ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

北朝鮮 金正恩三兄弟 (北朝鮮2012年1)

2011-12-24 | Weblog
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日がついに亡くなった。これまで各国の医学者の予想では数年の内、長くて2013年までの寿命だろうとみられていた。それがいくらか早まったというべきで、今回の逝去は突然の事態ではない。各国はこの日のためにさまざまの対応策、金正日後の東アジア戦略を練っていた。
 わたしが北朝鮮について記すのは、門外漢だがまったくの意外ではないと思ったりもする。1年と少し前、2010年11月23日に延坪島砲撃事件が起きた。すわ、第2次朝鮮戦争の勃発か? 大騒ぎになりましたが、喉元過ぎれば熱さ忘れる。いまではこの事件について語るひとも、ほとんどいなくなってしまいました。あまりにも膨大な情報は流れ去り、どんどん捨てられていきます。
 忘れないためにと思って、2010年の北朝鮮と国際情勢についてのウォッチングを続けたことがあります。わたしの営みなど、専門家からみれば取るに足りない記録でしょうが、こつこつウォッチングを続ければそれなりの収穫がある、というのがわたしなりの偽らざる結論です。
 かつてこのブログで連載「検証北朝鮮・延坪島ヨンピョンド事件」を13回続けてみました。2010年12月11日から2011年1月11日掲載まで、2010年1年間の北朝鮮と世界の対北外交などを追いました。いま久しぶりに読み返すと、実に疲れる。あまりに記述が細かく、文字数が多すぎるのです。
 いま何ができるか? と思っていて、金信男・正哲・正恩の3兄弟に焦点をしぼり、2010年の1年間をダイジェストすることに、いくらかのヒントが生まれるかもしれないという思いです。「北朝鮮2010年 金三兄弟の記録」を参考まで。

2010年1月 延坪島など黄海5島の占領を想定した奇襲上陸作戦の訓練実施を、金正日総書記が指示した。金正日は、三男の正恩や軍高官らの幹部を集め、黄海「五島の攻撃を準備しろ。地図から消える方法を考えろ」と指示。これを受けて、朝鮮人民軍は、特殊部隊による上陸訓練などを準備した。訓練を総書記と正恩は視察。黄海の北朝鮮側水域で、約350発の砲撃訓練を開始した。

2月1日 北朝鮮の党機関紙「労働新聞」は「われわれの勝利を堅く信じる」と題して、金総書記の言葉を掲載した。「私は、わが人民がまだトウモロコシ飯を食べていることに一番心が痛む。今、私がやらねばならないことは世の中で最も立派なわが人民に白米を食べさせ、麦でつくったパンや麺ククスを思いっきり食べさせることだ。われわれみんなが首領(故金日成首席)の前で確認した誓いを守り、わが人民を、トウモロコシ飯を知らない人民として世の中に推し立てよう」。
 2009年末の通貨交換とデノミ政策の失敗で国民の反発が高まっているため、最高指導者が住民の食糧問題に気を配っていることを示し、不満をなだめようという意図からの発言であろう。大失敗に終わった通貨改革とデノミを主導したのは、金ジョンウン(この時点では漢字表記は不明)だといわれている。通貨交換とデノミネーションの断行は、2009年11月30日に突然発表され実施されたが、北朝鮮人民に過酷な犠牲を強いた。成果は大失敗で、建国以来はじめてといわれるほどの反発を人民たちから受けたという。
 中国政府に勤務する北朝鮮人の男性、彼は金正男の側近だが、2010年8月につぎのように話した。同年5月に中国を訪れた金正日に、長男の正男は「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を3月に起こしたのに、なぜ黙認したのか」。また「ジョンウンが無理に貨幣改革デノミを推進して失敗し、これを挽回するために天安沈没事件を起こした。ジョンウンの顔が(世界に)知られる前に起きたことなのに、なぜ黙認するのか」と抗議した。韓国放送公社が2010年11月14日に報じた。金正男の側近は「中国と北の高位層には、正男を支持する勢力がまだ多い」とも語った。

2月17日 韓国の自由北朝鮮放送によると、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る国民に対し、改名を強要したと報じた。金正日が後継者に決まる際にも、同じように「ジョンイル」名の国民に対し強制改名が行われた。ジョンウンの漢字表記は不明。いつもハングルでジョンウンとしか記されない。

3月26日 韓国海軍の哨戒艦「天安」が黄海で沈没。戦死者46名。一般に北朝鮮の攻撃によるものと考えられているが北朝鮮は関与を否定。先述のように金正男は父の正日に北京で、弟の「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を起こすのに、なぜあなたは黙認したのか」と話したという。

7月9日 国連がようやく採決した韓国艦「天安」沈没事件の議長声明は、北朝鮮の名指しを避けたうえ、中国の主張で「北朝鮮は沈没に無関係だと主張している」との一文まで入れた、非常に弱い内容になってしまった。韓国はこれ以降、中国が拒否権をもつ安保理を信用しない。延坪島砲撃事件でも、韓国は国連安保理に期待しなかった。

8月26日~30日 金総書記はカーター元米国大統領の訪問をすっぽかし、中国北東部を訪問。中国の胡錦濤国家主席が北京から出向いて会談。三男の金ジョンウンも同行した。中国は息子が北朝鮮の次期指導者になることを了承した。
 正日の三男の名、漢字は不明で「ジョンウン」と日本のメディアはハングルのカナ表示で統一していた。胡との会談の1ヶ月後、9月28日より中国は実名を「金正銀」と報じ、はじめて実名が判明した。ところが北朝鮮はそれをひるがえし、10月1日に「金正恩」だと公表した。中国政府は北朝鮮に泥を塗られたという見方もあるが、ジョンウンは、正雲―正銀―正恩と改名を繰り返していた。いずれの表記も、読みは「ジョンウン」である。中国が<正銀>と公表した直後に<正恩>に変更した可能性が強い。2009年1月8日付の韓国メディアは「金正雲から金正銀に改名した」と報道している。
 正銀から正恩への変更した理由は、ある中国高官の発言だとする説がある。「銀は金より下だ」と彼はいった。金正銀を縦書きすれば、金の下に銀がある。この発言に反発して、急に銀を恩にかえたという説である。

9月15日 鉄道転覆事故。威境北道清津の製鋼所と茂山鉱山を結ぶ貨物列車が転覆した<共同>

9月18日 また列車転覆事故があった。平壌から豆満江に向かう列車が被害を受け、ロシアの鉄道関係者も乗車しており17人ほどが死傷。枕木が約5メートルにわたり抜き取られていた。何者かが故意に起こしたとみられる<共同>。北朝鮮でこのような反体制行為が可能なのであろうか? 信じられないようなニュースである。

9月27日 李英鎬軍参謀総長が、元帥に次ぐ階級の次師匠に昇進。李は金正恩の家庭教師とよばれている砲術家である。翌日開催の党会議で、党の最高機関である政治局の常務委員、さらに翌日には中央軍事委副委員長に選ばれた。新設のこの軍事委ポストに座ったのは、ジョンウンと李のふたりだけである。李が総参謀長に就いたのは、2009年2月だが以降、旧勢力を押し出す形で50~60歳代中心の「新軍部」が急速に台頭し、北の強硬路線が鮮明になった。

9月28日 金ジョンウンは、朝鮮労働党代表者会議において、党中央委員に選出された。同日、ジョンウンは党中央委員会総会で、党中央軍事委員会副委員長に選出された。中国「新華社通信」は、はじめて金ジョンウンに「金正銀」の漢字表記を使用した。

9月30日 金ジョンウンの写真と映像が初公開された。

10月1日 北朝鮮の朝鮮中央通信は、「ジョンウン」の漢字表記は「正恩」と発表。

10月9日 中国で長男の金正男は、テレビ朝日とのインタヴューで「個人的には3代世襲には反対します。ですが然るべき内部的要因があったなら、それに従うべきだと思います」。三男の正恩氏が後継者という報道は本当か?という記者の質問に、「私もニュースでそう聞いた。事実だと思う」。「父が正恩を寵愛している。いかなる決断も父がする。父が決断すれば従わなければならない」「後継者には興味はない。個人的にこの問題に興味がない。政治には興味がない」。そして正恩について「弟には北朝鮮人民のために頑張ってほしい」
 なお余談だが、正男は語学の達人であることに間違いはないようだ。英語とフランス語を流暢に話し、ロシア語と中国語そして日本語は会話に不自由しないレベルかそれ以上である。またコンピュータに強いといわれている。政治力についての資質は不明だが、優秀な人物だと言われている。シンパも多い。

10月10日 平壌で朝鮮労働党創建65周年を祝う軍事パレードが行われ、金正恩がはじめて公式の場に登場した。彼の隣には、中国共産党の周永康政治局常務委員がいた。周は、中国共産党ナンバー9の有力者である。
 正恩の偉大性宣伝で言われているのが、「7カ国語ができる天才。3歳で銃を取り、百発百中の腕前を持つ、砲術の天才」。延坪島砲撃については「砲術の天才の砲撃作戦が大成果を上げた」。語学は英独仏伊の4か国語に精通し、日中ロの3か国語も習得中という。
 実際に延坪島砲撃を立案、総指揮したのは李英鎬軍参謀総長である。金総書記と同じ68歳。陸海空を束ねる軍制服組のトップ。パレード式典では雛段で、金父子の間にずっと立ち、笑みを絶やさず、その威勢ぶりを見せつけた。李は砲術の専門家で、執務室には関連書が山積みされており、金日成軍事総合大学(5年制)で正恩の砲術論文作成を指導したといわれている。正恩の家庭教師とよばれる所以である。
 この晴れやかな日に、次男の正哲の顔がなかった。彼は気が弱く、権力闘争に向かない人物と一般にいわれているが、もし正恩がこけた場合のスペアとの見方もある。
 ところで2012年は北朝鮮にとって大切な年、金日成生誕100周年である。「強盛大国の大門を開ける」年と北は位置づけており、金正恩への権力継承作業が大きな節目を迎えるとみられている。
 朝鮮中央放送によると、10月10日付けで金ジョンウンら6人を、朝鮮人民軍の大将に昇進させる命令を発した。

11月21日 金総書記と正恩らが、砲撃地点に近い黄海南道の軍部隊を訪れ、野砲の性能や韓国軍の過去の砲撃訓練について、黄海周辺地域を統括する朝鮮人民軍第4軍団長の金格植大将から説明を受けた。このことから韓国側は、延坪島への11月23日の「砲撃は、金総書記父子が主導した計画的な挑発であることは明らかである」<韓国紙「中央日報」11月25日付>
 金正日は三男の正恩とともに21日、砲撃事件の起きた場所に近い、黄海南道の養魚場を視察したという情報もある。砲撃の朝鮮人民軍第4軍団を訪問し、軍団長の金格植大将に会い、士気を鼓舞した。金格植は李英鎬の前の総参謀長である。軍団長は降格処分であろう。軍高官ふたりの確執もとりざたされる。

11月22日 北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」は、23日13時から延坪島近辺で予定されている韓国軍の護国訓練について、「朝鮮半島の平和と北南関係改善を望むすべての民族の志向と念願に対する悪辣な挑戦であり、受け入れられない反民族的な犯罪行為である。われわれに対する南朝鮮当局の敵対感と侵略の危険の境界線を超えてから長く、傀儡好戦狂の分別のない対決戦争策動が、朝鮮半島で任意に核戦争が起こりかねないことを示している」と威嚇した。

11月23日 8:20 南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、北朝鮮から1枚のFAXが届いた。文面は、韓国軍が大規模な定例訓練の一環として延坪島で射撃訓練を計画しているとして、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」、射撃すれば座視しないという内容であった。
 北朝鮮の聯合ニュースは「南朝鮮は北朝鮮の度重なる警告にもかかわらず、23日13時から延坪島一帯の北朝鮮領海内に砲撃を加える軍事的挑発を強行した」と報道。北朝鮮は砲撃前に、周辺空域でミグ23戦闘機5機を哨戒飛行させた。
 14:34~14:45 北朝鮮が砲撃。北朝鮮は第1次砲撃の12分間に150発を発射。第1次攻撃では、60発が延坪島に落下。残りの90発は洋上で演習中だった韓国艦船に向けての砲撃である。その後に第2次砲撃を加え、延坪島の北方の茂島ムドとケモリ基地から砲撃を開始。北からの砲撃終了は14時55分。
 14:47~15:15 韓国軍は第1次反撃の砲撃を被爆13分後に開始した。第1次の北朝鮮砲撃の後、延坪島の韓国軍は反撃に手間取り、すぐに応戦できなかった。北朝鮮軍は韓国軍部隊に照準を合わせていたが、島の韓国軍の曲射砲の自走砲部隊は準備不足のため、反撃開始が遅れた。また自走砲6門のうち1門は故障して使えなかった。また2門は砲撃の衝撃で電子回路に故障が生じ、3門だけで反撃を開始した。延坪島韓国軍の装備はK9自走砲6門。その内、発砲可能な3門から計80発を発射。
 反撃が13分後と遅れたのは、北朝鮮による電磁パルスEMPによる妨害のために、砲弾の発射地点を特定できなかったためもある。妨害のために対砲レーダーが作動せず、北がどこから砲撃して来たのか把握できなかった<東亜日報12月3日>

11月24日 砲撃事件の翌日、北朝鮮の国民の声としてデイリーNKが伝えるところによると、「南朝鮮がわが共和国を狙い挑発を行ったが、将軍様(金正日総書記)の軍隊はこれを許さず、数倍にして報復した。敵の対決策動にも青年大将(金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)が<領導>する革命的武装力で対抗するわれわれにあるのは、勝利だけだ。情勢が複雑になるほど金総書記と正恩氏に仕えてこそ、勝利が保障される」

11月25日 「労働新聞」によると、金総書記が中国の無償援助で建設された平安南道のガラス工場を25日に視察し、中朝の友好を力説した。三男の金正恩も同行。

12月3日 米国の自由アジア放送は、砲撃事件などで北朝鮮の情勢が不安定化していると報じた。米などの物価が高騰しており、後継者の金正恩に対する不満が庶民(両江道の消息筋情報)の間で高まっていると報じた。住民は金正恩の責任だとして、露骨に不満を漏らしているという。

12月11日 北朝鮮の新義州から平壌に向かっていた貨物列車が転覆。約40両のうち8両に金正恩副委員長の誕生日のための贈り物用のテレビや時計などが積まれていた。正恩後継に反対する勢力による妨害行為の可能性もあるとして、公安当局が捜査している。<聯合ニュース12月27日付>
 北朝鮮での内乱の兆候を思わせる列車転覆事故は大ショックである。金正恩の2011年1月8日の誕生日の祝い品を満載した列車が、何者かによって転覆させられたのである。密告と盗聴でがんじがらめの同国で、反体制のテロ行為などほとんど100%といっていいほど不可能なはずだ。金父子らが受けた恐怖や危機感は相当のものであろう。中国の秘密部隊か、米CIAあるいは北朝鮮軍サイドが金父子体制を揺さぶるために行ったのであろうか?

○余談であるが、金総書記の長男・金正男はマカオと北京を中心に、中国国内にずっと滞在している。北朝鮮からは正男を暗殺するための秘密部隊が潜入しており、中国は北朝鮮に対し、暗殺部隊を送り込んだことに強く抗議したともいう。暗殺を指示したのは正恩サイドとされる。
 2009年6月に中国マカオ滞在中の正男を暗殺しようとした北の特殊部隊の行動が中国当局に発覚した。事態に驚いた父の金正日は、中国の胡錦濤に正男の安全を依頼し胡は確約したが、その後も暗殺のための秘密工作員は中国に潜伏しているとされる。

○以下あくまで私見です。金正男は東京ディズニーランド訪問で有名だが、かなり優秀な人物と思われる。彼のシンパは多数が粛清されたという情報もあるが、北朝鮮国内には正恩ではなく、正男を推す隠れグループが国内指導部若手には多いともいわれている。韓国大統領の諮問機関・民主平和統一諮問会議の李基沢首席副委員長はベルリンで「北朝鮮の金正日総書記の長男正男が、北の体制崩壊の可能性を念頭に置いているとの話しを聞いた」ことを明らかにした。また正男は、北朝鮮は間違いなく「滅びる。長続きすると思うか?」と話した。<聯合ニュース11月26日>

 金正恩がもしも表舞台から消えれば、次男の正哲が内部勢力によって神輿にかつがれる。あるいは中国が長男の正男をトップに立て、傀儡政権が誕生する。また兄弟全員が舞台から追われるかもしれない。金正恩体制はいつまで続くのであろうか? 飢餓状態が解決し、民の幸福が実現すればそれでよいと、わたしは思います。<2011年12月24日記>

<追記>どんどん増えそうですが、書き足していきます。
(1) 金正日総書記葬儀委員名簿の序列です。①金正恩②金永南(最高人民会議常任委員長)③崔永林(首相)④李英鎬⑤金永春(人民武力相・李英鎬のライバルか)⑭金慶喜(正日の妹)⑲張成沢(慶喜の夫)

(2) 金正日ひつぎ車に寄り添った8人。右前から①金正恩(28歳)②張成沢(65歳)③金己男(党書紀85歳)④崔泰福(最高人民会議議長81歳)
 左前から、①李英鎬(69歳)②金永春(72歳・金格植の前の参謀総長)③金正覚(軍総政治局第1副局長・年齢不明)④禹東則(国家安全保衛部第1副部長・年齢不明)

(3) 2011年1月中旬、中国国内の都市で、金正男が五味洋治のインタビューに応じた。五味は東京新聞外報部。1月28日付け同紙より抜粋します。
Q 社会主義と世襲は矛盾しないか。
A そう思う。中国の毛沢東でさえ世襲はなかった。
Q 北朝鮮経済は?
A デノミは失敗。改革開放に関心を持つべきだ。今のままでは経済大国にはなれない。北朝鮮が最も望んでいるのは、米国との関係正常化と朝鮮半島での平和定着。その後、本格的な経済再建に乗り出すだろう。
Q 核を放棄するか?
A 北朝鮮の国力は核だ。米国との対決状況がある限り、可能性は少ない。

 追記をその後も書き足していたのですが、どんどん増えてしまいます。これからはタイトル「北朝鮮2012年」として、独立連載にします。次回は1月4日付け「北朝鮮2012年2」<2012年1月4日>
 


コメント (1)
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薄毛うすげ世界地図

2011-12-21 | Weblog
 実にたのしいウェブサイトに出会いました。「薄毛世界地図 トリップアドバイザーのインフォグラフィックスで世界の旅が見える」
 http://tg.tripadvisor.jp/Thinning/
 「ハゲ話しのどこが面白いんや!」とおしかりを受けそうですが、わたしも頭頂部がかなり「薄」になり、先日もエレベーターに乗ったら監視テレビつきで、モニターに映し出されたおつむの上部はすけすけ…。ふだん鏡でも見えない部分だけにショックも著しい…。そんな人間が開き直って「箔(薄)がついてきた」などとホザクしかない今日このごろ。ご容赦ください。
 インターネットでオリジナルを見ていただいたらいいのですが。オリジナルは世界地図に落とし込み、イラストもかわいい。あえてこだわりでダイジェストをお送りします。わたしもかなり暇です…。

○国別の薄毛度
1 チェコ プラハ  42.79%
2 スペイン マドリッド  
3 ドイツ フランクフルト
4 フランス パリ
5 イギリス ロンドン
6 アメリカ ニューヨーク・シカゴ・ロサンゼルス
7 イタリア ミラノ
8 ポーランド ワルシャワ
9 オランダ アムステルダム
10 カナダ モントリオール
11 ロシア モスクワ
12 オーストラリア シドニー
13 メキシコ メキシコシティ
14 日本 東京  26.78%
15 中国 香港
16 シンガポール シンガポール
17 タイ バンコク
18 台湾 台北
19 マレーシア クアラルンプール
20 韓国 ソウル
21 中国 上海  19.04%

 コメントもたくさん寄せられています。
統計の意味わからんけど…おもろい。
どうでもいいことを真剣にやる、ってことね。
ようわからん調査やけど、オモロイ。
ヨーロッパの人は頭を洗う習慣がない人が多いような…
フィリピン人は日本よりハゲが極端に少ない。大統領は薄いが…
これは素敵。なんというエッジの効いたリサーチ(w
これはwwwwww面白いすぎるwww

 コメントはまだまだ続くのですが、この世界ランキングを見て、茶髪や金髪系は薄毛になりやすく、黒髪系は耐性が強いのではないか? そのように感じます。
 ところで、わが家の愛犬ココが行方不明になって、もう3カ月を過ぎてしまいました。家族全員が帰還を信じ、あらゆる情報を頼りに探し回ったのですが、いまだに見つかりません。同居人(家族3人)全員は精神的に不安定をきたし、相互の関係性がやばくなってしまいました。
 わたしは家族を説得し、先日またトイプードルを買ってきました。名は「のんちゃん」に決定。まだ来て1ヶ月にもならないのですが、おかげで家族の危機はなんとか回避できたようです。しかしココとの再会は決してあきらめていません。
 さて何が言いたいのか、不明になりかけています。この2匹どちらもトイプードルですが、ココは黒、のんちゃんは薄茶毛。ペット屋さんにいわれたのが「茶色犬は紫外線に弱いので、日光浴はひかえてください」。散歩も朝夕、日差しの弱いときがいいようです。気をつけないと、彼女もわたし同様に薄毛になってしまう。
 やはり黒髪は茶髪よりも強いようです。わたしは黒々だったのに徐々にゴマ塩になったのが、劣化の原因でしょうか。
 いずれにしろ、ココの心配をしてくださった皆さま、本当にありがとうございました。彼女との再会を信じていますが新しい家族の一員、のんちゃんのことお知らせいたします。
<2011年12月21日>

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藩と方言 2

2011-12-19 | Weblog
この連載で「藩と方言」を書いたことがあります。
<http://blog.goo.ne.jp/0000cdw/e/00fdfe2489905cfd186d43a058ee3a48>
 京都新聞12月13日「凡語」欄も、江戸時代の方言のことを載せていました。
 「地方武士が参勤交代で江戸に来ても、互いに通じる言葉が探せず、漢字に頼るのが一番手っ取り早い。<困る><弱る>という気持ちを伝えるのに高松では<あずる>、山形では<がおる>という。そこで、紙に1文字<困>と書いて見せれば通じたというわけだ。」
 今年の漢字に「絆」が選ばれたことからの漢字話しですが、またもや方言に興味がわき、各地の「困る」を調べてみました。

①全国区「困る」
<あえる> 山形・鳥取・島根・香川・長崎
<がおる> 青森・岩手・秋田・山形・宮城・福島・茨城・群馬・千葉・新潟・岐阜・富山・徳島
<がめる> 青森・山形・鳥取・島根・岡山
<かなわぬ> 栃木・富山・長野・岐阜・三重・和歌山・滋賀・京都・兵庫・岡山・徳島
<きける> 茨城・奈良・島根・山口
<こたえる> 新潟・山梨・鳥取・島根・徳島・香川
<しける> 栃木・兵庫・岡山・熊本

②東日本
<あかまる> 新潟
<いたまる> 茨城
<おえない> 宮城・山形・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川
<がれる> 山形
<くたびれる> 長野
<ししゃない> 宮城・石川・山形
<てこずむ> 山形・新潟
<てとる> 青森・秋田
<とんじまげる> 秋田
<やじまげる> 岩手・秋田

③西日本
<あおくる> 香川
<あくばる> 島根
<あずる> 兵庫・岡山・広島・島根・山口・徳島・愛媛・高知
<あばーずる> 山口
<うたう> 和歌山・兵庫・香川・沖縄
<うるー> 島根
<くそたれる> 香川
<こくえる> 香川
<ごじゃける> 香川
<しゅくぇーしゅん> 沖縄
<そる> 三重
<ちぇーばる> 長崎
<にがる> 和歌山・徳島・高知
<はじかく> 三重
<はどる> 三重
<ひしまく> 福岡
<ひらける> 福岡・大分・熊本
<へたる> 福井・和歌山・岡山・島根・徳島・大分
<よろける> 岡山
<もったい> 石川

○「がおる」は何も山形県だけではありません。「がめる」「がおる」は仲間語でしょうか。両語は青森から島根・岡山・徳島県まで、広範囲に広がっています。
○京言葉をみると「こまる」は「込まる」、隙間にはさまる意味とあります。確かに、困るは「込まる」かもしれません。
 また「なんぎ」は難儀でしょうが、京都、大阪、和歌山、三重、兵庫などに分布。
○各方言はほんとうに多彩です。なかでも島根県、香川県など、おどろくほど豊富な表現があります。「困った…」が通じなければ、ほんとうに困りますね。
○また「困る」は「弱る」と同様にも用いられます。「弱る」も調べてみようかと思ったのですが、弱るは「かれる」に近い語です。枯れる・涸れると共通するようです。かつてこのブログで「けがれ」気枯れ・気涸れについて何度か書いたことがあります。あらためて「弱る」はいつか考えてみようと思っています。
<2011年12月19日 南浦邦仁>
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ブータンの幸福 8 『大停滞』

2011-12-15 | Weblog
 今年に出版された経済書でもっとも注目された一冊とか、“2011年最大の話題の書”と絶賛されている本があります。アメリカの経済学者、タイラー・コーエン著『大停滞』。本年1月にまず米国で電子書籍として刊行され、その後すぐ紙本になりました。日本語翻訳版は9月にNTT出版から出ています。
 コーエンは同著で、欧米や日本など、かつて先進国とよばれた各国が経済停滞に陥り、国民の多くが所得も幸福も充足もが乏しくなった原因を解明しています。

 彼はつぎのように記します。さまざまの革新<イノベーション>が期待はずれにとどまっているとしても、少なくともあるひとつの分野では、大半のひとの予想より多くのイノベーションが成し遂げられている。その分野は、インターネットだ。きわめて短い期間に、インターネットは目を見張るほど進歩し、より速く、よりおもしろくなった。
 しかしインターネットはほとんどGDP(国内総生産)に寄与しない。無料で、あるいは極端に安い出費で、たとえばわずかの電気代だけで何時間でも楽しめる。しかしインターネットは経済成長に、まず貢献しないといえる。
 インターネット関連企業の従業員数をみても、グーグル2万人、フェイスブック2千人、ツイッター3百人…。「iPod」がアメリカで創出した雇用は、小売り部門と開発部門を合わせてもわずか1万4千人にしかすぎない。インターネットというイノベーションは人力ではなく、機械で多くの業務をこなしてしまう。
 インタ-ネットは素晴らしいものだが、収入を生み出せる部門を経済のなかに保つことが困難である。インターネットによる物質主義からの脱却が大々的に進むことによって、経済の停滞をもたらし、旧来型の成長や所得の拡大につながらない。アメリカ人はいま、大きな痛みを味わっている。
 お金があまりないひとでも、インターネットに接続すれば、多くの知識と娯楽を得られる。しかし、それが景気後退をさらに深刻化させる。インターネットの豊かな成果は、消費をますます落ち込ませる。
 また経済発展をとげている中国やインドについては、先進各国のテクノロジーや仕組みを借用しているだけである。このような経済成長は「キャッチアップ(追いつき)型成長」であり、イノベーションがない。革新のない追いつき型成長は人件費コストの上昇とともに減退してしまう。

 それなら現状からの出口はどこにあるのだろう? コーエンはそのひとつとして、科学者や技術者に対する尊敬をあげる。
 2年前に亡くなったノーマン・ボーローグをコーエンは尊敬していた。彼は「緑の革命」を主導していた人物である。
 過酷な気象条件や病害虫などに強い穀物の新品種を、ボーローグは次々と開発し、それがインドやアフリカなど、世界の貧しい地域で大々的に導入された。そのおかげで飢饉が減り、何百万人もの人々の命が救われた。ところがボーローグが亡くなったとき、ほとんどのアメリカ人は彼が何者かさえ知らなかった。
 コーエンは新しい時代の道、価値観のひとつとして、世のために大きな貢献をなす科学者への尊敬の必要を訴えている。インターネットビジネスの成功者、そのような富豪ばかりを尊敬する風潮に異議を唱えている。

 ブータンの農業では「ダショー・ニシオカ」、西岡京治氏の存在が偉大である。彼は1992年に同国で59歳で亡くなったが、延々28年間にわたってブータンの農業指導につくした方である。彼は何も新しい植物品種を開発したわけではない。イノベーションにも無縁な元農業高校の教員であった。
 「むずかしい理屈ではなく、現地のだれにでもできる方法で、目に見える成果をあげよう」。この方針と信念で、ブータン農業の発展に寄与した。それは農業と人間の革命でもあった。
 かつて鎖国していたブータンに、政府公認の日本人としてはじめて入国したのは、植物学者で探検家の中尾佐助氏である。彼はブータン農業の振興の必要性を痛感し、農業指導者として教え子の西岡を同政府に推薦した。着任した西岡は、ブータン農業のために全身全霊をささげた。
 国王からさずけられた称号「ダショー」は、「最高の人」という意味だそうだ。ブータンでもっとも名誉ある称号で、外国人で与えられたのは西岡だけである。
 いまでもブータン人は親しみと尊敬の念をもって西岡のことを語る。「この国ではダショー・ニシオカを知らない者はいません。ヒー・イズ・グレイト」。ブータンでもっとも有名で、尊敬されている日本人は西岡京治である。
 師の中尾は西岡を評して「一つの民族と一人の日本人、それはともどもに固有の性格がある。その間にはうまくソリが合う場合もあれば、まったく反対なこともある。ブータン人と西岡京治君の場合はまったく”うまが合っている”のだ。言葉少なく、おだやかで謙譲、友誼に厚く、誠実で努力家。一見して探検家的ファイトマンではない。しかし彼のこの性格は、ブータンでは上下を問わず多くの人達から深い信頼をかちえたのである。」

 コーエンのいう大停滞からの出口は、なにも農ばかりではない。わたしたちは志を持ち続け、目標に当たり続ければ、たくさんの幸福をまわりに生むことができる。そして自らも充足するはずである。
 就職活動で悩み、自信を失っている若者にもいいたい。人生の目標は何も大企業や有名会社のサラリーマンになることではない。カスミだけを食べて生きることはできないが、自らに革新イノベーションをおこせば、きっと進むべき道が見えるはずだ。それこそ革命のはじまりであろう。君たちとは歳の大きく離れたわたしだが、少し恥ずかしいとも思うけれど第二の青春にチャレンジしたい。「ブータンの幸福」というテーマをしばらく追ってみて、いまそのように考えている。
○参考書
『大停滞』 タイラー・コーエン著 2011年 NTT出版
『ブータン 神秘の王国』 西岡京治・西岡里子共著 1998年 NTT出版 
『ブータンの朝日に夢をのせて』 木暮正夫著 1996年 くもん出版
<2011年12月17日>
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京都「書物の力」発進。

2011-12-12 | Weblog
 京都の読書家に武田好史さんがおられます。万卷の書を渉猟され、話題は時空をこえて響き渡る。そのような博学多識を画に描いたような方です。わたしは酒を交わしながらいつも、畏れ入るばかりの子猫ちゃんのようなもの。その武田さんが連続シンポジウムを、京都で開始されます。
 シンポジウムのシリーズ名は<蜜液(スピリタス)したたり噴泉する「書物の力」>。なんとも過激な、また恥ずかしいようなタイトルをつけられたものです。しかし変な命名にも彼の教養を感じてしまうのは、わたしのコンプレックスの裏返しでしょうか。なお連続講座のサブタイトルは<ビブリオマニア・書物道楽者たちの断続トーク!!>
 これから隔月の開催予定だそうですが、第1回タイトルは<本屋の白ばかま…本の現場から>。これまた紺屋ならず本屋の白袴とは、笑ってしまいます。当日が面白いかどうかは不明ですが、興味おありでしたらお越しください。近場の方にご案内します。事前申し込み不要で、入場料も無料だそうです。
 本日は、京都西山の山麓から一風かわった案内をお送りします。

●日時/2011年12月17日(土曜)、18:00~20:00

●会場/MEDIA SHOP「メディアショップ」
 河原町通三条下ル一筋目東入ル VOXビル1F TEL 075-255-0783
 
●ゲスト・パネラー
◆南浦邦仁 京都ちんからりん企画代表・京都文化研究会「RONBA」論場事務局・元ジュンク堂書店
◆三室勇  編集者・元せりか書房・元フィルムアート社
◆池田知隆 京都土曜サロン主催・元毎日新聞社論説委員・前大阪市教育委員長

●司会進行
◆武田好史 edition螺旋社新社代表編集者・春庭居主人

●入場料無料
●主催/edition螺旋社新社&MEDIA SHOP
●後援/京都土曜サロン・京都文化研究会「RONBA」論場・「KYOTO JOURNAL」

*終了後、近くの安居酒屋での「ライブ・セッション」飲み会(希望者のみ)
<2011年12月12日 片瀬記>
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ブータンの幸福 7 「会社は?」

2011-12-10 | Weblog
 ブータン国王は世襲である。先日来日したワンチュク王は5代目。しかし驚くのはお元気な前国王が65歳定年制を敷き、さらに王の権力を激減させたうえで、若干51歳で譲位されてしまった。最高権力者はたいていが権力にしがみつき、醜い姿を老いてさらすのが世の常であるのに。
 先代は退位の2年前、2004年にブータンを訪れた今枝由郎氏にこう語っている。「国として、経済基盤は必須であり、ブータンも当然経済発展は心がけている。しかし仏教国としては、経済発展が究極目的でないことは、経済基盤が必須であることと同様、自明のことである。そこで仏教国の究極として掲げたもの、それが国民総幸福である。しかし今考えると、幸福(happiness)というのは非常に主観的なもので、個人差がある。だからそれは、国の方針とはなりえない。私が意図したことは、むしろ“充足”(contentedness)である。それは、ある目的に向かって努力する時、そしてそれが達成された時に、誰もが感じることである。この充足感を持てることが、人間にとってもっとも大切なことである。私が目標としていることは、ブータン国民の一人一人が、ブータン人として生きることを誇りに思い、自分の人生に充足感を持つことである。」
 退位の直後には今枝氏に対し、先代王は「ブータンを、国民が幸福感と充足感を持ち、経済的にも繁栄し、平和を享受する国民国家にすることが、わたしの即位当初からの目標であった。それが達成できた時点で、わたしの役割は終わった。」
 先王が語った「それが達成できた」の意味だが、インドとの不平等条約の改正である。今枝氏は「ブータンを真の意味で主権国家にしたインドとの条約改正こそは、まさに第四代国王の悲願であり、最後の、そしておそらく最大の業績である」。それが達成された時点での譲位は、第四代国王にとって、しかるべき当然な時期であったといえる。彼は最大の目標「不平等条約改正」を達成したのであり、全国民のために悲願をかなえ、大きな充足を得たのである。

 最高権力者と老害そして世襲、日本だけでなく世界中に深く根をはる大問題。会社であればどうであろう。友人の川瀬俊治さんが「ブログかわやん」に韓国「ハンギョレ新聞」社長公選制を書いておられる。タイトル<鶴の一声の対極 民主主義は手間がかるが足腰が強い>12月7日付。ご本人の了解を得ましたので、転載します。

 韓国のハンギョレ新聞の20年史(2008年刊)を通読して感じたことは、会社のあり方について激しい論争を社員間で盛んにしていることだ。論争の20年といえる。何しろ社長を社員が選ぶ公選制を実施しているから、取締役会で社長を決定する日本のメデイアとは様相が異なる。
 ハンギョレ20年の歴史で平社員が社員の推薦を受けて社長選挙に立候補したこともある。立候補者は政治の選挙戦のような公約集を出す。そこで対立候補との論争をする。その成り行き、投票権をもつ社員に大きく影響する。
 社員が進歩政党員であることを明らかにし、新聞社で規制できるのかという論争もあったし、金大中政権誕生のときに金大中候補が金鐘泌氏と組んだことに対する新聞コラムでの意見対立もあった。掲載の署名コラムで正反対の主張が出て、相手の名前をあげた論争になったこともある。新たなメデイア創設(週刊誌)でも賛否両論が出た社内事情が20年史からもわかる。
 日本の社史ではそうした内部の対立はまずは活字化されない。平社員が社長選挙に出ることなどないし、言論であっても「和」をもって「尊し」としていることが伺われるからだ。調和と成長の社史なのだが、韓国のハンギョレ新聞社の社史に成長は書かれているものの、調和が背後に引いている。その違いをどう考えるのか。
 ハンギョレ新聞が倒産の危機にあった時代から立ち直っていく経過では、社長選挙で候補者が一本化され、ふたつの労組も協力する。「経済的危機の状態はどうしても乗り切るために意見集約される。そうしないと危機は乗り切れない」という感想を抱いた。
 民主主義は様々な意見を戦わせて合意すべきものを固めていく。それには時間がかかるが、足腰はしっかりする。当然だろう。合意された意見が血肉化されているからだ。遠回りするが、民主主義は民の意見が岩盤のように強くなることだ。
 最近は「鶴の一声」とか「独裁も必要」という文言がメデイアにしばしば登場する。物事を進めるのには効率はいいかもしれないが、とりわけ弱い民の意見は吹き飛ばされる。危機の時代に「鶴の一声」と「独裁」が求められることを批判しない言論が目立つ。「権力監視」という言論の当事者としての役目を見失ってはならない。

 猫も杓子も公選制をとればいい訳では決してない。しかし首相であれ組織の代表者であれ、選出にはさまざまの手段方法があるはずです。いずれにしろ、国のあるいは組織のメンバーすべての幸福・充足を追求するのが、代表者の義務のはず。
 『ハンギョレ新聞20年史』(仮題)は日本語訳が新春1月に現代人文社から刊行されます。川瀬俊治氏と立命館大の研究者との共訳だそうです。

○参考書 『ブータンに魅せられて』今枝由郎著 岩波新書 2008年
<2011年12月10日>

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ブータンの幸福 6 民族衣装・どてら風<ゴ>

2011-12-08 | Weblog
 ブータンの民族文化を形成したのは、ふたつの文化である。ひとつはチベット文化、もうひとつは照葉樹林文化。そしてインド文化はほとんど影響していないと中尾佐助氏は記しています。
 たとえば衣裳をみると、女性は「キラ」とよばれる1枚布を体に巻きつけたもので、ネパールとブータンの中間に位置するシッキム地方でもみられる。これは東ヒマラヤにつながるもので、照葉樹林文化につらなる。この文化圏はヒマラヤから雲南、中国南部そして西日本へと続く照葉樹林帯の文化圏である。
 一方、男性の衣裳の「ゴ」は「ゴー」とも記すが、日本の丹前・ドテラに一見似ている。しかしこれは明らかにチベットの着物の変形であるとされる。ゴは日本とは直接の関係はない。
 ブータンではこのように、男と女でふたつの文化、チベット文化と照葉樹林文化を着分けている、と中尾氏は述べている。

 桑原武夫編『ブータン横断紀行』から、「ブータン人の服装」を引用します。
 ブータン人は、顔や体格が日本人とそっくりである。道で出会うとどの顔をみても、みな日本でみた顔のような気がする。そのうえ、男は日本の丹前や厚子(あつし)のようなものを来ている。これを「ゴー」(ゴ)という。子供から大人まで、田舎の百姓から王様までみなが着ている。チベット人の着ものとよく似ているが、ブータンのゴーのほうが袖は短かく、手首に近いほど細くなっている点が異なる。そしてその袖口に内着の袖の白い折り返しがある。この点を別にすると、ひろげた形は丹前と同じであった。
 だが着付のしかたはちがう。まずゴーを着る場合、その前にティゴという白い内着を着る。内着といってもえりと背中と袖、前の合わせだけがある簡単なものだ。えりと袖を外に出すためだけにあるもののようであり、内着というよりはむしろカラーやカフスの役目をもったものといったほうが適切かもしれない。このティゴの上にゴ―を着る。あわせ方は和服と同じ左前である。ゴ―は長いのできちんと合わせるとくるぶしまである。それを腹部分でたくしあげ、すそが膝あたりに来るようにまでひきあげる。そしてポゲケラという帯で肋骨をしめあげるように胸高にきつく結ぶ。すると当然ふところがふくらむ結果になる。
 このゆったりしたふところには、し好品のドーマ(キンマの葉・強烈な口中清涼剤)や手拭い、竹で編んだ弁当箱や湯飲み茶わんはよいとしても、時にはペットの子犬まで入っていて、びっくりした。さらに刃渡りが四、五〇センチもあるドゾムという短剣まで入れている。その柄や鞘の装飾はみごとで、木を切る以外に料理その他多くの用をたす。もちろん護身用にもなり、子供でも肌身離さず携行している。とにかく風呂敷や鞄のようなものを持つ習慣のないかれらにとって、この懐は巨大なポケットの用をなしている。

 平安女子短期大学の中井長子助教授(当時)は、日本に持ち帰られたゴをみて、これはカフタンとよばれる長着の形式であって、トルキスタン・ロシアを中心にして発生し、チベット・アフガン・パンジャブ・バルチスタンに広まった形式であると説明した。
 またブータン人のゴの着付は、タイ高地民族との類似点が多い。チベット文化の影響とされるゴだが、タイ高地人との共通性、関係はどのように考えるべきなのか?
 女性のキラはタイ高地などと共通するはずである。男性のゴも同様にチベットと、雲南やタイ高地あたり、両系統の衣裳と着かたを混交したものではなかろうか?
 いずれにしろ、日本の丹前とはまったく系統の異なった衣服であることは確かである。

○参考書
『中尾佐助著作集 第5巻 景観と花文化』「ブータンの花」 北海道大学図書刊行会 2005年
『ブータン横断紀行』桑原武夫編著 谷泰・松尾稔・栗田靖之・吉野煕道共著 講談社 1978年
<2011年12月8日 今回も引用ばかりになってしまいました>

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ブータンの幸福 5 『幸福の研究』

2011-12-06 | Weblog
 けさから読みだした本は『幸福の研究』。著者はデレック・ボック、元ハーバード大学長だった方です。原著刊は昨年ですが、日本語訳はつい先日、東洋経済新報社から出版されました。
 この本はやはりブータンのGNHに影響され、研究執筆されています。序章はつぎのようにはじまります。「ヒマラヤ山脈の奥深く、インドと中国にはさまれた地にブータンという小さな仏教国がある」。「1960年代までブータンは外国にはほとんど知られることがなかった。貧困率、非識字率、乳児死亡率は世界各国のなかで最悪であった。しかし、1972年にこの遠い異国の地で一風変わった出来事が起こり、ブータンは世界中から注目を集めることになった。新たに即位した国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが、国民総生産(GNP)ではなく「国民総幸福(GNH)」を、国家の発展を測る主要な尺度とすると宣言したのである。」

 この本を知ったのは、山内康一氏のブログを偶然読んだのがきっかけです。全文を引用します。タイトル<職業満足度の高い仕事は?>(2011年12月01日 12:46 山内康一)
 いま読んでいる「幸福の研究」という政治学の本には、つい人に言いたくなるデータがいろいろ出てきます。原題は「The Politics of Happiness」というタイトルで、最新の幸福研究の成果を行政にいかすための本です。
 そこにアメリカで職業満足度の高い仕事が出てきます。満足度順に並べると次のようになるそうです。
1)牧師
2)理学療法士
3)消防士
4)学校事務職員
5)画家・彫刻家
6)教員
7)作家
8)心理学者
9)特殊教育教員
10)電力技術者
 キリスト教国で「牧師」というのは、わかる気がします。「画家・彫刻家」や「作家」等の創造的な仕事も理解できます。
 興味深く思ったのは、「理学療法士」や「消防士」です。人を助ける仕事というのは、やりがいがあるのでしょう。
 9番目の「特殊教育教員」は、障がい児教育の教員ですが、職業満足度が高いのは、すばらしいことだと思います。日本でもそうだとうれしいのですが。
 意外ですが、医師や弁護士は10位以内に入っていません。「高収入の仕事」イコール「幸せな仕事」ではなさそうです。「投資銀行」や「コンサルティング会社」も入ってません。
 なぜか「電力技術者」も入っていますが、これは謎です。詳しく理由を知りたい気がします。
 こういう調査をぜひ日本でもやってみてほしいものです。将来の職業を考えている中高生や就職活動前の大学生に紹介し、やりがいのある仕事を考えるヒントにしてほしいと思います。

 わたしも山内氏の意見に賛同します。そして今朝、「日経ビジネスオンライン」12月6日付で「ハーバード発、ポジティブ心理学最前線」を読みました。副題は「ハーバード大学で最も学生に人気のある授業とは?」
 ベン・シャハー教授の幸福心理学講義に学生が殺到しているそうです。その助手のひとり、エイカー氏の新刊に『幸福優位 7つの法則』があります。
 従来の「努力すれば、成功して、幸せになれる」という図式は、ポジティブ心理学の研究データから「幸せだからこそ、努力して、成功できる」。即ち、幸せが前提条件であることが証明されているなど、今までの常識を問い直すようなものの見方・考え方を、複数の実例を織り交ぜながら紹介している。
 『幸福優位 7つの法則』、アマゾンの解説を引用します。徳間書店から本年8月に刊行されています。
 「自分は幸せだ」と思える人ほど、よい結果を生んでいる。ハーバード大学で人気第1位の講師直伝! 最先端のポジティブ心理学が解き明かす「成功」と「幸福」の驚くべき関係。
 世界中から秀才が集うハーバード大学で学生から絶大なる人気を集める「幸福学」講座で講師を務めた著者は、厳しい競争環境でも前向きな精神状態を作り上げて抜きんでる人と、プレッシャーに負けて行き詰る人の違いはどこにあるのかを追求。
 本書では、ハーバード大生や著名企業のプロフェッショナルへの実証実験を踏まえ、成功をめざしてやみくもに努力するのではなく、幸福感や楽観主義をもつことが学業、仕事での成果に、組織の生産性向上、チームワークの強化に結びつくという事実を浮かび上がらせ、その要因を幸福優位性(ハピネス・アドバンテージ)と名付け、7つの法則にまとめた。
 自己啓発から組織マネジメント、教育と幅広く応用可能で示唆に富んだ一冊。

 『幸福の研究』を読み終えれば、つぎは『幸福優位 7つの法則』を読むことになりそうです。それにしても、わたしは忙し過ぎる。もっとおおらかに晴耕雨読を実践したいのですが…。
 いずれにしろ、ブータンから始まった幸福革命が、ハーバードのボック学長に影響し、その潮流が同大学のシャハリーに、そしてエイカーへと続き、ハーバードの学生たちを魅了している。そしてついに日本に上陸してわたしまでが、翻訳本に捲きこまれている。仏教のいう「因縁」は世界を巡っています。だが「果」は、どこにあるのかしら?
<2011年12月6日>
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ブータンの幸福 4 輪廻転生

2011-12-01 | Weblog
 ブータンを訪れた日本人の第一印象は「日本によく似ている」。といっても、わたしは行ったことがない。聞き語り、いや訪問者の文を読んでの読みかじりである。
 まず顔が両国民は似ている。男性の民族衣装のゴもドテラにいくらか似ているが、特に顔かたちはそっくりだ。また高い山の斜面には棚田がずっと続く。日本人は昔の原風景を思いだし、郷愁にかられるらしい。やはり、同じ照葉樹林文化圏なのだろう。
 しかし滞在の数日後には、ほとんどのひとが気づく。「日本とはまったく違う異国だ!」。どこが違うのか? たとえば食事も異なる。あまりにも辛いそうだ。たいていの人が辟易してしまう。日本人は食事のたびに「辛い! 辛い!」を連発する。同国でもっとも有名な日本語は「カライ」である。彼らは自らを「世界一、トウガラシを好む国民である」と自慢する。
 ほかにも日本との相違はさまざまあるが、「輪廻転生」に注目すべきだとわたしは思う。

 養老孟司氏がブータンを訪れたときの体験が興味深い。「ブータンの食堂のテーブルは、テーブルクロスも何も敷いていないのに、水玉模様でした。私が席に坐ると、水玉が皆飛んで消えてしまう。水玉模様の正体はテーブルに群がっていた蠅だったのです。/その食堂で、地元の人が飲んでいるビールに蠅が飛び込んだ。日本人ならば大騒ぎです。が、彼は平気な顔でその蠅をそっとつまんで逃がしてあげて、またビールを飲み続けた。その様子を私が見ていると、/「お前の爺さんだったかもしれないからな」/彼は笑いながらこちらを見て言いました。今は蠅の姿をしていても、実は私の祖先が生まれ変わった形かもしれない、というのです。彼らのなかでは、蠅ですらも簡単に殺してはいけないという論理がこんな形で存在している。」
 
 上田晶子氏によると、ブータンのキャベツを栽培している農家の人がこう語っている。「キャベツは換金作物で、現金を得られるのはいいけれども、栽培の過程で農薬を使って虫を殺さなければならないので、あまり作りたくはない」。仏教を基盤とした広汎な思想には、殺生を極力避けようとする行動、自然との良好な関係を保つことを望む意識が深い。また輪廻転生の思想と同時に、いたる所にアニミズム信仰が深く刻まれているのもブータンである。
 ブータンでは、人々の多くがチベット仏教を信仰している。輪廻転生とは、人は悟りを開くまで、死後繰り返しこの世に戻って来るという確信である。来世にわたしは虫として生まれるのか? あるいは牛か犬か猫か鳥か? いまの生をどのように生きるかによって、つぎの生が決まる。よりよい来世を得るためには、功徳を積まなければならない。人に親切にする、生きているものを殺さない、良いこころがけ慈悲のこころを保つ……。仏教では、命を奪うなと教える。
 現世で環境を破壊すれば、その壊された環境にいつかは自分が帰ってくる。ブータンでは子孫の観念が異なる。未来の子孫とは、自分でもあるのである。同国で環境を大切にする考えの底辺には、関係性なり輪廻転生の信念がある。
 
 来日したブータン人はあまりの隔差に驚く。なかでも電車である。たびたび遅れる。分秒を競うほど時間に正確な日本人なのに、電車だけは来ずまた遅れることが多い。「なぜ?」、原因を知って彼らはたいへんなショックを受ける。人身事故という自殺である。10年以上も連続で、日本の自殺者数は3万人をこえている。ブータンの人口はわずか70万人ほど。単純にいえば、20数年で国民がひとりもいなくなってしまう。
 ブータン人が大切にするのは、家族やコミュニティの人々とのつながり、関係性である。もちろん自然環境との関係性も重んじる。彼らは周辺関係の微細な変化、こころや身体の変調に敏感である。おおきな変調を来す前に、何人もが危険を察知するという。
 同国では自殺はありえない。もし自死を選んでも、再びこの世に生を受けるのである。虫か牛か犬か人か…それはわからないが、自殺には意味がない。

○参考書
『死の壁』 養老孟司著 新潮社 2004年刊
『21世紀 仏教への旅 ブータン編』五木寛之著 講談社 2007年
「関係性、充足、バランス:国民総幸福量(GNH)の視点と実践」上田晶子 『科学』2011年6月号 岩波書店

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