水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

不条理のアクシデント 第二話  空蝉[うつせみ]  <再掲>

2014年06月19日 00時00分00秒 | #小説

 今年の夏も、雑木林から蝉の大合唱が聞こえてまいります。
 私が住まい致しますこの辺りは、未だに所々、雑木林が建造物に遠慮する形で残っております。と、申しますのは、都市開発地域から外された形で残されたのが主因かと思われるのでございますが、私としては齢(よわい)八十のこの歳で、今更、都会の雑踏には住みたくもなく、好都合に思っておる次第でございます。
 さて、お話と申しますのは、敢えて書き綴るほどのことでもない訳でございますが、私にとりましては一世一代の珍事、いえ、不思議な出来事でございましたものですから書かせて戴いた、というようなことでございます。
 それは、今、響き渡る蝉時雨(せみしぐれ)にも似て、そう、夏の暑い盛りでございました。
 何年前のことでございましたか…、思い出せないくらいでございますから、随分と遠い夏のことのように思える訳でございますが…。
 当時、私は大学の助教授でございました。
 恐らくは八月の初旬だったかと記憶しておりますが、大学の方も夏期休暇ということで教壇に立つ必要もなく、割合、ゆったりとした日々を過ごしておりました。
 そうしたある日のことでございました。朝の散歩をするのが日課でございましたもので、夏とはいえ、気持ちよい早朝の冷気を感じつつ、私は歩いておりました。
 暫(しばら)く歩き、木漏れ日の射す雑木林にさしかかりますと、そこに今にも成虫になろうかと脱皮中の蝉が一匹、大樹の幹に見えたのでございます。蝉の脱皮などというものは、別段、珍しくない訳でございますが、実は、私が見たこの蝉といいますのは…、信じる信じないは貴方様のご勝手ではございますが、正確に表現を致しますと、白光を放っておったのでございます。最初は私も、木漏れ日の反射光か何かだろうと思いつつ歩き進んだのでございますが、近づきますと、益々その光は眩(まばゆ)さを増し、私の目を捉えたのでございます。
 この当時は、私も未だ若輩でございまして、気味悪く思えたものですから、早々にその場を退散したのでございます。
 家に帰り、「妙なものを見たぞ…」と、家内に申しますと、「また、からかって!」と、一笑に付されたのでございますが、私としては真実だと思っておりますから、仔細を語った訳でございます。家内は私の健康を逆に案じまして、特に目を気遣ったのでございます。
『こりゃ、駄目だな…』と、思ったものでございますから、それ以上は諦めの感にて、胸に留め置いた、というようなことでございました。しかしながら私の胸中には、その不思議な光景が残像として鮮明に記憶されており、床に着きましても、なかなか寝つけぬ態にて、翌朝を迎えたのでございます。
 日課でございますから、当然の成り行きとして散歩は致します。いくら寝不足だからと申しましても、人間の習慣とは恐ろしいものでございまして、身体が自動制御され、勝手に私を散歩に連れ出すのでございます。これには流石に私も、辟易(へきえき)と致しました。なにせ、自分の意志で身体の動きをコントロールできぬのですから…。
  で、別段、犬を連れて散歩している訳ではありませんが、割合と早足でいつものコースを歩み続けたのでございます。そして昨日の場所に至ったのでありますが、なんと奇怪(きっかい)なことに、あの蝉は脱皮を終えた状態で神々(こうごう)しく未だ幹に留まっているではありませんか。
 私は己が目を疑いましたが、やはり昨日と同様の白光を放って眩(まばゆ)かったのでございます。恐る恐る近づいてみますと、確かに現実に一匹の蝉が存在しております。なにげなく捕えようと致しますと、これも不思議な現象なのでございますが、パッと飛ぶと思いきや、スゥーっと消えたのでございます。そして暫(しばら)く致しますと、私の数メートル先に、ふたたび眩い光となって現れたとお思い下さいませ。
 私は、怪しげな悪霊にでも誑(たぶら)かされたのでは…と、思ったのでございます。火の玉と人は申しますが、この場合はそんなヤワじゃあございませんで、もっと峻烈(しゅんれつ)な光を放ちつつ、そうですなあ、なんと申しますか…、恰(あたか)も大空にある太陽の輝きが森の中を、さ迷い飛ぶといった感じでして、勿論、太陽の光ほどは眩(まばゆ)くなかった訳でございますが、梢には蝉の抜け殻が、それもまた白い光を放って輝いておった、というようなことでございました。
 私は、やおら、その蝉の抜け殻を採取いたしますと、一目散に家へ戻ったのでございます。
 家に着きましても、この話を妻にする気力も失せておりまして、疲れからか、朝にもかかわらず寝入ってしまったのでございます。
 暫(しばら)眠って起きますと、私はその蝉の抜け殻を、大事そうに自分の机の隅へ収納したのでございます。妻に見せれば得心して貰えるじゃないか…と、お思いの方もいらっしゃるとは存じますが、その時の私は、なにか見えざる力に影響されていたと申しますか、或いは大事な宝物を隠す幼子の心境でありましたものか…、孰(いず)れに致しましても、極秘裏に保存した訳でございます。
 それからというもの、数日に一度、それを取り出して眺めるのが、私の至福のひと時となりました。その空蝉(うつせみ)の白光は、衰えることなく輝き続けたのでございます。
 それからの我が家には、幸運としか云いようのない慶事が重なったのでございますが、最初のうちは、そういうこともあるのだろうと思っておった私でございますが、度(たび)重なりますと、流石に白光を放つ蝉の抜け殻の所為(せい)ではないかと思うようになったのでございます。
 大学の教授に推挙されたのも、この頃でございました。私としては、やはりこの栄誉ともいうべき自体に、内心、有頂天になったことを記憶しております。
 さて、こうして私の幸せは続いていった訳でございますが、私だけが何故このような珍事に遭遇したのか? という疑問は消えなかったのでした。
 私の家屋の裏に広がります雑木林は、古くから、そう…、私の幼い頃にも当然ありましたが、幼友達と遊び痴れた林でございました。四季折々に木立たちが描く造形の美には、どこか人を和(なご)ます風情というものがございます。そういった自然が織りなす環境の中で育った私でございますから、換言すれば、自然に育(はぐく)まれた私でございますから、悪人になろう筈がございません。と、云いますと、聊(いささ)か誇張には相成りますが…。
 さて、古きよき時代を思い出しつつ、この得体の知れぬ原因の一端を模索(もさく)致しましたが、ひとつだけ心に思い当たる出来事があったのでございます。と、いいますのは、やはり子供時代に遊んでおった記憶なのでございますが、幼友達が何匹もの蝉の幼虫を採って遊んでおった光景でございました。貴方様も、よくご存知だと思いますが、蝉という生き物は、地中で暮らす期間の方が、地上に出て暮らす期間よりも、ずっと長いということでございます。ということは、つまり幼友達が無邪気に採っていた行為は、大人の目で観察を致しますと、蝉に対してかなりの虐待を行っておったと、まあ、こういうことでございます。私はその折り、別段、意味もなく、というより訳も解(わか)っておらず、ただ可哀想と感じたという理由で、友達の籠から蝉を出し、また地中に埋めるという行為をしたようでございます。すると、当然の成り行きで、友達と喧嘩になりますが、事実、その時もそうなったようでございました。
 私の記憶に現在、残っておりますのは、その幼友達に勝ち、結果として蝉達を守ることが出来た、という記憶でございます。
 そんなことで、鶴の恩返し、ではありませんが、このような奇怪(きっかい)な出来事に遭遇しようとは、夢にも思っておらなかったのでございます。しかし現実には遭遇し、生活は幸運に導かれていったということでして、とても貴方様には信じられないことでございましょう。しかしながら、その幸運かつ順調な生活といいますものは、案外あっけない形で幕を閉じたのでございました。
 人間には様々な欲というものがございます。幕引きの事の発端は、やはり私の欲だったのでございましょうか…。
 ある時…、その時と申しますのは、奇怪(きっかい)な出来事が起こりましてから数年の歳月が流れておったのでございますが、なにせもう、その頃、私の幸運はいろいろな形で現れておったということでございまして、私も少なからず天狗になっておったようなことでございました。今、振り返りますと、それが災いした、としか申し上げようがございません。それで、そのことの発端なのでございますが、私が知己である同僚の教授に、そのことの顛末(てんまつ)を語ったことに始まるのでございます。
 私は当然、天狗になっておりましたから、自慢げに語ったように記憶しております。詳しく申し上げますと、少し誇張したような物言いをしておったようでして、相手としては益々、好奇心を募らせていったということでございます。
 語り終わった後の結果でございますが、同僚の友人である教授は、「それじゃ次の日曜にでも、君のご自宅へ失敬させて貰うよ」と返した訳でして、内心、『しまった!』と思いましたが、後の祭りでございます。不承不承、その教授を家へ招く破目になった、というようなことでございました。
 話はここから本筋へ入るのでございますが、その前に、少し私の家の有り様について語らせて戴きたく思う次第でございます。
 私の住家と申しますのは、祖父の代からの古家でございます。とは、云いましても、祖父は財閥の総帥として一代を築いた創始者でございまして、当時と致しましては、かなりの金額が注がれ、私が申すのもなんでございますが、それ相応の重厚な構えの豪邸でございます。私の口から斯(か)く申しますと、少し口幅ったい感が否めないのではありますが、父に訊いたところによりますと、そのようであったということでございました。私にとりまして、この家は住み慣れておるということもございましょうが、これでなかなか心地よい気分に浸(ひた)れるのでございます。
 さて、お話の続きでございますが、知己の教授である友人が、私の家を訪(おとな)ったと、お思い下さいませ。
「随分と風流な暮らしをしているじゃないか…」
 開口一番、我が宅を訪れるやいなや、彼はそう口走ったのでございます。
「いやぁ…、それほどのこともないさ」と、お茶を濁した訳でございますけれども、内心は、満更(まんざら)でもない気分でございました。
 家内に丁重なもてなしをするよう命じておきましたので、豪華とまではいきませんが、それでも一応は来客用の食事などで寛(くつろ)いで貰ったというようなことでして、友人も満足しておったようでございます。
「で、君が云っていた例のヤツなんだが、拝見させて戴けるかな、そろそろ…」
 恭(うやうや)しく笑みを浮かべて、友人はそう云ったのでございます。こちらとしては、その言葉がいつ飛び出すかと冷や冷やしておりましたから、返って問題が解決したような安堵感を得たのでございます。
 私は友人を書斎へと導きました。そして、大切に金庫へ保管しておりました木箱を開けますと、なんと! 中は空虚な箱があるばかりでございました。
「なんだ、何もないじゃないか」
「… …」
 返答できぬ恥じらいが、私を襲ったのでございます。私ですら予期せぬ事態でございましたもので、それは当然といえば当然であったと考えられるのでございます。
「いや、君を騙した訳じゃあないんだ。確かにこの木箱の中へ…」
 私は弁解に努めた訳ではありますが、友人は一笑に付して帰っていったのでございます。後味の悪さも残り、私は暫(しばら)くの間、書斎に茫然と佇んでおったように記憶を致しております。
 それからというもの、あの幸運はどこへ行ってしまったのか…と思えるほど、何一つとして、いいことは訪れませんで、しかし、そうかといって悪い不祥事が起こるということもなく、まあ普通の暮らし、所謂(いわゆる)、あの奇怪(きっかい)な空蝉に遭遇する以前の生活に戻ったという、ただそれだけのことでございました。
 私が貴方様に語ることも、あと僅(わず)かになって参りましたが、最後に一つ云えますこと、これは人間の欲についてでございます。それは、人間の愚かさ、或いはどうしようもない本能の虚(むな)しさとでも申せましょうか…。
 人間が自らの希望や夢を追い求める過程で生み出す慢心、優越心、欲心でございます。これを食い止める手立てはなく、あるとすれば理性のみでございます。それで、私が何故、白光の空蝉を無にしてしまったのかと申しますと、欲心のひとつ、顕示欲とでも申せしましょうか…、そうとしか考えられぬのでございます。それも、恐らくは邪心が少しあったが為と思えております。
 貴方様も、もしこのような奇怪(きっかい)な出来事に遭遇されましたなら、是非、こうした点に注意を注がれ、よき人生を邁進(まいしん)されますよう、心よりお祈り申し上げます。
 今年の夏も、また暑い日々が続くようでございます。

                                  完

 

 


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