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天平のミケランジェロ ~ 「国民の芸術」を読む(後編)

2021年06月27日 | 歴史
(鑑真和上 ~ 静かな気品)
鑑真は唐から日本へ行こうと、五度の試みに失敗し、失明しながらも、六度目の決行で奈良・平城京にたどりついた。時まさに、大仏開眼の一年後である。聖武太上天皇は鑑真を手厚く迎え、東大寺大仏殿前で戒律を受け、さらに師のために戒壇院を設けた。

鑑真が後に建立した唐招提寺には、鑑真の座像(国宝)がある。我が国の肖像彫刻の最古の、かつ最高傑作と呼ばれている作品である。田中教授はこの「鑑真」像も、公麻呂の作と推定している。日光・月光像と比較してみると、頭部と肩幅の関係、肩の丸みのつけ方など、みなほぼ一致している。仏像と肖像の違いはあっても、両者の静かな気品のある表情は共通である。


閉じられた左右の目は、わずかに高さが違うが、これは鑑真その人の顔の正確な写実であろうか。かすかに微笑んでいるようであるが、唇の薄い口は軽く閉じられ、口元はわずかに引き締まっている。生死を六度もかけてようやくに来日した労苦を経て、今は心静かに祈りを捧げているようだ。

“若葉して御目(おんめ)の雫(しづく)ぬぐはばや”

芭蕉が初夏の若葉の候に、この像を拝して詠んだ句である。来日の苦難の過程で失明した鑑真には、日本の美しい新緑は見えない、せめて若葉で涙をぬぐってさしあげたい、と、鑑真の人生に心を寄せている。

[気韻生動(きいんせいどう)]
田中教授の「国民の芸術」に従って、公麻呂作とされる作品をいくつか見てきたが、田中教授が公麻呂を「ミケランジェロに匹敵する世界三大巨匠の一人」と評価するゆえんを読者ご自身の心で多少なりとも感じ取れただろうか?

自ら公麻呂の芸術性を感じ取ることなく、田中教授の尻馬に乗って「世界三大巨匠」などと主張しているだけでは、夜郎自大(やろうじだい)のそしりを免れないであろう。逆に実物を鑑賞せずして、西洋中心の芸術史観から日本の芸術を無視したり、あるいは、中国の模倣である、などと言うのは他人の言説を振り回しているだけに過ぎない。

たとえ素人でも、芸術作品を自分自身の目で鑑賞し、そこで感じた事を大切にすべきだ。田中教授はそれを「気韻生動(きいんせいどう:生気が満ちあふれていること)」という言葉で表現している。

「気」は老荘思想から来ており、生命のエネルギーの絶え間ない流れ、という意味である。それが「韻」という音響効果を意味する言葉と組み合わされることによって、生命感が伝わる様子を語っているのである。また「生動」は「生」が「気」の精神に対し「身体」を意味し、その「生」の動きを示すことになる。

「気韻生動」は作家がそれを作品の中に表現し、観るものがそれを感じ取る、という作品と鑑賞者の間で通(かよ)いあう「気」の動きが存在していることを指摘しているのだ。

公麻呂が作品に込めた様々な「気」を、その作品を通じて、我々の心に感じられれば、それが「気韻生動」である。

(日本の「美」を語ろう)
我々が公麻呂のような偉大な精神の「気」を受け取ることができれば、そこに二つの種類の「共感」が生まれる可能性がある。

一つは我らの父祖がその「気」を込めて生みだした作品を、後の世代が繰り返し繰り返し、感じ取っていくという歴史的共感である。そうした歴史的共感から、国民としてのアイデンティティが生み出される。そこから自国の歴史に対する、ごく自然な愛着と誇りが生まれていく。

もう一つは国際社会との空間的共感である。優れた芸術作品は、国境や文化を超えた「共感」を生み出すものだ。大仏の開眼供養は国際的なペイジェントであったが、それを彩った公麻呂の「気」は、現在も国際的な共感を呼びうるものだ。ミケランジェロのダビデ像に若々しい健康な男性美を感じ取れる人間なら、その国籍や文化を問わず、公麻呂の四天王像に同様の美を感じとれよう。

田中教授は、日本の美は「もののあはれ」「わび」「さび」だけではない、として、次のように語る。

日本の「形」には力強い「美」、人間の肉体を肯定する「美」もあるのだ。それを実現する言葉として、「ますらお(益荒男・丈夫)」ぶりや、「たけたかし(丈高し)」などの言葉が使われてきたが、私はより普遍的概念での「人間性」を日本の「美」の中にみたい。それでこそ、日本の文化が、世界のものとなるのである。

日本には、人間の持つ「正義」とか「強大さ」といった、人類普遍の志向もまた存在している。この国の文化が決して特殊なものではなく、世界性を持っていることをもっと強調すべきなのだ。

あなた自身の心で、公麻呂の作品から力強い美や、正義や強大さへの志向が感じ取れたら、その写真をあなたの周囲の人々や外国の友人に見せて、あなたの感じたことを語ってみてはどうだろうか。それが我々が先祖から受け継いだ「日本文化」という財産を、我々自身の心に生かし、さらに国際社会に提供していく第一歩であろう。そして公麻呂以外にも、運慶などの鎌倉バロック彫刻、歌麿・北斎の浮世絵など、日本国民が世界に誇りうる芸術は少なくないのである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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