ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

電子書籍元年2010 №11 デジタルとアナログの共倒れ

2010-08-29 | Weblog
 電子書籍の普及は、出版業界にどのような影響を及ぼすでしょうか? 京都新聞ホールで京都MICフォーラム「デジタルメディアとジャーナリズム」が8月21日に開催されました。友人に誘われ、わたしも出席し話しを聞きましたが、ゲストのおふたり、藤代裕之と烏賀陽弘道両氏は「紙と電子、これからどうなっていくのか、正直なところ分からない」

 出版社はすでに赤字の社が多い。超大手は、小学館・講談社・集英社だが、前2社は2年連続の赤字決算。集英社は前期、はじめての赤字になってしまった。
 書店も苦しい。黒字を計上している社は少ない。全国チェーンの大手は安泰だろう、という方がおられるが、売り場面積が広いだけに家賃が高い。大手書店のほぼすべては、売り場を賃貸で借りている。
 海外だが、アメリカ最大の書店、バーンズ&ノーブルはついに会社を売りに出したようだ。大手のもう1社、ボーダーズは、たばこ会社に身売りしてしまった。「B&Nとボーダーズが経営統合し、リアル店舗を大幅に閉鎖することでしか、今後の生き残り策は描けないのかもしれない」<「週刊東洋経済」2010年7月3日号>

 2009年3月時点でみると、日本の電子書籍の売り上げは、年わずか464億円にしか過ぎない。全国の雑誌・書籍売上は、減ったとはいえ2兆円近くある。アメリカの電子書籍売上はそれよりも少ない150億円ほどである。現状では電子書籍はまだまだ、紙本屋の敵ではないのです。
 しかし、これから電子書籍が順調に伸びれば、すでに疲弊している本屋は、持ちこたえられなくなってしまうでしょう。数年にして紙の本屋は、雪崩を打って押しつぶされていくのではないか。

 新しく誕生したキンドルやアイパッドが、紙本業界を打ち破るのではない。すでに数年前から崩壊のきざしは見えていたのである。書店も多くの出版社も、将来に希望を持てない状態にあった。赤字経営が、たくさんの社で常態化しつつあったのである。これ以上、経営が悪化すれば、たくさんの本屋と出版社は、業界から退場するしかない。電子書籍のわずかの動きが、長年の大雨でゆるんでいた地盤を、あっけなく崩壊させるのである。

 本格的なデジタルの電子書籍時代を迎えようとしているいま、新時代の扉が開こうとする直前に、既存の書籍業界は地崩れを起こしてしまいそうである。1990年に3万軒あった書店は、いま半分の1万5千軒ほど。あと数年にして、5千軒ほどになってしまうという予測もある。
 そうなれば本を創作する著者が作品を発表するチャンスと収入が減ってしまう。すでに総合誌など、雑誌が大幅に休刊してしまい、書き手は発表の場と収入が縮小してしまった。
 新作を書いても、作家は十分な印税・著作権料を得られなくなってしまう。本屋が激減することによって、紙の本は発行部数・点数とも極端に減ってしまうのである。電子書籍では著者の望むだけの権料は、おそらく獲得が困難であろう。
 プロの著者・ライターが十分な収入を得られなくなると、出版文化は崩壊に向かう。著作収入以外に安定した所得のある著者、それとごく少数の売れっ子作家、著作市場は彼らの独壇場になってしまうでしょう。著者の疲弊と減少のため、紙本と電子本は、あと数年にして共倒れしてしまう可能性を感じます。そして残るのはもうひとつ、ロングテールの素人作家でしょう(わたしも?)
 なぜこのような事態になってしまったのでしょうか? 新聞の苦境同様、本も雑誌も、インターネットに負かされたのだと、わたしは思います。最新のニュースも、たいていの情報も、コンパクトなかたちで、だれでもがネットで簡単に手に入れることができるからではないでしょうか。最大の原因はインターネットです。20世紀の終盤には、すでにはじまっていました。書店、すなわち出版社の売上ピークは1996年でした。
<2010年8月29日>
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「丸に十の字」続編

2010-08-28 | Weblog
 島津製作所は明治初年の創業から、つねに時代の先端を行く京都の代表的な企業のひとつです。ノーベル賞受賞者の田中耕一さんも、先端社員のおひとり。
 ところで前回、このブログで、製作所の社章「丸に十の字」(くつわ)のことを書きました。1600年の関ヶ原合戦に敗れた西軍の島津義弘が帰国の途次、「世話になった」と、播州の井上惣兵衛尉茂一に家紋と姓を与えた。以降、井上氏は島津姓を名乗る。製作所創業者の島津源蔵はその11代目の子孫である。
 そのようなことを書きました。参考にしたのは『島津製作所史』、昭和42年に同社が発行した社史です。

 ところが後刻、島津製作所のホームページをみましたら、驚いたことに以下のように記されています。
 「島津源蔵の祖先は、井上惣兵衛尉茂一といい、1500年代後半に播州に住んでいました。薩摩の島津義弘公が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉公から新たに拝領した播州姫路の領地に立ち寄った際、 惣兵衛は、領地の検分などに誠心誠意お世話をしました。その誠意に対する感謝の印として、義弘公から“島津の姓”と“丸に十の字の家紋”を贈られたと伝えられています。」

 社史と同社ホームページの記載が、まったく異なるのです。後からの記載、ホームページが正しいのでしょうが、木屋町二条の同社創業の地にある「島津創業資料館」に問い合わせてみました。
 社史刊行後の調べから、いろいろ新事実が分かってきたと言われます。まず島津義弘の乗る船は関ヶ原合戦後、明石には寄らずに西に向かっているようだ。井上茂一は黒田家の家老の一族で、豊臣秀吉の時代、確かに播州に居住していた。島津義弘は太閤から播州に飛び地・新領地を拝領したとき、その地に立ち寄っている。このときに、井上氏に姓と家紋を与えたと考えられる。このことを証明する新文書が発見されたわけではないが、事実関係を整理しての解釈だそうです。
 「関ヶ原合戦の帰路の話しは、劇的で面白いのですが、史実とは異なります。また12日間もの明石滞在は、長すぎますね。社史発行後の調査から、記述を変更しました」。

 わたしは資料館の方から新解釈のお話しを聞きながら思いました。「やはり島津製作所はすごい。定説に疑義があれば固執せず、とことん調べる。そして過去の解釈にとらわれず、あたらしい説をたてる」
 この姿勢に感心し、前回の記述を訂正します。

※蛇足ですが、資料館の方との話しのなかで、明治期の旅館「常盤別館」のことが出ました。インターネットでみますと、「京都ホテル100年ものがたり」に記載があります。資料館のみなさんは、とっくにご存じと思いますが、蛇足まで。
 http://www.kyotohotel.co.jp/100th/1st_zenshi/no09.html
<2010年8月28日>
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戦国の十字架「丸に十の字」

2010-08-22 | Weblog
 フランシスコ・ザビエルが日本に上陸したのは、1549年8月15日でした。宣教活動を開始した鹿児島の地で、彼は驚いた。この町のいたるところに十字架が描かれていたからです。
 すでにだれか、自分より先に宣教師がこの地で布教したのであろうか? しかしそのような風聞、記録や報告はヨーロッパにはない。異端キリスト教の仕業であろうか?
 しかしザビエルの心配は、誤解であった。十字架「白地に丸の十字」は、薩摩島津家の紋である。キリスト教とは無縁。

 1600年、関ヶ原の合戦で西軍についた島津軍であったが、戦闘の終了する最後まで、戦場に踏みとどまった。最初は西軍有利だった戦況はその後、劇的に逆転し西軍は一気に崩れる。そして完敗を見届けた島津軍は、やっと退却を開始する。
 千名だった軍勢は、すでに六百人ほどに減っていた。彼らは驚くべきことに、後ろに退くのではない。敵軍数万がひしめく戦場を目指して、正面突破の退却を開始した。唖然とする東軍。本営の徳川家康の眼前を、平然と駆け抜けていく丸に十字の旗であった。

 退却集合地の堺にたどり着いた薩摩の将兵は、太守の島津義弘とわずか80余名であった。参戦者の1割足らずである。彼らは堺から船で薩摩に向かう。しかし帰路の大阪湾、嵐にみまわれ一行は明石の港に退避した。
 このとき島津の一行を明石の自邸に迎え、歓待したのが井上惣兵衛尉茂一である。井上は黒田官兵衛が九州福岡に移る前、姫路城主であったころからの黒田家家臣の一党であった。
 茂一の島津家接待は、12日間にも及んだといわれる。あまりにも長すぎると思うのだが、関ヶ原戦後の大坂の政治情勢を見定めるためであったのか。
 島津義弘は井上のもてなしに感謝し、島津の苗字と家紋「丸に十字」などを与えた。
 その後、井上(島津)茂一は勝軍の将、黒田長政の凱旋に従い、筑前福岡の黒崎(北九州市)に移る。彼が黒崎・島津家の家祖である。

 1813年、「つとに大志を抱き、辺境に老するを、潔しとせず」。黒崎島津家10代の島津利作(清兵衛)は、故郷を後にし京に出る。
 そして息子の島津源蔵が「木屋町島津家」初代となり、島津製作所がはじまる。わたしたちが現在、京の町でみかける「丸に十字」は、だいたいが島津製作所の社章です。関ヶ原の合戦の直後、島津義弘が恩人の井上茂一に与えた家紋です。

 ザビエルがもし現代、京の町で「丸に十字」紋を見たら、仰天してこう言うのではないでしょうか。「この十字は、薩摩の紋ではないか? ついに島津の殿が都を制圧され、この国にやっと平和が訪れたのであろう。ならば、わたしも気張って布教に努めねば」
※ところで、この一文を書いた後、大幅な書き直しが必要だと判明しました。情けないですが、数日の猶予をお願いします。続編でご紹介します。20100823
<2010年8月22日>
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電子書籍元年2010 №10 「ロングテール」

2010-08-21 | Weblog
 カール・マルクスは『ドイツ・イデオロギー』のなかで、強制された報酬のための労働は将来、自主的な労働にとって代わられるだろう、と主張した。人間が余暇と自由を獲得したとき、それぞれ各人が望む分野で、自己の成長をとげることができる。
 マルクスの言葉を借りれば、プロとアマの壁は消え去り、プロアマ共同共存の民主化の時代が来る。

 クリス・アンダーソン著『ロングテール』(2006 早川書房)からの引用です。ロングテールは長い尾。巨大恐竜のヘッドは高いが幅が狭い。しかし肩から背、そして長い尻尾へと延々と続く低い部分。アナログ商品であろうが、デジタルの商品であろうが、一品ずつの売上はわずかでも、尾の部分は長いので、低位のそれらすべてを足せば膨大な量、商売であればべらぼうな売り上げになる。
 彼の新著『フリー』(2009早川書房)とともに、IT時代の商業を考えさせる名著です。長い尾・ロングテールからの抜粋で、これからの書籍・出版を考えてみます。

 プロアマ共同の好例として、『ウィキペディア』についても言及されています。この百科事典は、地位の確立した権威ではなく、徹底した分権化と自己組織化に信を置く、もっとも純粋な形のオープンソースである。紙の百科事典は、印刷された瞬間から化石になっていくが、ウィキペディアは自己修復を続ける生きた百科事典である。
 だれもが何かについてくわしい。そのことについて、だれでもがウィキペディアの項目について修正をしたり、あらたな項目を設けたりできる。活字記述についての受け身の不満から、積極的参加への変換である。
 全体としてはおおいに成功したウィキペディアだが、ユーザーが書くという性質上、細かい部分はあいまいでいい加減だ。それは使ってみれば分かる。利用者は何のために使うのか、よく考える必要がある。
 この百科事典は最初の入り口としての情報源であって、最後の情報源にしてはならない。情報探しの起点であって、事実確認の決定版となる情報ではない。

 つぎにアメリカの出版業界をみると、新興のDIY出版が興隆である。ISBN付きの紙本を、わずかの予算で作れる。またオンライン書店で通販してくれる。作者がアマであっても、ベストセラーの仲間入りも夢ではない。初版は数十部のみの印刷でスタート。その後は、オンデマンド印刷で、必要な数部を追加する。出版業界の最大のロスであった返品は、排除解消された。
 いまではコストがあまりに安いために、紙本であろうが電子書籍であろうが、ほとんで誰でも簡単に出版できてしまう。つまり、いまや人々はどんな理由であれ、みな本を書けるのであり、市場に出す価値があるかという判断を、出版社に決定されることもなくなった。

 ヘッド部分である一部の有名作家と、末端に近いテールの作者との大きな違いとは何か? テールの先へ行けば行くほど、アマチュア作家は昼間の仕事を続けなければならないということだ。
 でもそれでいい。プロとアマの作家の違いは、あいまいになり続けている。最後には、どうでもいいことになるかもしれない。報酬のために書く本、ただ書きたいからつくった本、プロもアマも、どちらも高い価値を持ちうる。
 さて、テールの末端に位置するわたしの駄文。コピペのレベルから抜け出ていないようです。高い価値には縁遠い…。
<2010年8月21日>
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虎の子

2010-08-17 | Weblog
 岡崎の京都市動物園で、トラの子が3頭産まれました。6月20日のこの欄で紹介しましたが、父はビクトル、母はアオイ。アムールトラです。
 ところで宇宙探査機「はやぶさ」の幼名は「虎之児」でした。はやぶさ帰還の3日後から産まれた3頭の子トラ。
 名前がどうなるのか気になっていましたが、やっと8月15日に発表されました。長男「アビ」、次男「オク」、三男「ルイ」。みな男児だったのですね。名は父母から一字ずつもらいました。
 名付けは一般公募でしたが、計1326通もが寄せられ、動物園職員のみなさんが選考されたそうです。期待の「はやぶさ」の名がつかず少し残念ですが、みなスクスク育っているようです。
 今日は「京都岡崎動物園から」のお知らせでした。
<2010年8月17日>
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電子書籍元年2010 №9 「長尾真構想」

2010-08-14 | Weblog
 電子書籍元年、注目される人物のひとりが、長尾真・国立国会図書館館長です。14年も前のインタビュー記事を読みました。日本経済新聞論説委員だった西村武彦さんの著作『半記』に採録されています。当時、長尾先生は京都大学付属図書館長。のちに京大総長をつとめられました。1996年11月2日の日経新聞掲載。

 情報技術革新の時代、本の未来はどのようになるのでしょうか?という、西村氏の問いに「電子新聞がいつ、どのような条件の下で実現するか。出版のありようが変わる前に、この変化がどの程度、顕著になるかによるだろう。…精度の高いポータブル(携帯用)の端末機ができて、それに電子新聞が乗り、綺麗に活字が読めるようになればよい。…端末機の普及も大切な問題で、実用性が高いから、急速に安くなるだろう」
 そして電子書籍の普及について、「根拠はないが、20年後(2016年)には70%が電子化、30%は紙の本と予測している」
 電子出版から、社会的にいろいろ問題が出てくるのではないか、という西村氏の質問に「人間の精神構造にどのように影響するかとか、取り返しのつかない要素があるとすれば、気を付けねばならない。一般に科学に対する批判が増えてくる可能性があるから、その辺のことをしっかり認識してかかる必要がある」
 
 10数年も前の発言ですが、ごく最近、日本経済新聞と産経新聞は、有料のWeb配信を開始しました。産経は発売なった端末機<iPad>で読める。鮮明で読みやすいようだ。

 この7月に新刊『ブックビジネス2.0ーウェブ時代の新しい本の生態系』が刊行されました。実業之日本社、共著。長尾館長は同書で「ディジタル時代の本・読者・図書館」を分担執筆されています。
 「2010年は電子ブック元年といわれる年になるかもしれない。電子書籍端末装置が日本でも売り出され、新聞も電子配信」が始まった。
 国会図書館では昨年の著作権法改正で、所蔵するすべての本をデジタル化することが可能になった。また同年の補正予算によって、90万冊の書籍の電子化の目途がたった(全蔵書図書数は900万冊)
 国会図書館のすべての蔵書をデジタル化し、法律で義務づけられている紙本1冊の納本を、これからは出版社がデジタル情報でも納めるようにしたらどうか。そうすれば日本の本のまずすべてを、国会図書館のデジタルアーカイブで読むことができる。
 著者に印税、出版社に手数料を払わねばならないので、非営利法人「電子出版物流通センター」とでも称する団体を経由して、読者に課金すればよいのでは。長尾構想・ジャパニーズブックダム計画とも呼ばれる。壮大な構想です。

 しかし麻生自民党政権のおりに120億円も配された電子化予算ですが、民主党時代になって、これからはあまり期待できない可能性が強い。なおそれまでのデジタル化予算は毎年1億円ほどだったので「一気に100年分の予算がついた!」と、図書館関係者は驚いておられた。
 国立国会図書館は名の通り、国立であり、運営を国家予算に頼っている。すばらしい構想も、長期にわたる財政基盤がしっかりしてこそ実現します。現状では、あまりに基盤が脆弱すぎます。

 国立国会図書館法第2条には、「図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする。」
 あくまで国立の官、議会図書館なのです。電子書籍のインフラは、民が互いに競いながら、官とも連携しつつ進めるのが、あるべき姿ではないでしょうか。予算次第の官主導は、危険です。
<2010年8月14日 しばらくお盆で休載します>
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男と女と蝉

2010-08-12 | Weblog
 近ごろ、たくさんのセミが地面に落下している。わたしは少ししか見かけませんが、何人もの方から、同じ話しを聞きました。どうもアブラゼミの遺骸のようです。
 なぜなのでしょう? うるさいクマゼミの大合唱に耳も頭も疲れ果て、力尽きるのでしょうか。彼らは同じ木に群集しています。毎日毎日、あの大声を間近で聞かされたら、頭のなかがキーン・ガーンと響き、目まいがして意識不明で落下してしまうのかも。

 ところで大量の落下セミのことを話してくださった方、おおよそ5人ほどですが、すべてが女性です。だいたい女性で虫好きとか、昆虫にくわしいひとは少ない。クマゼミとアブラゼミの特徴を説明できる方は、その内のただひとりでした。実は彼女の子どもが昆虫少年。息子の指導を受けて最近、虫のことにくわしくなられたようです。
 少年少女、いまではほとんど見かけませんが、虫とり網と虫カゴを持って走り回るのは、すべて男の子と決まっていました。女の子は生きたセミを指でつまむことも、たいていできない。

 ところが、たくさん落下しているアブラゼミについて、男はだれも話さない。おそらく眼にも入っていないのではないでしょうか。女性ばかりが亡くなったセミを意識し、話題にされる。ついに、落下セミを集め「墓を作って弔う」という女性まで出現した。
 まるで詩人、金子みすゞの再来である。「大漁」での海中のお葬式、クジラ供養の「鯨墓」…。

 セミと男と女。不思議な反応の違いです。台風一過、今日はセミ地帯を散歩してみましょう。地面ばかりを観察しながら。
<2010年8月12日>
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クマゼミの北上

2010-08-11 | Weblog
 クマゼミが毎年、日本列島を北上しています。本来は、暑い地を好む南方系のセミです。地球温暖化の影響でしょうか?

 1995年環境庁「第5回緑の国勢調査」によると、生息地の北限は、日本海側では京都府北部。太平洋側は千葉県だが、神奈川県と東京都で広がりつつあると、報告されています。
 http://www.biodic.go.jp/reports/5-2/n001.html

 それから10数年たった2008年、ウェザーニューズ社の調査では、日本海側では福井県までだったのが、金沢市でみられるようになった。関東では茨城県から福島県郡山市に達した。そして翌09年、福島市で鳴き、石川県では各地でみられる。
 http://weathernews.com/jp/c/press/2009/090909.html

 クマゼミはどれほどの距離を飛ぶか? 捕えたセミの羽に印をつけ放すマーキング追跡調査では、せいぜい数百米までのようです。彼らはあまり移動せずに集住し、互いに鳴き叫ぶのを好むようです。
 わたしの住まいは集合住宅の5階。今朝ベランダで、ボーッとクマゼミの声を聞いていました。高い木よりさらに高い位置から見ていますと、セミは結構飛ぶものです。ほとんどがクマゼミでしょうが、アブラゼミもいくらかいるかもしれません。
 同じ木の別の枝に飛び移る。隣かすぐ近くの木まで飛ぶ。なかには数10米ほど離れた樹まで飛んでいます。しかしその向こうは竹林。彼らには住めない地帯です。

 あまり遠距離を移動できないクマゼミの急速な北上の原因は、おそらく人為によるのでしょう。いちばんは植樹。公園や街路樹など、植木屋さんが運び植えた樹の根元に幼虫がついて来る。トラックで数10キロでも移動します。
 ブラックバスやブルーギル同様に、だれかが成虫か、卵か幼虫を、遠方まで運びこんだ可能性も、否定できない?

 このまま北上が続けば、東北や北海道でも、シャワシャワ大合唱が聞こえるようになるのでしょうか? 
 しかしクマゼミは本来、南方系のセミです。夏夜間の低温には成虫は耐えられない。また冬季の降雪や冷たい土のなかでは、幼虫が育たないのではないでしょうか。本州西部でも内陸部では、ほとんど見られません。
 クマゼミ北上は、どこで止まるか? 興味深いセミです。
<2010年8月11日>
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電子書籍元年2010 №8 世界最大の電子書籍

2010-08-09 | Weblog
 いま流行の言葉「電子書籍」ですが、実感がまだ湧かない。わたしの旧式携帯電話では、コミックもみれない。携帯小説など画面が小さすぎて、老眼にはきつ過ぎる。携帯ではインターネットも覗けない。当然ですが、キンドルもiPadも無縁です。自宅PCの横長画面では、無料の書籍PDFも見ずらい。

 ところで「ウィキペディア」はよく利用しています。巨大な知のデータベースなのでしょうが、これこそ「世界最大の電子書籍」なのではないでしょうか? 近ごろ、そのように思っています。
 そもそも自称「百科事典」です。ウィキ<自由に書き換えできる>、エンサイクロペディア<百科事典>です。ところがこの超巨大な百科事典は誕生して、まだ10年弱の歴史しかない。
 いまでは世界266言語、項目数は1000万、日本語版の項目数は60万(2009年8月現在)。紙本の平凡社「世界大百科事典」の項目は9万です。
 書き手はすべて一般市民のボランティアです。確かに掲載記事が正確か、悪意やいたずらなり、宣伝に利用しようとしていないか? 管理にはたいへんなチェックや労力が必要です。ボランティアの総力で、これだけ巨大な知の山脈を構築運営されているのには、敬意を表するしかありません。
 運営するのはアメリカの「ウィキメディア財団」ですが、年間の運営費は約5億円。経費のほぼすべてを寄付に頼り、広告掲載収入を得ることを拒んでおられる。
 このような財政基盤で成立しているウィキペディアは、ネット時代の奇跡ではないでしょうか? しかし将来も、商業収入なしでやっていけるのか? 方針転換のときがいつか、来るかもしれません。そのとき巨大百科事典はどうなるのでしょう?

 ところでウィキペディアはフリーです。利用が無料なのはいうまでもありませんが、何より自由です。複製複写可。学生がウィキペディアなどの文をコピーし自分のレポートに貼り付ける、コピペが教育現場では大問題になっています。
 またウィキペディアでは読者市民のだれでもが、文章の改変が自由です。本文を修正したり追加など、自由にやれます。またコピーしてどこかに流そうが、営利に使用してもよい。すべてフリー・自由なのです。
 権利と収入、そのようなことばかりに囲まれたネット社会で、ウィキペディアの姿勢は神々しい雄姿にすら思えます。
 さて記事の修正ですが、わたしも数度、やったことがあります。たとえばある歴史上の人物に「彼は同性愛者であった」という記述をみつけたときです。そうだったかもしれませんが、証拠がない。削除しました。また短文ですが、新項目をいくつか作成しました。
 検索しても探す項目がまだ誕生していないとき、自分で短い文をまず書いて新項目を立ち上げる。すると有志のどなたかが、いつかに書き足してくださる。楽しい作業の繰り返しのはじまりです。まず書き込むことをおすすめします。

 さて話しの始点にもどりますが、電子書籍にはさまざまの種類があります。そのなかで最大の電子書籍が「ウィキペディア」でしょう。無料にして自由な、フリーです。
<2010年8月9日>
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雀と蝉の叫び

2010-08-08 | Weblog
 近ごろ、クマゼミがシャワシャワワ~ンとうるさく鳴く大声が、気になって仕方がない。宇治の京都文教大学に行ったところ、ケヤキの多い学校ですが、クマゼミの大合唱。彼らを意識し出したのは、7月の下旬でした。数も多いからうるさいのだが、1匹ずつの鳴き声が他所よりも大きい。文教大では、どれもこれもが大声で叫んでいる。
 それ以降、セミが気になり出し特に鳴き声には日々、注意している。観察?していると、どうも単独、1匹で木にとまっていると、また回りに同類が少ないと、クマゼミの鳴き声は小さい。
 どうして密集していると叫ぶような大声になるのでしょう? あれこれ推理してみました。たぶん、ライバルに負けまい、この思いから蝉人口密度の高いところでは、大声で泣き叫ぶのではないか。異性に対し、元気で丈夫な自分をアピールしなければならない。弱弱しく鳴いていたのでは、彼女は振り向いてもくれない。
 特に今年、京都地方で大発生している騒がしいクマゼミです。市役所前の御池通りを車で通ると、両側のケヤキ並木からはクマゼミの大合唱が延々と続く。
 アブラゼミもニイニイゼミも、近ごろでは影がうすい。クマゼミが昼前に鳴き疲れてか、11時ころから静かになると、小型のセミたちは静かに鳴き出す。

 セミの声の大小に興味をもったのは、ラジオで聞いた「鳥の鳴き声には、方言があるのか?」という興味深い話しからです。
 たとえばコマドリ。大台ケ原にたくさん棲んでいるそうですが、ここでは大勢のライバルに負けまいと、全員が切磋琢磨。異性にアピールするための鳴き声がだんだん上手になる。もしも全国コンクールをやれば、ここのコマドリたちが、たくさんの大賞や特別賞などを独占しそうです。涙ぐましい練習の成果ですね。

 そして雀。東京のスズメは大声で叫び、田舎のスズメはチュンチュンとさえずっているそうです。騒音の激しい大都会では、小さな鳴き声では幼い子どもや、伴侶、仲間たちとコミュニケーションがとれない。子どもは「腹減った!エサくれ!餌くれ!」と大声を出さないと親も気づかない。
 東京の大都会化の歴史を100年とすると雀2年1世代として、もうすでに50世代のスズメが生きてきたことになる。控えめな小声のスズメたちは、淘汰されてしまったようです。どこの世界でも、声のでかいのが生き残るようです。

 人間のいう方言とは異なりますが、虫も鳥も、それぞれの土地で精一杯、それぞれの声できばって生きています。なお「鳥の方言」は、NHKラジオ第1放送「夏休み子ども科学電話相談」で聞きました。幼稚園児から小学6年生まで、意表を突く素朴な質問に、各専門家が答える。むずかしい言葉は極力控えて解説されるのだが、大人と子ども、ふたりの丁々発止のやりとりがほほえましい。夏休み期間中の毎朝放送だが、高校野球甲子園大会中は中断。再開が待ち遠しい。
<2010年8月8日>
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電子書籍元年2010 №7 「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」後編

2010-08-03 | Weblog
 いつまでもずるずると続いている中西秀彦さんの著作『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』紹介ですが、今回で終了しようと思っています。おそらく本文を理解しきれていないから、いつまでもだらだら続くのでしょう。理解と表現の非力を、痛感します。

 最近、コンピュータという言葉はあまり使われなくなってしまいました。わたしもPCとは書きますが、コンピュータとは書かなくなってしまったようです。
 中西氏は「コンピュータはもはや社会のインフラとして当たり前の存在となった。そして最近、コンピュータはコンピュータの形をしていない。さまざまに形態を変えつつ、社会の隅々まで入り込んでいる。…そうした情報技術の総体を今はIT(インフォメーション・テクノロジー)という」
 電子書籍とか電子ブックなどと呼んでも、「コンピュータ書籍」などというひとはいない。コンピュータやインターネットはいまや、道路や電力・鉄道・上下水道・通信などと同じインフラになってしまったのであろう。

 ところで「ハイブリッド」。少し前まではアメリカ製の「種子」、そして自動車のプリウスやインサイトのことかと思っていた。最近では印刷業界でしきりに使われているらしい。
 ハイブリッド印刷とは「オンデマンド印刷(要求が有り次第の印刷。1冊でも可能)とオフセット印刷(高性能大量印刷)の組み合わせなのである。…出版時初版はオフセットで大量に刷り、再版以降をオンデマンドで細かく再版をくりかえす。…反応をみて大量印刷の要求があればオフセット。少量しかないならオンデマンドと使い分ける」
 オンデマンドはオフセットを代替するものではなく、共存するものと著者はいわれる。門外漢には分かりにくいのだが、どうもこれまで地位の低かったPOD(オンデマンド印刷)は、「コピー機でのプリント」から脱して、やっと技術的に認知された(コピーだが)印刷になったようである。

 「確かに、初期の頃のオンデマンド印刷機の品質は、お世辞にもオフセット印刷機と同等といえるような代物ではなかった。やはりコピーはコピーだったのだ。ところが、オフセットが人間の目の識別力以上の精密な網点密度で刷っても無駄という意味で限界にきている間、オンデマンド印刷機の品質はどんどんオフセットに迫ってきた。…オンデマンド印刷の特徴である短納期、少部数の場合の低コスト性が強烈に存在を主張する」。どうも印刷業界、出版業界のキーワードのひとつは、オンデマンドにあるようです。
 オンデマンド印刷とオフセット印刷は、単に「使い分けるもの。対立するものではない。ただそれだけのことなのだ。それだけのことに気がつくのに時間がかかりすぎたのかもしれない」
 DNPは、「ハイブリッド」を紙とデジタルの融合共存と説明しておられる。しかし印刷業界においては本来、ハイブリッドは、PODとオフセットの共存のことをいうらしい。

 中西氏は「まずはわれわれ印刷業界や書店・出版社、そして書籍雑誌の取次(問屋)が、生き延びねばならない。紙を前提として、印税も、出版社の編集も維持されている。これは一朝一夕ではかわらない。これを抜きにして、勝手に産業転換の御名のもとに本が滅ぼされたら、誰だって怒ります」
 そうです。書籍雑誌の現在の出版・流通体制は、社会の文化教養学術インフラです。阪神大震災の朝、取次のトラックはみな被災地の書店まで、六甲山を北や西から越え迂回して、運び込み届けたのです。インフラ代表の電話回線網は不通でした。しかし到着しても書店はどこも営業していない。倒壊している店もある。しかし運転手は非常時の裏道を知りぬいている。恐るべき、本雑誌を運ぶ運転手の使命感です。これぞプロです。インフラを担うとは、そこまでの覚悟と勇気が必要です。

 いま晩酌しながら書いていますので、いつもの通り、作文につい狂いが起きています…。しかしそれはさて置いて、特に文化インフラが大幅に転換進化するとき、冷静に社会への長期的損害利益を考慮しないと、経済利益や統治を追求する私企業や組織に、基盤を揺るがされかねない危険があります。
 定価販売の再販制なり委託制度、40%近くもある高い書籍雑誌の返品率。出版業界には問題が多々ありますが、日本の文化・学術・教養・娯楽を支えてきた書籍雑誌の文化インフラを、一朝一夜にして瓦解や、あるいはいびつに歪曲させては、後世に大きな問題を残すことにもなりかねません。アナログとIT出版の共存の道こそ、あるべき姿と考えます。

 まわりを見ても、携帯電話を持っているが、番号の短縮登録やメールを一切しない。そのような方はたくさんおられます。決して、高齢者ばかりとは限りません。わたしもデジタルカメラ映像をブログに取り込めない。リンク先を貼り付けできない。情けないですが、恥ずかしいことではないと、自分を慰めています。
 当たり前のこととしてPCやITのことなら、たいていのことが自由自在にできる、それは少数派のひとたちです。多数のひとはITの進化に、ますます追い付けなくなるでしょう。オールデジタル時代に近づけば、文化棄民がたくさん生まれるかもしれません。そうすると、社会にストレスが増すだけです。ITの進化は、幸せを産むだけではありません。
<2010年8月3日>
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電子書籍元年2010 №6 「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」中編

2010-08-02 | Weblog
 中西秀彦著『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』(印刷学会出版部発行)紹介の続編です。そもそもこの本が出版されたと知ったのは、京都新聞7月28日朝刊のインタヴュー記事でした。タイトルは「電子書籍普及は知性のデフレ」
 早速、PCで本屋の書籍検索で調べたのですが、出てこない。あれっ? 版元は印刷学会出版部で、書店には入荷するはずです。しかし印刷部数がわずか1500部と記されている。実に少ない部数です。そのせいで検索に引っかからないのか? どちらにしろ、中西印刷に行けば売ってくださるだろう。その日のうちに伺い、1階の無人受付の電話で「本を、売ってください」
 どうも書店発売は、翌日だったようです。書誌データが、まだアップされていなかったのでしょう。1日、得をした気分です。
 さてきっかけの京都新聞記事を、個人的見解を加えてご紹介しましょう。

 「電子書籍化は急速に広まるであろう。そうすると紙の本と違って、出版社への返品がなくなり、質の低い本が増える可能性がある」
 わたしも同感です。返品という出版社のリスクがなくなれば、粗製乱造、いっぱい作ればどれかが当たる。まあいえば玉石混交のロングテールの世界になってしまう可能性があります。たとえば、俳句集や自分史、日記、孫の写真集、小学生の自作画集、手作り絵本…。これまでなら自費出版か私家版、あるいは写真なら昔ながらのアルバム帳、たった1冊だけの手描き絵本、それらが電子書籍になり、市場に流布させることも可能である。
 そうなれば、出版の大洪水がはじまる。また紙本を希望すれば、1冊でもPODで印刷してもらえる。1億「総著者」の時代が来そうです。「本を出版しました!」と、にわか著者が言っても、自慢にもならなくなってしまいます。「何冊、紙で出したの?」と聞くのが、紙からデジタルへの転換期には、確認するべき必須事項になるかもしれません。
 著者と認知されるざっとの印刷部数目途は、500部以上くらいでしょうか。それも総ページ数によります。薄い冊子体なら、500部でも経済的負担は軽い。

 「印刷会社は仕事が激減する。これからは、紙と電子の両方で出版する本を増やすことを提唱する。そして、必要な数だけ刷るオンデマンド印刷など、これからの印刷業界はデジタル化に対応する必要がある。それと、これまで本を作ってきた印刷会社が、実は電子書籍制作のノウハウを持っている。印刷業界が電子書籍の企業と直接取引できる立場にいるのである」
 確かに大日本印刷DNPがしゃかりきになっているように、出版にかかわっている印刷会社はみな、電子書籍をつくれる。ところが、紙書籍雑誌の問屋である取次、そして書店は、いったいこれからどうなって行くのでしょう?

 「電子書籍の普及によるペーパーレス化は知性のデフレを起こす。電子化への抵抗は難しいが、紙の本の魅力をあらためて認識してほしい」
 紙本には魅力が十二分にあります。しかしこれまで以上に、電子に押されどんどん減るでしょう。百科事典や「知恵蔵」「イミダス」などは「ウィキペディア」に負け、時刻表も激減。道路マップはカーナビに完敗し、一般地図もヤフーでこと足りるらしい。新聞がなくとも最新のニュースはネットで即刻、得ることができる。コミックは携帯電話でみるひとが、ずいぶん増えた。そして情報誌も、インターネットに対抗するのがたいへんな状況です。

 さてここまで書いて来て、本来の中西秀彦著『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』本文の紹介が、さっぱりできておりません。今回を中編とし、次回に後編を書こうかと思っています。ご容赦ください。
<2010年8月2日>
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電子書籍元年2010 №5 「我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す」前編

2010-08-01 | Weblog
 京都府庁の西となりに、老舗印刷屋があります。創業慶応元年1865。木版・活版・電算写植…。常に時代の先端を走ってきた印刷会社です。新時代に向けた変革進化は「京都の奇跡」とよばれてきました。社是は「印刷を通じた文化学術への貢献」
 1990年代半ばには、文化学術の発展はこれからは紙ばかりではなく、インターネットにあると判断。1999年からオンラインジャーナル事業を開始した。現在、日本のオンラインジャーナル市場では他社の追随を許さないほどに、事業は発展している。:同社ホームページ参考

 中西印刷専務の中西秀彦氏が最近、新著を上梓された。『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』2010年7月刊・印刷学会出版部発行・組版印刷製本:中西印刷。
 なんとも過激なタイトルですが、印刷出版業界の論客としても知られ、同社の活版活字を1992年に全廃、電算化したのも中西秀彦氏です。中西印刷にしかない特殊活字、たとえば西夏文字までもが、電算写植に転換された。

 先代の中西亮社長(1928~1994)は世界中の文字を集めた研究家・コレクターとしても有名な方でした。なお亮氏は秀彦氏の父上。
 文字は「各国各民族の歴史的・宗教的・言語的所産、すなわち文化の結晶そのものであるといってよい。/各民族の文字の美しさ、多様性に魅せられて、私はここ二十五年来世界の各地を旅して来た。文字使用の実際を自分の目で確かめ、文字の標本―特に手写本を自分の手で集めるためである」:中西亮著『文字に魅せられて』1994年刊・同朋舎出版発行。
 中西亮氏の海外の旅は、57回におよび、訪れた国は110カ国をこえる。彼の没後、膨大な文字コレクションは国立民族学博物館に寄贈された。数多くの印刷文献、全世界の新聞など、それらは生きた文字資料といわれています。
 
 秀彦氏も父君同様に、文字・活字そして紙印刷への思いは深い。しかし手をこまめいていては、紙印刷屋なかでも出版に頼る印刷屋は、電子化の流れの中で凋落してしまうであろう。秀彦氏の新著とブログ「フロム京都」から抜粋引用してみます。
 「電子書籍は脅威です。紙の本よりもはるかに魅力が多い。検討すればするほど、電子書籍の発展は間違いないと考えるのです。だからこそ『抵抗勢力』に(出版印刷業・印刷屋として)ならないといけないわけです。圧倒的な脅威があるからこそ、抵抗しなくちゃならない」

 電子書籍元年といわれる日は、とっくの昔にはじまっていた。活字が消えたとき、活版印刷が終わったとき、実は紙の本は終わっていた。手書原稿、鉛の活字、それら物質物体は、情報としては何の役にも立たなかった。「ところが、ワープロやDTPの画面は印刷の中間形態であるとはいうものの、画面の上で読もうとすれば読めてしまう。情報になりうるのである。情報媒体が紙である必然性がそのとき失われた」
 「このままでは電子書籍の魅力を語れば語るほど、書店や印刷会社すべてが電子書籍への抵抗勢力となってしまう危うさを感じる。もちろん、私自身も含めてだ。あえて出版社とはいわない。彼らはコンテンツビジネスでしたたかに生き抜いていくだろう。/私は電子書籍の利点や有効性を露も疑ったことはない。むしろ電子書籍が失敗を続けていた頃からずっと関心をもって見守り続け、電子書籍に愛着を感じてさえいる。逆説的だが、愛情あればこそ現状の動きには警鐘を鳴らしたいのだ。抵抗勢力との闘争の中で電子書籍が出版や本もろとも滅んでしまうこと、これだけは避けたい」

 また文章が長くなってしまいそうです。著書『我、電子書籍の抵抗勢力たらんと欲す』については続編で、近いうちに記載します。なおこの本を書くにあたって、中西さんは中高生のふたりの息子さんに助けられたと記されています。特にゲーム、アニメ、若者向け動画技術など、確かにおじさんは、時代の先端を行く子どもにはかないません。
 読了しての感想は、家庭味まで感じる軽妙にして最新先端を行く警書、未来の展望方向を示唆してくれる優れたガイドかつアドバイス書、そのように感じました。それでは、続編はまた。
<2010年8月1日>
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