世界を股に駆け巡った釣り師に作家の開高健さんがおられる。少し古い記載ですが、彼がはじめてコスタリカに到着した日の印象記を紹介します。1985年1月11日のことです。
このコスタリカの首都は“サン・ホセ”と呼ばれる。高原の涼しい、小さな、花にあふれた、可愛い首都である。(その国のことは何も知らず、言葉も理解できないが)何となく肌につたわってくるものがあって、あとあとになっていろいろなことを知ってからふりかえってみると到着第一日のあの第一印象はなかなか正確であったなと思わせられることが多いものである。それによると、ここにも貧富の差はあるけれど悲惨はない。トゲトゲしい刃物じみた閃きは大人の眼にも子供の眼にも見られない。温厚と知性とユーモア、それにラテン圏では眼を瞠(みは)りたくなることだが、勤勉と清潔がある。……貧家も富家も玄関、テラス、裏庭、柵、いたるところに花を咲かせていて、まめまめしく、いじらしく、あっぱれである。町が小さいわりに書店の数が多く、どれも満員である。
国民の平和な様子が伝わってきますが、何より花いっぱいで本屋が繁盛しているのはうれしいです。実はわたしも最近まで本屋さんでしたから。
同じく作家の早乙女勝元さんも平和で幸福なコスタリカに魅了された方です。1996年にはじめてサンホセを訪れたときの記載です。首都の人口は当時約30万人。
ミニ都市のせいもあるのだろうが、歩きながら見ていくうちに気づいた。高速道路がない。地下鉄もなければ、市内電車もない。要するに近代都市に必要欠くべからざるものがなくて、かわりに公園や広場があちこちにある。人びとは憩いと語らいの場を求めているのだろうか。公的な交通機関といえば、やや時代物のバスだけだ。
なにしろ中心地が二キロ四方のエリアだから、町なかに住む人びとは、徒歩で用が足りてしまうのだろう。ないものはまだある。押しつけがましい街頭の物売りにドルチェンジ、なかばプロ化した物乞い集団に、行く手をはばむ子どもの靴磨きなど(それらがすべてない)。
さらにない物がある。軍隊がないのです。内戦でたくさんの戦死者を出した翌年の1948年暮れ、国民解放戦線の代表者は宣言した。「今日かぎり、コスタリカ政府は、常備軍を全廃します」
いまもこの国は戦車の一両も、機関銃の一丁も持っていない。しかし大砲は数門あるのです。不思議に思われるかも知れませんが、実は公園に大八車のような鉄輪を左右につけた古めかしい数門の大砲が置いてある。錆びついたプレートに1886年フランス製と刻まれている。100年以上も前の祖国防衛戦争で使われた大砲の骨董品なのです。
1975年のこと、日本の海上自衛隊の練習艦がコスタリカを公式訪問しました。自衛艦は慣例に従って、21発の礼砲(空砲)をとどろかせたが、これに応えるコスタリカ側の大砲の音はなかった。また自衛艦の停泊中に、輸出品であるバナナの出荷日がきてしまった。コスタリカ政府は自衛隊に艦を沖に移動させてほしいと要請しました。日本側は腰を抜かさんばかりに驚いた。
コスタリカの担当者は「バナナは生きもの。一日も早く積み出さないといけないが、軍艦は腐らないのでは……」
そのような国、コスタリカのことをこれから書きたいと思っています。
○参考書
『オーパ、オーパ!! アラスカ至上篇 コスタリカ篇』開高健・高橋昇著 1987年初刊 集英社
『母と子でみる37 軍隊のない国コスタリカ』 早乙女勝元編 1997年 草の根出版界
<2012年2月29日>
このコスタリカの首都は“サン・ホセ”と呼ばれる。高原の涼しい、小さな、花にあふれた、可愛い首都である。(その国のことは何も知らず、言葉も理解できないが)何となく肌につたわってくるものがあって、あとあとになっていろいろなことを知ってからふりかえってみると到着第一日のあの第一印象はなかなか正確であったなと思わせられることが多いものである。それによると、ここにも貧富の差はあるけれど悲惨はない。トゲトゲしい刃物じみた閃きは大人の眼にも子供の眼にも見られない。温厚と知性とユーモア、それにラテン圏では眼を瞠(みは)りたくなることだが、勤勉と清潔がある。……貧家も富家も玄関、テラス、裏庭、柵、いたるところに花を咲かせていて、まめまめしく、いじらしく、あっぱれである。町が小さいわりに書店の数が多く、どれも満員である。
国民の平和な様子が伝わってきますが、何より花いっぱいで本屋が繁盛しているのはうれしいです。実はわたしも最近まで本屋さんでしたから。
同じく作家の早乙女勝元さんも平和で幸福なコスタリカに魅了された方です。1996年にはじめてサンホセを訪れたときの記載です。首都の人口は当時約30万人。
ミニ都市のせいもあるのだろうが、歩きながら見ていくうちに気づいた。高速道路がない。地下鉄もなければ、市内電車もない。要するに近代都市に必要欠くべからざるものがなくて、かわりに公園や広場があちこちにある。人びとは憩いと語らいの場を求めているのだろうか。公的な交通機関といえば、やや時代物のバスだけだ。
なにしろ中心地が二キロ四方のエリアだから、町なかに住む人びとは、徒歩で用が足りてしまうのだろう。ないものはまだある。押しつけがましい街頭の物売りにドルチェンジ、なかばプロ化した物乞い集団に、行く手をはばむ子どもの靴磨きなど(それらがすべてない)。
さらにない物がある。軍隊がないのです。内戦でたくさんの戦死者を出した翌年の1948年暮れ、国民解放戦線の代表者は宣言した。「今日かぎり、コスタリカ政府は、常備軍を全廃します」
いまもこの国は戦車の一両も、機関銃の一丁も持っていない。しかし大砲は数門あるのです。不思議に思われるかも知れませんが、実は公園に大八車のような鉄輪を左右につけた古めかしい数門の大砲が置いてある。錆びついたプレートに1886年フランス製と刻まれている。100年以上も前の祖国防衛戦争で使われた大砲の骨董品なのです。
1975年のこと、日本の海上自衛隊の練習艦がコスタリカを公式訪問しました。自衛艦は慣例に従って、21発の礼砲(空砲)をとどろかせたが、これに応えるコスタリカ側の大砲の音はなかった。また自衛艦の停泊中に、輸出品であるバナナの出荷日がきてしまった。コスタリカ政府は自衛隊に艦を沖に移動させてほしいと要請しました。日本側は腰を抜かさんばかりに驚いた。
コスタリカの担当者は「バナナは生きもの。一日も早く積み出さないといけないが、軍艦は腐らないのでは……」
そのような国、コスタリカのことをこれから書きたいと思っています。
○参考書
『オーパ、オーパ!! アラスカ至上篇 コスタリカ篇』開高健・高橋昇著 1987年初刊 集英社
『母と子でみる37 軍隊のない国コスタリカ』 早乙女勝元編 1997年 草の根出版界
<2012年2月29日>