アヒルは昔からアヒルと、日本国内で呼ばれていたのでしょうか? 言語学や国語学者のみなさんが解明された説があります。
「アヒル」がもし奈良時代に、国内で生育されておれば、「アピロ」と呼ばれた可能性が強い。ところが、アヒルの実在は、早くても平安時代か室町時代のようです。たぶん安土桃山時代以降に、日本に定着したのだろうとわたしは考えています。ですから、奈良時代にアヒルはおらず、「アピロ」という呼び名もありません。
室町時代以降、安土桃山時代、そして江戸時代の初期まで、アヒルは「アフィロ」「アフィル」と呼ばれていました。この呼称発音に、間違いありません。
現在の「アヒル」音の定着は、江戸時代の初めころからのことです。なかなか信じていただけないかもしれませんが。「またいい加減なことを適当に言っているんでしょう」と言われるのもくやしい。
日本語の数千年間の変化をみてみます。注目するのは、ハ行の発音の変化です。「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、数千年の間に、三系語に大きく変動しています。現在の「はひふへほ」の歴史は、まだ400年ほどです。
(1)縄文時代
現代の「ハ行」<はひふへほ>は、縄文時代には<パ・ピ・プ・ペ・ポ>と発音していました。ルーツは南方・南島語です。いまでも先島や台湾、さらに南島の各地に名残りが点在しています。「花」の原始日本語は「pana」ですが、八重山群島では最近でも「pana」が使用されているそうです。
縄文語の発音例を紹介します。
花 pana
鼻 pana (出っぱったもの) ※アクセントは花と鼻とでは異なります。
人 pito
歯・刃 paN
浜 pama
七 pitu (ヒチ)
(2)奈良時代・平安時代~江戸時代初期
「ハ行」は、<パ・ピ・プ・ペ・ポ>から<ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ>に変化していきます。この時代、アヒルは「アフィロ」とか「アフィル」と呼ばれたようです。「ロ」と「ル」の違いは、連載の次回ででも紹介します。
かつてはテレビもネットも、国語教科書も義務教育もない時代です。言語の変化は、全国一斉に急に起きるものではないでしょうね。
フランシスコ・ザビエルが薩摩に到着し、この国ではじめての布教活動を開始したのは1549年でした。彼の後を受け、たくさんの宣教師たちが日本で活動しました。その際に大きな壁になるのが、言語です。
イエズス会は『日葡辞書』という大冊の辞典を何年もかけて、完成させました。辞典は、日本人との意思の疎通に必需品です。制作は日本人信徒と、イエズス会士との共同作業です。詳細な「日本語・ポルトガル語」辞書です。天正年間から制作を開始し、慶長8年1603年に本編を完成出版、翌年補遺刊行。画期的なキリシタン版日本語ポルトガル語対訳辞書です。
日本語ハ行音は「Fa,Fi,Fu,Fe,Fo」と記されています。
まず『日葡辞書』のアヒル、そして索引巻からごく一部「F」を見てみましょう。
現代語「アヒル」 発音「AFIru」
あいはからい 相計らひ Ai facarai
あいはたし 相果し Aifataxi
あいはたらき 相働き Aifataraqi
はくちょう 白鳥 Facucho (またはCuguiくぐい鵠)
だいぶ後ですが、1728年、「h」音の時代ですが、露西亜で誕生した「露日辞典」では、花は「Fana」と記されています。薩摩を出て、露国に漂着した日本人、青年ゴンザは地元の学者との共同作業で、この辞典を完成させました。ハ行はすべて、旧発音のF音です。
しかしゴンザの辞典は例外であって、<ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ>の時代の大勢は、江戸時代の初期にほぼ終わっていると思います。
参考資料 『日本語の起源』村上七郎・大林太良 共著 昭和48年 弘文堂
『邦訳日葡辞書』土井忠生他訳 1980年 岩波書店
『邦訳日葡辞書索引』森田武編 1989年 岩波書店
『日本書紀』岩波文庫版巻1 1994年 坂本太郎・家永三郎・井上貞光・大野晉校注 ※補注/巻1-10
<『日葡辞書』の語彙>岸本恵実著/『シリーズ 日本語の語彙 3 中世の語彙 ―武士と和漢混淆の時代ー』 飛田良文・佐藤武義編集代表 2020年 朝倉書店
<2024年9月24日>
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