朝起きると、何だかいつもと状況が違うのに気づいた。
どこかザラツいた感触なのだが、それでいて気分は心地いい。
もう、勤めに出ねばならないから、そろそろ床を離れねばならない。だが、今日は目覚ましが鳴らなかったようにも思える。前夜の疲れで熟睡していた為だろうと、その時点では思っていた。
「… …」と、無言で寝ぼけ眼(まなこ)を薄く開けると、目の前の視界が塞がれている。それどころか、ベッドに寝ていた筈が、シュラフにでも寝ている感覚で、しかも身体の位置が不安定だ。よく見れば、薄い黒ビニール袋の中に自分がいる。
徐(おもむろ)に身体を立て直そうとすると、自由が利かず、窮屈この上ない。着ているものはというと、確か昨夜に着替えたパジャマであるから、これは怪(おか)しくない。
?(もが)いて袋を突き破ると、急に朝の冷気が身体を包む。辺りは早朝の静けさが覆い、通る人の姿もない。場所は? といえば、見慣れた通勤途中の風景が展開する道筋だ。私は訳が分からなくなり、一瞬、途方に暮れたが、我を取り戻して、とり敢えず袋から出た。
ふたたび、よく見れば、靴下も履いていないし靴とてない。冷えが足下から鈍く伝わってくる。夏とはいえ、早朝なのだ。当然といえば当然である。
仕方なく裸足のまま、ウロウロと、その場所を逃れた。その、というのは、勿論、ゴミを搬出する置き場所である。時計を見ると、まだ四時半近くだった。もう数時間すれば、間違いなくパッカー車がゴミを回収にやってくるだろう。私はその光景を、通勤途上でよく目の当たりにしている。
なんという情けない格好で歩いているんだろう…と、思いつつ、両足は確実に我が家の方へ向かっている。何故、あんな所にいたのか? こんな状況になったのは何故なんだろう? と、不可解な事実に対しての様々な疑問が脳裏を交錯した。
幸い、家からはそんなに離れていなかった。これには助かった。早朝で人の動きはないのだが、出来るだけ人目を避けようと、足早に歩き、とにかく家へ辿り着いた。
家族はまだ寝静まっているようだった。起こさないよう、静かに二階へ上がり…、そうだ、これも不思議なことなのだが、玄関の鍵は施錠されていた筈なのだが、妙なことに開いていた。
ベッドに横たわると、これも妙なことに温かみがある。夢遊病にでもなって辺りを徘徊していたのだろうか…と、寝つけぬまま、つまらなく考えた。だが、そんな風でもないようだった。
その日は別に変わったこともなく、いつものように会社へ出勤した。
ただひとつ驚いたのは、例のゴミ置き場の前を通りかかったとき、私が入っていた黒のゴミ袋は綺麗に整っており、しかも破れた痕跡が全く残っていなかったということである。私が?(もが)いて破り、そこから出たのだから、当然、辺りはゴミが散乱している筈なのだが…。
会社へ着き、デスクで考えると、そのゴミ置き場の辺りで思い当たることといえば、煙草の吸殻を投げ捨てたことぐらいであった。
『そんなことはある訳がない…』と思い、夢を見たんだ…と、自分に言い聞かせた。それでも、裸足で家へ帰ったという記憶は残っていた。
その後、数日が経過していったが、これといった異変はふたたび起こらなかった。
次にその妙な出来事が起こったのは、私が意図的に吸殻を投げ捨てたことに起因する。勿論これは、その後、異変が起こらなかったから、敢えて思い当たる行為をしてみた迄なのだが、その愚行の背景には、私自身がこの出来事を真実とは捉えていなかったという節もある。そして、その日も就寝する迄は何事も起こらなかった。いや、だった筈である。
次の朝、目覚めると、やはり例のゴミ置き場に私はいた。
時間は? というと、前回の時間よりも遅く、六時半近くであった。そして前回とは違い、人の気配も少し、し始めていた。状況は前回の経験則で理解されているから、避難しようと素早くその場を離れ、今度は小走りでその場を離れた。
家へ戻ると、妻が起きたようだった。キッチンで物音がしていたからだが、気づかれぬよう、泥棒足で二階へ上がった。そしてその日も、その後は何事もなく過ぎていった。
二度あることは三度ある、とはよく云うが、私は半分、依怙地になっていたのだろう。元来の負けず嫌いの性格が、ふたたび私を挑戦させるかのように、その異変に立ち向かわせた。
次の日の朝、私は通勤途上の例のゴミ置き場で立ち止まり、意識的に煙草を投げ捨て、しかも靴で踏みつける仕草で火を消した。
その日の夜は起こるであろう異変に備え、パジャマに着替えず床に着くことにした。
ウィスキーをストレートのオンザロックで飲み、ベッドへ横たわる。緊張感からか眠気が訪れない。そこで、ステレオのジャズを聴いて気を紛らわせる。そして漸(ようや)く深い眠りへと吸い込まれていった。
気づくと、音楽を耳に感じた。だが、昨夜のそれではない。しかも、自動車のエンジン音すらする。そして、妙にざわついた動きを感じる。
危機一髪であった。奏でられていた音楽は、パッカー車のカーラジオの音だった。
車から降りてきた二人の清掃員が、私のいる近くのゴミ袋を車中へ放り込んでいる。私は必死で袋を突き破り、脱出した。
急に袋から現れた人間に、二人は一時、唖然としたが、ホームレスとでも思ったのだろう。
「なにやってんだ! こんな所で。…危ねぇじゃねえか!」と、私を一喝した。
「すいません…」と、縺(もつ)れた足で足早にその場を抜け、走り去る。そして、一目散にひた走った。
『何故、自分だけが…』という想いが、脳裏を駆け巡っていた。
家へ着くと、なんと! …家がない。私の家がないのだ。そこは巨大なゴミ捨て場と化している。そして、そこには巨大な立て札が…。
━次は貴方を捨てますよ。ゴミを馬鹿にしてはいけません。━ …と。
完