「以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
「はて? …どうでしたか。お出会いしたような、しなかったような…。ははは…世間は広いようで狭いですからな。どこかでお会いしたかも知れませんが…」
藤堂は語尾を濁した。
「ははは…そうですな。もう、うちの上層部には?」
「はあ、さきほど顔つなぎだけはしました。なにせ、この会社は私の融資部が調査した結果、あなたの課が営業利益のすべてを担っていると見ましたからね」
「それで、態々(わざわざ)…」
「そういうことです。会社上層部はどうでもいいのです。私の方針は、利益ある直接取引ですから」
そう言って、藤堂はニンマリと笑った。少なくとも今は秘書官の藤堂じゃない…と篠口は思った。秘書室長だった山崎茉莉が現実の世界では今年入社の新人秘書だったことを思えば、将来の展開として藤堂が政界へうって出て首相秘書官になることも十分予想された。だから、少なくとも今は、なのである。二人がしばらく話していると、係長の工藤が特別応接室へ入ってきた。そのとき、藤堂は不思議なものをみるようにジッ! と工藤の顔を見た。
「あなたは、もしや工藤さん?」
「はい、部下の工藤謀と申します。以後、ご昵懇(じっこん)に…」
工藤は内ポケットに入れた名刺を取り出し、藤堂に手渡した。
「どっかでお会いしたような…。不思議な感覚です」
藤堂は工藤の名刺を受取って自分の名刺を返し、首を捻った。
「ははは…まあ、世間は広いようで狭いですから」
篠口は取り繕うように話へ割って入った。その後は、何事もなく、しばらく話をすると藤堂は席を立った。
「今後ともよろしく! では、いずれまた…」
「いえ、こちらこそ…」
篠口はドアを出る藤堂に軽く頭を下げ、工藤も従った。
退社時間となり、篠口と工藤は時間差で会社を出た。工藤とは駅前のフリーズで落ち合う約束だった。