身に迫る災難や危険を察知すると、未然に話題を変える男がいた。方月(ほうづき)という珍しい姓のためか、彼はアホウ月という渾名(あだな)を有難くも課内で拝命していた。その彼が所属する課は堅くも堅い、泣く子も黙(だま)る、人事部管理課。通称、人管である。
話題を変えるといっても、それは局面に応じて変化させるという型(かた)を決めないものだった。例えば職場内の人間関係の場合、機転を利(き)かせて話題を変えた。仕事の場合は、まったく別次元の逆発想で、そういう考え方もありか…と上司を思わせた。また、宴席の場合、シラけた座を一変させる余興をして一同を笑わせた。要は、その時々の話題変化を強弱、軽重、硬柔に使い分けることで、その場を凌(しの)いだのである。アホウ月と呼ばれる方月だったが、彼は決して馬鹿でも阿呆(アホウ)でもなかった。いや、真逆の課内一の切れ者と言っても過言ではない存在だった。
方月は今朝も軽く話題を変化させていた。
「どうなのかねぇ~? 来季の採用は…」
課長の宇佐美は、机の前で待機する方月に訊(たず)ねるでなく口を開いた。
「えっ? ははは…。それにしても消費税って一円玉が貯まりますよねぇ~」
「んっ? ああ、そうそう。昨日は妻の買い物で増えて往生したよ」
「そういうのって、結構、困りますよね。私は、レジ前の募金箱へ入れることにしております」
「ああ、それはいいかもな…。邪魔って訳じゃないんだが、どっさり持って移動するっていうのもな。ところで、どうなのかねぇ~? 来季の採用なんだが…」
「えっ? ははは…。そういえば、また五月の連休ですが、今年も課長、お出かけですか?」
「そうそう、それなんだよ、君。私は乗り気じゃないんだ。ゆったり、疲れをとって眠っていたいんだが、妻がね…」
「はあ、家(うち)もそうでして…」
「お互い、大変だね? …ご苦労さん。なぜ、君を呼んだのかな?」
「さあ~?」
「あっ! もう、いいよ…。…?」
「その花瓶の花、課長、綺麗ですね?」
「んっ? ああ…。…」
方月は軽くお辞儀すると、自席へ戻った。
完