水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第九十四話  暮れる色

2014年06月11日 00時00分00秒 | #小説

 空が暮れ泥(なず)んでいた。確かに日足は長くなった…と、宿題の絵を書く堅太のクレパスが賑やかな線を描いた。誰が見ても山と空だが、色が少し違うように思える絵だった。いや、はっきりいえば、全然、色が違っていた。ただ、その絵には才能が認められた。実に描写が克明で、写実派の画家・・を彷彿とさせる絵だった。とても、10才の小学生の絵とは思えなかった。
 次の日の図工の時間である。生徒達が宿題で描いてきた絵を一人ずつ教師が呼んで、評価をしている。
「…、なぜ、この色にしたの?」
 図工の原塚先生は笑いながら優太に訊(たず)ねた。堅太が色盲(しきもう)でないことは、担任の平山先生に訊(き)いて知っていた。
「訳はないよ…。ただ、そう感じたから」
「そう感じたのか…」
「うん! なんか、この感じ…」
 堅太は描いた絵の空を指さして、そう言った。その口調には自信が溢(あふ)れていた。原塚先生には分からなかったが、そのとき堅太の感覚ではその空の色彩は、山や野や田畑の色彩と融合していた。その絵は普通目には、すぐに異色だったが、10分ばかり見続けていると、観る者の感覚を次第に変化させる、独特の技巧だったのである。堅太には描く瞬間に、その感覚が脳裡(のうり)に訪れたのだった。
「惜しいなぁ~。色彩以外は素晴らしく上手いんだけどね。先生はそう思うぞ」
「はい! 有難うございます。また、書いてきます」
「うん! 頑張ってな!」
 堅太は絵を持って自分の席へ戻った。
「では、次の人! …山崎君」
 一人一人、原塚先生の指導と評価が続いた。
 後日、堅太は日本画壇にその名を轟(とどろ)かせることになるのだが、この頃には誰一人としてそうなる彼を予見できる者はいなかった。この技法は未(いま)だに解明されていない不思議な特殊技法である。

                           完


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする