釣りあげた魚を海に放すと、人語を話すその靈魚は津波や洪水の到来を恩人に教え救ってくれる。反対にこの魚を殺し喰おうとすると、それらの人はみな波にさらわれてしまう。
また魚を救いはしないが、捕らわれた霊魚がはるか沖の海神に救いを求める声を聞いたひとも、畏れ避難して津波から逃れることができる。この伝承は前にみた八重山、宮古列島、先島諸島に数多く残っています。先島ではこの靈魚をヨナタマ、ヨナイタマと呼びます。
インド神話のマヌと霊魚、海進のことは紹介しました。マヌが助けた小魚は大魚ガーシャとなって、大洪水時に箱船に乗った彼をヒマラヤの山にまでロープをひいて荒波のなかを運びます。
旧約聖書の「ノアの方舟」は大洪水の神話として有名ですが、ノアに大水害のことを教えたのは、主ヤハヴェです。一神教では魚の神など登場しません。神は唯一、主のみですから。
しかしこの神話は古代メソポタミアの洪水伝説を祖型としています。旧約聖書が誕生する数千年前、シュメール時代にすでに同様の話しが、粘土板に楔形文字で刻まれていました。
五千年前の「ギルガメシュ叙事詩」をみてみましょう。王ギルガメシュに「洪水に備えて箱船をつくれ」と教えたのは、多神教世界の神「エア」でした。エア(エンキ)はシュメール神話世界の神のひとりですが、上半身は人間、下半身は魚で魚の尾をもつ魚神です。この洪水神話の原型は、すでに六千年ほど前に記されています。
中国の洪水神話もよく知られていますが、昔話の十人兄弟も興味深い。人民を万里の長城建設で酷使し苦しめた蓁の始皇帝の時代。始皇帝によって、刑として六男が海に放り込まれる。大男の九男が兄を救い、30キロほどもある大魚もとらえる。そして九男はひとりで大魚を食べてしまう。空腹だった末弟は食べられず悔し泣きをする。すると涙が大雨、そして大水になり、あっという間に万里の長城を押し流してしまった。始皇帝も大水のために海まで流され、スッポンの餌食になってしまった。
四千年以上も昔、中国はじめての王朝「夏」の始祖は㝢(う)とされる。古い書や金文では、㝢は洪水を治め、黄河流域に夏王朝をはじめたと記されている。白川静は「画文として多くみえる人魚のモチーフは、洪水神禹の最初の姿であろうと思われる。禹はもと魚形の神であった」。『山海経』に「その人たるや、人面にして魚身、足なし」
中国でも長江(揚子江)寄り、漢水流域や南方一帯などには「伏羲と女媧」(ふくぎ・じょか)の洪水神話があります。洪水神は竜形の神とされ、両神は人頭蛇体、蛇の絡み合った「交竜」図として有名です。また伏羲は「葫芦」(ころ)、すなわち「ひさご」ヒョウタンでもあり、大洪水を逃れた女媧はこのヒョウタンの中で生き延びたのである。「伏羲の原型はこの<ひさご>であり、それは箱舟型の洪水神話であったとみられる」と白川静は記している。
南島、東南アジア、南太平洋の島々について、後藤明は人魚、ウナギ、ウツボ、海蛇、蛇、鮫、ワニなど、海や水界に棲む生き物に霊的な力を認める考え方は広く見られる。人魚のモデルであるジュゴンも人間の化身だという考え方が、東南アジア大陸部やインドネシアにも見られる。
海霊や霊魚について後藤は「言葉を話すという人間的特性を付与し、水を司る霊的存在と考える思考は東南アジアや南太平洋地域では一般的である」。オーストロネシア民族を中心に海霊的な観念が発達し、その流れが日本の南島にも及び、さらにもっと深いところで、日本各地の 「物言う魚」の観念と関係しているのではないかと、後藤は記している。
しかしすでにみたように、世界各地の神話伝説を読み解くと、洪水・津波・海進を予告する霊魚は、メソポタミアにも古代中国、そして古代インドにもあきらかである。数千年あるいは一万年ほどの昔から、人類は海神の眷族や遣いとして、物言う霊魚を信じてきた。この深い信仰を滅ぼしたのは、ひとつには人類の文明文化の発展、すなわち合理的思考法による迷信の放棄ではなかろうか。そしてもうひとつは、一神教のキリスト教が邪教である<魚神>を捨てたことによると考えます。ギルガメシュの魚神エアと、ノアの神ヤハヴェの対比は歴然と、その真理を語っていると思います。
参考書
○『中国民話集』 飯倉照平 編訳 1993年 岩波文庫
○『中国の神話』 白川静著 1980年 中公文庫
○『「物言う魚」たち 鰻・蛇の南島神話』 後藤明著 1999年 小学館
<2011年6月26日 南浦邦仁>