1945年8月30日午後2時5分、日本占領のため連合国軍総司令官マッカーサーが、厚木飛行場に到着した。愛機バターン号から降り立つ元帥の姿は、まるで千両役者のようにみえる。口にはコーンパイプ、特注の軍帽、ラフな軍服とレイバン。顔には化粧までしていたという。
タラップを2段ほど降り、そして立ち止まり、ゆっくりと日本の大地を右、左とながめ渡す。現場に立ち会った日本人記者はつぎのように記している。オートマチックで伸縮式の「タラップが降ろされ、コーンパイプをくわえるマッカーサーが、一歩一歩踏みしめるかのように降りてきた。その姿は、役者が大見えを切るふるまいにも似て、勇気と自信に満ちたものだった。…ショウマンシップと洞察に満ちた行為だったともいえる。…すべての日本人の目に征服者の姿を焼きつけようとした。」
この瞬間の写真は、数多く知られている。最近では9月2日、出版社の宝島社が全国6紙に見開き2ページの大広告を掲載した。このことは9月3日に片瀬連載「マッカーサーの財宝」で記しました。しかしその後も、この広告は喉元から離れぬ小骨のように、気になってしかたがなかった。
タラップに立つマッカーサーの写真は、どこか違和感がある。わたしの記憶とどこかが違う気がする。本やネット、ビデオやDVDで8月30日のマッカーサーの写真映像を数十点、確認してみた。
結論をいうと、宝島社が使用した写真は、合成写真である。大地の部分がモンタージュされている。宝島社の写真では、左右の両端まで、空港のかなたの地平は草原である。
マッカーサーが厚木に到着したとき、空港の向こうバターン号の腹の下の彼方は草原ではない。どの写真映像をみても、向こうには兵舎か格納庫のような三角屋根の建物がいくつも並ぶ。またジープなどの軍用車両が何台もみえる。またたくさんの米兵たちが、元帥の警護のため守りを固めている。
ところが宝島社の写真には、建物も車両も、マッカーサー以外の人間がただのひとりも写っていない。バターン号と荒涼たる大地、そしてたなびく雲と青空。そのなかに元帥だけがタラップに立っている。いかにも、国破れて山河ありという印象の画像である。
この写真は、合成されたニセ写真である。なぜか? いつだれが作り変えたのであろう。次回からは、いくつかの犬話も交えながら、66年前の8月30日午後2時過ぎのことを考えてみようと思っています。
なお写真の比較には、まず9月2日掲載の宝島社広告「いい国つくろう、何度でも」をご覧になってください。ネットで確認できます。
また本来の報道写真は数多くあります。ネットでも何枚もみることができますが、書籍ではたとえば、ジョン・ダワ―著『敗北を抱きしめて』(上巻・増補版・岩波書店 2004年 68ページ)
この写真は元帥もお気に入りだったそうで、回想録にもトリミングされた写真が使用されています。少しですが建物が確認できます。ダグラス・マッカーサー著『マッカーサー大戦回顧録』(下巻・中公文庫2003年 150ページ)
<2011年9月26日 南浦邦仁>