朝早く、会社へ出勤すると、開口一番、部長から呼び出されました。そして、「君ねぇ、来年からさ、浜松の出張所の方へ行って貰おうと思ってんだが…」と、言い渡されました。
「浜松? …」と、一瞬、私の脳裏は真っ白になりました。
実を云いますと、私の会社というのは、東京に本社を持つ大手企業系列の関連子会社なのですが、最近は企業競合の荒波に押され、事あるごとに業績改善、業績改善と社内で叫ばれている時期でもありました。
私は企画部総務課の課長代理でして、と云いましても課員数が十数人なのですが、代わり映えしない日々を、鳴かず飛ばず勤めておりました。
そう、今振り返れば、そうした日々は感動がないと云いますか何と申しますか、胸に突き上げるような喜びがない、いわば、働き甲斐のある職場ではなかったのです。そして、世渡りが下手、また運もなかった…いえ、実力がなかった所為(せい)もあったのでしょう。十数年の間に、出世していく同僚社員を仰ぎながら、本社からリストラでこの子会社へ派遣されたという粗忽者なのです。
その無感動の一場面をお見せしましょう。
お茶を淹れて盆の上へ置き、それぞれのデスクにはこんでいる女事務員の姿が見えます。彼女の姿は、机上の書類に目を離し、顔を上へ向けた刹那、私の視線に飛び込んだのです。
机に湯呑みを置きながら、なにやら話しているのが小さく聞こえてきます。
「ホントはねぇ、お茶汲み、なんかしなくってもいいんだけどさぁ…、なんか習慣になっちゃってるのよねぇ」
話し相手の男性社員は、たしか同期入社組だったと思うのですが、笑って頷(うなず)いています。
私はというと、机上の書類に目を通していたとはいえ、実は眠気でウトウトしていたのが事実でして、事務員の話す姿が見えたのは、まどろみから目覚めた、すぐ後だったのです。
結局のところ、私の会社での立場といいますのは、その程度のものでして、大した役職を与えられている訳でもなく、課長代理という名ばかりの肩書きを与えられ、かといって、疎んじられているというのでもないのですが、昼行灯の渾名(あだな)をつけられておる、いてもいなくても影響力のない存在でした。
話を元に戻しましょう。
目覚めた私は、大きな背伸びをして両腕を上げ、欠伸をひとつ、うちました。そして、呟くように、「ああ、つまらん…」と漏らしたのです。
今思うと、この時が異変の始まりでした。云った瞬間、課内全員の視線が私に集中し、しかもそれは睨むような殺気がありました。そして一同は声を揃えて、「つまらん?」と、私の顔を窺(うかが)ったのです。
私は過ちを犯したような申し訳ない気持になり、思わず、「ス、スバラシイ!」とドギマギ吐いたのでした。そうしますと、全員が納得したようにニッコリして、ふたたび声を揃え、「スバラシイ!」と唱和しながら笑顔で私のデスクへ集まってきたのです。
今までは課員達から疎(うと)んじられていた私でしたが、何だか急に人気者になったようで、悪い気分はしませんでした。
それからの私は、ピンチに陥るごとに、「スバラシイ!」と連発して、それまで乗り切れなかった数々の苦境を脱していったのです。そして、いつのまにか課員達の人気者になり、課長のポストを与えられ、そればかりかリストラ対象者からも除外されました。更に、いいことは続き、本社へ呼び戻され総務部長に抜擢されたのです。トントン拍子に運がよくなった訳でして、ついには取締役に、そして社長にまで昇りつめたのでした。
それから20年が経過し、私も白髪が混ざる好々爺(こうこうや)になっておりました。
しかし、よいことは続かないものです。社長席の椅子で油断していたからでしょうか。つい、うっかり、「つまらん」と口に発してしまったのです。社長室の中は私一人ですから、まあ、大丈夫だろう…と、口を噤んだのですが、聞こえていない筈が、どういう訳か社員全員に聞こえたようで、その瞬間から内線ホーンの呼び出し音が続き、ついには私がいる社長室へ社員たちが殺到したのです。そして、「つまらん?」と、怒りの表情で異口同音に訊ねるのです。私は気が遠くなっていきました。
ウトウトと微睡(まどろ)んだようでした。
気づくと、なんと私は、20年前の未だリストラで飛ばされていない浜松の出張所におり、社員ではなくメンテナンスの清掃員として、休憩室に存在していたのでした。
服装といえば、社長の姿とは比べるべくもない惨めな清掃員の姿でした。そして、老いを感じさせる皺だらけの手に一本のモップを持ち、椅子に佇んでいたのです。
私は、愕然としてしまいました…。全てが夢だったのでしょうか? 未だに私には分かりません。
完