水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第九十三話  こんちわ!

2014年06月10日 00時00分00秒 | #小説

 吹宮謙二の家へ訪ねてきた者がいる。者とは言っても、それは吹宮に分かるだけで他人には見えない、いわば気配であり、人ではなった。今日も朝から吹宮の家へ訪ねてきた者、いや、気配があった。
『こんちわ! 吹宮さん、おられますか?』
 吹宮は、そろそろ来るかな…と思っていたから、落ちついて答えた。
「はい、どうぞ! 玄関は開いてますから…」
 その声と同時に、不思議にも僅(わず)かに入口の戸が開き、また閉ざされた。吹宮は台所で鍋の準備をしていた。というのも、気温が低く、どうも温かい夕飯がいいな…と思えたからだった。
『あっ! 吹宮さん、こんちわ! ここにおられましたか…』
「ああ、冬ちゃんか。そろそろ、来るかな? って思ってたとこだよ。まあ、炬燵(こたつ)にでも入って待ってておくれよ」
『どうも…』
 そう言うと、冬の始めはスゥ~っと台所から姿を消した。
 吹宮の家は古風な日本建築で、食事はいつも、畳敷の茶の間で食べていた。四畳半だから、そう広くはない。その間へ吹宮は具入りの鍋を運び、すでにセッティングしておいた簡易ガスコンロのスイッチを捻(ひね)った。冬の始めは、すでに吹宮の左 隣(どなり)へ座っていて、炬燵へ脚を入れていた。と言っても、それは他人には見えない存在の、ただの空気である。その空気は少し冷えていた。
「おおっ! さすがは冬ちゃんだ、寒いねぇ~~」
 吹宮は思わず身を縮め、部屋のエアコンをつけた。
『いやぁ~、どうも、すみませんねぇ』
「いやいや、君が謝(あやま)るこっちゃないけどさ。ところで、皆(みんな)は元気にしてるかい?」
『ああ、そのことなんですがね。春ちゃんと秋ちゃんは、まあまあなんですが、夏ちゃんがかなり腕白になってましてね。今年はかなり暑くなりそうですから、注意して下さい』
「そう言う君は、どうなの?」
『へへへ…。どうも、すみません』
「謝ってちゃ分からないじゃないか」
『はあ…。まあ、始めは自重するつもりなんですが、あとから来る者が暴れるかも分からないんで…』
「ああ、君は冬の始めだったもんなぁ~」
『ええ。前、中、後半と受け持つパーツが三部構成なんです』
「そうか…、まあ各々(おのおの)、挨拶に来るだろうから、そのとき穏便に頼む、と説得するよ」
『そうして下さい。あっ! 鍋が煮えてますよ』
「君には悪いが、それじゃ、失敬! どれどれ」
 吹宮は鍋の具をつつきながら、熱燗(あつかん)で一杯、やり始めた。
『お邪魔ですね…。それじゃ、これで』
「ああ、元気でね。…元気というのも、少し妙か?」
『ははは…』
 冬の始めは小笑いすると、冷気を流しながら吹宮の前から消え去った。

                             完


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