1月19日の新聞記事「天狗のミイラ、実はトンビだった」にショックを受けて開始した連載「天狗談義」です。しかし準備作業もせずに、前知識なしで書き続けるというのは、つらいものです。週1回ほどのペースですが、調査や読書が追いつきません。
次から次へと、史料や文献、そして現代の著作が出現します。正直なところ、疲れます。たくさんの先達たちが考究された「天狗」というテーマです。にわか天狗愛好家のわたしが、いかほどの貢献ができるのかしら。そのような自虐や反省の念が湧いてきます。鼻高々の天狗には、微塵もなれません。
天狗から狐に興味が広がり、先日は図書館で『古事類苑』や、中国の『太平御覧』と『太平廣記』の狐記事をすべてコピーしました。全部で100枚ほどかと思いますが、これを読むだけでも難題です。あまりにも文字記述が難解だからです。特に後二者は中国ですから漢文です。知らない漢字ばかりが行列しています。ため息が出ます。
天狗本しかり。『天狗はどこから来たか』という本は、たいへんすぐれた天狗本のようですが、この書を読むのは、実は今日からの予定なのです。いかにわたしが横着な書き手であるのか…。反省しきりです。なお同書は、杉原たく哉著、あじあブックス・大修館書店2007年刊。
しばらく天狗談義はおとなしく軽く流し、またまったく別の話題を取り上げたりしながら、おおらかな時の流れのなかで進めようかな、と思っています。本邦でも天狗の歴史は、おおよそ1400年近いのですから。
ところで、天狗の仲間だった狐ですが、中国の狐を考究したすばらしい論文に出合いました。西岡晴彦「狐妖考―唐代小説における狐―」です。「東京支那學報 第14號」昭和43年・東京支那學會刊。京都では岡崎の府立図書館が所蔵しておられます。興味ある方はぜひ閲覧ください。『日本書紀』に記されている通り、遣隋唐使について中国で学んだ僧旻が、「あれは天狗、あるいは天狐だ」と言った、その時代の狐の考究です。
<2011年2月27日>
次から次へと、史料や文献、そして現代の著作が出現します。正直なところ、疲れます。たくさんの先達たちが考究された「天狗」というテーマです。にわか天狗愛好家のわたしが、いかほどの貢献ができるのかしら。そのような自虐や反省の念が湧いてきます。鼻高々の天狗には、微塵もなれません。
天狗から狐に興味が広がり、先日は図書館で『古事類苑』や、中国の『太平御覧』と『太平廣記』の狐記事をすべてコピーしました。全部で100枚ほどかと思いますが、これを読むだけでも難題です。あまりにも文字記述が難解だからです。特に後二者は中国ですから漢文です。知らない漢字ばかりが行列しています。ため息が出ます。
天狗本しかり。『天狗はどこから来たか』という本は、たいへんすぐれた天狗本のようですが、この書を読むのは、実は今日からの予定なのです。いかにわたしが横着な書き手であるのか…。反省しきりです。なお同書は、杉原たく哉著、あじあブックス・大修館書店2007年刊。
しばらく天狗談義はおとなしく軽く流し、またまったく別の話題を取り上げたりしながら、おおらかな時の流れのなかで進めようかな、と思っています。本邦でも天狗の歴史は、おおよそ1400年近いのですから。
ところで、天狗の仲間だった狐ですが、中国の狐を考究したすばらしい論文に出合いました。西岡晴彦「狐妖考―唐代小説における狐―」です。「東京支那學報 第14號」昭和43年・東京支那學會刊。京都では岡崎の府立図書館が所蔵しておられます。興味ある方はぜひ閲覧ください。『日本書紀』に記されている通り、遣隋唐使について中国で学んだ僧旻が、「あれは天狗、あるいは天狐だ」と言った、その時代の狐の考究です。
<2011年2月27日>