ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

若冲 五百羅漢 №5 <若冲連載23>

2008-11-30 | Weblog
椿山荘の羅漢 (3)

 若冲の石像羅漢像を所望した小松宮彰仁親王について、略歴をみておきましょう。彼は親王家筆頭の伏見宮家邦家親王の第八子として、弘化三年(一八四六)に生まれました。安政五年(一八五八)に親王宣下、仁和寺門跡となります。幕末動乱のなか、慶応三年(一八六七)十二月に天皇より復飾を命ぜられ、環俗して嘉彰と称し議定に任じられました。翌慶応四年・明治元年には軍事総裁、ついで外国事務総裁、海陸軍務総督、兵部卿、会津征討総督。そして陸軍大将などをつとめました。明治十五年(一八八二)に小松宮に改称し、名を彰仁に改めます。日清戦争では参謀総長有栖川宮熾仁の薨去により、後任を命ぜられます。このふたりは、ともに維新と明治前半期の軍を象徴する宮でした。
 錦の御旗をひるがえした両宮の江戸進軍を歌にしたのが日本初の進軍歌「風流トコトンヤレ節」。宮サンとは、有栖川宮熾仁親王と小松宮彰仁親王、ふたりの宮です。歌は、長州藩士の品川弥次郎がつくったといいます。♪宮サン宮サン…オ馬ノ前デ、ヒラヒラスルノハナンジャイナ…アレハ朝敵征伐セヨトノ錦ノ御旗ジャ知ラナイカ…トコトンヤレナ。
 小松宮家本邸は、はじめ神田駿河台にありましたが後に赤坂葵町に移ります。そして宮は晩年に浅草区橋場に別邸を構えます。京都別邸は丸太町通川端東入ル、現在は天理教河原町大教会になっている広大な土地にありました。最初この屋敷は桜木御殿と呼ばれ近衛家抱邸でしたが、小松宮に譲られ、明治二十年代には山階宮家に移り、明治三十三年に天理教が購入しています。
 宮がこの邸宅を手放したのはおそらく別邸「楽寿園」の建設のためであろうと思います。明治二十四年から翌年にかけて築造された静岡県三島市の楽寿園は、じつに広大な庭園、豪邸です。現在は三島市立公園になっています。しかし不思議ですが、宮の本邸跡にも別邸跡にも一切、羅漢たちの痕跡がありません。なお晩年、京都では旅館川田別邸などを常宿にしていますが、この旅館はいまはありません。
 小松宮は明治三十六年二月十八日に没す。死因は過労が原因の脳充血発作でした。前年には体調不良をおして、英国皇帝戴冠式参列のために明治天皇の名代として渡航しています。行年五十八歳、国葬で送られました。
<2008年11月30日 南浦邦仁>
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若冲 五百羅漢 №4 <若冲連載22>

2008-11-26 | Weblog
椿山荘の羅漢 (2) 

 同日付けの似た文書がもう一通あります。要訳しますと、石峰寺境内山上にある石造五百羅漢のうち、数十一体を小松宮彰仁親王がご所望につき献上したく、組寺、法類、檀信徒は協議し合意しましたので、連署をもってお願い申し上げます。―ただこの文書には、破砕のため当寺は維持が困難である旨の文言はありません。
 署名捺印は前記と同じで、阪田拙門、石岡幸次郎、玉田安之助、石田喜助、雨森菊太郎、辻無染、荒木太觀。記載事項に相違なしとして林田翠巌。宛名は黄檗宗管長堂頭大教正吉井虎林です。
 当然、府知事は承諾したでしょう。宮様が所望し、関係するすべての寺が、檀信徒総代全員も同意しているのです。ただ京都府に問い合わせたところ、受理された文書は現在見当たらないとのことでした。しかし間違いなく、羅漢石像数十体は宮家にもらわれていったはずです。
 さて椿山荘ですが、明治期は維新の元勲・山縣有朋邸でした。その後、大正期に新興財閥の藤田組に譲られた敷地面積一万八千坪、広大豪壮な庭園邸宅です。藤田組の創業者は男爵藤田伝三郎、長州出身の政商でした。彼は明治十年(一八七七)の西南戦争で巨利を得、本拠が同じ大阪の住友家にも比肩する財閥を、一代で築いた英傑です。椿山荘は現在、藤田観光のホテルで、深い森に囲まれた都心の別天地として有名です。
 小松宮は羅漢像を石峰寺から譲渡された後、三年ほどへた明治三十六年に亡くなりました。その後、羅漢たちは山縣有朋の手に渡ったのでないか。そして藤田が引き継いだのだろう、と筆者は推測したのですが、実はそうではなさそうです。
<2008年11月26日 南浦邦仁>

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若冲 五百羅漢 №3 <若冲連載21>

2008-11-24 | Weblog
椿山荘の羅漢 (1) 
 東京の椿山荘にも若冲の石造羅漢像が、いまも十九体あります。江戸時代に京都深草でつくられた石像羅漢が、なぜ東京にあるのか。最初知ったとき、不思議でした。若冲の石像は江戸時代には、京都から流出していません。
 椿山荘の羅漢は石峰寺と同じく、若冲の下絵にもとづき、あるいは素石に彼が線を墨で描き、石工によって彫られた石像に違いありません。大きさや姿形石質、伝承ともすべて一致します。
 ところで、これと関わりが推測される文書が、黄檗山萬福寺に残っています。若冲没後、ちょうど百年にあたる明治三十三年(一九〇〇)、京都府知事宛書状の控写しです。なお文書には関係者全員が自署捺印しています。

羅漢献上之儀ニ付御願 
京都府下紀伊郡深草村石峰寺   
一當寺境内山上ニ有之石像五百羅漢之内数拾壱体
小松宮殿下御所望ニ付取調候処尤モ全体無之且大意ニ破摧シ當時維持困難ノ折柄幸ヒ
殿下御所望速ニ献上仕度依テ檀信徒及組寺法類等逐協議候処双方異儀無之仍而連署ヲ以テ上願仕候間何分ノ御指令相成度此段願上候也
明治三十三年六月廿八日
右石峰寺住職 阪田拙門 
右寺檀信徒総代
 石岡幸次郎 
 玉田安之助
 石田喜助
 雨森菊太郎
仝 京都府下上京區鞍馬口 閑臥菴住職 法類 辻無染
仝 京都府下紀伊郡堀内村海宝寺住職 組寺 荒木太觀
仝 郡仝村 聖恩寺住職 第十五區 黄檗宗務取締 林田翆巌
京都府知事高崎親章殿
<2008年11月24日 南浦邦仁>
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狛猪 こまいのしし

2008-11-16 | Weblog
 京都御苑・御所の西隣、烏丸通りに面して、護法神社があります。明治19年に皇居守護の神社として、神護寺からここに移転して来ました。主祭神は、和気清麻呂です。面白いのが、この神社の狛犬が、犬ではなくイノシシであること。
 本殿前の狛猪は明治時代の作のようですが、烏丸通りに面する鳥居前の一対の猪は新作で、肛門の描写が実に鮮やか。菊紋に見ごたえがあります。
 肛門科のお医者さんにこの話をしましたら、「チェックに行ってきます」。専門家の目から観察し、文章にまとめてみようかと、いっておられました。ところでイノシシもひとも、その箇所は同じ文様でしょうか?

 かつて769年、道鏡が皇位を奪おうとしたとき、和気清麻呂は宇佐八幡宮の神託をもたらし、道鏡の野心をくじいた。そのために大隈に流されたが、流浪のとき、清麻呂を守護したのがイノシシの一群だったという伝承から、清麻呂と猪とは切っても切れない縁になったそうです。

 もうひとつ、狛猪は東山・建仁寺の仏堂「摩利支天堂」にあります。摩利支天は護身・勝利などをつかさどる神です。武神とされるこの神は、猪に乗る姿でよく描かれます。
 清麻呂も、もしかしたら摩利支天信仰とのからみで、イノシシと結びつけられたのではないでしょうか?
 ところで建仁寺・摩利支天堂の狛猪の肛門ですが、まだじっくりとは見ておりません。訪れたのがいつも夜だったためです。暗くてよく見えませんでした。一度、昼間に観察に行きたいものです。
<2008年11月16日>
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若冲 五百羅漢 №2 <若冲連載20> 

2008-11-14 | Weblog
吉井勇の若冲「五百羅漢」(2) 
 吉井が京都に住みついて、静かな晩年を送ることが出来るようになったのは、この太腹羅漢をみてから、人生というものに対する考えが変わったためではないだろうかといいます。ゆきずりの住居と思っていた京都に、ずっと長く住みつき、ここを終のすみかとするようになったのも、あるいは羅漢たちが、離してくれないからではないか。石峰寺の羅漢と何か因縁があるのではないかと、彼は記しています。
 京都北白川に越して来、その翌月に羅漢たちにはじめて出会ってから二十二年の後、昭和三十五年十一月十九日寂。かつて羅漢の夢をみた、同じ京都大学病院の病床で息をひきとりました。最後の言葉は「歌を……。歌を……」。来迎の羅漢たちに、彼は話しかけたのではないかと思ったりします。享年七十三歳。
<2008年11月14日 南浦邦仁>

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若冲 五百羅漢 №1 <若冲連載19>

2008-11-11 | Weblog
吉井勇の若冲「五百羅漢」(1)  
 深草伏見稲荷のすぐ南に黄檗の禅寺、百丈山石峰寺(せきほうじ)があります。江戸時代の画家、伊藤若冲が寛政十二年(一八〇〇)九月十日に没し土葬された墓と、三十三回忌に建てられた筆塚が、境内の見晴らしのいい一角にたたずんでいます。彼は晩年、亡くなる八十五歳の年まで三十年近い歳月、心血熱情をこの寺に注ぎました。石峰寺は、若冲の遺作である石像五百羅漢で有名です。かつて歌人の吉井勇は、若冲の五百羅漢をこよなく愛しました。吉井の随筆に「羅漢の夢」があります。
 うとうとしているとわたしは、ひとつの不思議な夢を見た。それはいかにも伏見の石峰寺の裏山らしい。どっちを向いても石の羅漢だらけで、目を閉じているもの、腕を組んでいるもの、口を開けているもの、寝ころんでいるもの、立っているもの、あぐらをかいているもの、首をかしげているもの、空を仰いでいるもの、うつむいているもの、このほかありとあらゆる形と顔つきとをした羅漢が、そこら一面に群がっていました。それが何かの拍子にいっせいにこっちを向いて、大きな声を立てて笑った、と思ったら夢が覚めました。
 羅漢図をうつらうつらに描くなり病めば心も寒きなるべし

 昭和十七年六月二十六日の夢ですが同月五日、吉井は盲腸周囲炎のために京都大学病院に入院。そして月なかばまで危篤におちいり、生死の境をさまよったのです。彼はこの夢を回復直後、洛東の病床でみました。小さな自分というものが、何か大きなもののなかに、楽しく融け込んでいく思いを体験したといっています。
 東京人の吉井がはじめて石峰寺を訪ねたのは、昭和十三年十一月、京の北白川に越してきた翌月、歌の友数人に案内されてのことでした。「わたしの目を驚かしたのは、その落葉におおわれた丘のうえばかりでなく、すぐ近くの深い谷間にまで、累々として横たわっている、無数の石の羅漢像であった。わたしは遠く愛宕につづく西山に落ちかかっている秋の日を眺めながら、立ったり、倒れたり、坐つたりしている羅漢像を、この世を離れた仙境にでも来たような心持で、ひとつびとつ見て歩いた。」

 質の粗い石にごく稚拙な手法で彫ってあるので、長い年月の間に櫛風沐雨(しっぷうもくう)、磨ったり、欠け損じたり、あるいは苔が生えたり、土に埋もれてしまって、いまではもう原形をとどめないものも多い。吉井は、かえってその方が飄逸洒脱(ひょういつしゃだつ)な味があるといいます。
 そして、なかでも彼が最も親しみを感じたのは、悠然と坐って大きい腹を撫でるような格好で空をあおいでいる羅漢でした。
 みずからの命楽しむごとくにも 太腹羅漢空を仰げる

 なおこの石、白川石は京都東山・白川の山中でとれる石材です。岩質のあらい、風化しやすい花崗岩です。おそらく若冲は、歳月とともに丸みを帯びる石を、あえて選んだのではないでしょうか。石や岩ですら、永遠不滅ではないのです。いつかは砂に、かえっていきます。
 ご住職に聞いたのですが、コケが大敵だそうです。苔が石をすこしずつ砕いていくとのこと。防止するには、ピンセットで一本ずつコケを引き抜く。石像は五百体をこえますので、この作業は気の遠くなるような話しです。訓練をうけた多人数のボランティアが集まらなくてはできない業です。あと二百年もしないうちに、石像はほぼすべてが、単なる石ころになってしまうと聞きました。嘆息…。
<2008年11月11日 南浦邦仁>
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重山文庫

2008-11-02 | Weblog
 畏敬する友人の西村さんから、メールが届きました。
「重山文庫のこと、ご存知?」
 聞いたことはありますが、訪れたことはありません。西村さんの文を引用しますが、博学多識の代表のような方です。

「京都は、鞍馬口烏丸を少し西へはいったところにあります。ここは、広辞苑でおなじみの新村出さんの旧宅です。今、この文庫の主は、堀井令以知さんです。言語学者で元関西外国語短大の先生です。お元気ならば、毎週金曜日にこの文庫に顔を出されています。是非一度、訪問されては如何でしょう。この家は、明治の元勲だった木戸さん(桂小五郎)の鴨川沿いにあった家を、新村博士が移築されたものです。毎年、言語学の分野で注目すべき論文に新村出賞として、表彰していますが、その選定会議はここで行われています。この文庫は、出来てから30年近くになりましょう。」

 重山は「じゅうざん」かと思っていました。ネットで調べてみると「ちょうざん」です。新村先生の名「出」は、父親が転勤で山形から山口に移られてまもなく誕生し付けられた。山形の山と山口の山を重ねての「出」である。雅号の「重山」は「重なる山」。重山は中村知常翁の命名。
 新村先生は記しておられる。「この号はチョウザンと読み、すでに天台の『止観』に出典がみえたりして朗読や謡曲『班女』などにも『月重山に云々』と出て来て、よくも付けられたものだと中村翁を徳として偲ぶのである」

(財)新村出記念財団(重山文庫)
 京都市北区小山中満町19
 電話 075-441-7613
 開室 月曜・金曜(祝祭日は休み)
  10時~12時 13時~16時

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