残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《旅立ち》第九回
父も奉行所へと出て、残った源五郎と常松は、日課の拭き掃除をする。これは、手足の鍛錬になるだけでなく、咄嗟(とっさ)に判断して動くための訓練にもなるのだ。また、廊下の雑巾掛けなどは、集中力を養うのに好都合である…とは、父、清志郎の言葉であった。
長廊下を…とはいっても、同心長屋の一所帯に過ぎないのだから、そう長くもないのだが、その廊下を兄と雑巾掛けで走る心地よさは、表現しようにも表現出来ぬ爽快感があると思う左馬介であった。幾度も廊下を往き来していると、
「そう何度も拭かずとも、よいのです。もう充分に綺麗ではありませぬか」
と、蕗が顔を出して二人を窘(たしな)めた。よく見れば、確かに、一寸の曇りもない黒艶の光沢である。二人は仕方なく、拭く仕草を止めた。
「庭の掃除を、やっておしまいなさい。裏の社(やしろ)の公孫樹(いちょう)の葉が、随分と落ちておりましたよ」
そう云い置くと、蕗は勝手口の方へと立ち去った。二人は黙ったまま徐(おもむろ)に公孫樹のある方角の空を見上げた。