ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

コスタリカ 1 <幸せシリーズ19>

2012-02-29 | Weblog
 世界を股に駆け巡った釣り師に作家の開高健さんがおられる。少し古い記載ですが、彼がはじめてコスタリカに到着した日の印象記を紹介します。1985年1月11日のことです。

 このコスタリカの首都は“サン・ホセ”と呼ばれる。高原の涼しい、小さな、花にあふれた、可愛い首都である。(その国のことは何も知らず、言葉も理解できないが)何となく肌につたわってくるものがあって、あとあとになっていろいろなことを知ってからふりかえってみると到着第一日のあの第一印象はなかなか正確であったなと思わせられることが多いものである。それによると、ここにも貧富の差はあるけれど悲惨はない。トゲトゲしい刃物じみた閃きは大人の眼にも子供の眼にも見られない。温厚と知性とユーモア、それにラテン圏では眼を瞠(みは)りたくなることだが、勤勉と清潔がある。……貧家も富家も玄関、テラス、裏庭、柵、いたるところに花を咲かせていて、まめまめしく、いじらしく、あっぱれである。町が小さいわりに書店の数が多く、どれも満員である。

 国民の平和な様子が伝わってきますが、何より花いっぱいで本屋が繁盛しているのはうれしいです。実はわたしも最近まで本屋さんでしたから。
 同じく作家の早乙女勝元さんも平和で幸福なコスタリカに魅了された方です。1996年にはじめてサンホセを訪れたときの記載です。首都の人口は当時約30万人。

 ミニ都市のせいもあるのだろうが、歩きながら見ていくうちに気づいた。高速道路がない。地下鉄もなければ、市内電車もない。要するに近代都市に必要欠くべからざるものがなくて、かわりに公園や広場があちこちにある。人びとは憩いと語らいの場を求めているのだろうか。公的な交通機関といえば、やや時代物のバスだけだ。
 なにしろ中心地が二キロ四方のエリアだから、町なかに住む人びとは、徒歩で用が足りてしまうのだろう。ないものはまだある。押しつけがましい街頭の物売りにドルチェンジ、なかばプロ化した物乞い集団に、行く手をはばむ子どもの靴磨きなど(それらがすべてない)。

 さらにない物がある。軍隊がないのです。内戦でたくさんの戦死者を出した翌年の1948年暮れ、国民解放戦線の代表者は宣言した。「今日かぎり、コスタリカ政府は、常備軍を全廃します」
 いまもこの国は戦車の一両も、機関銃の一丁も持っていない。しかし大砲は数門あるのです。不思議に思われるかも知れませんが、実は公園に大八車のような鉄輪を左右につけた古めかしい数門の大砲が置いてある。錆びついたプレートに1886年フランス製と刻まれている。100年以上も前の祖国防衛戦争で使われた大砲の骨董品なのです。
 1975年のこと、日本の海上自衛隊の練習艦がコスタリカを公式訪問しました。自衛艦は慣例に従って、21発の礼砲(空砲)をとどろかせたが、これに応えるコスタリカ側の大砲の音はなかった。また自衛艦の停泊中に、輸出品であるバナナの出荷日がきてしまった。コスタリカ政府は自衛隊に艦を沖に移動させてほしいと要請しました。日本側は腰を抜かさんばかりに驚いた。
 コスタリカの担当者は「バナナは生きもの。一日も早く積み出さないといけないが、軍艦は腐らないのでは……」
 そのような国、コスタリカのことをこれから書きたいと思っています。

○参考書
『オーパ、オーパ!! アラスカ至上篇 コスタリカ篇』開高健・高橋昇著 1987年初刊 集英社
『母と子でみる37 軍隊のない国コスタリカ』 早乙女勝元編 1997年 草の根出版界
<2012年2月29日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸福な国ベスト11 <幸せシリーズ18>

2012-02-27 | Weblog
 「幸福で自由な13カ国」と題して、自由で幸福度が高いとされる国々をみたことがあります。幸せシリーズ10(旧題ブータンの幸福10/1月29日付け)。
 このなかで人口が少ない2カ国、50万人のルクセンブルクと、アイスランド32万人を除く11カ国をみてみましょう。「最高に自由で幸せな国々ベスト11」を地域別に並べてみます。

北中ヨーロッパ/オーストリア・スイス・オランダ・デンマーク・アイルランド・スウェーデン・フィンランド・ノルウェー

南半球/ニュージーランド

北アメリカ/カナダ 

中央アメリカ/コスタリカ

 これをみますと、圧倒的に寒冷な欧州に集中しています。友人がいうのに「ギリシャやイタリア、スペインなんかの温暖な地方ではみなその日暮しができる。冬に寒い地はいつも備蓄や安全を考えながら慎重に生きているから、結果として安定や幸福度が高くなる」。確かにこの見解は否定できないかもしれません。
 カナダにはわたしの息子がホームステイしていたことがあり、聞くと「資源が豊富で人口密度も低い。みな優雅に生きていますよ」
 ニュージーランドには別荘を持っている日本人の友人がいました。「国民は世界一やさしい。自然も豊かで天国のような国です。いつでも別荘を使ってください」。宿はロハでも交通費がたいへんです。残念ですがいまだに別荘へは行ったことがありません。

 そして残るのがコスタリカ。日本人にはなじみの薄い国ですが、パナマとニカラグアに挟まれた熱帯地方に位置します。寒冷な国が幸せであるという友人の説を、唯一打ち破る例外の国です。
 実はコスタリカに興味があり、今年になって何冊もの本を買い集めたり図書館で借りました。ところが毎度のことですけれど、読む作業が追いつきません。しかしいま最も関心のある国の筆頭級です。これから少しずつですが、コスタリカ国民について記していこうと思っています。
<2012年2月27日>

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神仏とお金 <幸せシリーズ17>

2012-02-25 | Weblog
 幸福の連載を続けていますが、また連載名を変更しました。これからは「幸せシリーズ」。またタイトル「京都西山の麓から」も「ふろむ京都」に変えました。ほんとうにコロコロと三転四転していますが、これも気分でクセですのでご容赦ください。

 さて幸せのお金談義ですが先日、田舎の親戚4人組みが京都観光にやって来ました。あいにくこの日、わたしは所用で京都見物案内ができません。それで妻が同行しましたが、みなさんが希望した行先は清水寺。近ごろ京都でいちばんの観光地が清水、つぎが嵐山で三番目が金閣寺だそうです。
 わたしがいま興味を持っている調査テーマのひとつは賽銭箱です。神社ならガラガラの鈴の下にどこでも賽銭箱が置いてあります。寺はどうか? 清水など寺ですから、いくら神仏習合といえども独特であろうと思っていました。それで妻に賽銭箱チェックをお願いした次第です。「どのお堂に賽銭箱があるのか? またそこに祀られている仏なり神はどなたか?」。その晩の答えは「どのお堂にも賽銭箱がありました。拝仏すなわち拝金でしょうかね?」
 かつて釈迦がはじめた仏教では僧はみな朝の托鉢で、その日の食事分だけの喜捨を受けるはずだったと思います。仏教とお金についてはいつか考えたいものですね。

 中世史家の網野善彦、民俗学者の宮田登両氏の対談からお金を考えてみましょう。
「銭そのものにスピリチュアルなものがあるんですね。だから、銭には、銭甕(ぜにかめ)とか、銭洗いとか、不思議な習俗が伴っていますね。いまでも、呪い財布のなかに五円を入れておくと、お金がどんどん増えるとか言うでしょう。あれと同じで、甕のなかに銭を入れて、地中に埋めておくと、増えていくといった。銭が霊魂をもっているからと考えられていた」と宮田先生は話しておられます。

 宮田氏によると、秋の収穫が一段落すると「あきない」(商い)が行われた。各地から地元民ではない異人がやって来る。いろんな品物を持って来て、その地の市(いち)で交換する。秋が終わってからの市なので「秋ない」という。秋ないの「ない」は「営む」という意味。
 「市」は「齊」(いつき)。すなわち「聖」を意味する。つまり神様が聖なる場所にやって来るときに、いろんな物を集めて交換するという原初的な姿から市は始まった。
 この場は神仏の加護の地なので、「年占い」(農作物豊凶占)が行われた。すなわち博打の発生です。「占い」は「裏ない」で、「裏」側を判断するという「ない」、すなわち行為・営みだそうです。う~ん、なんとも奥が深い。
 港で潮や風雲をみて、船を出すかどうかを決める「日和見」(ひよりみ)も、占いと同様で一種の丁半といえます。相場師も同じで、民間陰陽道の知識を持った陰陽師崩れと呼ばれるひとたちと考えられていたそうです。
 博打は神仏にうかがいを立てる聖にして自由な経済行為のひとつであったわけです。三本締めとか拍手するとかは、その場にいる悪霊を全部排除して、ここは聖なる場所だということを示すこと。物の値段はこの聖域で決定するという意味があります。

 またかつて各地には厄年のお祝いにお金をたくさんばらまくという風習がありました。高い場所に立って、下に集まったたくさんのひとびとに向かってばら撒く。それは七歳の祝い、十三祝い、十五歳の成人式の元服、四十二歳の厄や還暦などなど。人生の節目の歳に、銭撒きが行われたのです。

 「年齢をお祝いするときには金をばらまくんですね。長寿ともなれば、たくさんお金をばらまく。ではなぜそんなことをするかですが、お金というのは、いろいろな災厄の形代(かたしろ)なんですね。不浄なものをとりこめて祓うというかたちでばらまいて、そうするとそれが逆に幸いをまき起こす」と宮田先生。
 なるほど、賽銭箱から離れた位置に立って金を放るというわたしたちの行為は、形代に災厄を取り込めて、ばら撒くように投げることに意味がありそうです。すると五円玉一枚ぽっきりでなしに、一円玉をたくさん勢いよくばら撒き投げ込む方が、余程ご利益の幸が来るのでは? これからは寺社に参詣時、たくさんの玉を用意しようとわたしは決めました。

 ところで聞き手の三浦雅士氏は「経済人類学では、経済は下部構造ではなくむしろ上部構造なんだ、文化なんだという指摘はいまも説得力を持っていると思います」
 宮田氏は「経済を知るには民俗学を知らなければならないということになれば、民俗学の講座を置く大学も増えるかもしれない。そうなればいいですね。(笑)」

 ところで年祝いに銭を撒くという風習ですが、たいへん興味があります。どこかでいまもやっていませんでしょうか。何をさて置いても馳せ参じますが。
○参考書 『神と資本と女性』網野善彦・宮田登対談 1999年 新書館
<2012年2月25日>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腹いっぱい! <幸福について16>

2012-02-20 | Weblog
 米国の心理学者のマズローがとなえた「欲求の5段階説」は有名です。発表されてから半世紀はたつはずですが、いまだによく言及されます。やはり真理を射抜いているからでしょう。
 彼によれば、人間の欲求は低次元から高次まで5段階からなっている。まずいちばん基本が生理的欲求。そして第2段階が安全欲求で、第3が所属の欲求、第4に承認、最高位は達成が困難な自己実現の欲求。
 最底辺に位置づけられる「生理的欲求」とは、水を飲み食べ物を摂取して生きていくという動物にとって最も大切で不可欠な要素です。もしも所属メンバーが食べ物を入手できない組織なり国家があるとしたら、そのリーダーは存在してはいけない。滅びるべき指導者のはずです。いままた北朝鮮がそのような危機にあります。

 ソウルのジャーナリスト、朴承氏が北朝鮮住民6人の肉声を伝えています。昨年の12月末の金正日死去後から1月11日まで、中国国境に近い北朝鮮に住むひとたちの貴重な声です。彼らは命がけです。もしもこのような話しをしたことが官憲に密告されれば、収容所に放り込まれるのは必至です。6人の悲痛な叫びから、「食事」に関する部分だけを抜粋しました。

Aさん 近ごろは食糧配給もないし、月給もすぐもらえません。情けない暮らしです。月給は三千ウォン(2400円)ちょっとで、お米二キロしか買えない。それで家族がどう暮らしますか。山に畑をつくって、そこから収穫したものを食べてますよ。

Bさん 配給も出ません。鉱山などで働いている人々は配給が出ますが、小企業所で働いている人には配給がありません。秋に農場に行って、ジャガイモを二百五十キロもらいました。三人の家族で、ジャガイモ二百五十キロがすべてです。母が商売をしておりお米を少しずつ買って、ジャガイモなどと混ぜて食べてます。母は副食物の商売をしています。畑で育てた白菜などを持って来て、夏に植えたトマトなどを秋に売ります。

Cさん 私は、中国とつまらない商売を少しやっています。一日儲けて、シレギグック(干し菜のスープ)にご飯を食べてます。ご飯は、トウモロコシにお米を少し混ぜて食べてます。暮らすのが大変です。配給は全然ありません。

Dさん 私は薬草商売をしています。農村の人々が掘って冬に乾かした薬草を買って来て、売る。たとえば五ウォンで買って七ウォンで売り、二ウォンの利益(1円60銭)で暮らしています。夫婦と子供一人の三人家族ですが、国家が配給するものは一つもないので、自ら商売して儲けて暮らさなければなりません。(ため息をついてから、これからの北朝鮮について)人民たちが安心して暮らせる気楽な国になったらいいと思います。食べる問題さえ解決されれば、何の懸念があるでしょうか。配給もなく、自らの力で暮らさなければならない。それがどれほど大変か。疲れて苦しいですよ。

Eさん 人が生きる上では、お腹がいっぱいになってこそ幸福なのに、米粒を数えるようにしか食べられないので、本当にとても大変です。一日でも早く豆満江を渡らせてくれるなら、私は靴下を脱いで素肌の足でも川を渡ります。(配給は)少しずつしかもらってません。とても足りません。…あるときはトウモロコシひと掴みしか出ません。この程度で、どうやって暮らすことができるというんですか。

Fさん 夫と娘と三人で暮らしていますが、食事は一日に一食くらい。ほとんど食べられません。悲惨な暮らしです。…(家族を残してひとりで)北朝鮮から脱出したい。私はいま、暮らすのが大変だ。川を渡れても渡れなくとも、たとえ途中で(射殺されて)死ぬことがあっても、命をかけたい女です。たった一日でも腹一杯食べることが、最大の幸せだと思っています。

 これまで北朝鮮に食糧支援をしていた中国は、ずっと送っていないという。おそらく北朝鮮をとことん困窮させ、追いつめられた金政権が中国に土下座し救いを求めれば支援する。そして完璧に属国化する。実質は国というよりも「半島省」であろう。狙いは豊富な鉱物資源などであるとしか考えられない。人口が餓死で大幅に減ろうが、中国の支配層には関係のない話しなのであろう。中国はそういう戦略をたてる国のようだ。
 北朝鮮の実情は、あまりにも悲惨である。何とか、みなが腹いっぱい食べる方策はないのであろうか。なお世界70億人のうち10億人が飢餓状態ともいう。
参考書 「北朝鮮市民への携帯電話」朴承 『諸君!』2月臨時増刊号 北朝鮮特集 文藝春秋
<2012年2月20日 書くつもりだった「お金の話し」は延期しました>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お金の正体とは何か? <幸福について15>

2012-02-19 | Weblog
 世の中に不思議なものは数多いですが、お金はその筆頭かもしれません。無ければおおむね不幸ですが、余るほどたくさんあるからといって、必ずしも幸福であるともいえません。骨肉の争いは貧乏人にも、大富豪の肉親間にも起こります。かえって富が大きいほど、その激しさと醜さはひどいものがあります。奪うものが乏しい所には、大戦争は起きようがありません。
 日本列島の内戦史は、弥生時代にはじまるといいます。蓄積の乏しい縄文時代には、ケンカはあっても戦争はなかった。食糧の備蓄がはじまった弥生から、富の奪い合いの戦闘がはじまったと、考古学者はいいます。

 だいたい紙切れが1万円だったり千円だったりします。一体1枚の製造原価はいかほどでしょう。日本のお金でいちばん価値が高いのは、1円玉だそうです。そもそも材料のアルミニューム代は一個作るのに20銭かかるそうです。製造費などを加えたら、1円近い原価になりそうです。もっとも原価率の高い貨幣でしょう。たかが1円と笑えません。バチが当たります。三味線並みの話しですが。
 10円玉も銅が95%を占めています。これも原価率は低くはないはずです。反対にいちばん安く製造出来るのが、やはり1万円札でしょうね。
 かつての十万円記念金貨は金の含有量が少なく、ニセ硬貨が出回ったのはなるほどと思います。金貨の正式名は「天皇陛下御在位六十年記念硬貨」。1986年(昭和61年)に発行されました。

 池上彰、岩井克人おふたりの対談から「お金のギリシャ哲学」を紹介します。岩井は、人類の知恵の根っことお金は、切っても切れない縁にあるといいます。英国のシーフォードというギリシャ古典研究家の数年前の発表に、岩井は衝撃を受けたそうです。わたしも驚きました。
<岩井> 古代ギリシャが哲学や科学、民主主義や文学に至るまで、現代文明の基礎を生むことができたのはなぜか。その理由が「ギリシャが世界史で初めて完璧な貨幣経済になったから」だと、シーフォードはいうのです。紀元前7世紀頃からドラクマという貨幣が流通し始めました。

<池上> 経済学者ではなくギリシャ古典学者が貨幣を論じるというのが興味深いですね。でも、貨幣経済の誕生と哲学や科学や文学に、どんな関連性があるのでしょうか?

<岩井> お金というのは、貝殻や金属としての価値をはるかに超えた、抽象的な価値として人々の間で流通します。貨幣経済に生きることによって、ギリシャ人は、この世界には具体的なモノとは次元を異にするイデアとでもいうべき普遍性があることを、日常的に知ることができたわけです。
 現実の具象から、普遍的な抽象を取り出し法則化する。これは哲学や科学です。お金を使う時は、人間は身分を超えて平等になる。これが民主主義です。お金によって共同体的な束縛を失った個人が起こす悲劇や喜劇を描くのが文学です。すべてお金がイデアであることが生み出しているのです。

<池上> 人間の文明が誕生するよりも、お金が生まれた方が先だったというわけですか。ということは、文明がある限り私たちは未来永劫お金から離れることはできないということになる。

 う~ん。うなってしまいます。2700年も前に、世界史上はじめての貨幣経済を構築したギリシャ。そこから哲学や科学、文学さらには民主主義まで発展させてきたのは古代ギリシャ人だったのですね。
 そのギリシャは日本のオリンパスをはるかに凌駕する粉飾決算を引き金に、欧州のみならず世界経済を揺るがしているわけです。ぜひ2700年間の金銭哲学を活かして、偉大なるお金思想を世界に向けて開花させていただきたいものです。
 ところでオリンパスの社名は、ギリシャ神話の山、オリンポスからきています。ギリシャは金銭哲学と実に縁が深い。次回は「神とお金」について、考えてみたいと思っています。
○参考引用資料
 池上彰・岩井克人対談「お金の正体とは何か?」『日経ビジネス』1月16日号
<2012年2月19日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月給倍増 (幸福について14)

2012-02-15 | Weblog
 かつての日本に所得倍増という計画がありました。昭和35年6月の安保反対の大闘争のあと、翌月に内閣を岸信介から引き継いだ首相池田勇人は、持論の「月給二倍論」を発展させた「所得倍増計画」を発表しました。「わたしはウソを申しません」が当時、流行語になります。またこの年の成長率は13%を超え、倍増計画は数年にして達成されました。現在の日本ではまるで夢であったような実話です。

 そしていま中国が同様の方針を打ち出しました。2月9日の日経新聞によると、「中国政府は8日、2015年までの5カ年計画で、最低賃金を毎年13%以上引き上げる方針を打ち出した」。また2015年までに都市部での新規雇用を4500万人増やして、都市での失業率を5%以内に抑える目標も掲げた。
 人件費の上昇で製造業などは負担が大きくなるが、国民の購買力向上で販売高、内需が拡大する。各地で起きているストライキなどの賃上げを求める動きに配慮した発表ともみられています。
 しかし中国は広い。地方ごとで経済発展状況が異なるため、最低賃金に格差がある。広東省深玔市の最低賃金は月1500元(約1万8000円)と高い一方、内陸部の江西省は610~870元(7300~10400円)。
 現地の日系部品メーカーは「過去5年間で人件費は2倍程度上昇した。日本向け部品の価格は、引き上げが難しいため、さらにコストが上昇すれば、東南アジアへの工場移転を考えなければならない」

 東アジア各国の人件費(実勢月収)概数をみてみましょう。
  中国    462米ドル(35600円)指数100
  タイ    427(32900円) 92
  ベトナム  152(11700円) 33
  カンボジア 125(9600円) 27
  ミャンマー 52(4000円) 11

 年収・月収・指数をJETROの発表でみてみます。一般ワーカーの実勢賃金です。例えば深玔市の最低賃金は上記月約1万8000円ですが、下記では実勢27400円ほどです。KLはクアラルンプール、ラオスは未調査。
  マレーシアKL  年収5615米ドル・月収468ドル・36000円・指数100
  中国 上海       5609・467・36000円・100
  中国 深玔       4265・355・27400円・76
  タイ バンコク     5125・427・32900円・91
  フィリピン マニラ   3897・325・25000円・69
  インドネシア バタム島 3451・288・22100円・61
  インドネシア ジャカルタ3247・271・20800円・58
  ベトナム ホーチミン  1891・158・12100円・34
  カンボジア プノンペン 1504・125・9700円・27
  バングラデシュ ダッカ 1015・85・6500円・18
  ミャンマー ヤンゴン  629・52・4000円・11
 日本貿易振興機構JETRO「第21回アジア・オセアニア主要都市/地域の投資関連コスト比較」2011年4月より。

 大前研一氏は日本を月収20万円としてブルーカラーの数字を、
  日本   20万円(指数100)
  中国   4万円 (20)内陸部です。5年後には10万円の予測。
  タイ   3万円 (15)
  ベトナム 1万円 (5)
  ミャンマー 2千円(1)日本のなんと100分の1。

 ベトナムもこれから大幅に人件費が上昇するとみられています。日本企業がミャンマーに注目するのは、「ポストベトナム」だそうです。勤勉で手先が器用で忍耐強いミャンマー国民は、世界の企業から垂涎の的の労働力なわけです。また未開発の資源がたくさん眠っています。
 しかし経済的な成長と高収入が幸福を実現するのでしょうか? ブータンのG N Hでもみましたが、やみくもなG D P志向は国民を不幸にしてしまいます。
 
 ミャンマーのタウンルイン副鉄道相はダウェー地区開発について、市民グループに対して次のように語っている。「経済開発は国の発展だけではなく、地元住民のためのものだ。開発が住民に悪影響を与えるのなら、慎重に検討せざるを得ない」
 キンマウンソー第2電力相はダウェー開発プロジェクトのうち、石炭火力発電所の建設を、環境汚染の危険を理由に中止した。
 またテインセイン大統領は昨年9月、反対世論が沸騰した中国企業による北部カチン州のイラワジ川巨大ダムの建設の中断を発表し、国民の信頼度が高まっている。
 市民グループは「地元に雇用をもたらす開発自体に反対はしない。しかしこれまで開発とは無縁だった住民は、公害や環境破壊など負の側面をまったく知らないのだ」(毎日新聞1月13日 東京版朝刊)

 ビルマ(ミャンマー)にとって、いちばんの難問はこれから押し寄せる外資を国民のためにどう生かすか、という点にある。ビルマが資源大国ならではの罠に陥り、外国人投資家や国内のエリート層が暴利を貪る一方で、一般市民がないがしろにされるリスクはもちろんある。(「Newsweek」2月8日)
<2012年2月15日 連載名を「幸福について」に変更しました>
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由で幸福なミャンマー国民 後編 (幸福な国民13)

2012-02-12 | Weblog
 ビルマ、すなわちミャンマーのいまの大改革は、テインセイン大統領とアウンサンスーチー女史、ふたりを中心に進んでいる。そのように思えます。しかし在野のスーチーは、これからどのような戦略を立てていくのでしょうか?
 4月1日の連邦議会下院補選立候補に彼女は届け出た。スーチー率いる野党NLD(国民民主連盟)は全48議席獲得を目指しているが、彼女は立候補のために住民登録を貧民が多数住む村に移した。
 NLDは1月下旬に党本部で選挙対策会議を開いた。48人の立候補者の住所地をどこに置くかを決めるためである。会議の席で「地図を広げて検討していたところ、スーチーさんは貧困が多いヤンゴン南部コムー地区郊外のワティンカ村を指定した」。そして党関係者が同村を訪れたところ、面識のないカレン族の60歳前後でふたり暮らしの姉妹が、「スーチーさんの住民登録はぜひわたしの家にしてください」と強く希望した。スーチーは選挙の前日夜に姉妹宅にはじめて泊り、4月1日はこの家から投票に向かう予定である。ワティンカ村での彼女の姿は、きっとテレビ映像で全世界に流れることでしょう。
 彼女が少数民族と貧困層の問題を大切に考え、実行していることを象徴的する話題です。武装少数民族の問題についてスーチーは「少数民族側は私に和解仲介の役割を求めている」。政府が望めば仲介を実行すると彼女は先月話している。

 ところでスーチーはテインセイン大統領について「私は大統領が本心から改革を求めていると信じている。ただ軍部が大きな権力を持つことを認める現行憲法の下では、大統領は国のトップであっても、最高権力者であるとは限らない。」
 確かに、改革を進めるテインセインに敵するのは、スーチーたちのNLDよりも、もしかしたら軍部現政権内部の保守派かもしれない。テインセイン主導の改革は、ここにひとつの危惧を感じてしまいます。

 また彼女は4月の補欠選挙について「48議席すべてを確保したとしても、600議席以上ある上下院の中ではわずかにすぎない。あらゆることを一度に実現することはできない。議会の中で徐々にわれわれの活動を広げていく。」
 国会の議席は4分の1を軍部が独占すると、憲法は定めている。憲法改正は重要な課題だが、新憲法の成立までには大きな障害がある。今回の補選はミャンマーにとって大きい意味を持つが、現実には小さな一歩にならざるを得ないのであろう。

 テインセイン大統領についてスーチーは、昨年3月に「新政府が誕生し、テインセインがトップに立ったからこそ改革が進んでいる。彼は変化と改革の必要性を理解し、最善を尽くしている。政府内の改革派はほかにもいるが、彼なしに実現できたとは思わない。テインセインは軍から尊敬されている。大統領は現政権の中でもまれな、汚職に手を染めていない人物のひとり。彼だけでなく彼の家族も同様で、これはとても珍しいことだ。」
 ミャンマーの軍部や政府高官たちには汚職が当然とされるなか、テインセインの清潔さはなぜであろう? 彼はミャンマー南西部のイラワジ川デルタ地帯で幼少年期をすごした。父は船着き場での荷役労働者であった。6歳上の兄は学業を断念し、弟のテインセインを中学そして高校へと進ませた。高校卒業後に国軍士官学校に入学したのは、学費が無料だったからである。
 彼は汚職に染まらなかった。それは軍で生き抜き出世するための狡猾な処方であろうか? 貧民として生まれ育ってきた自らの過去からの清廉志向ではなかろうか。
 テインセインの出身地、ジョンク村住民は「子どものころ、目立たず、また偉ぶることもなかった」。軍部トップだった独裁者タンシュエは、テインセインが「物静かで野心がなく、従順である」から後継に選んだともいわれている。

 スーチーは、当然だが次の補選で当選する。しかし大統領が望む閣僚就任は辞退するはずだ。ミャンマー憲法では、閣僚の政党活動は禁止されている。スーチーの党NLDは4月から新スタートを切る。彼女は党建設に力をそそがねばならない。
 そしてテインセインとスーチーは競うけれども連携し、新しいビルマ・ミャンマーを建設していくことでしょう。国民の自由と幸福のために。

・参考資料
 「Newsweek」2月1日号
 ブログ「孤帆の遠影碧空に尽き」ミャンマー関係記事
<2012年2月12日>

・追記3月14日
 共同通信によると、アウンサンスーチーは立候補した4月1日の連邦議会補欠選挙で投票しないことが、3月13日に分かった。「 N L D によると、スーチーさんは、最大都市ヤンゴン南部のコームー選挙区から立候補するに当たり、投票する権利を得るため、ヤンゴンの自宅から同選挙区内の住民宅へ住民登録を移す予定だった。しかし、事務手続きが複雑なため、登録を取りやめることを決めた。」
 「事務手続きが複雑」とは何でしょう。確かに住んでもいない他人宅に、了解を得ているとはいえ住民票を移す。3月31日のみ1泊予定。人権無視だったミャンマーでは、複雑なのかもしれません。もう少し詳しく知りたいと思います。いずれにしろ、あと半月ほどで投票です。
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由で幸福なミャンマー国民 中編 (幸福な国民12)

2012-02-08 | Weblog
 つい先日のこと、北朝鮮にくわしい方と話していましたら、話題は自然とビルマ(ミャンマー)の変革に行き着いてしまいました。ごく最近に変化著しいミャンマー大改革は本物か? 北朝鮮とともにアジア最貧国で、自由のカケラもなかった国が、本当に変身するのか?
 軍出身のテインセイン大統領が、はじめて外国メディアの取材に応じました。ダイジェストで記します。「ニューズウィーク」2月1日号。

 記者「短期間に驚くべき変化が起きているが、この国を変えようと思った動機は?」
 テインセイン「平和と安定、そして経済発展を実現したいという、人々の強い希望が根底にあるからだ。」
 言い得て妙だと思います。国民のために平和と安定と経済発展を目指す。国家のトップとして、言い尽くされた目標のはずです。口先ではなく、実行しているのがすごい。20年近くも続いている欧米主導の経済制裁は確かにつらいでしょうが、どうもそれだけではないようです。

 また彼は今後のステップについて「透明性を大切にしたい。世界の国々と友好関係を維持していきたい。」
 やっと自由になったアウンサンスーチーが率いる野党 N D Lは、政党として登録された。そして4月1日の国会補欠選挙で議席48すべてを獲得するべく、活動を開始している。まだ解放されていない収監中の政治犯も、この日には釈放されるという。
 少数民族の武装グループとの信頼関係構築も、テインセインは最重要課題にあげている。全国に11の武装勢力があるが、すでに最大派のカレン族勢力とは停戦合意を結んだ。ほかのすべてのグループとも対話を継続している。

 テインセイン大統領は欧米諸国について「われわれに求めている条件が3点ある。政治犯の釈放、補欠選挙の実施、スーチーをはじめとする人々を政治プロセスに参加させることだ。これらの条件はすでに達成したと、わたしは確信している。欧米の側もやるべきことをやるべきだ。3つの条件を実行したのは、国の外から圧力を受けたからではない。この国のために必要だと思ったからやったのだ。欧米による経済制裁の目的はミャンマー政府を痛めつけることだったが、実際は国民の利益を損なった。」

 また北朝鮮との核兵器開発での連携協力がウワサされているが「北朝鮮とは外交関係を結んでいるが、核開発や兵器の開発協力といった関係はない。そのような懸念は疑惑にすぎない。核は保有しておらず、北朝鮮との軍事協力もない。北朝鮮はわれわれの国を支援できる状況ではなく、われわれには核開発をはじめる財政手段がない。」
 北朝鮮と国交のない日本からすれば、北と外交関係のあるミャンマーが奇異にうつるかもしれないが、そんなことはない。日本こそが少数派である。世界162カ国が北朝鮮と国交を結んでいる。米韓は当然だがない。

 また大統領は「この国で民主主義が繁栄するための条件は、主に2つある。国内の平和と安定の実現と、経済発展だ。経済を発展させて国民の生活を向上させるため、必要な手段を実施している最中だ。…国民の貧困は、20年以上に及ぶ経済制裁のせいだ。この国で民主主義を繁栄させたければ、経済制裁を緩和して、民主主義に必要な活動を奨励するべきだ。」
 北朝鮮もミャンマーの行きかたを熟考すべきであろう。核すなわち原子力だが、貧しい国が自国を守るために、保有し開発し続けることには無理がある。外国からは危険な敵とみなされ、疲弊し尽くすしかない。国民は食に窮してどん底に堕ち、数え切れないひとたちが餓死していく。そのような国家がいつまでも存続できるはずがない。
 李相哲氏はたいへん危険な状態にある現在の北朝鮮食糧事情について、次のように記しておられる。金正恩政権を「維持するには、差し迫った食糧事情を何とかするしかないが、外からの援助を受けるには、その代償として、核廃絶に向けた態度表明を含む、責任ある態度を、国際社会から要求されるのは逸れない」(雑誌「諸君!」2月臨時増刊号 北朝鮮特集)
 国民を餓死させないという当面の課題も果たせないのであれば、北朝鮮の現体制は存在してはいけない。その能力も資格もない。差し迫ったいまが、ふつうの国に変わるための絶好のチャンスである。
 しかし核を手放し自由化と開放に向かえば、きっと反乱を起こす国民の手で虐殺されるであろうと確信している金一族と一部特権階級であるならば、外国に移住すればよい。彼らを温かく迎える、おおらかな国は世界にいくらでもあるはずだ。しかし立つ鳥、あとを濁さずという。

 4月1日のミャンマー補欠選挙、そしておそらく投票終了直後に実施される全政治犯の釈放。当日のテレビ報道がいまから楽しみだ。この日4月1日は絶対に、エイプリルフールであってはならない。なおこの連載次回は、アウンサンスーチーさんについて書こうと思っています。
<2012年2月8日>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由で幸福なミャンマー国民 前編 (幸福な国民11)

2012-02-02 | Weblog
 昨年11月に来日されたブータン国王夫妻、そして「G N H」という幸福キーワードからはじめた連載「ブータンの幸福」です。しかし回を重ねるたびに、ブータンから離れ出しました。なんと今回はミャンマー、アウンサンスーチーさんのビルマです。連載通番はそのままですが、シリーズ名を「幸福な国民」に変更します。
 
 近ごろ気になる国のひとつが、そのミャンマーです。ごく最近、たいへん急激な変化をとげつつあります。民主化と国民の幸福実現のために、国のかじ取りが大きく変わりつつあるようです。どうも本物のように思えます。もし早い時期に当面の目標に届けば、国民の圧倒的多数は獲得した自由と幸福に驚くことでしょう。世界中でも有数の幸福度の高い国になる可能性があります。
 ミャンマーすなわちビルマは、国土面積が日本の1.8倍。人口は5300万人ほどと東南アジアでも大きな国です。国民は勤勉で辛抱強く、手先が日本人よりも器用。識字率は9割と高く、イギリスの植民地だったため英語を理解するひとも多いそうです。周囲にはビルマ、中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドの6カ国が取り囲むという、地政学的にも重要な位置にある国です。
 しかし長く軍政下にあり、政敵や反抗する少数民族に対して容赦しない。殺害や投獄はあたりまえで、野党NLDを率いるアウンサンスーチーはごく最近まで、10数年間も自宅に軟禁されていました。
 言論報道の自由もなく、世界報道自由度ランキングをみても、2011年はビリから11位、2010年はワースト5位。国民の所得はアジアで最低レベル。「アジアを代表する自由と豊かさのない最貧国のひとつ」とまでよばれていました。G D Pは356億米ドルで福井県なみ。
 また孤立国家のひとつで、米国を中心とする国際経済制裁を長く受けて来た。同様の孤国北朝鮮と連携し、ミサイル、地下基地、核兵器開発で北と協力している危険な軍事国家とみなされています。

 そのように劣悪とみなされていたミャンマーがいま、あれよあれよという間に大変革を起こし出したのです。政治犯の釈放も進みつつあります。暴力革命によらず、平和裏に現政権が脱皮に成功すれば奇跡です。2011年11月以降の動きをみてみます。

11月18日 A S E A N首脳会議に出席した野田総理はバリ島でミャンマーのテイン・セイン大統領と首脳会談。野田はセインが進めている民主化・国民和解融和の動きを歓迎すると評価した。また日本で本年開催予定の日メコン首脳会議への大統領の出席を希望。セインは「訪日が実現するよう努力したい。野田総理にはミャンマーを訪問していただきたい」と話した。またASEANの2014年議長国にミャンマーが決定した。
 参考までにアセアン東南アジア諸国連合10カ国を記します。数字は概数人口万人。インドネシア2億4千万、フィリピン1億、ベトナム9千万、タイ7千万、ミャンマー53百万、マレーシア3千万、カンボジア14百万、ラオス6百万、シンガポール5百万、ブルネイ40万。

11月30日 クリントン国務長官がミャンマー入り。テイン・セイン大統領、翌日にはアウンサンスーチーと会談。市民代表や少数民族指導者にも会った。米国務長官の訪ビルマは57年ぶり。1955年のダレス以来。

12月25日 玄葉外務大臣がミャンマーにセイン大統領を訪ねた。改革に指導力を発揮していることを高く評価すると、玄葉は述べた。またカチン州の少数民族武装組織との停戦、労働団体法の制定と人権状況改善、スーチー女史率いる野党N L D がこの4月1日の国会議員補欠選挙(48議席)に参加できるという大進展を玄葉は評価した。セインは「民主主義国家として発展するためにも経済発展は重要。経済面また人材育成のため、日本の支援を得たい」

1月 テイン・セイン大統領がはじめて外国メディアの取材に応じた。彼は軍政下の2007年10月より首相、民政移管にともない2011年3月より大統領。この日の会見記事は「Newsweek」2月1日号に掲載されました。ブログ次回、後編で紹介します。

1月12日 枝野経済産業省がミャンマー入り。同行したのはクボタ、東芝、スズキ、太平洋セメント、シャープ、JX日鉱日石エネルギー、ヤマハ、三井物産など14社の代表。

1月31日共同 テイン・セイン大統領は訪問先のシンガポールで地元英字紙の会見に応じ「北朝鮮から核兵器を調達していない」と述べ、民主化路線の継続を表明した。

2月1日共同 ミャンマー連邦議会で財務相が対外債務額をはじめて発表。約110億ドル。これまで公表されたことは一度もなかった。

2月1日日経新聞朝刊 日本政府は新興途上国へのインフラ輸出拡大のための支援を決定。対象国はミャンマー、カンボジア、インドネシア、パナマ、マレーシア、モロッコの6カ国の10事業、総額1兆円規模。ミャンマーには2事業、上下水道下水処理施設の整備(東洋エンジニアリング)、ヤンゴンの火力発電所の補修(三井物産)

 発電については中国がすすめていたカチン州の水力発電所建設が、カチンの激しい反対世論を考慮し、ミャンマー政府の英断で中止になった。この発電所は電力の 9割を中国に送ることになっていた。またダウェー港周辺では工業開発が計画されているが、ミャンマー電力相は公害問題を危惧する住民の反対を理由に、石炭火力発電所の建設中止を表明していた。電力の安定供給は、ミャンマーの産業発展と民政向上に欠かせない基本条件。
 いずれにしろ、ミャンマーでは自由にモノがいえる雰囲気が高まっていることは確かなようです。現状でもすでに奇跡的です。北朝鮮やイランなども、注視していることでしょう。
<2012年2月3日 続く>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする