水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

残月剣 -秘抄- 《旅立ち》第一回

2009年02月17日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《旅立ち》第一回

  道場に入門する上は、この剣の道に全ての生を懸けるのだ…と、左馬介(さまのすけ)は想いを新たにした。
 
━━ 父の秋月清志郎通方(あきづき・せいしろう・みちかた)は七十表五人扶持の定町廻り同心であった。兄が二人いる三男坊の常松(後の左馬介)は、家督を継ぐことはおろか、成人した暁に、果たして糧を維持出来るのだろうかという、幼い疑問に苛まれていた。父の扶持米は約二十八両相当の年収であったが、家族四人が暮らしゆくには、充分過ぎるという額ではなかった。単純に年、十二ヶ月で割ったとして、細やかな端数の文数は別として、ひと月、二両一分と僅かであることは周知の事実である。これでは、四人の生計がそう余裕めいたものになろう筈がなかった。父、清志郎は同心としての職務を忠実に熟(こな)しているように幼い常松には思えた。別段、着衣が兄達の下がり物であろうと、そのこと自体、常松の心を、とり乱す子細には至らなかった。「兄上は、まだ御学問所からお帰りではないのですか?」
 と、母に訊ねると、母は決まって、
「そうですよ。市之進には、父上以上に偉くなって貰わねばなりませぬ…」
 と、返した。自分には、そうは云って下さらないのですか? とは、どうしても云えない常松であった。要は、時分がこの秋月の家にとって、孰(いず)れは袂を分かたねばならない存在であることを、暗に幼少の身に教え諭されているようにも常松には思えるのだった。


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