ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

北朝鮮と金正恩氏のこれから

2014-12-30 | Weblog
 アメリカでコメディ映画「ザ・インタビュー」が物議をかもし、大好評だそうです。北朝鮮サイドは抗議していますが、さてこれからどのように展開していくことでしょうか。
 気になるのはロシアです。人道支援として露は北に小麦約2万3千トンを12月に送りました。10月にもほぼ同量を提供しており、あわせて5万トン近くになります。

「ロシア外務省によると、支援は今夏の北朝鮮の干ばつによる不作を補うもので、北朝鮮側は『固い善隣関係の証し』と謝意を示したという。核開発により中国との関係が冷え込む北朝鮮は対ロ関係発展に取り組んでいる。」(日経新聞12月26日)

 ところで日本の小麦の国内生産量は年約60万トン、輸入と合わせて国内消費は約600万トン。北朝鮮に送られた5万トンは一見少ないように思えますが、北の少ない人口や貧しい食生活を考えると、かなりの量であろうと思います。小麦粉は、パン、めん、スパゲッティ、菓子などたくさんの食品に加工されています。日本人ひとり当たり消費量は年30キロ以上。

 講談社「現代ビジネス」2014年12月28日付けが北朝鮮の現況を伝えました。
タイトルは「あぁ金正恩『北朝鮮に神様はいない』餓死と粛清で遺体だらけの廃墟」
「週刊現代」2014年12月27日号掲載を転載いたします。


<やることなすこと愚策ばかり>
 「華やかなのは市中心部の蒼光通りや栄光通りだけで、東平壌には巨大な貧民窟が広がっていました。真冬だというのに、通りには腐臭が立ちこめている。そして、地区の役場の職員たちが総出で、のたれ死にした遺体の処理をしていた。氷点下20度近い極寒の中、暖房もなく、食糧もなく、ついに首都・平壌まで、廃墟が広がり始めたのです」
 こう証言するのは、このほど2年ぶりに平壌を訪れた朝鮮族の中国人実業家だ。「平壌だけは欠かさない」としていた食糧配給も、いまやすっかり途絶えがちだという。
 「そもそも金正恩が指導した'09年末の通貨改革の失敗で平壌市民への配給が不可能になり、平壌市の面積を4割削減して、人口を220万から180万に減らしました。それでも配給できなくなったため、今年4月に、さらに市の面積を縮小し、人口を150万に減らした。今回は、ついに100万まで減らそうとしているそうです」
 首都・平壌でさえこのような体たらくなので、地方はさらに悲惨な状況が広がっていると推察される。
 このような大量の餓死者、凍死者に加えて、粛清の嵐も吹き荒れている。韓国の情報機関である国家情報院幹部が明かす。
 「12月12日に、ナンバー2だった叔父の張成沢・党行政部長を処刑して丸1年が経ちましたが、金正恩はいまだに、張成沢に関係のあった幹部の粛清を続けています。その数は2000人とも3000人とも言われます。張成沢の姉の夫である全英鎮・駐キューバ大使一家、兄の息子である張勇哲・駐マレーシア大使一家も、このほど処刑されたことが確認されました。
 朝鮮人民軍の幹部に対しても、相変わらず粛清が続いています。12月8日には、李炳哲空軍司令官が失脚したことが確認されました」
 そんな「不穏な空気」の中、12月17日に、金正日総書記が死去して3周年を迎える。遺体が眠る錦繡山太陽宮殿では、金正恩第一書記が盛大な追悼式典を主催し、朝鮮労働党と朝鮮人民軍の幹部らを引き連れて出席。偉大な父親の遺訓である「先軍政治」(軍最優先政治)の重要性を、改めて説く。
 実際、金正恩は12月に入って、1日に砲兵部隊、4日に軍1313部隊、8日に空軍部隊、13日に海軍潜水艦部隊を視察したことが報道された。秋には左足の足根管症候群の手術を受け、40日間も動静が伝えられなかったが、極寒の中、再び旺盛な視察を開始しているのだ。
 「それはシリアとイラクで猛威を振るっているイスラム国という『新たな仲間』を見つけたからです。北朝鮮に兵器の大量注文が来て、金正恩はにわかに目を輝かせているのです」(前出・国家情報院幹部)
 だが、すでに党や軍の幹部たちの離反が起こり始めているという。前出の朝鮮族実業家が続ける。
 「北朝鮮幹部が酒の席で、声を潜めて『モンウン』という聞き慣れない単語を口にしたのです。確認すると、『マヌケな正恩』の略語で、いま平壌で密かに流行語になっているそうです。これまでは同胞である私に向かってとはいえ、最高指導者の悪口など聞いたことがなかったため驚きでした」
この実業家は、「モンウン」が最近行った次のような〝愚策〟を聞いたという。

〈幽霊スキー場〉
「冬季五輪が開催できる施設を作れ!」との正恩の鶴の一声で、昨年末に3億ドルもかけて、元山市郊外にプロスキーヤー向きの巨大な『馬息嶺スキー場』を完成させた。だが高い入場料を払って難易度の高いスキーを楽しむ国民はおらず、大赤字に泣いた。
すると正恩、今度は「一般庶民も楽しめるスキー場を今年中に作れ!」と指令。両江道三池淵に、10万人以上の朝鮮人民軍を動員してスキー場増設工事が始まった。だが零下20度以下の真冬の突貫工事のため、凍死者が続出している。

〈携帯電話狩り〉
 全国で250万台まで広がりを見せている携帯電話だが、北朝鮮製携帯電話は国内通話しかできない。そんな中、正恩は「中国製携帯電話を国境付近に持ち込んで、国家の恥部を中国人に電話で密告する輩がいる」として、中国との国境付近に特殊なアンテナを張り巡らせ、携帯電話の発信源が特定できるようにした。ところがなけなしの国家予算をつぎ込んだこの高価なアンテナは、中国製と北朝鮮製携帯電話の電波の区別がつかず、無用の長物と化している。

〈外国製タバコ禁止令〉
正恩が最近、「幹部の愛国心が足りない」と激昂し、外国製タバコ禁止令を出した。だが自分だけは相変わらず、カルチェのメンソール入りタバコを常に吹かしていて、年長の軍幹部らから顰蹙を買っている。

<経済破綻でも贅沢三昧>
このような「凍土の共和国」(北朝鮮)は、いまや国家破綻の一歩手前まで来ている。前出の国家情報院幹部が解説する。
「経済発展の目玉政策だった羅先と黄金坪の二つの中朝経済特区は、北朝鮮側責任者だった張成沢党行政部長が処刑されたことで全面ストップ。頼みの石炭輸出も、5年前と較べて価格が半減し、ボロボロです。加えて、11月18日に国連人権委員会が人権抑圧の非難決議を出したこともあり、海外からの人道支援は10年前の1割に縮小しました。
 それでも金正恩は国民に向かって、『食糧がなかったら魚を捕って食え』などと指令を出している。北朝鮮では漁船だって党と軍の所有なので、一般国民に魚は行き渡りません。そのくせ金正恩は、大量の外車購入や専用映画館の建設など年間6億ドルも自分の家族用に使い、かつ年間1億ドルの予算を金ファミリーの偶像崇拝のために使っているのです」
金正日・金正恩親子に長年、傍で仕えてきた人物が証言する。
 「いまや正恩に忠誠を誓っているのは、今年二人目の子供を産んだ美人妻の李雪主と、朝鮮労働党副部長に昇進した妹の金与正だけという有り様です。このままでは来年、軍幹部がクーデターを起こすでしょう。『北朝鮮に神様はいない』と言われますが、金ファミリーは朝鮮労働党創建70周年にして崩壊です」

 偶然にも、アメリカでクリスマス休暇に、「金正恩暗殺」をテーマにした映画『ザ・インタビュー』が公開となる。CIA(米中央情報局)の指令を受けたトーク番組の司会者とプロデューサーが、金正恩暗殺計画に加わるというストーリーだ。3000万ドルもかけて製作され、来年までに世界63ヵ国・地域で上映されるという。
 11月末には、製作会社のソニー・ピクチャーズが、北朝鮮からと思しきハッカー攻撃を受けたことで、早くも話題を呼んだ。だが現実に、「金正恩暗殺」の「Xデー」は、刻一刻と近づいているのである。

<中国は金正恩を更迭し、中国在住の実兄金正男を次のトップに据える予定といいます。2014年12月30日>
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物言う魚 第5回<中国の霊魚>

2014-12-27 | Weblog
中国の洪水神話もよく知られているが、昔話の十人兄弟も興味深い。人民を万里の長城建設で酷使し苦しめた秦の時代。始皇帝によって、刑として六男が海に放り込まれる。大男の九男が兄を救い、30キロほどもある大魚もとらえる。そして九男はひとりで大魚を食べてしまう。空腹だった末弟は食べられず悔し泣きをする。すると涙が大雨、そして大水になり、あっという間に万里の長城を押し流してしまった。始皇帝も大水のために海まで流され、スッポンの餌食になってしまった。そういう愉快な古い昔話が残っている。霊魚を食したばかりに大水害が起こる。

 四千年以上も昔、中国はじめての王朝の始祖は㝢(う)とされる。古い書や金文では、㝢は洪水を治め、黄河流域に夏王朝をはじめたと記されている。白川静は「画文として多くみえる人魚のモチーフは、洪水神禹の最初の姿であろうと思われる。禹はもと魚形の神であった」。『山海経』に、禹は「その人たるや、人面にして魚身、足なし」とある。
 中国でも長江(揚子江)寄り、漢水流域や南方一帯などには「伏羲と女媧」(ふっき・じょか)の洪水神話がある。洪水神は竜形の神とされ、両神は人頭蛇体、蛇の絡み合った「交竜」図として有名だ。また伏羲は「葫芦」(ころ)、すなわち「ひさご」ヒョウタンでもあり、大洪水を逃れた女媧はこのヒョウタンの中で生き延びた。「伏羲の原型はこの<ひさご>であり、それは箱舟型の洪水神話であったとみられる」と白川静は『中国の神話』に記している。
<2014年12月27日 南浦邦仁>

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物言う魚 第4回<古代インドの霊魚>

2014-12-20 | Weblog
ところで世界最古級と考えられる洪水の「霊魚」のことは、インド神話に記されている。魚の名はガーシャという。この神話の誕生は、一万年前に近い昔と考えられる。
 ある日の朝、人間の祖先であるマヌが水を使っていると、一匹の魚が彼の手の中に入った。その魚は、洪水(海進)が起こって生類を全滅させるであろうと予言し、その時にマヌを助けるから自分を飼ってくれと頼んだ。マヌは言われた通りにして魚を飼った。その魚は大きくなり、マヌはそれを海に放った。その際、魚は洪水が起こる年を告げ、その時には用意した船に乗って自分から離れずに来るようにと言い残した。
 果たせるかな、魚が予告した年に洪水が起こった。マヌが船に乗ると、大魚ガーシャが近づいて来た。マヌはガーシャの角(つの)にロープで船をつないだ。魚は北方の山、ヒマラヤでマヌを下ろした。マヌは魚に言われたように、水が引くに従って少しずつ下に降りた。その場所は「マヌの降りた所」と呼ばれている。洪水はすべての生類を滅ぼし、この地上にマヌだけが残った。しかしその後、ひとりの女性(マヌの娘)が現れ、ふたりは人類の子孫の祖となる。

 マヌの物語について、『インド神話』訳者の上村勝彦は「この洪水伝説は旧約聖書の箱舟を連想させる。それはまた、バビロニア、更にはシュメールの洪水伝説にさかのぼる。洪水伝説はギリシアや北アメリカ大陸にもあり、その他、チベットやネパールなど世界各地の神話に見出されている」
 旧約聖書の「ノアの方舟」は大洪水の神話として有名だが、ノアに海進である大水害のことを教えたのは、主ヤハヴェである。一神教では神の魚など登場しない。神は唯一、主のみである。
 しかしこの神話は古代メソポタミアの洪水伝説を祖型としている。旧約聖書が誕生する数千年前、シュメール時代にすでに同様の話が、粘土板に楔形文字で刻まれていた。
 約五千年前の『ギルガメシュ叙事詩』では、王ギルガメシュに「洪水に備えて箱船をつくれ」と教えたのは、多神教世界の神「エア」だった。エア、別名エンキはシュメール神話世界の神のひとりだが、上半身は人間、下半身は魚で魚の尾をもつ魚神である。この洪水神話の原型は、すでに六千年ほど前に記されている。
<2014年12月20日 南浦邦仁>
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物言う魚 第3回<馬鹿のハンスの霊魚>

2014-12-14 | Weblog
柳田國男は「物言ふ魚」で、ジェデオン・ユエ著『民間説話論』を取りあげている。グリム童話「ハンスのばか」は構造に欠陥がある不完全な童話であるという。その原型は、ユエが紹介している完成形の昔話であるとしている。
 霊魚を助けた人間は、願い事、望むことが何でもかなうという不思議な力を与えられる。この伝説昔話は西欧、南欧さらにはロシアに広がっている。またシベリアや蒙古にも痕跡がある。そのようにジェデオン・ユエはいう。以下、グリムが採集した話をユエが補正し、完成させた物語である。

 昔、貧しくまた醜く、大馬鹿の若者がいた。彼は釣りに出かけ、不思議な魚をとった。この魚は話ができ、「もしわたしを水にかえしてくれれば、あらゆる願い事がかなう才能を授けてあげましょう」。若者は魚を水に投げかえした。
 帰路、王城の前を行く若者の醜さと間抜けた様子に、王女が窓から馬鹿にして哄笑した。腹をたてた若者は、口のなかで「お前は妊娠すればよい!」。すると魚との約束にしたがって、彼の願いはかない、姫は身ごもってしまった。
 父の王は訳がわからず怒り、娘を牢に入れてしまった。そして赤ん坊の王子が少し大きくなるのを待って、赤子の父親探しの計画を立てたのである。乳母に抱かれた子を宮殿の広場に置き、町のすべての青年を行列させて進ませるというテストである。子どもは惨めな様子をした醜い若者、この馬鹿な男をだけ指差した。そう、父はこの若者である。
 父親はまたも怒り、王女と青年と幼児を、樽に詰めて海に投げ捨てさせた。狭い樽のなかで王女はハンスに聞いた。「どうして知りあいでもないあなたが、わたしの子どもの父親なのですか」。若者は魚の話を語り、かつて窓辺の姫に怒り、はらめと口にしたばかりにこの子が産まれたと言った。
 「では、あなたの願いは何でもかなうの?」「樽が近くの海岸に早く着くようにお願いしてよ」。岸に辿りつくと今度は「樽が開くように頼んでちょうだい」
 「立派な宮殿がここに建つようにお願いしてよ」。そして「あなたが美しくなるように、あなたが利口になるようにお願いして」。すべて実現するのであった。
 国王も王女の智恵で、自らの過ちに気づき和解がもたらされた。そして美しく才気あるようになった若者は、国王の婿となり、その後王位の継承者となった。

 グリムの「ハンスのばか」はこの話にそっくりだ。ところが大切なポイントである霊魚が出て来ない。なぜ青年が特殊な能力を得たのか、その説明が欠落している。
 また不思議なことに「ハンスのばか」はほとんどのグリム童話集から除外されている。ドイツ文学者の吉原素子、吉原高志両氏によると、この話はグリム童話集の初版にのみ掲載されている。1812年にグリムがカッセルで、ハッセンプフルーク家の姉妹から聞き取った。しかしグリムは「ハンスのばか」を、フランスの話でありドイツの昔話ではないと推測し、第2版以降は省いたと吉原はいう。
 ハンスはなぜ不思議な能力を手にすることができたのか? グリムには謎だったのではなかろうか。グリムは、霊魚がハンスに力を与えたことを知らず、この話の決定的な弱点、完成度の低さから第2版以降は削除したのではないか。そのようにわたしは思っている。

 ヨーロッパはじめ各地の物言う魚について、柳田國男は次のように記している。現代語意訳で引用する。
 近ごろ読んでみたジェデオン・ユエの『民間説話論』にグリム童話集の第五十五篇A、「ハンスの馬鹿」という話の各国の類型を比較して、その最も古い形というものを復原しているが、この愚か者が海に行って異魚を釣り、その魚が物を言って我が命を許してもらう代りに、願いごとの常に叶う力をこの男に授けたことになっている。ユエは出処は示してないがいずれかの国に、そういう話し方をする実例があったのである。私の想像では我国の説話におけるヨナタマも、一方に焼いて食おうとする侵犯者を厳罰したと同時に、他方彼に対して敬虔であり従順であった者に、巨大なる福徳を付与するといった明るい方向があったために、広く日本の東北の山の中まで、物言う魚の破片を散布することになったのではなかったか。もしそうであったならば、今に何処からかその證跡は出て来る。そういつまでも私の仮定説を、空しく遊ばせておくようなことはあるまいと思う。
<2014年12月14日 南浦邦仁>
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物言う魚 第2回<若狭の人魚と津波>

2014-12-07 | Weblog
江戸時代に書かれた『諸国里人談』の地震話を、現代語意訳で紹介しよう。
 若狭国大飯郡浅嶽は魔の場所である。山の八分目より上にはだれも登らない。御浅明神に仕えているのは、人魚であると昔から言い伝えられている。宝永年中、乙見村の漁師が漁に出かけた。岩の上に座っている者を見ると、頭は人間で首周りに鶏冠のような、ひらひらと赤いものをまとっている。また首より下は魚である。男は何心もなく持っていた櫂(かい)を当てると人魚は即死してしまった。彼は死体を海に投げ入れて帰ったが、それより大風が起こって海鳴は七日の間止まなかった。そして三十日ばかりたつと大地震が起こり、御浅嶽の麓から海辺まで地が裂け、乙見村一郷は陥没してしまった。これは明神の祟(たたり)と伝えられている。

 八百比丘尼の伝承も興味深い。なお読みは、「やおびくに」あるいは「はっぴゃくびくに」。
 若狭国のとある漁村の長者の家で、人魚の肉が村民に振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることを知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰りに捨ててしまった。だがひとりだけ話を聞いていなかった者がいた。それが八百比丘尼の父だった。
 父が隠していた人魚の肉を、娘は知らずに盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十六か十七歳の美しさを保ち八百歳まで生きた。
 京都府綾部市と福井県大飯郡おおい町の県境には、八百比丘尼がこの峠を越えて福井県小浜市に至ったと伝わる尼来峠がある。また八百比丘尼の伝承は能登半島に多いが、日本各地に広がっている。

 しかしこの比丘尼伝説には何か欠落している部分がありそうだ。後述の「ハンス」同様、主人公は霊魚と話をし、あるいは魚を助けることによって、特別な力を与えられたのではないか。若狭の娘は、永遠の若さを霊魚に願ったのではなかろうか。
 八百比丘尼には地震津波の話がないが、両伝承に登場する若狭の人魚は、人間の言語を話す霊魚すなわち「ヨナタマ」海霊であろう。海神の眷族分身である「物言う魚」である。『宮古島舊史』でも「人面魚体」と記す人魚である。
 ちなみに、天正13年11月29日(1586年)に「天正地震」が起きた。甚大な被害は畿内、東海、東山、北陸さらには四国阿波などにも及んだ。400年以上も前のことだが、白川断層と伊勢湾の断層がともに動いたとされ、さらには福井県若狭湾、現在の多原発地帯だが、湾沖の活断層も連動したと考えられる。
 天正大地震のことは当時、神道家の吉田兼見が『兼見卿記』に記し、イエズス会のフロイスも報告している。ふたりはともに、若狭を大津波が襲ったと書き残した。
<2014年12月7日 南浦邦仁>

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物言う魚 第1回<海霊ヨナタマと津波>

2014-12-02 | Weblog
季刊Eマガジン「Lapiz」(ラピス)は良記事満載。写真や図版も多く興味深い雑誌です。有料ですがわずか300円。このたび冬号が発行されましたが、例によってまた寄稿しました。6回に分けて転載します。人間と話しをする魚とは何か?


 江戸時代、明和8年3月10日(1771年)に「八重山地震津波/先島諸島地震」が起き、八重山・宮古列島に巨大津波が襲来した。石垣島宮良では波高が85.4m、白保では60mに達し、同島では住民の約半数の8300人が溺死したと記録されている。宮古諸島では2500人が水死。総死者は1万2千人にのぼったと伝えられている。85m余の波高は、日本列島で最も高い記録である。
 柳田國男に「物言ふ魚」という、昭和7年に発表された一文がある。このなかで彼は、『宮古島舊史』を紹介している。寛延元年に出た本だが柳田は、この本をまったく知らないひとが多いという。現代語に改め紹介する。

 むかし伊良部(いらぶ)島に下地(しもぢ)という村があった。ある男が漁に出て、「ヨナタマ」という魚を釣った。この魚は人面魚体で、よく物を言う魚であった。漁師は思った。このように珍しい魚であるので、明日仲間を集めてみなで食しようと思い、炭をおこして炙りこに乗せて乾かした。その夜、下地の村民がみな寝静まって後、隣の家の幼い子がにわかに泣きだした。母の実家のある伊良部村に帰ると泣き叫んでいる。夜中なので母親はいろいろすかせたが、一向に泣きやまない。泣き叫ぶことはいよいよ激しくなった。母はなすすべもなく、子を抱いて外に出たが、幼児は母にひしと抱きついてわななき震えている。母はあまりにも変だと思いだしたところ、はるか沖から声が聞こえてきた。
 「ヨナタマ、ヨナタマ。なぜ帰りが遅いのか」
と言う。隣家で乾かされていたヨナタマは言った。
 「われは今、あら炭のうえに乗せられ、いぶり乾かされてもう半夜がたった。早く犀(さい)を遣って迎えさせよ」
と。これを聞いて母子は身の毛よだって、急いで伊良部村に帰った。なぜこのような夜遅くに帰って来たか、と伊良部の村人は聞いた。母はしかじかと答えて、翌朝に下地村へ帰ったところ、村中残らず洗い尽くされてしまっていた。今に至ってその村の跡かたはあるが、村民はだれも住んでいない。この母子にはいかなる陰徳があったのであろうか。このような急難を奇特に逃れるというのは、珍しいことである。

 これに類した伝説昔話は、宮古と八重山列島には数多く残っている。物を言う「霊魚」ヨナタマを害しようとした者たちが、大津波によって罰せられ、魚を放そうとした者は助命される。そのような話が多い。
 ところでヨナタマだが、「ヨナ」はイナ、ウナともいうが、「海」を意味する古語だそうだ。「タマ」は「魂」「霊」であり、ヨナタマは「海霊」を意味する。ヨナタマは、海の神の分身あるいは眷族であろうと柳田はいう。犀は動物の「サイ」だが、「災」あるいは「境」サイ・サエであろうか。
 似た伝説昔話は、先島諸島に数多く残っているが、日本列島各地にも残滓がみられる。また世界各地でも確認されており、なかでも南太平洋の島々や、東南アジアの島嶼部でいまも語られている。柳田はそのように記している。
<2014年12月2日 南浦邦仁>

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