ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

SF「未来書店物語」 №1 <シリーズ:電子書籍元年2010・番外編>

2010-10-31 | Weblog
 昔ながらの古い商店街が、全国のいたる所にいまもあります。残念ながらたいていの店が閉店し、シャッターを降ろしています。シャッターストリートと呼ぶべきか…。
 しかしこのようなストリートを再生できないか? また通りの入り口あたりにある、昔ながらの小さな本屋を活性化できないか?
 書店は全国に15,000軒ほどが営業しています。かつて3万軒と呼ばれた本屋が、現在では半減してしまいました。数万人の書店店主と家族、従業員たちはその後、どのように生活しておられるのでしょうか?
 同じく本の世界で生計を立てている、わたし片瀬です。ひとごとではありません。あまりにも寂しいものを感じます。

 これからの10年ほどで、あるいは数年にして、ますますの出版不況と電子書籍の浸食とともに、全国書店数は5000軒ほど、約3分の1に激減してしまうのではないかとも、予想されています。
 未来のことは、正確な予測が不可能です。しかし、わたしたちは我がこととして、こうやってみよう、このような考え方はできないか、とりあえずダメでもともと、チャレンジしてみよう…。そのように日々、生きるしかないようです。

 これまで連載してきた「電子書籍元年Eブック 2010」の番外編として、すたれ行く昔ながらの商店街、そしてその一隅に位置する、また立地営業してきた町の小書店を舞台に、数年後の未来の生きざまを描いてみたい、そのように思い出しました。

 わたしの予測した近未来の商店街と町の零細書店は、全国ネットの大書店やスーパーマーケットやE通販などに伍して、堂々と対抗できる。細々と生き延びるのではなく、成功を収めることができそうである。そのような予感を持つことができました。
 しかし必須なのは、Eコマース、IT、ICT…。現実Rの物と電子Eの商品、それらをリアル商店街に取り込み、ER商店街・ERブックストアを構築することではないかと、思ったりしています。そしていちばんのポイントは、人間のこころの繋がり、ヒューマンコミュニティではないか。そのようなSNS「ソーシャル・ネットワーキング・システム」、いやそれらを昇華してのHSNS「ヒューマン・ソーシャルネット・サービス」。時代に必要なのは、こころの温度と連帯・協同ではないか?
 おそらく地域から日本全国さらには世界から、対面集団Rと非対面ネットEの連帯が、強固に結合するであろう。日本各地から発して世界に向けて、だれでもが発信・拡大することが可能である。地球上のさまざまの地域から、ぼう大なレスポンスも届き、ネットワークは<球網>となり、地球の全表面を覆う。神経ネットワークは一段と進化するであろう。インターネットの黎明期から予測された、自由のビッグバンである。
 少子高齢化によって、高年老年層は活躍するチャンスや意欲や舞台が増す。子どもたちも数が減ることによって、わたしたち中高老年者の眼が届きやすくなる。それらがうまくかみ合い回転しだすと、逼塞管理に陥った社会の状態は、驚くほどに好転するであろう。なぜなら、高年老年者は、管理組織の呪縛から脱しているからである。彼らは、束縛されない自由人である。活躍の舞台は整った。

 そのような仮想のフィクションSF物語を書けないものか? 近いうちに、想像夢想するままに、記してみようかと思っています。それが新連載SF「未来書店物語」。連載<電子書籍元年2010>からの脱線、横道歩きのようです。
<2010年10月31日>
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電子書籍 Eブック 元年2010  №19  「ジャパネットたかた」

2010-10-30 | Weblog
 わが家のテレビは、いまだに古いブラウン管です。画面はそこそこの大きさですが、後ろは異常に長い。スクリーンはちらちらし、隅はいつからか赤っぽい。
 地デジの期限が近づいている。家族は「どこに行っても、液晶テレビしか近ごろ見たことがない。一体いつになったら新しいテレビに買いかえるの? 当然、ブルーレイ内臓の大画面高品質TV・DVD録画再生機種を希望しますが!」
 わたしはTVをあまり見ません。ニュースを除けば、せいぜい週に1時間くらいでしょうか。スイッチをオンにしていても、BGMのように利用しています。部屋が無音なのもさびしいからです。
 五郎は反論しました。「別にテレビなどなくても困らないでしょう。地デジ革命を機会にTVは捨てましょう」
 家族から、総スカンを喰らいました。テレビにそれほど執着するのはなぜか? しかし家計のいくらかを担うわたしとしては、液晶TVを買わねばコケンにかかわる。ただでさえ低い家庭内位置が、さらに凋落してしまう。

 車を運転していてラジオを聞いていたら、TV通販で有名な「ジャパネットたかた」のCMが流れました。「ソニーの液晶32インチ、60時間録画テレビが、わずかたったの○○○円。月賦でも無金利! お申し込みは、0120……」。自宅に電話しました。「これを買ってもいい?」

 このTV事件をきっかけに、通信販売の業界が気になりだしました。少し古い記載ですが「週刊ダイヤモンド」2009年11月28日号「特集 通販&ネット販売の魔力」が参考になりました。古い雑誌は入手が困難ですが、京都市の図書館は、雑誌のバックナンバーをかなり所蔵しておられる。検索で見つけ予約したら、数日後に読むことができました。アナログとデジタルの融合した公共図書館のサービスはありがたい。ちかごろでは雑誌旧号取り寄せで「日経ビジネス」「東洋経済」「思想」などでも、お世話になりました。感謝です。

 さて、通販業界の年間売上は、9兆円に近づいています。ショッピングモールが主の「楽天」の流通総額は7000億円(売上2500億円)を超え、「アマゾン」売上も2500億円超で本の売り上げはその半分ほどという。また同じくモール型ネット通販の「ヤフーショッピング」はオークションに強い。この3社を「ネット通販3強」というそうです。
 通販大手はほかに、「千趣会」「ニッセン」「ジャパネットたかた」などなど。なかでもネット通販に力を入れている会社の伸びが著しい。ネット通販の伸びはこの数年、毎年20%のアップです。

 ところで電子書籍・Eブックですが、本格的な普及のためには、携帯電話スマートフォンよりも、タブレットPAD・板型携帯端末の飛躍的な拡充が不可欠です。この端末の呼称はまだ定まっていませんが、わたしは「E板」<Eバン>と呼びます。
 キンドルもアイパッドもブックリーダーも、日本国内で持つひとはあまりにも少ない。電子書籍・Eブックを、出版社や著者などがわざわざ苦心して作成しても、たいていのひとが読む端末は、携帯電話のスマートフォンか旧来のPCか、どちらかである。

 どうすれば一気に端末を普及させることができるか? わたしはふたつの方法を思います。まずひとつは、通販会社が携帯型機械「Eバン」を無料でばらまくことです。ゼロ円携帯と同じ考え方です。端末1台が一万円を切るくらいになれば、通販会社がメーカーと交渉して安値で買い取る。それを消費者にタダで配るのである。無料・フリーの戦略です。端末が普及すれば、いま日本で不足している、Eブックのコンテンツ提供も、すぐに激増することでしょう。
 ただEバンのプレゼントには条件があります。スイッチをオンにすると、「お早うございます(午後にはこんにちは)、片瀬五郎さん。ジャパネットのタカタです。いつもありがとうございます。今日もごきげんよう…」
 うれしいですね。律儀に音声か文字で挨拶があり、コミュニケーションしてくださる。何もジャパネットでなくとも、ほかの通販会社でもいいのですが。
 そして画面にタッチすると、「前に購入いただいたソニーの液晶テレビ、ありがとうございます。写りや操作に問題はございませんか? さて本日は、同じくソニーの画期的な新製品、グーグルTVのお知らせです」。TVというよりも、PCの巨大画面として、ネットサーフィン、作文、動画、そして読書など、老眼にやさしい高齢化社会にドンピシャリのテレビです。つい、購入ボタンを押してしまうかもしれませんね。

 NTTドコモは通販中堅会社のオークローンマーケティング(年商400億円)を買収しました。51%の株式を取得するために支払った額は310億円。この買い取り価格は、通販大手の千趣会(年売上1500億円)やニッセン(1400億円)の時価総額をはるかに上回っています。当然ですが、通販業界には激震が走ったそうです。

 電子書籍の普及は、通販各社の戦略下で進むのかもしれません。携帯スマートフォンは順調に伸びています。しかし画面の小さく、高年弱視者には使えない。タブレットPC・Eバンの無料化が、Eブックの世界を変えそうに思います。

 それともうひとつは、いま検討されている電子教科書です。小中高校生に無料でE教科書を配布しようという計画が進んでいます。授業は紙の検定教科書を廃止し、Eバンに切り替えることが検討されています。総務省やソフトバンクなどが着々と準備中という。ハードの費用は、子ども手当から充当です。
 もしもこの計画が実現すれば、どうなるでしょう? 国内の子ども数は、少子化とはいえかなりの人口です。毎日、携帯板PC・Eバンに少年少女がかじりつく。紙本は忘れ去られ、読書や学習はEバン<板>で読むものと、若者のあいだに進化定着してしまいます。ネット通販とデジタル教科書によって、紙の本は彼方に押しやられてしまいそうです。
<2010年10月30日>
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電子書籍元年2010 №18 「古書目録」

2010-10-24 | Weblog
 本を、わたしはよく買います。新本屋を利用するのは当然ですが、ブックオフの100円本もチェックします。また買わずに図書館にも行きますし、コミックは1冊週30円のレンタルも利用します。
 古書店も好きです。店に入ると独特の紙魚好みの匂いが「ぷーん」としたりすると、背筋がぞくぞくぴくぴくと震えます。しかし近ごろ、古書店に行くことが少なくなってしまいました。もっぱらウエブサイトの「アマゾン・マーケットプレイス」や「日本の古本屋」を利用するからです。
 行ったこともない古本屋さんから「古書目録」が送られてきます。おそらくかつてわたしはWebで購入したのでしょう。残念ながら、記憶力が低下したいまでは、その店でどの本を買ったのか、さっぱり覚えていないのですが…。
 
 神田の古書店「日本書房」から古書目録が昨日、届きました。(TEL 03-3261-2744 nihonsho@xc4.so-net.ne.jp)
 パラパラとページを繰っていますと、欲しい本がいっぱい載っています。多巻冊本ではたとえば、
 『日本古典文学大系』1・2期    岩波書店  全102冊  50,000円  1冊単価490円
 『新日本古典文学大系』     岩波書店  全106冊  150,000円  単価1,415円
 『日本思想体系』          岩波書店  全67冊   40,000円  単価597円
 『日本近代思想体系』       岩波書店  全24冊   40,000円   単価1,667円
 『日本古典文学全集』       小学館   全51冊   40,000円   単価784円
 『古事類苑』             吉川弘文館 全51冊   90,000円  単価1,764円
 『日本随筆大成』新装版     吉川弘文館 全83冊  100,000円  単価1,205円
 『日本の絵巻』正続        中央公論  全47冊  120,000円  単価2,553円
 『森銑三著作集』正続       中央公論  全30冊   80,000円  単価2,667円
 『江馬務著作集』          中央公論  全13冊   15,000円  単価1,154円
 『日本国語大辞典』        小学館   全20冊   10,000円   単価500円
  ………

 どれも冊数があまりにも多い。わたしは上記本をいくらかバラで手持ちしています。「古事記」「日本書紀」「万葉集」など。また随筆大成、絵巻、森銑三、江馬務の数冊などなど。しかしこれほど安いのなら、重複を無視してでもすべてを買いたい。懐具合はさておいて、そのように思うのです。だが、自宅の本棚に収容するのは不可能です。上記合計で600冊ほどです。分厚い本をそれだけ収めるには、三畳間か四畳半一間が必要では…。
 ところが『古事類苑』は、無料ウェブで読めます。吉川弘文館『国史大辞典』全15巻や『日本国語大辞典』新版などは、有料のサイトでみることができます。
 蔵書収容スペースの問題が、紙か電子か、わたしたちに選択を迫るようです。たとえば1点全100冊の全集があるとしたなら、わたしは欲しければ、きっとEブックを選ぶことでしょう。ゼロスペースと、検索機能に惚れるからです。本は、特に調べる書籍は、検索の役割が大きい。『柳田國男全集』全38冊が筑摩書房から刊行中ですが、あと数冊と索引巻が未刊です。完結するまで、索引のないこの全集は魅力が乏しい。
 ところが、Eブックの検索機能は完璧です。刊行中、未完結でも、Web版では索引巻を頒布できます。追加修正訂正を得意とするのが、電子版の特長特技。筑摩書房は『柳田國男全集』索引巻1冊だけを、急ぎ電子書籍で刊行すべきではと考えます。価格はフリー・無料に限ります。なぜなら、紙本を購入している読者以外、索引巻は使いようがないからです。既刊の紙本の売り上げは、それだけで間違いなく増えるはずです。
 おそらく多巻冊本は、電子書籍「Eブック」化するのは必然のように思います。当面、紙本と電子本の共存でしょうが、そうあるべきです。また、そうならざるを得ないはずです。
<2010年10月24日>
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電子書籍元年2010 №17 「新聞の未来」

2010-10-23 | Weblog
 本と雑誌は、新聞によく似ている。まるで三兄弟のようです。まず共に紙に印刷されている。定価販売が法律で認められ、また共に凋落の道を歩んでいる。
 『新聞消滅大国アメリカ』2010年5月刊、幻冬舎新書。著者の鈴木伸元氏はNHK記者で、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」などを担当。
 アメリカでは、またイギリスやフランスでもさらには日本でも、新聞が崩壊に向かっているという。なかでも新聞大国アメリカでは、ニュース紙ペーパーの多くが消滅してしまった。残った新聞も、販売部数と広告収入の激減で、苦境に追いやられている。この本を読んで、わたしは大きなショックを受けた。今回のブログは同書を参考に、「新聞」を考えてみます。

 ニューヨークタイムズの記者たちに流行したジョークは、「もし新聞業界で百万長者になりたいのなら、どうしたらいいと思うか」。答えは、億万長者から始めるのがいい。投資した資産が、どんどん減ってしまうのである。これはジョークではない。笑えない。アメリカの新聞記者のほとんどが「紙の新聞はその内に、あるいは早晩、消えうせる」と断言する。

 出版業界では新聞に近い雑誌も、部数減と広告収入減のダブルパンチを受けている。長年愛読されたはずの著名雑誌までもが、毎月毎号の赤字に耐えられず、休廃刊してしまった。いまもこの傾向は止まらない。そして出版社と書店の廃業・倒産には目を覆う。コミックも本も苦しい。

 日本の新聞の広告費は2009年に6,739億円と低下し、ネット広告7,069億円に抜かれてしまった。メディア別の広告収入は、トップがテレビ 17,139億円で前年比▼10%、ネット+1%、新聞▼19%、雑誌▼26%、ラジオ▼12%。ネット広告以外、すべて総負けの状態である。

 電通調査「2009年日本の広告費」で、メディア別の広告料を2000年と2009年でみると(金額単位は億円、伸長率%は小数点以下四捨五入、以下同様)
        新聞   雑誌   ラジオ  テレビ インターネット
 2000年  12,474   4,369   2,071  20,793    590
 2009年   6,739   3,034   1,370  17,179    7,069
 伸長率%   54     69     66    83     1198
 伸びているのは、やはりネット広告のみである。新聞はほぼ半減している。<小田光雄著『出版状況クロニクルⅡ』2010年7月刊、論創社発行>

 荒っぽい質問だが、「生活するうえで下記のうちからひとつしか利用できないとしたら、どのメディアを選びますか? テレビ、ラジオ、新聞、パソコン、携帯電話…」。NTTアドの調査結果です。数字は%。

       テレビ   新聞  パソコン  ケータイ
 20代男    13    2     46    28
 20代女    18    2     28    46
 60代男    44    14     23     6
 60代女    52    14      8    12

 若いひとほどPCと携帯電話を選び、新聞はわずか2%である。
無人島にひとり住むなら「百科事典を持っていく」。いまでは化石で、神話のような回答のようだ。ネット接続のPC1台あれば、孤島でこと足りる。
 立花隆氏は東大で10年ほど毎年、講義を受け持っているが、開講初日にはいつも「新聞を読んでいますか」と質問し、読んでいる学生に挙手させてきた。「かつて200人の中で、半分くらいが新聞を読んでいたが、直近ではその大教室で、2~3人しか手を挙げなかった」

 ところで新興国の新聞事情をみると、各国ともこの数年、販売部数は伸びている。2006年と2008年の対比でみると、伸び率%は、
  ブラジル      +21
  インド        +20
  南アフリカ共和国 +12
  チャイナ      +4
  ロシア       +2
 しかしこれらの国も、インターネットの普及とともに、近いうちにマイナスに転じるであろう。自由な表現が制圧されているチャイナやロシアの伸び率がわずかなのは、まもなく新聞の凋落が始まることの前兆に思えてならない。中ロ両国のPC普及率は高い。

 ITの進化と共に、10年か15年後か、あるいはもっと短い期間で、メディアのどれもが、大きく変化してしまっているであろう。アメリカのマスコミ関係者は一様に語る。「問題は、どのように変わるのか、いまはまったく予想がつかないということです」
<2010年10月23日>あえて実名記載です。南浦邦仁、2011年5月8日。
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電子書籍元年2010 №16 特集「電子書籍入門」

2010-10-16 | Weblog
 「週刊ダイヤモンド」10月16日号が、「電子書籍入門」を特集しています。60頁ほどの充実した内容。電子書籍には縁遠いひとでも、わたしのような初心者?にも、わかりよい入門編です。今日明日(10月16日17日)なら書店店頭に並んでいるはず。おすすめの1冊です。「パソコンを閉じて、本屋に行こう」。以下、印象に残った記載を紹介します。

 まずさまざまな「電子書籍可読端末」機種を、整理分類しておきます。もともと利用されてきたのがPC。そしてマンガやケータイ小説が読まれた携帯電話。まずケータイは進化し、「アイフォン」などのスマートフォンは電話機ですが、立派な超小型携帯PCです。しかし若者にはいいが、眼力の低下した中高老年には小さな文字はきつい。
 そして「板タブレット型携帯PC」の<アイパッド>など。「板型読書専用携帯端末」の<キンドル>タイプ。だいたいこのように分類できそうです。これらの機種を分類仲間分けして考えないと、これからのITの進む方向が見えなくなってしまう、そのように思います。

 20年近くも電子書籍ビジネスにかかわって来た、ボイジャー社長の萩原正昭氏はこう語っています。
 「電子書籍っていうと、すぐ見栄えのよいことをやるんです。めくったときのエフェクトとか音が出たり動画が出たり。紙ではできないことをやって、読者を驚かしてやろうとするんです。電子書籍ってちゃらちゃらした、表層的で移ろいやすいものです。でもこれはすぐにダメになってしまう。端末はすぐに新しくなったりするでしょう。そうなるとせっかく作った本は残らないんですよ。18年のあいだに何度もこうした経験をしましたよ。本当に情けなく、へたり込む、自己否定の経験でした」
 また彼は、いまこそ電子出版のための環境は整った。出版社は原点に立ち返るべきであり、紙だ電子だなどと、こだわるのは滑稽である。
 「本は誰でも読めるものでないといけません。規格、端末、ビューアなどで、読める本の制限があるいまの状況はおかしいですよね。しかし、すぐに規格の話が語られることはなくなって、世界で統一されるでしょう」。電子書籍のパイオニアであり、現在も先端を行く萩原氏の声は重い。

 「 たった10分で紙の書籍ができるエスプレッソ・ブック・マシン EBM 」も紹介されています。三省堂書店が全国の店舗に年内設置する、オンデマンド印刷製本機です。電子書籍データに接続できれば、わずか10分で1冊の紙本が、眼前でできあがる。現在は米グーグルのデータベースにある200万点ほどの洋書のみが対象だが、おそらく来年の早いうちに、日本の本も数10万点が可能になるはずです。絶版品切れ書籍が製本された新本で入手できる、画期的な事件です。
 EBM は1台1千万円ほどもする米オンデマンドブックス社の製品だが、全国各地の書店に同様の機種が導入されるに違いない。

 先端メディアの世界で活躍する野田収一 LED BRAIN 社長は、もと書店員だった。リクルート社系ウェブ制作会社を経て、40歳で独立した起業家です。
 彼は「昔から本が好きだった。古い世界である書店業界を経て、最先端のウェブの世界へ行き、いまは電子書籍に取り組んでいる。自分のなかでは、すべてがつながっている」

 この特集の末尾で編集者はこう結んでいる。1冊の本が人生を変えることがある。そんな経験のないまま過ごすのは不幸だ。電子書籍が、そのきっかけを広げる存在になる可能性は十分にある。
<2010年10月16日>
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チャイナという不可解な国 №3 「すみません…」

2010-10-12 | Weblog
 お人好しで気が弱く、すぐに謝る日本人のことを前に書きました。「中国という不可解な国」9月28日。なかでも代表的な謝り言葉が「すみません…」。これは英語の軽い言葉「Excuse me」なのか、気の毒や残念の「sorry」、あるいは謝罪「apology」なのか? 外国人の多くは、日本語の「すみません」を「apology」と判断するようです。
 日常生活のなかで日本人が「すみません」表現をどのように使っているのかが気になり、近ごろ日々、観察してみました。当然、わたしの使用例も含めてですが。

 居酒屋でビールのお代りを注文するのに「すみませーん」。友人が言うに「すみませんは止めて、『チョット!』にしたらどうや?」。このように、ひとに何かを依頼、お願いするときに「すみません」を呼びかけ語としても使いますね。当然、謝罪の気持ちのカケラもありません。「お手間ですが」と客が店員に気をつかっているのでしょうか?
 「済みません」が本来の表記です。気持ちのうえで納得できない、満足しないときにも使います。「飽きるほど何度もやって、気が済みましたか?」
 「そのような言い方をされたら、わたしの気持ちは済まないじゃありませんか。腹の虫が、収まりませんよ!」。これなど抗議・反発であって、謝罪の反対語のようです。相手に向かって、謝罪を要求しています。
 さらには、感謝の意味でも使いますね。狭い通路で対向者が道を譲ってくださる。「ありがとうございます」と言うべきですが、「すみません」。反射的につい口にしてしまいます。お礼の言葉です。
 当然、わたしたちは謝る、謝罪でも多用していますが、実に多様な意味をもつ言葉です。「どーも」は近ごろあまり耳にしませんが、曖昧語代表「どーも」と「すみません」は近い関係にあるのかもしれません。

 それから「ごめん」があります。「ごめんなさい…」は謝罪でしょうが、「天下御免」の強権発動も。治外法権、超法規的な言葉でしょうか。
 免官や免職、お役ご免でも使いますし、容赦する赦免することも言います。「ご免こうむる」は拒否です。来訪した乞食に「今日はお布施しません! ごめん! あなたは先週も来たでしょ!」。現代では使わない用例ですが、これも拒否です。
 どなたかの家を訪れると「ご免ください」、そして「お邪魔します」。自分の訪問は相手にとって邪魔である、と宣言しているように聞こえます。邪で魔ですよ。
 わたしの京の友人など、人混みをかき分けて突き進むとき、「ご免やっしゃ!!」。彼の発声には迫力がありますので、ほとんどの人が進路を譲ります。強引な脅し語かもしれません。「そこ!退け!」です。

 日本人が多用する「すみません」や「ごめん」には、実にさまざまの意味が含まれています。他言語常用者には、ニュアンスの理解が困難ではないでしょうか。
 しかし「すみません。ごめんなさい。申し訳ございません。許してください。責任はわたしにあります」。このような表現に接近すれば、それは明らかに「謝罪」です。日本語は一語一語があまりにも内容豊か?です。そのためにあいまい過ぎるのかも知れませんね。アクセントやイントネーション、音の強弱長短でも意味が大幅に変化してしまいます。
 先日のことですが、拙宅を「ろうおく」と言いましたら、「牢屋のような住まいですか?」と本気で質問されてしまいました。確かにその傾向はありますが、拙宅よりひどい住居ろうおく「陋屋」、狭くてむさ苦しいアバラ屋という謙遜語です。日本人の美徳であるケンジョウ、ケンソンやケンキョ、ヒカエメは世界では理解困難。いや国内でも衰退しつつあります。
 「日本語という不可解な言語」、そして不可解な日本人というのが、本日の結論のようです。チャイニーズだけが不可解なのではない。
<2010年10月12日>
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中国・チャイナという不可解な国 №2

2010-10-11 | Weblog
 まさか中国について続編を書こうとは、わたしは思ってもみませんでした。「中国という不可解な国」をこのコラムに載せたのは9月28日。その記事で、中国と言う呼称はやめて、チャイナと呼びたい。そのように書きましたので、これからは原則「チャイナ」と隣国を記します。日本を、ニホン・ニッポンと言わずに、「ジャパン」と呼ぶようなものですかね。
 さてチャイナ連載の理由はコラム「福田和也・世間の値打ち」に出会ったことも一因です。
福田氏は、尖閣諸島問題での政府と官邸の対応は、無策かつ無様の一言で、評価は5点。
各メディアの対応・検証は珍しく迅速かつ正確で55点 (えっ! そ、それでも、わずか55点ですか?)
そして中国への日本国民の意識覚醒度は80点 (パチパチ!)<「週刊新潮」10月14日号>

 わたしもですが、多くのジャパン国民が、この事件をきっかけに、チャイナという国を見つめ、深く考えるいい機会になったように感じます。メディアとして新聞・TVは当然ですが、雑誌記事やラジオのコメント、そしてインターネットからの情報も大きな影響を与えたと思います。遅れて発行される書籍情報はまだですが、もうすぐです。これも楽しみですね。
 また家族や友人仲間でも、チャイナ情報は持てはやされました。わたしも酒席で話題にこと欠くと、「チャイナは…」。それだけで、全員がいつも盛り上がりました。驚くほど共通の酒の肴サカナ話題になったわけです。島の名前が「釣魚」ですし、老若男女を問わず、ジャパン国民のほぼ全員が盛り上がる共通の話題を、サカナ釣りから得たと言うのは、久しぶりの国民的大収穫であったと思っています。チャイナの船長はじめ、中華国のみなさんに感謝! すばらしいサカナ釣りの大漁だったようです。
 
 さてチャイナという国がこれほどに、態度がデカクなったのはいつごろからか? 北京オリンピックの成功確信からはじまり、南シナ海での横暴事件、そして上海万博がはじまり、チャイナのGDP国内総生産がジャパンを追いぬいて、世界第2位になると自慢し出したころ。そのような流れの中から、チャイナは大中華意識を、東アジアの隣諸国などにあからさまに誇示し出したように感じます。

 さてGDPとは何か? 世界のGDP国内総生産上位10カ国をみます(2009年IMFレポート)。単位は10億USドル、指数は日本を100。
            ドル(10億)  指数 
1  アメリカ合衆国   14,256     281   凋落の米国ですが、やはり大きい。
2  日本        5,068     100   どこが2位や! という実感。
3  中国        4,908     97   円ドル元の為替変動をみても、2010年2位当確です。
                        10数年で米国を抜く、という予測もあります。
4  ドイツ       3,352     66   さすが独逸。健闘か。
5  フランス      2,675     52   なぜ豊か? 観光? 葡萄酒それとも兵器輸出?
6  イギリス      2,183     43   苦しいといいながら…
7  イタリア      2,118     41   へらへら生きているようですが。
8  ブラジル      1,574     31   大健闘ではないでしょうか。 
9  スペイン      1,464     28   ギリシアの次のEU破綻国? ポルトガルも…
10  カナダ       1,336     26   資源国です。

 これを見ますと、欧米各国と日本とチャイナ、そして南米ブラジル! おそらくBRICsの、ロシアとインドが近いうちに、ベスト10に入って来るのではないでしょうか?

 つぎに国民ひとりあたり国内総生産を見てみましょう。2009年IMF統計では180カ国ほどが出ていますが、朝鮮民主主義人民共和国が見あたりません。アメリカ中央情報局CIA集計では、北朝鮮は188カ国中なんと136位。1,239USドル! 政府高官が、ポッポに入れてしまうからこのように不審で高い統計が出てしまうのでしょうか? 北朝鮮の後ろに、まだ50カ国ほどの貧しい国民が控えているのですよ。北の庶民はとことん苦しいはずだと、わたしは確信しています。金正恩は実体を、知るべきです。
 以下、IMF統計から主だった知名度のある国を紹介してみます。
1  ルクセンブルク
2  ノルウェー
3  カタール
4  スイス
5  デンマーク
6  アイルランド
7  オランダ
8  アラブ首長国連邦
9  アメリカ合衆国
10  オ-ストリア
11  オーストライア
12  フィンランド
13  スウェーデン
14  ベルギー
15  フランス
16  ドイツ
17  日本   日本は17位! 決して世界に誇る豊かな国ではありません。
        国の総和が大きいのであって(それもチャイナの次)、国民ひとり平均はこの程度。
        ルクセンブルクはジャパンの2.6倍。2位のノルウェーは2倍です。
18  カナダ
19  アイスランド
20  シンガポール
21  イタリア
22  イギリス
23  スペイン
25  ギリシア
27  ニュージーランド
35  チェコ
37  韓国
48  ポーランド
58  ロシア
59  ブラジル
72  南アフリカ共和国 この国も、貧富の差が激しい。
84  イラン
92  タイ
97  中国   人口13億人以上を擁すチャイナは、たくさんの国民の貧困に支えられているのです。
        10億を超す貧民が、革命を起こしても納得せざるを得ない国なのです。
        また不正と人権無視は許せません。今年度のノーベル平和賞には、敬意を表します。
111 ウクライナ  チャイナ同様、政変は?
117 イラク
121 フィリピン
123 モンゴル
136 ベトナム  上昇は間違いなし。
138 インド   まだまだ伸びる?
147 カンボジア ここも上昇余地あり。世界の資本はチャイナから東南アジア各国に向かう?
164 ミャンマー チャイナ同様、人権無視の政情不安がネック。
179 ブルンジ  IMF調査のビリ国。アフリカ・コンゴの隣りです。

 国力ではなく、国民一人当たりがどうなのか? 為政者がつとめるべき目標は、国民ひとりひとりの豊かさなり満足、幸福度を指数とすることではないでしょうか? 日本も、チャイナも、その他大勢の国々の国民も、国力に比例せずに、大差はあれみな貧しいのです。せめてあえて言えば、ジャパン国民の大多数は決して豊かではないのです。

 大韓民国がアメリカのシンクタンクに、ある調査を依頼していました。そしてごく最近に予測値が出ました。調査事項は「韓国のひとりあたりGDP国内総生産は37位と低位だが、いつか日本を抜くのか?」。答えは、2031年に韓国72,432USドル、ジャパン71,788ドル。あと20年ほどで、ひとりあたり国民総生産額で韓日逆転する。韓国ではいま「あと21年!」と、日本で言うバンザイ現象が起きているそうです。ただ北朝鮮がそのころまでに崩壊し、韓国の足を引っ張るのではないかという懸念を気遣いますが。韓国はいま、東西ドイツの統合体験から、リスク回避の方策を学ぼうとしています。
 わたしたちは、韓国の未来予測バンザイを笑うことはできません。世界2位と自惚れる隣国チャイナは、実は国民ひとりでみると97位! 日本のひとりあたり<個人所得>は、現在なんと世界40位だそうです。中日互いに貧しい国なのです。経済大国ではあっても、豊かな国民はごく一握りでしかありません。これが尖閣事件でチャイナが教えてくれた事実とは、実に残念です。中日とも。
<2010年10月11日>
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アメリカ軍の情報収集 №4

2010-10-03 | Weblog
 戦中戦前の学説を覆した岡正雄たちの日本民族文化論だが、1954年10月に彼は、昭和天皇に進講することになった。岡は、天皇と呼び天皇陛下とは言わない。また進講であり、御進講でもない。
 江上波夫とともに大陸半島からの天皇渡来説を掲げた第一人者である彼が、招かれたのである。おそらく天皇が、岡の話しを望んだのであろう。岡正雄に「会いたい」、そして天皇族の半島からの渡来征服説などの話しを聞きたいと、昭和天皇は希望したはずである。
 花陰亭での1時間の講義のあと、天皇はじめ数名による1時間以上にわたる自由な質問や討論が続いた。天皇も気軽に発言し、くつろいだ雰囲気であったと、岡は回想している。

 そのときの話しの骨子はかつて1948年5月、喫茶店の2階で天皇騎馬民族説を討議したとき、また戦前のウィーン大学論文の記載と同じである。彼はつぎのように記している。
 「皇室の種族的系統につき、また皇室の本来の神話的主神はタカミムスビノカミで、アマテラスオオミノカミではないと思うことなど、いろいろ私の自説をそのままに申しあげた。天皇はまったく科学者の客観的な態度でお聴きくださって、また二、三の御質問もあった。終戦前において、こうした内容の研究や座談会の記事を、いったい発表したり、講演できたであろうか。」
 岡の考察は、まず日本神話の主神についてである。アマテラスは皇室の祖神とされているが、日本神話研究において最も不思議なことは、最高人格神はアマテラスではなくタカミムスビであるという事実である。アマテラスの占める地位は、非常に意味の軽いものである。
 戦中戦前では、このような考えを唱えることは異端であり、非国民として岡は不敬罪で逮捕、あるいは学界から追放されたであろう。
 
 さらに彼は、天皇種族が朝鮮半島を経て日本列島に進入してきたのは古墳時代の中後期であり、弥生時代から続いていたアマテラス神話に、天皇族のタカミムスビが古墳時代後期に重なった。それがアマテラスとタカミムスビの二元性である。この説は江上波夫「天皇騎馬民族説」に継承され発展した。
 ところで岡や江上の説が討議され、発表された終戦3~4年後という時期は、敗戦後の大混乱がちょうど収まるころであった。このタイミングに、天皇はアマテラスの子孫ではない、また大陸から半島を経由して日本列島を侵略し支配した種族である。このような説の広まることを、GHQは歓迎した。当時まだ根強かった万世一系の皇国史観。天皇は神の末裔であるはずがない。騎馬民族説は占領軍の施政にかなっていた。

 岡は語っている。「ましてや天皇に直接お話しすることなど、夢想することさえもできなかった。私が、私の「論文」をドイツ語のままにしておいた(また印刷することを肯んじなかった)、何分の一かの理由も、日本語での発表は(戦前戦中には)とうてい許さるべくもなかったからであった。世の中は、本当に変わったものと思うのである。」
 また、「論文」からこのように歴史が広がったことについて、彼は決して語らずに、自分ひとりの記憶にとどめ置くべきだったのではないかと逡巡した。「こうした形で、私事にわたる思い出話をここに公表することについて、私は最後まで若干の躊躇を感ぜざるを得なかった。」
 昭和54年に刊行された岡正雄『異人その他』の凡例には記されている。「独文学位論文『古日本の文化層』は、目次のみ翻訳したが、続いて刊行する予定である」。しかし論文は独英日語、何語版もいまだに出版されていない。なぜなのか? 
 余談だが、騎馬民族説を唱えた江上波夫は1991年、文化勲章を受章した。ついに異端の説も、認知されたと考えるべきなのであろうか。あるいは、京都の公家たちが千年以上にわたって育んできた「位打ち」の逆襲応酬を、岡も江上も浴びせられたのであろうか。

 さて、突然思いついたこの連載も本日で終えます。この稿はノンフィクションなのか、それともフィクションなのか? 極力、事実を書くようにつとめたつもりですが浅学非才。わからない部分がいくつもあります。それを想像で補いました。ですので「八分目ノンフィクション」とでもいいましょうか。独断偏見の記述をご容赦ください。興味あるかたは、下記の図書などを参考になさってください。

 <参考図書>
 『日本民族の起源』石田英一郎・江上波夫・岡正雄・八幡一郎共著
   昭和33年初版 平凡社刊
 『異人その他 日本民族=文化の源流と日本国家の形成』
   岡正雄著 昭和54年 言叢社
 『異人その他―岡正雄論文集―他十二篇―』大林太良編 1994年 岩波文庫 
   ※この文庫版は抄本ダイジェストですので、前記の言叢社本をおすすめします。
 「歴史民族学の限界―日本民族文化起源論をめぐって」
   『石田英一郎全集』第2巻所収 昭和45年 筑摩書房
 『騎馬民族とは何か』 江上波夫編 毎日新聞社 昭和50年
   井上靖「『騎馬民族説』と私」
 <2010年10月3日>
コメント (5)
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アメリカ軍の情報収集 №3

2010-10-02 | Weblog
 1948年1月、安曇野の農家で冬籠り中の岡正雄に東京から電報が届いた。米軍総司令部の民間情報文化局CIEに出頭せよという。「GHQ総司令部が一体、わたしに何の用があるというのだ?」
 CIEに到着した岡は驚いた。ウィーン大学の研究室に残してきた論文「古日本の文化層」全6巻を、彼に渡すというのである。当日、民間情報文化局で授与式がおこなわれ、局長のニュージェント中佐は「近い将来、必ず英語で出版してください」。そう言葉をかけ、全6巻を彼に渡した。
 岡は「これはまったく予期しなかったことで、米軍の意図がなんであったか知らないが、その好意に対し、私は素直に感謝した」
 米軍が日本人を理解するために、軍に所属する数名の学者たちが、論文を深く読み込んだことなど、岡は知らなかったのである。彼の考察は占領政策に活かされていた。

 当時、CIEには日本人学者も勤務していた。社会学者や民族学者など、関啓吾や石田英一郎たちである。
 実は、石田が米軍CIEの学者に働きかけたお陰の返還であった。石田は記している。
「1937年にウィーン大学に(石田が)留学してから、同大学の民族学研究所において、このドイツ語の(岡)論文を閲覧する機会をえて啓発させるところ多く、また戦争のため、岡氏個人の所蔵する右論文のコピーが、ウィーン大学日本学研究所に残されたままになっていたのを、終戦の直後、わが学界のため、占領軍総司令部のCIEにあった人類学者のハーバート・パッシン氏に依頼して、同じ連合軍の占領下にあったウィーンから、日本にとりよせてもらったのも筆者であった。そしてこのコピーを問題の提起と討論の基礎として、1948年の座談会(日本民族=文化の源流と日本国家の形成)は、筆者の司会のもとに開かれたものである。」

 アメリカの学者たちも当然、この論文を既に高く評価しており、著者の岡を尊敬していた。アメリカ人が日本人とその文化を理解できたのは、まずこの論文のタイプ複製に依ったからである。

 ところで岡に渡された論文は、オリジナルでなく複製であった。実は、ウィーン大学の研究室に残されていた岡の手控えである。
 論文はもともと、ウィーン大学民族学研究所に原本が1部。そして同大学の岡の研究室に控えの写しが1部あった。そして1945年に米軍によってつくられた複製が、おそらく2部。アメリカ本土と、東京のGHQ・CIEが所蔵していたのではないかと思う。
 米軍が論文をそれほどに重んじ、コピーが既に東京にもあったろうことに、石田英一郎は気づいていなかった。いや、石田は知っていたのではないか? おそらくこの論文は、外国人すなわち日本人には原則みせない、マル秘扱いの禁断の書であったように思う。天皇の起源についての考察だけでも、当時なら驚がくの説である。

 岡はつぎのように語っている。原文ママ。
 下宿に置いて来たものはいっさい、前に述べたように焼失してしまったが、ウィーン大学の私の研究室に置いて来たものは、大学の書籍といっしょに疎開されて、助かったのであって、この「論文」(複写版)が奇しくもふたたび私の手に戻ったのである。一度この「論文」とは縁がなくなってさっぱりした気持でいた私は、「論文」との再会は嬉しかったが、いっぽう古い因縁が甦ってくることを思うと、また多少心の荷を感ずるようになった。当時、石田君は私が百姓生活を楽しんでいることに不満で、学問への復帰を促してくれたが、それが、この「論文」が戻ってきてからは、その内容の梗概なり、その一部なりを「民俗学研究」(機関誌)に発表するようにと、「執拗」に勧められ、雑誌では私の怠惰を叱責された。ちょうどその頃であった。民族研究所から満州に調査にいっていた、八幡君や江上君が長い抑留から帰ってきたが、江上君と久しぶりに東京で会った時、会うが早いか、彼は持ち前の調子で君の意見とだいたいおなじような結論になった、といって(後に)座談会で同君が述べた「天皇」種族の日本列島渡来についての新説(天皇騎馬民族説)を、まくしたてるようにきかせてくれた。

 そして1948年5月、東京神田の喫茶店の2階で「座談会」が開催される。敗戦の3年ほど後である。復興の進む東京だったが、この喫茶店もバラック建てであった。
 喫茶店で3日連続、連日早朝から深夜まで、ベリ―ハードな議論が続いた。岡いわく「相当精力的な三日間であった」
 参加者は民族学の岡正雄、考古学の八幡一郎、東洋史学・考古学の江上波夫。司会進行役を文化人類学の石田英一郎がつとめた。議論は翌年2月、雑誌『民族学研究』に「日本民族=文化の源流と日本国家の形成」と題して掲載され、なかでも天皇騎馬民族論が、学者にも一般の読者にも驚きの眼で読まれた。戦中戦前、天皇についてこのような異説は唱えようもなかった。
<続く 2010年10月2日>
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