
 楽器店などで働いて生計を立てながら、学生時代の仲間と現在までカントリーミュージックを連綿と続けてきた。今でも多い時には月に7度ステージに立つ。オハコとする一つが、1950年頃に活躍し、「カントリーの巨人」とも称された米国のハンク・ウィリアムズの楽曲だ。
 石橋さんは「こんな年寄りがまだまだ成長しようと音楽に打ち込んでいる。物事は何でも気持ちの持ちようだということを伝えたい」と話す。
 午後5時開場、午後6時開演。入場料は前売り1000円、当日1500円、高校・大学生は750円。問い合わせはラグインターナショナルミュージック(075・255・7273)へ。
 
 いい文章ですね。なお石橋イサオさんの写真付き記事は、読売オンラインでご覧いただけます。
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20120319-OYT8T01142.htm
<2012年3月20日>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の幸福 <幸せシリーズ24>

2012-03-18 | Weblog
 ブータンから日本に来た留学生の青年は、「日本人はみな幸せに違いない」と訪日するまで思っていた。まず何でもある。ないモノがない。アジア最高の文明国で、自由で何の不足もない。理想の国のはずだ。来日するまで彼はそう信じていた。ところが日がたつに従い「どこか変だ。決して豊かで幸福ではないようだ」と思い出したそうです。
 まず周囲のひとたちの物欲の強さは想像を絶する。また見栄体裁にこだわり、本当に大切なものを見失っているようだ。ひとびとの絆や信頼感も乏しい。何より驚いたのが、自殺者があまりにも多いということ。なぜ電車が遅れるのかという疑問から知ったそうですが、「本当に豊かで幸福であれば、毎年3万人以上もが自死するはずがない。この国はブータンよりもよほど貧しいのではないか?」
 彼は留学生として東京で学ぶことを中止し、故郷で農業を修行することに人生の進路を変更したそうです。日本人は一体、どれほど幸福なのでしょうか?

 新幹線のなかでの女性客三人の会話を紹介します。2008年の秋のこと、東京から京都に向かう乗客たち。加賀乙彦先生の本からの引用ですが、若干書きかえています。
 「ご主人、部長になられたんですってね? さすがですねえ」
 「さすがどころか、やっとなのよ。A さんはもう役員待遇なのに」
 「でも同期のなかでは二番目に早いご出世だって聞いてるわよ。羨ましいわ。息子さんも K 大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
 「主人の母校の T 大学に行かせたかったのに落ちちゃって。K 大学も悪くはないけど、義姉のところの子どもは T 大出て外務省だから肩身が狭いのよ。それに娘の相手っていうのがねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校しか出ていないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで……」
 愚痴をこぼしている女性のご主人の勤め先は日本有数の大企業。親の代から世田谷の高級住宅街に住んでいることも、漏れ聞こえる話からうかがえます。
 やがて話題は、これから向かう京都の有名料亭や老舗旅館へと移っていきました。
 「今回は、露天風呂付のお部屋が取れなくて、がっかりねえ」
 「 B 亭のまつたけ懐石を予約しておいたわ。去年行った D 楼よりおいしいって評判なのよ」
 京都駅で降りていく三人組に目をやると、それぞれに高級ブランドのバッグをもち、やはりブランドものらしい服やアクセサリーで着飾っています。

 ごくふつうの日本人からみれば、このご婦人たちは勝ち組で、たいへん恵まれたリッチで幸せなひとたちなのでしょう。彼女たちも、そのように自認しています。
 加賀先生は「私はむしろ気の毒だなと感じていました。なぜなら、彼女たちのなかには『幸福な人生とはこういうもの』という理想型があって、それに忠実であるだけのように思えたからです」
 彼女たちは理想型とされる生き方スタイル、表面的な幸福形をただやみくもに求めているにすぎないのでしょう。内面や実質あるいは本質、まことの幸福を深く考えることのない彼女たちは、虚構の形式的な幸福像にとらわれています。ハイブランドの流行高級品を追い求め、周囲のセレブなひとたちと自分を比べ、「あれが足りない、これも足りない」と肥大した欲望幸福の泥沼から抜け出せなくなってしまっているようです。
 彼女たちは幸福という名の「快楽トレッドミル」を回し続けているのです。トレッドミルとはペットのリスなどが、カゴのなかでいっしょ懸命に足でこぐ踏み車です。

 日本を代表する大企業。パナソニック、ソニー、シャープ、NECなどなど、決算予想の数字は信じがたいものがあります。企業にしろ官庁にしろ、エリートを自負する夫妻の価値観や幸福感がそのようなものであるならば、日本経済の凋落も当然なのかもしれません。
・参考書『不幸な国の幸福論』 加賀乙彦著 2009年 集英社新書
<2012年3月18日>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気なシニア <幸せシリーズ23>

2012-03-12 | Weblog
 幸せと健康と元気、関連はありそうに思えます。ただ元気について「近ごろの若者は元気がない」というのは心配です。いつの時代でも「近ごろの若者は……」、常套句として年配者は繰り返し言い続けて来ました。しかし「元気がない」と嘆かれる若者というのが、年齢層のくくりで存在するのは、歴史的にみても異常ではないでしょうか。
 
 北京で活躍する加藤嘉一さん、27歳の元気な若者です。いま彼の新著を読んでいるのですが、北京での日本人青年についての感想を紹介します。加藤氏に語った若者は、北京大学への国費留学生。北朝鮮から来ている大学生なのです。
 「日本の若者は何も知らないじゃないか。俺が目にしたことのある日本の若者はみんな、中国語や英語すらまともに話せないぞ。ニューヨーク・タイムズにアクセスできる自由を持っていて、その権利をまともに行使しているのか。それだけの英語力を持っているのか。
 言論の自由? 結構なことだ。では、おまえら日本の若者はそれをまともに行使しているのか?
 おまえの同胞からは問題意識のかけらも見えないぞ。国家を守る意識を持っているのか? 国家を発展させるだけの覚悟を持っているのか?…」
 元気な加藤さんもたじろいだそうです。「わが国の若者は確かにぬるま湯につかりすぎている。気合のかけらもない。同じ日本人として心から恥じる。」

 この駄文を書いている最中に電話がありました。ウエスタンバンドの現役ギタリスト・ヴォーカリストの石橋イサオさん。戦後すぐの時代に進駐軍相手に演奏していた、人生の大先達です。彼に元気のない若者の話しをしましたら「いまの青年はたいていが草食系ですねえ」
 昨日のこと、滋賀県に用事があり、ついでに大津市歴史博物館で開催中の企画展「車石―江戸時代の街道整備」をみてきました。かつて琵琶湖畔の大津から京都まで、東海道には石が敷かれ、牛が重い米俵などを車で運んでいました。会場で「車石・車道研究会」の会員の方から説明を受けました。個人レクチャーなのでずいぶん楽しかったのですが、そのシニア男性は「わたしが子どものときに育った実家も、農耕牛を飼っていました。牛はじつに賢い。ただメスはおとなしくて飼いよいのですが、オスは気性が激しくたいへんでした」
 草食系だからみなおとなしい、というのはどうも正確ではないようです。

 ところで、なぜウエスタンかといいますと、3月22日に京都で「シニア芸能の祭典」が開催されるからです。サブタイトルは「元気で長寿 芸の達人ハレ舞台!」
 案内チラシには、「この道ウン十年、七十歳以上の大ベテラン芸能人たちがラグ(ライブハウス)のヒノキ舞台に初登場! 今ががんばり時の日本に、カツを入れる芸能祭典。孫たち世代にも届けたい! 京都シニアパワーが華サク烈します。」
 「華サク烈」とは聞きなれない言葉ですが、「花咲く」と「炸裂」「熱烈」を混ぜたのだそうです。いかにも華やかそうな元気が伝わってきます。

 出演者をみますと、先に紹介しました石橋イサオさんたちのウエスタンバンド。一乗路公一さんたちの「どどいつトーク&三味線弾き唄い」。石橋祥弘さんチーム「京都どじょうすくい愛好会」。ハワイアン・フラダンス「野村定雄とカラパナ&アイランド・ビューティーズ」
 年齢はほぼ全員が70歳以上。フラダンスでは90歳の女性が舞台に立たれるというから驚く。フラのリーダー野村三代子さんは「これまで出演依頼があると必ず『若い人を出してください』。そう頼まれるのが常でしたが、『年配者ばかりでお願いします』とは今回はじめてのことで、本当に驚いています」
 それにしても幸福で元気なシニアばかりです。興味ある方はご来場ください。

・日時 3月22日木曜 午後6時開演(5時開場)
・会場 ライブスポット・ラグ(TEL 075-241-0446) 木屋町通三条上ル エンパイアビル5F
・入場料 前売り1000円 当日1500円 高校生以上学割750円 中学生以下無料
  チケットぴあ Pコード(164-182)/ローソンチケット Lコード(55115)
・要 1ドリンク1フードオーダー(各550円~)
・問い合わせ ラグインターナショナルミュージック TEL 075-255-7273 ホームページをどうぞ。

 さてなぜ、ここで「第1回京都シニア 芸能の祭典」を宣伝するのか? 実は企画制作「京都ちんからりん企画」、プロデューサー役を準シニアのわたしがつとめています。元気はつらつのシニア芸をお楽しみください。会場でお待ちしています。

・参考書『北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言』加藤嘉一著 2012年 講談社+α新書
※加藤嘉一さんについては、このブログ連載で紹介したことがあります。タイトル「国益と外交――中国・チャイナという不可解な国 №4 」。ご参考まで。
<2012年3月12日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5億円宝くじ <幸せシリーズ22>

2012-03-10 | Weblog
 わずか3枚、たった900円の出費で5億円をゲット! いま発売中の宝くじは、前後賞込みで5億円が当たります。これまでの最高は前後込みで3億円。今回は1枚わずか300円、3枚900円で5億に化けることもあり得ます。
 この数年、人気が凋落して売れ残りが続出していた宝くじですが、今回ばかりは5億の魅力で2億2千枚(660億円)が売り切れ。急きょ2億9千万枚(870億円)を増刷したそうです。1等賞は50本ほどです。

 海外では当たりがでないと賞金を次回に持ちこすので、とてつもない高額を手にする方がいます。米国の最高記録は、2006年の宝くじ「パワーボール」で円換算430億円。いったい当選者は何に使うのでしょう? ヨーロッパでは昨年の「ユーロミリオンズ」が過去最高で、イギリスの老夫婦が207億円を手にしたそうです。おふたりの老後はまず安泰ですね。うらやましい限りです。

 日本では宝くじ人気が低下傾向にありました。まず若者が買わない。老人も購入を控えている。日本政府は起死回生に「宝くじ活性化検討会」なる総務省の作戦チームを、昨年に結成しました。どうも検討の結論は高額賞金。来年には前後賞込み10億円宝くじを発売すると決めたそうです。

 エスカレートする宝くじ環境ですが、「にわか富豪」はおそらく、不幸になるひとが多いであろうと思います。「わずかの出費で5億円も手にしてなぜ不幸になる?」「期待はしても予期せぬ当たりは、人生最高の幸福でしょう?」
 「人生で無比最大の幸福」を、彼らは突然に手にします。しかし不幸なことに、当選者の何人かはその後、毎日のちょっとした「喜び」に「うれしい」とか「感激する」ということがなくなってしまうという説があります。空から降って湧いた、あるいは落ちて来た「最大」の幸せです。この喜びに対抗できる感動は、おそらく一生に再来しない可能性があるのです。ささいなことに喜びを見出すという感情が失せれば、そのひとは不幸なはずです。
 わたしはこの説は正しいであろうと思っています。ただ当選者の全員がそのように感性が鈍感になるわけではないでしょう。しかし最高の幸福を得た、50人中の数人か、あるいは数10人かはわかりませんが、不幸になってしまう可能性を否定できません。

 わたしは試験をしてみようかと思っています。自分自身が不幸になるのか、あるいは幸せになるのか? とりあえず3枚900円の出費で買うか買わないか、迷っています。
<2012年3月10日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 3 <幸せシリーズ21>

2012-03-06 | Weblog
 世界でもっとも自由で幸せな国ベスト11。その筆頭格ともされるコスタリカ共和国について、児玉房子さんの本から得た興味深いエピソードを選んでみました。

動力
 コスタリカの発電についてはまだ情報知識を得ていないのですが、動力として水車の話しです。
 木工工場の裏には、河から幅1メートルほどの人工の小川が引かれている。そして直径2メートルほどの車輪がその川の水の落下で回るようになっていた。この水車が回り始めると、工場内の小さな機械がいっせいに動き出す。木を切ったり削ったりする機械がフル稼働する。
 動力が電気でなくて水力なのだ。児玉さんは「わたしは、いつ第二のチェルノブイリが起こるかとおびえている。日本は原発を増設するよりコスタリカのこの工場のように、自然の力をもっと活用してほしい」(12年前の記載です)

難民受け入れ
 かつてコスタリカは隣国のニカラガから難民を30万人も受け入れたことがあります。30万人はたいへんな数です。その当時のコスタリカの人口は300万人ほど。ほぼ1割にあたります。日本でいえば、1000万人の難民が流入することになるわけです。
 なぜ国内の不安定要因になる難民たちを受け入れたか? 「彼らがかわいそうだから。わたしたちが認めなければ、どこの国も難民を受け入れない」。言葉もスペイン語なので、互いに通じるのです。
 しかしキューバから16人が亡命したいと小舟で来たことがある。受け入れるか入れないか、1週間も国内で論争が続いたそうです。その間、16人は港で待たされた。結論は「われわれは助ける。しかし受け入れない」というもので、病人は病院に入れて治療し、必要な水や食料は補給してあげ、船も修理して出発させた。理由は「16人が全員ひとり者で家族を連れて来ていない」ということだった。
 「難民とはいえないということだろう。キューバともアメリカ合衆国とも仲よくして、人道的にも正しく平和の道を進むには、右か左かの性急な結論ではやっていけない。平和を求めるなら、時間をかけて積みあげ」ることが大切である。

デモ隊
 年金改悪反対のデモ隊が国会前に押し寄せた。議事堂の白い外壁に彼らはスプレーで要求を吹きつけて帰って行った。
 「しかし、日本のように機動隊が出てくるわけでもなく、警察官さえ見あたらなかった。デモが終わると国会の建物の中から、しっくいのバケツを持った人が出てきて壁は白く塗られ、もとどおりになった。軍隊や武器がなければ、クーデターや暴動の心配がない。」

不安な夜道
 町の夜道を女性がひとりで歩くのは不安なものだ。日本でも「怖い」という声が多い。ところがコスタリカでは、ホテルの受付嬢に女が夜ひとりで歩けるかと治安を聞いたら、「軍隊がないんですから、コスタリカは危なくないですよ。」

童話『トントのなぞなぞ』
 コスタリカの子どもたちが大好きな童話に『トントのなぞなぞ』があります。おばかさんといわれているトントが、王様の三つの謎々を解いて、お姫様と結婚できることになった。しかし「先の細いエナメルの靴や、高い衿(えり)のある袖のきつい服を着せられ、つり人形のような姿で暮らすのはいやだと、服も靴もお城の窓から投げ捨てて、田舎のお母さんの所にトントは帰ってゆく」
 この国の価値観は、日本とは相当に異なるようです。

参考書
『コスタリカ讃歌 絵かきが目と手と足でみた』 児玉房子著 2001年 草の根出版会
<2012年3月6日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コスタリカ 2 <幸せシリーズ20>

2012-03-02 | Weblog
 コスタリカ共和国に到着した初日、おふたりの印象記を前回に紹介しました。開高健さんと早乙女勝元さんです。
 児玉房子さんは、同国をはじめて訪れた日の印象を、つぎのように書いておられます。

 1992年にはじめてコスタリカの空港に着いて、芝生の広場に出た時、飛行機をいっしょに降りた上品なスーツ姿のコスタリカ女性が、アアと大きく手を広げ、荷物を芝生の上に放り出してつば広の白い帽子を顔の上にのせ昼寝を始めたのをみた。機関銃を持った兵士に守られた隣国パナマのホテルを、その日の朝発ってきた私には、いくら自国に着いて気がゆるんだとしても足を投げ出し寝入るなんて荷物もからだから離して安全であるなんて考えられず、不思議で理解できなかった。
 後で、コスタリカが、永世中立を全世界に表明し、世界の平和を話しあいで進めてきた国であり、戦車も大砲もなくて軍事費を教育費にまわした国だということがわかり、多くのコスタリカ人と接するなかで、私もコスタリカの空港に入るとどの国よりもホッとするようになった。

 軍隊はないがポリスはいる。ピストルと警棒を提げている。隣国からの麻薬や武器などの密輸入、そして犯罪にからむ密入国者は、この国にとっては頭の痛い問題である。ニカラグアとパナマにはさまれ、サンドウィッチ状態のコスタリカには、悩みは当然だがある。
 しかし児玉さんがコスタリカで会った日本人青年は「メキシコから陸路で中米を下に降りて来たのですが、コスタリカのポリスはおだやかな目をしていますね。この国のいちばんの印象です」

 早乙女さんはサンホセの新聞編集長の話しを紹介している。
 編集長「政府は国民の健康や教育面では、大きな成果をあげてきましたよ。平均寿命はラテンアメリカでは第1位だし、識字率も同じ第1位、子どもの死亡率では、もっとも低い国になっていますからね」
 早乙女「なにしろ、日本とちがって、軍事費はゼロですものね」
 編集長「そう、それは大きいですな。もうひとつ、つけ加えておきましょう。コスタリカには国防省でなくて警備省がありますが、その大臣は女性ですよ。まだ任命されたばかりですが、任命式に武器を持ってきてもおかしくないが、彼女は赤ちゃんをかかえてやってきました。つまり、この赤ちゃんを無事に育て上げるには、平和でなくてはならないのです」

 コスタリカが大好きな日本人は数多い。タレントの故フランキー堺さんもそのひとりでした。彼は日本コスタリカ交流協会のメンバーだったのです。コスタリカを紹介した本『中米の奇跡 コスタリカ』の裏表紙に堺さんの推薦文が載っています。以下抜粋です。
 「アメリカの花園」とか「中央アメリカの楽園」とか、さまざまな言葉でこの世のパラダイスのように表現されている国、コスタリカについて、皆さんは、どの程度ご存じでしょうか。
 東西対立の「はざま」といわれ、キナ臭い話題が飛びかっている中米地域において、安定した国情を保ち続けている同国は、1983年に、今後も平和であり続ける決意をこめて、中立を宣言し、その政策は高く世界に評価されています。…
 通り一ぺんの観光案内に満足せず、より深く中米地域、特にコスタリカについて知ろうとする人びとにとって、本書はまさに最適のガイドブックになるものと思います。ぜひ一読をおすすめします。
 本書が日本とコスタリカとの友好のかけ橋になることを願って……。

『コスタリカ讃歌 絵かきが目と手と足でみた』 児玉房子著 2001年 草の根出版会
『軍隊のない国コスタリカ』 早乙女勝元編 1997年 草の根出版界
『中米の奇跡 コスタリカ』 寿里順平著 昭和59年初版 平成2年2版
<2012年3月2日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする