大原野は、野を略して大原と古歌で詠まれたことは前に記したが、『万葉集』の編者・大伴家持(おおとものやかもち)も、
大原や せがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん
「せがい」は、大原野神社境内の名水「瀬和井(せがい)」。いまも藤の木の根もとに清水が湧く。「鳥が鳴く云々」は、桓武天皇がたびたび大原野の地で鷹狩をして遊んだことによるのであろう。いずれにしろ、洛西の大原野と、洛北の大原の歌は、読み解かなければ、取り違いがおこるので要注意である。
大原野を大原というのには、訳があるのだろう。周辺の地名をみると、大枝(おおえ)、老い(おい)の坂、大原野……。この辺りはかつて、「おおい」「おおひ」と呼ばれていたのが、おおえ、おい、おおはら、に転じたのであろう。いずれも「おお」「おほ」であるが、このことはいつか解明したい。宿題のひとつである。
さて大原野神社だが、桓武天皇は奈良から、いまの向日市を中心とする長岡京(784~794)に遷都した。そのころたびたび大原野で鷹狩に興じたのだが、皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)が嘆いた。
「そんな遠い田舎に都を移したら、私は困ってしまいます。藤原の氏神・春日大社にお参りするのが大変になってしまいます。」
藤原氏出身の妻の苦情から、藤原の氏神を勧請したのが、大原野神社のはじまりであるとされている。いつの時代でも、妻の苦言に夫は弱い。
この社には近年まで、春日大社から贈られた鹿が数頭飼われていた。先日、神主さんに聞いたところ、平成七年に最後の一頭も亡くなったとのこと。境内の鹿園は、いまでは畑になってしまっている。
また面白いのが、狛犬である。大原野神社では、石像は犬ではなく、鹿である。一対の苔むした鹿が、本殿前で守護している。「狛鹿」である。
いつのことだか、筆者は大原野神社の鹿について、興味深い逸話を聞いたか、読んだことがある。桓武天皇の長岡京遷都に先立って、春日大社の神鹿が何頭かぴょんぴょん跳ね飛び、はるばるこの地までたどり着いた。それで社を築く地を、ここに決めたという。古き時代、鹿を神の使いとし、耳は神の声を聞く神耳と考えていた。鹿を卜に使い、地を選ぶことは、おおいにありうる話である。
この伝説をどこで知ったのか、もう記憶にないのだが、神主さんに聞いてみた。「実に面白いですね。ただはじめて聞く話です。その逸話、使わせてもらっていいですか」。わたしは「どうぞ。どうぞ」、うれしくなってお答えした。
そのうち、新しい鹿伝説が、大原野に流布定着するかもしれない。しかし出典が不明なのが気がかりである。ご存知の方があれば、ご教示願いたい。
それと鹿のことであるが、春日大社から再び鹿が贈られることを願う。なにせ奈良公園には、掃いて捨てるほどに鹿がいる。<2007年11月25日>
大原や せがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん
「せがい」は、大原野神社境内の名水「瀬和井(せがい)」。いまも藤の木の根もとに清水が湧く。「鳥が鳴く云々」は、桓武天皇がたびたび大原野の地で鷹狩をして遊んだことによるのであろう。いずれにしろ、洛西の大原野と、洛北の大原の歌は、読み解かなければ、取り違いがおこるので要注意である。
大原野を大原というのには、訳があるのだろう。周辺の地名をみると、大枝(おおえ)、老い(おい)の坂、大原野……。この辺りはかつて、「おおい」「おおひ」と呼ばれていたのが、おおえ、おい、おおはら、に転じたのであろう。いずれも「おお」「おほ」であるが、このことはいつか解明したい。宿題のひとつである。
さて大原野神社だが、桓武天皇は奈良から、いまの向日市を中心とする長岡京(784~794)に遷都した。そのころたびたび大原野で鷹狩に興じたのだが、皇后の藤原乙牟漏(おとむろ)が嘆いた。
「そんな遠い田舎に都を移したら、私は困ってしまいます。藤原の氏神・春日大社にお参りするのが大変になってしまいます。」
藤原氏出身の妻の苦情から、藤原の氏神を勧請したのが、大原野神社のはじまりであるとされている。いつの時代でも、妻の苦言に夫は弱い。
この社には近年まで、春日大社から贈られた鹿が数頭飼われていた。先日、神主さんに聞いたところ、平成七年に最後の一頭も亡くなったとのこと。境内の鹿園は、いまでは畑になってしまっている。
また面白いのが、狛犬である。大原野神社では、石像は犬ではなく、鹿である。一対の苔むした鹿が、本殿前で守護している。「狛鹿」である。
いつのことだか、筆者は大原野神社の鹿について、興味深い逸話を聞いたか、読んだことがある。桓武天皇の長岡京遷都に先立って、春日大社の神鹿が何頭かぴょんぴょん跳ね飛び、はるばるこの地までたどり着いた。それで社を築く地を、ここに決めたという。古き時代、鹿を神の使いとし、耳は神の声を聞く神耳と考えていた。鹿を卜に使い、地を選ぶことは、おおいにありうる話である。
この伝説をどこで知ったのか、もう記憶にないのだが、神主さんに聞いてみた。「実に面白いですね。ただはじめて聞く話です。その逸話、使わせてもらっていいですか」。わたしは「どうぞ。どうぞ」、うれしくなってお答えした。
そのうち、新しい鹿伝説が、大原野に流布定着するかもしれない。しかし出典が不明なのが気がかりである。ご存知の方があれば、ご教示願いたい。
それと鹿のことであるが、春日大社から再び鹿が贈られることを願う。なにせ奈良公園には、掃いて捨てるほどに鹿がいる。<2007年11月25日>