残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第十六回
やがて、見守る左馬介を余所に、心地よさそうに背の毛並みを上下に震わせつつ寝入ってしまった。この猫が道場にいる…ということは、間垣一馬が云ったとおり、先生がこの身近で観ておられるということだ…と、左馬介は道場の入口や窓など、外から展望が効きそうな辺りを見渡したが、やはり先程と同じで寸分の気配も感じられないのであった。左馬介は、ひとまず、そのことは諦め、ふたたび八名が繰り広げる形稽古を無心で眺めることにした。この日も、変人扱いの樋口静山だけは帰ってしまい、既に場内にはいない。四組の形稽古は続いた。
左馬介が稽古を眺め、四半時も過ぎただろうか。午後の部の形稽古は、やがて終わろうとしていた。結局、この日の左馬介は、蟹谷に呼ばれ、歩き稽古をつけて貰うこともなく終ろうとしていた。左馬介が思わず欠伸を一つ打とうとしたその時である。左馬介は棒のような物で背を押されるような刺激を受け、思わず振り返った。左馬介の背後には、杖を右手でつき、凛として立つ幻妙斎の姿があった。
「今日は稽古をつけて貰えなかったようじゃのう…」
柔かな物腰のその声は、幾らか微笑を含んで後方より響いた。
「は、はい。今日は急に猫なぞが入ってきたりしたものですから…」
左馬介は、笑って流そうとした。
「ほう…、あの猫か?」と、幻妙斎が指さす方向を見て、「はい!」
と左馬介は素直に応じた。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第十五回
その時である。一匹の野良風の猫が、ゆったりと道場へと入ってきた。さも、場慣れしている風で、少しも人を恐れぬ態の歩き様である。左馬介は、一度もその猫を見たことがなかった。このままには捨て置けぬ…と、思った左馬介は、矢庭に立ち上がるとその猫に近づき、手を掛け追い払おうとした。
「秋月さん! そのままに…」
それを制するかのように、組で形稽古中の一馬が、遠くから声を飛ばした。そして、組み相手をしている長谷川修理に軽く一礼すると、バタバタと早足で左馬介の所へやってきた。
「その猫は、先生が飼っておられる猫で、獅子童子と呼ばれております。放し飼いに見えるのですが、実は、そうでもないのです。この猫が姿を見せるということは、この近くで先生がご覧になっておられる証(あかし)なのですよ…」
寸分も先生の気配などせぬではないか…と、左馬介には思えた。と、なると、一馬の言が左馬介には意味不明に聞こえる。一馬は、襤褸(ぼろ)布で首筋を拭くと、微笑みながらまた道場中央へと戻っていった。獅子童子と一馬が呼んだその福々しい蕪顔(かぶらがお)の三毛は、静かに体を床板へと下ろし、瞼を閉じた。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第十四回
呼び声に、ギクッと両眼を見開くと、眼前には幻妙斎が杖をつき、穏やかな表情で立っていた。
「どうだ…。少しは慣れたかな?」
慌てて半身を垂直に立て、正座の姿勢をとる左馬介を笑いつつ、幻妙斎は続けた。
「そう、堅苦しゅうせずともよい。今は、休める時に休んでおきなさい」
静かに語るその声に、左馬介は思わず平身低頭の姿勢をとった。そして、頭を徐(おもむろ)に上げると、ほんの今まで存在した幻妙斎の姿は跡形もなく消え失せ、誰もいないのだった。またもや、幻妙斎の離れ技を眼にした左馬介であった。
━━ 神技だ…。皆が先生のことを口にしないのは、しないのではなく、恐らく出来ないのではないか… ━━
幻妙斎が口にした通り、畳上へ仰臥し、楽な姿勢をとると、左馬介の胸中に、ふと、そういう想いが巡った。
昼からの稽古は、幻妙斎の言に従ったのがよかったのか、門弟達が組になって行う形稽古の様子が、座って観る左馬介の眼に何故か鮮明に映じていた。瞬時に振り下ろされる素早い剣の捌きまでもが、ゆったりとした緩慢な動きに見えたのである。その時の左馬介には、疲れが引いた所為(せい)に違いあるまい…と、思えた。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第十三回
「……、余りそのような場に出食わしたことが、私には有りません。蟹谷さんが時折り、相手になられている場に立ち会ったことはあるのですのですが…」
暫くの間合いを置き、一馬は軽く躱(かわ)した。
「そうですか…」
「先生は、神の如き存在ですから…」
と云って、一馬は、ハハハ…と、鷹揚に笑った。堀川幻妙斎とは、いったいどのような人物なのか…。入門の日、屋敷を取り巻く土塀瓦の上に忽然と立ち、左馬介に、━…孰(いず)れ、また会おうぞ━
という言葉を残し、疾風のように消え去った幻妙斎であった。あの日の光景が左馬介の脳裡を過ぎっていた。
未(ひつじ)の下刻までは半時ほどあった。左馬介は、もう暫く此処で、だらりとしていくと云う一馬と別れ、憩い部屋を後にして自分の小部屋へと戻った。だが、戻ってはみたものの、何をするという当てもなく、一馬がそうしていたように、畳上へ、だらりと身を投げ出し、大の字になった。そうして、様々な雑念、特に幻妙斎のことに想いを巡らした。すると、いつの間にか睡魔が襲い、瞼は重く、けだるさが身体全体を押し包んだ。、やがて、少しずつ、意識は引き潮の如く遠退いていった。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《師の影》第十二回
一馬だけは、歳が余り離れていない所為(せい)もあってか、門下の中でただ一人、未だに左馬介に対して敬語遣いであった。その為もあってか、左馬介は道場内で心の許せるただ一人の男、いや、友のような親近感を抱いていた。
それは扠(さて)置き、左馬介にとって気掛かりなのは、幻妙斎の日々の態様であったが、そのことに関しては、何一つ分かっていない。これが、左馬介の胸中に蟠(わだかま)りとなっていた。膳のこと一つにしても、そのことについて、門弟達が全く語ろうとしないのが得心いかないのだし、第一、師範代の立場で道場を仕切る蟹谷が詳述しないのは何故なのか…と、左馬介には思えた。
「先生にお目には、かかれないのですか?」
左馬介は思い切って午後の稽古前に切り出してみた。
「いえ、そのようなことはないのですが、余程の事でもない限り、皆、遠慮致しております…」
一馬は、だらりと憩い部屋の畳に寝転んだまま、無頓着にそう返した。
「しかし、私のような新参者は兎も角として、或る程度の腕達者なお方ならば、お手合いをお願いされると思うのですが、そうは、なさらないのですか?」
ふたたび諄(くど)く迫る左馬介である。
春の風景 水本爽涼
(第十話) 小さな幸せ
今年も、あちこちで田植えが始まっている。まずは田の中に水が張られ、耕運機がコネクリ回して水田化し、秘密レシピの肥料等も播(ま)かれる。それが終わると、暫くは水稲苗の到着と植え付け時期を待つ(勿論、苗は苗で、苗作り作業がある)。昔は手作業で一株ずつ植えられたようだが、昨今は機械で瞬く間だ。
「賑やかな音がし出したな。もう、こんな時期になったか…。一年は早い」
じいちゃんが毎朝の朝稽古を終え、木刀片手に洗い場の湧き水で身体を拭いている。
「お父さん、行ってきます!」
「おっ、恭一。今朝は偉く早いじゃないか。何かあったのか?! 飯、食ったか?!」
要点をポンポンポンと押さえて、じいちゃんが後ろ姿で家を出る父さんへ投げた。
「はいっ! 会社の急用でして…!」
息を切らし、遠ざかりながらの物言いだから、今一、父さんの早出の訳が聞き取れない。無論、傍らにいるじいちゃんも同じである。
「なんだ、あいつは…。正也、それにしても珍しいな、恭一の奴がこんな早く出るとは」
「そうだね…」
僕も学校があるから、そう長くはじいちゃんの話に付き合っていられない。日課のポチの散歩を終え、リードを繋ぐと餌をやる。家に入ると、タマにも餌をやる。餌代はお年玉とお小遣等の収益で賄われている。歳入歳出の決算や監査がない、云わば勝手気儘(まま)なものだ。
父さんは早く食べて出かけたので、今朝は三人の朝食となった。
「未知子さん、珍しいですな。恭一が、こんな時間から…」
「ええ、…よくは分からないんですけど、社内旅行の幹事の打ち合わせだとか…」
「えっ! 仕事じゃないんですか? …このご時世に、結構なことだ!」
半分、呆(あき)れ顔でじいちゃんが云う。母さんの手前、こきおろす迄の悪態はつかない。
「はい。でも、あの人、会社での人望は厚く、評判は、いいようですよ」
「そりゃ、そうでしょう。旅行部長、歓送迎会の宴会部長と、偉いお方なんですから…」
じいちゃんは愚痴の代わりに、ジク~~っと堪える嫌味を放出する。母さんは苦笑いして話題を大きく変えた。
「田植えのようですね…」
「はい、今年も始まったようです」
耕運機の音が、一段と賑やかさを増す。
「正也! 急がないと遅刻するでしょ!」
僕に、とばっちりが飛んできたので、緊急避難を余儀なくされ、急いで台所を後にした。前を横切った時、じいちゃんが僕を見てニタリと笑った顔が目に入った。某メーカーの洗剤Xで磨いたような頭の照りは今朝も健在で、光り輝いて眩(まばゆ)いばかりだ(これは少しオーバーぎみの表現だが…)。
何気ない、春の朝の小さな幸せと、輝く頭…。そんな情景が僕の春を祝福している。
第十話 了
春の風景 水本爽涼
(第九話) 講談
「やあやあ、心あらん者は聞いてもみよ! 我が祖先は今を遡(さかのぼ)らんこと四百と有余年。三河守、徳川家康公の家臣にて四天王にその人有りと謳(うた)われし、赤の備えも麗しき井伊が兵部少輔直政公。その御(おん)殿に名を賜りしは…ドウタラ、コウタラ…」
僕が訊ねたのが拙(まず)かった。じいちゃんは勢いづいて得意中の得意をひと節、長々とガナリだした。こうなれば、誰だって止めることは不可能だ。恐らくは、天皇陛下や総理大臣が頼み込んでも、やめないのではあるまいか…(と思えるほど集中して、ガナルのである)。
さて、何故こんな講談を聞かされる仕儀に立ち至ったのかという経緯を、冷静に解説しよう。
「…そんなことで、他の人の不幸を尻目にのんびりした湯治をさせて戴いたというようなことで…」
父さんの話によれば、ぶらっと地方道をバスで走った父さん達は上手くいき、逆に春の連休で温泉宿を予約した団体客が高速道路で起きた不慮の事故に巻き込まれ、旅館をキャンセルしたそうなのだ。その結果、多くの料理を只(ただ)、同然に食べられたそうである。そこ迄は、じいちゃんの講談とは何の関係もないのだが、この次のじいちゃんのひと言が引き金となった。
「ほお…、不幸を尻目に幸せ旅か…。まあ、夫婦水入らずで、結構なことだ」
「なんか嫌味に聞こえるんですよね、父さんの云い方は…。仕方ないじゃないですか」
「儂(わし)は何も云っとりゃせんだろうが…。だいたい、我が血筋にはな、そんな小事をやっかむような者は、おりゃせんのだっ!」
ここで、僕が訊ねた痛恨のエラーがでる。
「じいちゃん、僕ん家(ち)は、そんなに古いの?」
「古いの? だと、正也。では、前にも聞いたと思うが、じいちゃんがその辺りを語って進ぜよう…」
という流れで、講談が語られることになったのである。
十分程は延々と聞かされたが、漸くそれも終り、じいちゃんは喉が渇いたのか、一気に湯呑みのお茶を飲み干した。僕は、じいちゃんを労(ねぎら)わないと、また機嫌を損ねるのではないかと感じたので、「そうか…」と、分かりもしないのに一応の相槌を打っておいた。風邪予防のワクチン注射のようなものである。
「お義父さま、お土産の温泉饅頭でも摘まんで下さいな」
母さんがお饅頭を入れた菓子鉢を持って現れた。
「いやあ…。丁度、甘いものが欲しいと思っておったところです、未知子さん」
じいちゃんは満面に笑みをたたえ、母さんを見ながら蛸の頭を手で、こねくり回した。某メーカーのワックスZで磨かれたような輝きで光を放つじいちゃんの頭は、云わば、仏様の光背にも似て、その衰えるところを知らない。僕は危うく、その有難い頭に合掌するところだった。
第九話 了
春の風景 水本爽涼
(第八話) ♪ 鯉のぼり ♪
中天にヒラヒラと泳いでいるのは僕の家の鯉のぼりである。勿論。鯉のぼりは僕の家だけではなく、ご近所のあちこちでも泳いでいるのだが…。
「じいちゃん、この鯉のぼりはいつ頃からあるの?」
単純な質問をじいちゃんに浴びせると、案外すんなりと回答が示された。
「ああ、これなあ…。そう、あれは正也が、まだ二つの時だったなあ、確か…」
そう云われては、当時を知らない僕としては二の句が継げず、フ~ン…と流すしかない。仕方なく、黙って鯉のぼりを眺めながらチマキを頬張る。最近の都会ではチマキなどというものは食べないのだろうが、僕達の田舎では普通に作られ、普通に食す。よ~く考えれば、自然の息づく田舎で人間は育てられてきたように思える。別に田舎が良くて都会が悪いと云うのではない。というのも、都会では入手出来ない流行最先端の物や有名人に遭遇する機会も多いからだ。別に競争するというのではないが、田舎人の僕にとって都会は侮(あなど)れない存在なのだ。ただ僕は、水が滾々(こんこん)と湧く洗い場があるここが気に入っている。
父さんが上手いと自負して吹くハーモニカの音が、♪ 鯉のぼり ♪の小学唱歌を奏でて庭から流れてくる。
「あいつは、ちっとも上達せんなあ。アレ、ばっかりだ!」
父さんに聞えないのをいいことに、じいちゃんは散々に、こきおろす。
「お義父さま! お茶、置いときます」
母さんの声が離れと母屋の取り合い廊下の方から聞こえた。
「ああ…、未知子さん、すみません!」
じいちゃんは母さんに星目風鈴[せいもくふうりん]・中四目[なかしもく](十七目のハンデ付き)を置いている(星目は聖目、井目とも書くらしい)。一目、置く…とは、よく云うが、これだけ置く人はそうざらにはいないだろうと思える(何故こんな難しいことを知っているのかといえば、じいちゃんから聞いたからだ)。何かと世話になるだろう今後を慮(おもんばか)って、と思えるから、じいちゃんは伊達に某メーカーの洗剤Xで磨いたような蛸頭を照からせている訳ではない…と、敬(うやま)いつつ見上げた。ハーモニカの音が途絶え、父さんが母さんの置いた茶盆を持って離れにやってきた。
「バスで行ったのが正解でした。出歩いた日中は多少、暑かったですがね。渋滞とか詰め込みは関係なかったですから…」
「おお、そりゃよかったな。たまには、夫婦水入らずも、いいもんだろう」
今日のじいちゃんはチマキが効いて機嫌がいい。これなら、じいちゃんにチマキを毎日、食わせておきゃ…とも考えられるが、とても実現はしないだろう。じいちゃんは、父さんが運んだ茶を、フゥーフゥーと冷ましつつ飲む。僕も師匠に従って続いて飲む。父さんがヒラヒラと中天に泳ぐ鯉のぼりを見ながら徐(おもむろ)にポケットからハーモニカを採り出した。
「恭一、もういいから、やめてくれ!」
懇願するようなじいちゃんのひと言に、父さんは真顔に戻り、テンションを下げた。
第八話 了
(第七話) 美味いもの
そういうことで、どうだったかを掲載させて戴く。えっ! 何のことだ? と、首を傾(かし)げる方々も多いと思うので少し詳述すると、前回、少し話させて貰った今年の春の連休の過ごし方と、その結末についてである。
「じゃあ、行ってきまぁ~す!」
夫婦、水入らずで一泊二日の観光旅行に出かける父さんは、出がけから偉くテンションを上げている。まるで小学生の僕のような、はしゃぎようで、とても見られたものではない。もう少し子供の前では大人であることを自覚して貰いたいぐらいのものだ。後ろには母さんが従うが、その、はしゃぎようには少し迷惑顔であった。
二人の姿が遠ざかり、家の中へ戻った僕とじいちゃんは、気楽になった反面、何故か空虚感に苛(さいな)まれ、静まり返った居間へ陰気に座った。暫くは話すこともないまま無言でいたが、突然、思い出したように立ったじいちゃんは剪定鋏を取り出すと盆栽を弄(いじ)りだした。僕はじいちゃん役になって、そのまま居間で新聞を読んでいた。じいちゃんの盆栽弄りは年相応だが、新聞を老人のように読む僕…これはもう、はっきり云って末恐ろしい未来を予感させる(というほどの頭のよさではないが、担任の丘本先生が褒めちぎるのだから、少しはいいのだろう)。
「正也! 今日は久しぶりに、美味いものでも食いに行くか?」
じいちゃんは時折り、僕に食事を奢(おご)ってくれる有難いスポンサーなのだ。最近は少し出歩く機会に恵まれていなかった。その矢先である。
「いいよっ!」
僕は勢いを倍増して、じいちゃんにそう云った。
「そうか…。じゃあ、戸締まりをするから、出られる格好をしてきなさい」
「じいちゃんは?」
「儂(わし)か? 儂はこの格好で充分じゃ」
それから二人してバスに乗り、隣の町まで出た。バスに乗れば、しめたもので、既に僕の頭の中には予定表が出来上がっている。事実、その通りのコースを辿って僕達は春の味覚を堪能した。何を食べたのか? までは書かないが、スポンサーが裕福なじいちゃんだから、結構、美味いものが食せた、とだけ云っておきたい。後は皆さんのご想像にお任せする。
この日は陽気も麗(うら)らかで、幸せな一日となった。これが事の顛末(てんまつ)なのだが、この前、お話したように、じいちゃんの機嫌を損なわないように単に発した僕の言葉から、この連休は両親の水入らずの旅行となり、更に僕には美味いものを食べられる結果となったのだ。だから、今思うのは、この世の中が、ひょんなことで良くも悪くもなる不安定なものだということだ。変わらず有り続けるのは、じいちゃんの光る頭だけだろうか…。これだけは某メーカーのワックスZで磨いた床(ゆか)のように光り続けてくれねば僕も困るのだ。美味いものを戴ける機会が無くなりはしないだろうが、確実に減って僕の景気が今の世界のように悪くなるであろうことは、紛れもない事実に思える。
第七話 了
春の風景 水本爽涼
(第六話) ブロンズ・ウイーク
毎年のことながら、ゴールデン・ウイークが近づいた。云う迄もなく、四月下旬から五月上旬にかけての長期休みである。この場合のゴールデンは、僕達子供に対してではなく、サラリーマンの一部大人に限ってのみ有効な、云わば、贔屓(ひいき)言葉ではあるまいか。同じ大人でも、自営業や農林、水産、サービス業等の方々には余り関係がない。むしろ、迷惑千万! と怒る人々も多いように思える。ゴールデンなどと誰が名づけたのかは知らないが、ブロンズぐらいが妥当なようだ。僕もじいちゃんに似て、随分、愚痴っぽくなったように思うから、この辺りでやめたいが、やはり、云い始めた以上は、もう少し続けたい。僕達子供にしたって、夏休みのような連続ではなく、ただ半月ばかりの間に祝祭日と日曜の休みが多い…というだけで、金にはとても届かない銅ぐらいに思える。
「去年は渋滞で難儀したからなあ…。今年は遠出は控えるか…。ETCの値引きで、恐らく高速は滅茶、混むんじゃないか?」
「ええ…。私もそう思うわ」
そこへ、じいちゃんが離れからやってきた。
「なんだ? 偉く賑やかじゃないか。何か、いいことでもあったのか? 恭一」
「いえ、そうじゃないんです、お父さん。連休の遠出はやめようか…と、未知子と話してたんですよ」
「ほぉ…。儂(わし)とは関係ない世界の話か…」
じいちゃんは急に卑屈になった。僕は、何とかその場の雰囲気を和らげようと、健気(けなげ)にも画策した。
「僕は、どうだっていいよ…。じいちゃんと遊ぶから」
このひと言はクリーン・ヒットとなり、センター前へ転がった。
「そうだな、正也! じいちゃんと遊ぼう」
じいちゃんは俄かに元気を取り戻した。
その後、僕はじいちゃんの離れに連れていかれた。じいちゃんが、貰った菓子がある…と云うので、僕は釣られた格好だ。まあ、僕的には、釣られた風に見せて、じいちゃんの機嫌を保持しよう…という計算を働かせての行動なのだが、当のじいちゃんは、そうとも気づかず、素直に付いてきた僕を見て喜んでいた。
さて、その後のブロンズ・ウイークがどうなったかについては、次回、改めてお話しすることにしよう。
じいちゃんの離れには刀掛けがあり、本物の大小二刀が飾られている。勿論、美術刀ではないから、警察に登録済みの二振りである。僕が菓子を有難く頂戴している間、じいちゃんは微笑みながら刀に打ち粉をして紙で拭う。これこそ武士のゴールデン作法だ…と思いつつ僕は見ていた。じいちゃんの頭が蛍光灯の光を浴びて某メーカーの洗剤Xで磨いたように金色に輝く。じいちゃんとの休みは、正しくゴールデン・ウイークとなりそうで、決してブロンズではないだろう。
第六話 了