「ははは…。今日は一人で出たい気分になってね、遠慮してもらったんだ。もう、車は着いてるだろ?」
篠口は方便を使った。
「あっ! そうなんですか…、失礼しました!」
平林はそれ以上返せず、立ち去った。篠口としては、やれやれである。しかし、この先の展開がたちまち気になった。またこの世界へ紛(まぎ)れ込んだ以上、一刻も早く工藤に会って今後の方策を探るしかないな…と篠口は昇るエレベーターの中で巡った。もちろん、向かう先は営業第一課ではなく社長室である。
「おはようございます…」
篠口が社長室のドアを開けると、秘書室長に違いない山崎茉莉がすでに出勤していて、篠口を一礼して出迎えた。
「おはよう!」
ここは訊(たず)ねず、素直にいこう…と篠口は瞬間、判断した。
「ああ君、専務を呼んでくれないか」
「かしこまりました。専務室へそのように、ご連絡いたします…」
山崎が隣の秘書室へ退出した。篠口は我ながら社長の語り口調が板についてきたな・・と感じた。決して偉ぶっている訳ではなく、ただ、この状況に従って素直なだけだ、と自らに言い聞かせながら…。
江藤から連絡が入ったのは、その直後だった。このとき江藤は出勤したところで、エントランスを歩いていた。そのときタイミングよくエントランスの受付に専務室から内線が入り、受付嬢に呼び止められたのである。もちろん、社長秘書で秘書室長の山崎から専務秘書に内線が入れられ、専務秘書からエントランスの受付へ、工藤が出勤したら呼び止めてくれと内線が入ったということである。そうした経緯があり、受付の工藤は慌てて社長室へ内線を入れたのだった。
「課長…じゃないですね。社長、工藤です。おおよその流れは飲み込めました。僕、専務なんですよね?」
「ああ、そういうこった。すぐ、社長室へ上がって来てくれ」
「分かりました…」
受付嬢が傍(そば)にいる手前、工藤は多くを語らず受話器を置いた。