佐々木俊尚さんの会員制メルマガ「未来地図レポート」8月10日号を部分転載します。「全文でなければ転載可」が佐々木さんの方針。
これまでアメリカの映像配信会社、ネットフリックスのことは何度か聞いたり読んだりしていました。しかしそのサービス内容について、正直なところまったく理解できずにおりました。ところがついに来9月に日本上陸です。佐々木さんの解説がずいぶんわかりよいので紹介します。
<9月に日本上陸! ネットフリックスの凄さを徹底解説する
~~ついにホンモノの「テレビとネットの融合」がやってくるか?>
映像コンテンツの定額配信サービス、ネットフリックス(Netflix)が9月2日、ついに日本でもサービスを開始します。これは相当に大きなニュースです。
もちろん、定額配信のテレビはすでに日本にはたくさんあります。NTTドコモのdTVやNHKオンデマンド、楽天SHOWTIME。海外勢で言えば、ハリウッドの人気ドラマが見られることで人気のフルー(Hulu)。これらとネットフリックスはどう違うのでしょうか?
最初にその回答となるポイントを2点挙げておきましょう。
(1)単なる定額配信(ストリーミング)ではなく、ビッグデータ分析を用いたお勧め(レコメンデーション)が超優秀である。
(2)国外のコンテンツを日本に配信するだけでなく、日本国内のコンテンツを海外展開するという両面戦略である。
では、ネットフリックスの歴史から簡単におさらいしておきましょう。同社の設立は古く、インターネット黎明期の1997年です。
もともとは、日本でツタヤ・ディスカスがやっているようなDVDの郵送レンタルサービスでした。これが成功して会員数を伸ばし、そして2007年から「Watch Instantly(すぐに観る)」というネット配信の機能を追加するようになります。
ネットフリックスの動画コンテンツ配信は、フルーなど他の配信サービスよりもビジネス的な優位がありました。当時、フルーは地上波やケーブルテレビなどで放送された番組コンテンツを翌日にはネットで観られるということを売りにしていたのですが、これは地上波のテレビCMの効果を下げてしまうというデメリットがあります。このためフルーはテレビ局からの強い要請で、翌日の見逃し視聴をパソコンだけに限定し、テレビ受像機では観られないようにしてしまったんですね。
いっぽうネットフリックスの動画コンテンツは、基本的にはすでにDVD化されているような古いものが中心で、見逃し視聴ではありませんでした。このためテレビ局からそうした要請がくることもなく、自由にテレビ受像機やパソコンなどさまざまなデバイスで観られるようにできたということなんですね。
このマルチデバイス化は、非常に有効でした。アップルもiTunesでの動画オンデマンド配信をスタートさせていましたが、ハードウェアメーカーでもあるアップルはAppleTVやiPhoneなどでの視聴にこだわり、他社のデバイスで自由に配信するという方法は採らなかったんですね。結果的に、もっとも使い勝手が良いのは、どんなデバイスでも簡単に観られることのできるネットフリックスだということになり、これが普及の原動力になったということです。
ネットフリックスの動画配信は好調に推移し、2009年には利用者の48%がネット経由でネットフリックスを利用するまでになり、その比率はまもなく逆転しました。
そして2011年に次の大きな転機が訪れます。ついに番組制作に乗りだしたんですね。そしてなんと、最初に取り組んだコンテンツは監督が「ファイト・クラブ」や?「ソーシャル・ネットワーク」のデイヴィッド・フィンチャー、主演が?「ユージュアル・サスペクツ」や?「アメリカン・ビューティー」のアカデミー賞俳優、ケヴィン・スペイシーという超豪華ラインアップ。大統領選をテーマにした「ハウス・オブ・カード」という番組です。
それまでネットフィリックスが配信していたのは、すでにDVD化が完了したような古いコンテンツばかりだったのですが、これによってついに同社は地上波やケーブルのテレビ局に追いつきました。超人気番組を自社制作して、最初に放送する権利を得るようになったわけですから。
いや、追いついただけでなく、この「ハウス・オブ・カード」によってテレビ局を追い抜いたといってもいいかもしれません。この番組制作は、従来のテレビ番組とはまったく異なる方法で行われました。番組制作そのものにデータ分析の手法が持ち込まれたのです。
地上波のように電波で番組を放送しているテレビでは、ユーザーの動向を調べる方法はいまのところ視聴率ぐらいしかありません。しかしネット配信であれば、双方向の通信が可能で、ユーザーの動きをさまざまに収集することができます。これらのデータをもとに、ネットフリックスはデイヴィッド・フィンチャーとケヴィン・スペイシーを起用し、さらに彼らがつくる政治サスペンスへのニーズが高いと判断したというのですね。さらに放送直前の番組宣伝でも10種類もの異なるバージョンを用意して、ユーザーの好みに合わせてパーソナライズして配信したのだそうです。
そしてこの徹底的にデータ分析して制作した番組に、シーズン1の13話だけで100億円もの制作費を投下。これによって質も担保し、2013年にシーズン1が配信され、ネット配信の番組としては初めてエミー賞を受賞する快挙を成し遂げました。これはアメリカのテレビ業界における歴史的な転回点だったといえるでしょう。
ネットフリックスは、こうしたデータ分析をもとに徹底的なレコメンデーションを行っています。最初に挙げたように、このレコメンドがネットフリックスの圧倒的な武器になっています。テレビ番組のネット配信というと、よく「サイマル(放送と同じ内容をただ流す)か、オンデマンド(コンテンツ単体を独立して配信)か」という二者択一で語られることが多いのですが、この二者択一自体が間違っています。
視聴者は、だらだら観る地上波のテレビそのものはもはや求めていないし、かといって番組を検索してオンデマンドで観るというような面倒なこともしません。視聴者が求めているのは、何の積極的な操作をしなくても、観たら楽しめるようなレコメンドがきちんと提供されていることなんですね。実際、このレコメンドの強化によって、ネットフリックスのユーザーのいまや75%ものひとがレコメンド結果から視聴しているというデータもあるそうです。
収集しているデータは、ユーザーが何のコンテンツを視聴したかということだけでなく、あるコンテンツを「5分で観るのをやめた」「一気に全部観た」という区分や、シリーズ物のドラマであれば、エピソードをどれだけ観たのか、ひと晩で一気に観たのか、毎晩少しずつ観たのか。またテレビ受像機で観たのか、スマホかパソコンかタブレットか、といったことをこと細かに収集しているようです。
さらにこれに、コンテンツの属性(出演俳優や監督、ストーリー、ジャンル)をかけ合わせることで、ユーザーの嗜好を分析しています。
重要なのは、たとえばあるユーザーがSFを多く観ているからといって、SFばかりをお勧めしないようにすること。パーソナライズというとジャンルで絞るような単純なイメージがあるのですが、もっと深いところでユーザーの嗜好を分析する必要があります。
これについては、音楽ストリーミングサービスのスポティファイ(Spotify)やパンドラ(Pandora)といった先行事例のレコメンドが、同じようなことをしています。パンドラについては本メルマガで何年か前に紹介したことがあるのですが、同社は純粋なビッグデータ技術ではなく、プロミュージシャンの「耳」という肉体もつかって解析を行っています。これがミュージックゲノムという技術で、2000もの判断基準を使い、楽曲の構造を解析し、その曲の持っているDNAみたいなものをプロミュージシャンが耳で聴きながら確認していくことがおこなわれています。
パンドラについては、以下の榎本幹朗さんの連載記事が非常にくわしく解説されています。
■アメリカでミュージシャンたちの生計を支えるPandoraの楽曲使用料
http://bit.ly/12ExLuZ
■Pandoraのライバルを研究すると日本のラジオ業界の未来が見えて来る
http://bit.ly/YkNbfx
榎本さんによると、今はビッグデータの技術も向上し、パンドラでは以下のような解析が加えられているとか。
(1)音楽理論による解析
(2)ログ解析
(3)波形解析
(4)ウェブ解析
(5)オンエアリスト解析
(6)ソーシャル放送[非同期型]
(7)ソーシャル放送[同期型]
この技術によって「同じようなジャンルの音楽ばかり聴くようになる」「同じ楽曲が何度も登場する」ということにはならず、まったく知らないジャンルの楽曲もレコメンドされてくるようになって
います。
先の記事で榎本さんはこう書いています。「リスナーの趣味志向を忠実に反映すること。そして同時に、リスナーをいい意味で裏切ることだ」。つまりは、誰も予想もしなかったようなレコメンドで新しいコンテンツを提示してくれるかどうかというセレンディピティこそが大切ということなのです。
ネットフリックスも同様で、ジャンルを横断し、ユーザーの側が思いも寄らないようなコンテンツをレコメンドし、それでも「観てみたらおもしろかった」と思わせる。そういうことをかなり実現してしまっているということなんですね。
◆「Netflix」の“待ち時間を実質的に0にする”ストリーミングの秘密とは?
http://bit.ly/1NgdMpg
上記の記事で、ネットフリックスの中の人はこう語っています。
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現在わたしたちが実際に行なっているパーソナライゼーションは、レーティングデータを使いません。例えばユーザーがある番組を視聴し始めたら、これは重要なデータになるんです。ユーザーがその映画をおもしろいかもしれないと思った、ということがわかるからです。そこで10分間だけ視聴して他の番組に移ったとすれば、ユーザーがその映画を気に入らなかったこともわかります。もし一気にすべてを視聴し終えたとすれば、おそらくその映画が気に入った
のだろうと知ることができます。Netflixに登録しているユーザーは月に平均30~40時間のコンテンツを消費しています。だから、彼らの好みを示す80のデータポイントを取得できますよね。ユーザーが視聴し始めたものと、視聴し終えたものです。2つのエピソードを連続で見たかもしれません。これもデータになります。そして、ユーザーが10ヶ月Netflixを使用した場合、彼らの好みを表す大量のデータが集まります。わたしたちはユーザーによりよいコンテンツを返すためにこれらのデータを使うことができるのです。
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すごいですね。こういう技術をもとにしたコンテンツ制作と配信によって、いまやネットフリックスは世界50ヵ国以上で、6500万人を超える会員を擁し。1日1億時間を超える映像コンテンツを配信しています。全米のネットのトラフィックの37%を占めたこともあるとか、同じく米国では全世帯の4分の1が利用しているとか、とにかくけた外れです。
そして冒頭の二つのポイントの2番目に挙げたように、ネットフリックスは単に日本にコンテンツを配信するだけでなく、日本のコンテンツ産業からも優良なコンテンツを吸い上げ、世界に配信するという双方向のビジネスを展開しようとしています。
その最初の取り組みとして、フジテレビの人気ドラマ「テラスハウス」の第2弾や、新しいドラマ「アンダーウェア(英題はAtelier)」もネットフリックスで先行配信されることになりました。
これは日本のテレビ業界にどのような影響を与えるのでしょうか。もしネットフリックスが日本の視聴者にも受け入れられ、ブレイクするような事態が起きれば、ひょっとしたら日本のテレビ局はネットフリックスにコンテンツを提供するコンテンツプロバイダーへと傾斜していくこともあり得るかもしれません。そうならずとも、日本の下請け番組制作会社が局から離反し、ネットフリックスと直接取引するか、もしくは離反組のクリエイターたちが起業してネットフリックス向けの制作会社を立ち上げるような動きも出てくるかも。
いずれにしても、この9月からのネットフリックスの動向には要注目です。
<2015年8月11日>