ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

アヒルの日本史(6)アフィロ

2024-09-24 | Weblog

 アヒルは昔からアヒルと、日本国内で呼ばれていたのでしょうか? 言語学や国語学者のみなさんが解明された説があります。

 「アヒル」がもし奈良時代に、国内で生育されておれば、「アピロ」と呼ばれた可能性が強い。ところが、アヒルの実在は、早くても平安時代か室町時代のようです。たぶん安土桃山時代以降に、日本に定着したのだろうとわたしは考えています。ですから、奈良時代にアヒルはおらず、「アピロ」という呼び名もありません。

 

 室町時代以降、安土桃山時代、そして江戸時代の初期まで、アヒルは「アフィロ」「アフィル」と呼ばれていました。この呼称発音に、間違いありません。

 現在の「アヒル」音の定着は、江戸時代の初めころからのことです。なかなか信じていただけないかもしれませんが。「またいい加減なことを適当に言っているんでしょう」と言われるのもくやしい。

 

 日本語の数千年間の変化をみてみます。注目するのは、ハ行の発音の変化です。「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、数千年の間に、三系語に大きく変動しています。現在の「はひふへほ」の歴史は、まだ400年ほどです。

 

(1)縄文時代

 現代の「ハ行」<はひふへほ>は、縄文時代には<パ・ピ・プ・ペ・ポ>と発音していました。ルーツは南方・南島語です。いまでも先島や台湾、さらに南島の各地に名残りが点在しています。「花」の原始日本語は「pana」ですが、八重山群島では最近でも「pana」が使用されているそうです。

 縄文語の発音例を紹介します。

 

 花  pana

 鼻  pana (出っぱったもの) ※アクセントは花と鼻とでは異なります。

 人  pito

 歯・刃 paN

 浜  pama   

 七  pitu  (ヒチ)

 

(2)奈良時代・平安時代~江戸時代初期

 「ハ行」は、<パ・ピ・プ・ペ・ポ>から<ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ>に変化していきます。この時代、アヒルは「アフィロ」とか「アフィル」と呼ばれたようです。「ロ」と「ル」の違いは、連載の次回ででも紹介します。

 かつてはテレビもネットも、国語教科書も義務教育もない時代です。言語の変化は、全国一斉に急に起きるものではないでしょうね。

 

 フランシスコ・ザビエルが薩摩に到着し、この国ではじめての布教活動を開始したのは1549年でした。彼の後を受け、たくさんの宣教師たちが日本で活動しました。その際に大きな壁になるのが、言語です。

 イエズス会は『日葡辞書』という大冊の辞典を何年もかけて、完成させました。辞典は、日本人との意思の疎通に必需品です。制作は日本人信徒と、イエズス会士との共同作業です。詳細な「日本語・ポルトガル語」辞書です。天正年間から制作を開始し、慶長8年1603年に本編を完成出版、翌年補遺刊行。画期的なキリシタン版日本語ポルトガル語対訳辞書です。

 日本語ハ行音は「Fa,Fi,Fu,Fe,Fo」と記されています。

 

 まず『日葡辞書』のアヒル、そして索引巻からごく一部「F」を見てみましょう。

 現代語「アヒル」  発音「AFIru」

 

 あいはからい 相計らひ  Ai facarai

 あいはたし  相果し   Aifataxi

 あいはたらき 相働き   Aifataraqi

 はくちょう  白鳥    Facucho (またはCuguiくぐい鵠)

 

 だいぶ後ですが、1728年、「h」音の時代ですが、露西亜で誕生した「露日辞典」では、花は「Fana」と記されています。薩摩を出て、露国に漂着した日本人、青年ゴンザは地元の学者との共同作業で、この辞典を完成させました。ハ行はすべて、旧発音のF音です。

 しかしゴンザの辞典は例外であって、<ファ・フィ・フゥ・フェ・フォ>の時代の大勢は、江戸時代の初期にほぼ終わっていると思います。

 

参考資料 『日本語の起源』村上七郎・大林太良 共著 昭和48年 弘文堂

『邦訳日葡辞書』土井忠生他訳 1980年 岩波書店

『邦訳日葡辞書索引』森田武編 1989年 岩波書店

『日本書紀』岩波文庫版巻1 1994年 坂本太郎・家永三郎・井上貞光・大野晉校注 ※補注/巻1-10 

 <『日葡辞書』の語彙>岸本恵実著/『シリーズ 日本語の語彙 3 中世の語彙 ―武士と和漢混淆の時代ー』 飛田良文・佐藤武義編集代表 2020年 朝倉書店

 <2024年9月24日>

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アヒルの日本史(5)願のアヒル

2024-09-18 | Weblog

 「きよ水のくわん、あひる一つかいしん上す」

<清水寺の願のため、アヒルひと番いを進上す>

 

 すごい記載です。「御湯殿上日記」/天正15年2月19日(1587年)。突然のアヒル登場に、正直なところ、本当に驚きました。

 「お湯とののうへの日記」は、内裏、宮中の御湯殿の上の間に奉仕する女官が筆録した宮廷日記です。文明9年から文政9年にまで約350年間の記録。464冊が残っています。一部欠損はありますが、たいへん貴重な日記です。(1477年~1826年)

 

「願」を辞典でみてみます。(がん/ぐわん・ぐはん)

 願うこと。特に神仏に祈り、願うこと。物事がかなうように祈願すること。

 内裏の女官は、いったい誰の、どのような願いを、清水の観音さんに願ったのでしょうか。

願の用例を参考までに。願を懸ける。願を起こす。願を立てる。

 

 『世間胸算用』井原西鶴(藝鼠の文づかひ)の「願」には同情します。

 「其(その)後、色々の願を諸神にかけますれ共、其甲斐もなし。」

 

 この日記が書かれた天正15年(1587)はどのような時代だったのか。以下、概略です。

前年末に、秀吉は太政大臣となり豊臣の姓をうける。

3月秀吉、島津征伐のために大阪を出発。

5月島津義久、秀吉に降る。

6月秀吉、筑前筥崎にて九州の封域を定め、ヤソ教(キリスト教)の布教を禁止する。(なお「布教」を禁止したのであって、禁教ではありません。)

 豊臣秀吉はこの年、日本全国制圧を完成した。彼の絶好調のころである。しかし5年後、朝鮮に出兵し、文禄・慶長の役が始まる。文禄元年~慶長3年、壬辰・丁酉の倭乱である。

<2024年9月18日>

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アヒルの日本史(4)古代・中世

2024-09-10 | Weblog

 アヒルはいつから、人間とともに生活しているのでしょうか。マガモ系の野鴨を何世代にもわたって改良した家畜です。ひと懐っこく、また重くて飛んで逃げることのない家禽に変身しました。

 中国では3千年ほど前から飼育されているようです。ヨーロッパでは2千年前ころ。日本には12世紀に輸入されたのではないか(農林水産省ホームページ)。それぞれが推定でしょうか。

 日本でこの鳥を「アヒル」と呼んだ最初は、16世紀に間違いありません。

 

 中国で最も古い記載だと思われるのが、漢初『爾雅』の文です。

「舒鳧、鶩」/音<ジョフ、ボク>。

 現代語「静かにゆっくりとのろのろ<舒>歩く鳧(鴨かも)を<鶩>(あひる)という。」

 前漢(紀元前206年~)、2千年以上前の記載です。『爾雅』は、中国最古の類語語釈辞典。この辞典は、春秋戦国時代の残存文書を収集して完成させたそうです。春秋時代がはじまるのが3千年近く前ですので、この時代に何か「鶩」文字の痕跡があったのでしょうか。

 

 後漢『説文解字』は、1900年ほど前に作られた最古の漢字辞典です。鶩アヒルの解説は、

「鶩 舒鳧也。…鴨也。」

「以為人所畜。不善飛。舒而不疾。」

「故曰舒鳧。」

※鶩ボクを「あひる」「アヒル」と読むのは日本だけで、それも16世紀以降のことです。

 

 アヒル<鶩/音ボク>は静かに歩く鳧<音フ/訓かも・けり>である。鴨<訓かも/音オウ>である。

またアヒルは人家の家畜である。飛ぶことができず、素速い行動ができず、ゆっくり歩く。それで、のろい鴨<舒鳧>という。

 

 ヨーロッパのアヒルをみてみましょう。といってもわたしが知っているのは、6百年ほど前の一例だけです。2千年史には遠く及びません。

 シェイクスピアの『ハムレット』は西暦1600年、関ヶ原の戦いの年にはじめて上演されました。オフェーリアが2月13日に歌うシーンがあります。「あしたは聖バレンタインデー。」このころのイギリスでは、2月14日の愛の日が定着しています。

 これより古い「聖バレンタインの日」は、同じイギリスの作家、チョーサーの詩にたびたび表現されています。彼は14世紀に活躍し『カンタベリー物語』で有名ですが、詩「鳥たちの集い」にアヒルが登場します。

 「聖バレンタインの日に、わし、あひる、ほととぎす、いかるなどが、各々配偶者を得る。」

 アヒルは欧州でも、もっと以前の記述に登場するのでしょうが、わたしはまったく知りません。

 

 さて本題の日本に戻りましょう。前回でみた平安時代のニ著『本草和名』と『倭名類聚抄』は、アヒルを記載していますが、両書からは鳥アヒルのガーガーという鳴き声が聞こえてきません。中国の文献をもとに編纂されたニ著です。知識としては詳しくすばらしい成果でしょう。しかし生きた鳥アヒルに出会ったことは、ないはずだと思います。またこのころ、日本にはアヒルが一羽もいなかった可能性もあります。

 

 そしてついに、日本で、あきらかにアヒルが飼育されていたという驚くべき記述です。

 「御湯殿上日記」(お湯とののうへの日記)/天正15年2月19日(1587年)、

 「きよ水のくわん、あひる一つかいしん上す」

 <清水寺に願のため、アヒルひと番い(つがい)を進上す>

 

 この日記文をはじめて見たとき、わたしは本当に驚きました。清水寺のアヒル二羽は、元気にガーガー鳴いていました。それでは「清水のアヒル」続編は次回。

<2024年9月10日>

 

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アヒルの日本史(3)鶩登場

2024-09-05 | Weblog

 日本でアヒルを記したもっとも古い本は、『本草和名』です。延喜18年(918)、醍醐天皇の侍医・博士だった深根輔仁が完成。日本で現存最古の本草書だそうです。初登場の鶩アヒル文を紹介します。現代語訳はわたしの下手な抄訳です。ご容赦ください。[なお括弧内は小さな文字です]

 なおこの鳥を日本で「アヒル」と呼んだ最初は、16世紀のことです。

 

〇『本草和名』の鶩アヒル。

「鶩肪、[楊玄操音木]一名鴨、[楊玄操作■、於甲反、]屎名鴨通、一名舒鳥、[出兼名苑]和名加毛、」

<鶩は音読み木ボク。鴨ともいう。音は甲コウ。鶩を小馬鹿にした別名に舒鳥。わが国では加毛(訓かも)。>

 

 ※ 「鶩肪、和名加毛」<箋注倭名類聚抄>

 ※ ■は鳥の右に邑が合体した字のようですが不明です。

 ※ 「舒鳥」よちよちと、ゆっくり歩くアヒルです。「舒ジョ」は静かとか遅いの意味。「舒鳧」はアヒルの異名。のろのろと尻を振りながら歩く家鴨です。ちなみに「舒雁」はガチョウです。

 

 少し遅れてアヒルが再登場するのが、承平年間(931年~938年)です。 注目の本は源順(みなもとのしたごう/911年生まれ)が編纂した『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)です。彼は当時20歳代、勤子内親王の求めに応じて作成した総合辞典です。略名『和名抄』など。

 

『和名抄』は『本草和名』に十数年遅れての完成ですが、両本の著者同志、互いに影響しあっていたのではないでしょうか。また本の制作を依頼したのが、『本草和名』は醍醐天皇、『和名抄』は勤子内親王でした。四人には深いつながりがあった可能性があります。

 勤子内親王(904~938)は醍醐天皇(885~930)の第5皇女でしたが、内親王と源順は親戚です。勤子の母親の父と、順の祖父が兄弟でした。

 醍醐天皇は『倭名類聚抄』の完成をみることなしに亡くなっています。承平改元の前年ですが、そのころ校了が近づいていました。天皇はこの本の編纂過程を熟知していただろうと、わたしは思っています。

 このころの何年間か、本邦初の総合辞事典をめぐって、激しい動きがあったはずです。そのように想像しています。

 

〇『倭名類聚抄』(和名抄のアヒル)

 中国漢代の辞典『爾雅』注を引いて、

「鴨 爾雅集注云、鴨[音押]野名曰鳧[音扶]、家名曰鶩[音木]、楊氏漢語抄云、鳧鷖[加毛、下音烏■反、]」 

<鴨は自然の中に暮らしているのが野鴨(オウ)であり鳧(フ)といい、家で飼育しているのが鶩(ボク)である。>

 

  • 「鶩」(音:ボク)は日本でいう和訓「あひる」です。また鴨(押オウ音)。鳧(訓けり・音フ)。
  •  ■は読みケイ、山の名だそうですが、PCで出ません。
  • 「鷖」音エイ・訓かもめ。なぜここでカモメ? 「鷖」には想像上の鳥という意味がありました。鳳凰の類。

 

「鳧」はチドリ科の鳥のケリではなく、ここでは鴨を意味します。鳧/音[扶フ]、訓[けり・かも]。ケリとカモ、2種類の鳥を意味する「鳧」字には悩まされます。式亭三馬『浮世風呂』に登場する「鴨子」と「鳧子」を思い出しました。

 

 酒井抱一の号「白鳧」(はくふ)がケリなのか、カモなのか。まだ結論けりはついていないとわたしは思っていますが、一般的にはカモと判断されるのでしょう。いずれにしろ、アヒル談議に出てくる「鳧フ・けり」は、まず鴨として読まないと意味が通じません。特に中国の文献では、すべてカモです。

<2024年9月5日 南浦邦仁>

 

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アヒルの日本史(2)記紀・枕草子

2024-09-02 | Weblog

 万葉集に登場する鳥たちを前回、調べてみましたが、残念ながらアヒルは載っていませんでした。記紀・枕草子も同様で、アヒルは出てきません。

 アヒルは登場しませんが、気になる鳥がほかにもおります。「スズメ」「トビ」「セキレイ」など。なぜ万葉集は、このような身近な鳥たちを、排除したのでしょうか。万葉集に登場する鳥の歌は、六百首ほどもあります。ところがこの三鳥は、一羽も出てこない。

 なお「あひる」がどこに、どのように登場するのかは、次回の楽しみにします。本日の主人公は、雀、鳶、鶺鴒。この三鳥に絞って、昔の記録を追ってみました。

 

『古事記』712年/『日本書紀』720年

 『万葉集』の完成(759年まで)より、『記紀』は数十年早く仕上がっています。万葉は記紀の記載内容や伝承から、大きな影響を受けているはずです。

 

【雀スズメ】 <アメノワカヒコの葬列に、雀が碓女(うすめ)として登場する。碓女うすめとは、食事を作る女。>

【雀】 <『古事記』には、仁徳天皇の名は「大雀命」(おほさざきのみこと)と記されている。まさに、雀です。>

【鳶トビ】 <神武天皇を、八咫烏(カラス)と金鵄(トビ)が導いた。>

【鳶】 <トビをもって造綿者(わたつくり)、死者の装束を作る人とした。>

【鶺鴒セキレイ】 <イザナギ、イザナミの夫婦神はセキレイから交合の術を学んだ。> 鶺鴒には後世、嫁教鳥(とつぎおしえどり)の名が付く。江戸時代、川柳に「セキレイは一度教えてあきれ果て」。神たちは、学習能力の高い生徒だったようです。

【スズメ・セキレイ】 <雄略天皇は三鳥にたとえて歌を詠んだ。鶉ウズラ・鶺鴒セキレイ・庭雀スズメ。>

 

 さて、三鳥が『万葉集』に登場しない理由です。『記紀』では、神や天皇に近い大切な鳥として描かれています。天皇をカラスとともに導いたり、「大雀命」の名前は雀そのものです。さらに鶺鴒は、男女神を指導したわけです。

 三鳥は身近な鳥たちですが、決して「平凡で取り柄のないもの」ではないのです。『記紀』において、彼らは高貴な者たちです。

 『記紀』と『万葉集』とは、ほぼ同時代に成立した書物です。完成は『記紀』が先行し、その記述内容は最優先されたはずです。神々や各天皇を記述しているのですから。

  三鳥は神や天皇と深い関わりのある眷属だったのでしょう。後発の『万葉集』は、三鳥など、高貴な価値観の定まった鳥たちを載せることを、あえて避けたとわたしは考えています。

 ところがそれから三百年近く後の『枕草子』になると、

 

『枕草子』清少納言/平安中期1001年にほぼ完成。30種近い鳥が紹介され、雀と鳶は登場しますが、鶺鴒は見えず。眷属だった鳥たちは、零落してしまったようです。

 

【雀すずめ】 原文「雀ならば、」 訳注「どこにでもいて、年中とりえのない声で鳴く雀なら、」

【鳶とび】 原文「鳥の中に、烏、鳶など」 訳注「どこにでもいる平凡な、とりえのない鳥の例(カラス・トビ)として、」(松尾・永井)

 

 参考までに、神の使いとされる鳥を、神社ごとに見てみます。

<ニワトリ/伊勢神宮ほか><カラス/熊野三山><ハト/八幡宮><ウソ/天神><トビ/愛宕>、ほかにもワシやサギなどを祀る神社もあります。

 それにしてもいずれも、身近な鳥ばかりです。なぜこれらの地味な鳥ばかりが選ばれたのか? わたしの判断は、まず渡り鳥には神使の資格がない。人間生活に日々隣接する鳥こそが、適任である、と思います。

 ツバメもホトトギスも、初夏に訪れる、冬には遠い南の国に行ってしまう。

 鴨や雁の類は冬にしか見えない。漂鳥も同じで、冬は雪深い山を避け、里に下りてくる。しかし春になればまた山に戻ってしまう。半年ほど不在欠席になってしまう。

 神の用事をこなすには、年柄年中毎日、人間に身近なところにいなければ、神の用事をこなせない。また人間の近くに暮らすことで、わたしたちの行動をよく見知っている。人と神とをつなぐ、いわば聖なる鳥たちともいえるのではないでしょうか。

 「どこにでもいる平凡なとりえのない鳥なので、彼らはまともな扱いを受けない」という三鳥に対する判断は、決して正しいとは思えません。スズメもトビもセキレイも、すばらしい高貴な鳥たちです。

 ところで天満宮の「鷽ウソ」について。この鳥は漂鳥でした。夏は亜高山帯で繁殖し、冬は里に下りてくる。菅原道真(845~903)が神格化されたのは、947年以降のことという。ウソがいつから神の使いになったのか不明ですが、「天神様のお仕え鳥」と呼ぶそうです。比較的新しい神なので、鳥の選択に本来のルール、留鳥限定が適用されなかったのでしょうか。それとも「天神」ですので、天翔ける眷属にはこだわりがないのでしょうか。

 

『日本書紀の鳥』山岸哲・宮澤豊穂/京都大学学術出版会2022年

『日本古典文学全集11 枕草子』松尾聡・永井和子校注訳/小学館1974年

<2024年9月2日 南浦邦仁>

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