アヒルはいつから、人間とともに生活しているのでしょうか。マガモ系の野鴨を何世代にもわたって改良した家畜です。ひと懐っこく、また重くて飛んで逃げることのない家禽に変身しました。
中国では3千年ほど前から飼育されているようです。ヨーロッパでは2千年前ころ。日本には12世紀に輸入されたのではないか(農林水産省ホームページ)。それぞれが推定でしょうか。
日本でこの鳥を「アヒル」と呼んだ最初は、16世紀に間違いありません。
中国で最も古い記載だと思われるのが、漢初『爾雅』の文です。
「舒鳧、鶩」/音<ジョフ、ボク>。
現代語「静かにゆっくりとのろのろ<舒>歩く鳧(鴨かも)を<鶩>(あひる)という。」
前漢(紀元前206年~)、2千年以上前の記載です。『爾雅』は、中国最古の類語語釈辞典。この辞典は、春秋戦国時代の残存文書を収集して完成させたそうです。春秋時代がはじまるのが3千年近く前ですので、この時代に何か「鶩」文字の痕跡があったのでしょうか。
後漢『説文解字』は、1900年ほど前に作られた最古の漢字辞典です。鶩アヒルの解説は、
「鶩 舒鳧也。…鴨也。」
「以為人所畜。不善飛。舒而不疾。」
「故曰舒鳧。」
※鶩ボクを「あひる」「アヒル」と読むのは日本だけで、それも16世紀以降のことです。
アヒル<鶩/音ボク>は静かに歩く鳧<音フ/訓かも・けり>である。鴨<訓かも/音オウ>である。
またアヒルは人家の家畜である。飛ぶことができず、素速い行動ができず、ゆっくり歩く。それで、のろい鴨<舒鳧>という。
ヨーロッパのアヒルをみてみましょう。といってもわたしが知っているのは、6百年ほど前の一例だけです。2千年史には遠く及びません。
シェイクスピアの『ハムレット』は西暦1600年、関ヶ原の戦いの年にはじめて上演されました。オフェーリアが2月13日に歌うシーンがあります。「あしたは聖バレンタインデー。」このころのイギリスでは、2月14日の愛の日が定着しています。
これより古い「聖バレンタインの日」は、同じイギリスの作家、チョーサーの詩にたびたび表現されています。彼は14世紀に活躍し『カンタベリー物語』で有名ですが、詩「鳥たちの集い」にアヒルが登場します。
「聖バレンタインの日に、わし、あひる、ほととぎす、いかるなどが、各々配偶者を得る。」
アヒルは欧州でも、もっと以前の記述に登場するのでしょうが、わたしはまったく知りません。
さて本題の日本に戻りましょう。前回でみた平安時代のニ著『本草和名』と『倭名類聚抄』は、アヒルを記載していますが、両書からは鳥アヒルのガーガーという鳴き声が聞こえてきません。中国の文献をもとに編纂されたニ著です。知識としては詳しくすばらしい成果でしょう。しかし生きた鳥アヒルに出会ったことは、ないはずだと思います。またこのころ、日本にはアヒルが一羽もいなかった可能性もあります。
そしてついに、日本で、あきらかにアヒルが飼育されていたという驚くべき記述です。
「御湯殿上日記」(お湯とののうへの日記)/天正15年2月19日(1587年)、
「きよ水のくわん、あひる一つかいしん上す」
<清水寺に願のため、アヒルひと番い(つがい)を進上す>
この日記文をはじめて見たとき、わたしは本当に驚きました。清水寺のアヒル二羽は、元気にガーガー鳴いていました。それでは「清水のアヒル」続編は次回。
<2024年9月10日>
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