太平洋戦争を始めるために、アメリカは事前の数年を費やし、その国民に実体験的な日本人憎悪を植えつけるために、手の込んだ、巧妙なアピールを施した。ハリウッドの映画が、その尖兵になり「醜く卑劣な日本人」を紹介した。新聞、雑誌、ラジオが、連日のように憎悪の「実例」を報道した。それらはすべてナマナマしいものだった。実体験はナマナマしくなくてはならない。
それでも十分な憎しみは醗酵できなかった。そこで最後の手段としてパールハーバーが仕組まれた。これが決定打となった。アメリカの憎しみと、それとコインの裏表になる愛国心が、完璧に成熟したのである。
ところが、日本には、これほどに強力な憎悪誘発の素材が、戦争開始以前から、戦中、戦後にいたるまで、ないままだったのである。
一般国民に与えられる米英への憎悪は、最後の最後まで「鬼畜」のイメージを一歩もでなかった。戦時中、アメリカ兵の捕虜の姿を見た一婦人が、思わず「かわいそうに」と口走ったことが「非国民」としてマスコミから弾圧を受ける事件が起きたのも、そもそも真の憎悪を持たぬままの戦争で、むしろ自然な出来事だった。
だからこそ、敗戦直後の日本人の豹変も起き、私のような戦災孤児のような子供たちが「ギブミミイー・チョコレート」とGIに擦り寄っていくこともできたのである。
それもそのはずで、われわれはアングロ・サクソンのなんたるか、スラブ民族のなんたるか、中国人のなんたるかなどについて、その実像をまったく知らぬままに過ごし、庶民が実感するものは、まったくといっていいほど、なにもなかったのである。今も、ないままである。
今なお、日本人の愛も憎しみも、実体のともなわないイメージの域を、一歩も出ていない。
アメリカの戦後の占領政策は、できる限り、日本人に憎しみの実体を悟らせないことだった。それは日本人に、彼らと同質の、実体のある愛国心を抱かせないためだった。
そのため、過大に寛容な政策を、少なくとも見せかけは民主主義の名のもとに完遂した。天皇さえ許したのである。もしあのとき、天皇を残酷な方法で虐殺し、皇室全員を磔(はりつけ)にでもしていたら、日本国民も少しは憎しみという、歴史上初めての実体験とコンセンサスを得られたかもしれない。アメリカは後世のために、それを恐れたのだった。『二度と優性・白人にタテつかない』もっとも効果的な方法は、われわれに憎しみを抱かせないこと、それによってホンモノの愛国心を培わせないことだった。
なぜなら彼らは自分たちの歴史的経験として、熟知していた。
なにを熟知していたかといえば、憎しみから生まれる愛国心や民族主義が、どれほど手に負えないものであり、ひとたびそれが自発的に発生すると手に負えないものとなり、自分たちがウマイ汁をのうのうと吸えなくなることを熟知していたのである。
憎しみを知らず、愛国を知らぬノーテンキ民族ほど、御しやすい民族はないのだ。
世界の歴史上、あらゆるイデオロギーも、民族主義も、生活に密着した実体験としての憎しみから芽生えている。
マルキシズムなど、その筆頭であり、ブルジョワジーとの比較におけるプロレタリアートの憎しみと嫉妬が根底にある。
繰り返すが、キリスト教をはじめとする外国の一神教も同様、発光源は個々の実体験に結びつく他者への憎しみである。そのほとんどは、時の絶対的権力者の圧制や暴政によって生まれた憎しみだったが、それゆえに、反対価値としての愛が意識された。
日本の歴史のように、血も凍るような憎しみのなかった土壌には、愛の育つ条件もなかった。せいぜい仏教としての「慈悲」が育っただけである。
愛と憎しみは、われわれの想像をはるかに超える強烈な「思想」であり、「科学」なのである。
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以上が林英彦さんの著述でした。
愛国心について、詳細に語って頂いた。
林さんの見方に比べ、私の見解は甘いと言われるかも知れませんが、この地球上で「憎しみを知らず、愛国を知らぬノーテンキ民族」である我ら日本人だからこそ、世界を救うことができるのではないのでしょうか。
愛国心の権化である世界の人々は、この混沌とした世界にぶち当たり、身動きができない状態に陥っている。この行き詰まった世界を打開できるのは、ノーテンキ民族の我が日本民族だけなのです。
世界の愛国心とは何ぞやということを知る必要はあります。しかし、対等な愛国心を育てただけでは、不十分だと思うのです。この混沌たる世界を治めることが神仏の最たる願いであり、それに応えることが、自然豊かで恵みの多い日本列島に永く住まわせていただいた神仏への感謝になるのではないでしょうか。
---owari---
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