「係長も起きて下さい!」
二人は徐(おもむろ)に身体を起こし、辺りを見回した。すべてがなかったことのように、以前の状態へ戻っていた。
「今日は何日かね、安藤君」
「嫌ですね、課長。きのう、明日は開成銀行の藤堂専務にお会いになるとおっしゃっておられたじゃないですか」
藤堂専務・・ああ、そういや新任の…と篠口は思いだした。篠口は支店から抜擢人事で就任した藤堂専務とは一面識もなかった。まてよ、藤堂?! まさか、あの秘書官の藤堂? と一瞬、篠口は鳥肌が立った。
「秘書官の藤堂? ははは…そんな馬鹿な話はないよな、工藤?」
安藤が席へ戻ると、篠口はすぐ前の工藤に訊(たず)ねた。今までの現実から乖離(かいり)した世界が工藤と共有されていれば、工藤は秘書官の藤堂を知っているはずだった。
「はい、まさか…」
「ということは、君もあの世界にいたのか?」
「ええ、いましたよ。課長もですか?」
「ああ…」
二人は沈黙し、青ざめた。
それから一時間後、篠口はちょうど、決裁を済ませたところだった。それを見計らったように、課員の平林が課長席へ近づいてきた。
「課長、ただいま連絡がありまして、開成銀行の藤堂専務が、まもなく到着されるとのことです」
「ああ、そうか…。ありがとう」
篠口は、これであの藤堂かが判明するぞ・・と思った。
「我々はどうしたんだろうな、工藤? いや、こんなバカな現実がある訳がない。夢だ夢だ、ははは…夢だ。だろ? 工藤」
「ええ、そう思います。僕が官房長官な訳がありません」
二人は顔を見合わせて、笑い転げた。多くの課員達が一斉に、課長席と係長席の二人を見遣(みや)った。二人はすぐ表情を素へ戻し、笑いを止めた。