京都の市中は、わかりにくい。だから、標識や看板をいっぱい、あちらこちらのポイントに立てればよい。かつてそのように書いたら、友人の西村さんからご意見が届きました。いま、うなっています。
あなたは「(観光客のために)標識や解説案内板、地図イラストなりを、並べ立てる」ことを、唱道しておいでになります。そうでしょうか。実際、観光客はそれを希望しているでしょうか。私はその説に疑問を抱きます。街の美化のためにも。
観光客に問い掛けてみては如何でしょう。あるいは、京都に住まう外国人に問い掛けてみては如何でしょう。
私の外国訪問の経験に照らしてみれば、日本の街には看板が多過ぎます。そこへ、ハングルや中国語の案内板が親切善(よ)がしに溢れても、見向く人はいるでしょうか。
このご意見について、考えをあなたからお聞かせいただければ、うれしいです。
どうでしょう?
<2008年10月25日>
あなたは「(観光客のために)標識や解説案内板、地図イラストなりを、並べ立てる」ことを、唱道しておいでになります。そうでしょうか。実際、観光客はそれを希望しているでしょうか。私はその説に疑問を抱きます。街の美化のためにも。
観光客に問い掛けてみては如何でしょう。あるいは、京都に住まう外国人に問い掛けてみては如何でしょう。
私の外国訪問の経験に照らしてみれば、日本の街には看板が多過ぎます。そこへ、ハングルや中国語の案内板が親切善(よ)がしに溢れても、見向く人はいるでしょうか。
このご意見について、考えをあなたからお聞かせいただければ、うれしいです。
どうでしょう?
<2008年10月25日>