このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

「北斎はなぜこんなに愛されるのか」田中英道、『明日への選択』(後編)

2022年05月03日 | 日本
(ジャポニスムによって、絵画の主題が一変した)
モネは「ラ・ジャポネーズ」という日本の着物を着た西洋人女性の油絵を描いているが、これはまだ「日本趣味」の段階だろう。のちに日本人の自然と人間とのかかわりを理解するために、フランスのノルマンディー地方ジヴェルニーに和風庭園を造り、池には日本の太鼓橋まで架けた。

日本人にも人気の高い「睡蓮」の連作は、ここから生まれた。なんのことはない、北斎などの影響を受けたモネの作品が、日本人にとっても親しみやすいのは当然のことだろう。

田中教授は次のように指摘する。

__________
ジャポニスムを体験した印象派の画家たちは、物語や宗教画といったそれまでのヨーロッパ絵画の伝統的な主題を描かなくなった。その代わりに彼らが描いたのは、風景であり、静物であった。絵画の主題が一変してしまったのである。
それはなぜか。彼らがヨーロッパの伝統的な思想を拒絶して、そのかわりに発見したのが「ジャポニスム」、北斎の描いた日本に入り込もうとしたのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「ヨーロッパの伝統的な思想」とはキリスト教である。当時、ニーチェは「神は死んだ」と言い、哲学者フォイエルバッハは「宗教は人間が作った」、さらにマルクスは「宗教はアヘンである」とまで言った。キリスト教の神を完全否定する動きがインテリたちの一部にあり、そういう意識が芸術家の間でも共有されていた。

__________
それゆえに「ジャポニスム」の芸術家たち、ゴッホにしてもモネにしても、単に日本趣味に迎合しているのではなく、神に代わる近代の信仰の対象を日本人に求めたのである。あるいは宗教に代わる日本人の自然道――やまとごころに基盤を求めたのである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(ゴッホの「太陽信仰」)
ゴッホは貧しい生活の中でも多くの浮世絵を買い集めて、壁に飾っていた。また歌川広重の浮世絵を模写したりしている。

__________
ゴッホは牧師になろうとしていた。だからもちろんキリスト教の神を信じている。ところが、「ジャポニスム」に出会ってからの彼の絵は急に明るくなった。 1885年頃のことである。彼は自然信仰に変わるのである。特に太陽信仰である。だから彼の『ラザロの蘇生』ではキリストの位置に太陽が表されているのだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ラザロはイエスの力で死から蘇(よみがえ)った人物である。その蘇生を見て人々はイエスを信じたというから、キリスト教にとって重要な逸話であった。レンブラントの『ラザロの復活』では、地下墓所と思われる暗い部屋で、イエスが右手を大きく挙げ、ラザロが棺桶から起き上がっている。


 
 
それに対してゴッホの『ラザロの蘇生(そせい)』では黄色い太陽の下で、ラザロが上体を起こし、日差しを浴びた女性がそばで驚いている。ラザロを蘇らせたのは太陽なのだ。


 
 
もう一つ、ゴッホの「太陽信仰」が明らかに窺(うかが)われるのは、『種まく人』だろう。これも聖書からとられた題材で、イエスが「種まきが種を蒔いたが、ある種は道ばたに落ち」と「神の言」を種にたとえて、正しい心に蒔かれなければ、種も枯れてしまう事を説いた逸話である。

ミレーの「種まく人」は薄暗い風景の中で、逞(たくま)しい農夫が種を撒く姿を躍動的に描いている。ゴッホはこの絵に触発されて、自らも「種まく人」を描いたが、人物は畑の片隅に小さくなり、たくましさも躍動感も失われている。その代わりに絵の中心となっているのは、地平線に接した巨大な黄色い太陽である。太陽の燦々(さんさん)とした光が空全体を黄色く染めている。


 
  
(アルルは「まさに日本そのものだ」)
死の前年、1888年、ゴッホは南フランスのアルルに移り住んだ。そこを「画家たちの天国以上、まさに日本そのものだ」と賛嘆(さんたん)している。ゴッホは「日本」を求めて、アルルに行ったのである。

これを知った時、筆者は「南フランスが日本の代わり?」と多少の違和感を感じた。日本の海や山に囲まれた風景と、なだらかな丘陵が続く南仏の風景とは、どうにも一致しなかったからだ。

しかし田中教授の「自然信仰」と言う指摘を知って、この違和感は解消した。ゴッホが生まれ育ったオランダの地は、日の光に乏しい陰鬱(いんうつ)な光景だが、南仏は太陽がさんさんと照り、様々な植物が生き生きと繁茂する豊穣(ほうじょう)の地だ。ゴッホがこの地を見て「まさに日本そのものだ」と言ったのは、その自然信仰、太陽信仰にぴったりの光景だったからであろう。

ゴッホの代表作「ひまわり」はこの地で描かれた。生き生きとしたひまわりの花は、太陽のエネルギーから得た生命力に満ち溢れている。

__________
そこが見て取れないと、ゴッホの絵の明るさは分からないし、素晴らしい太陽に満ちた『ひまわり』を描いたわけもわからない。彼は日本に触れ、そこに神に代わる新しい文化があると感じたのである。そのシンボルが太陽、つまり日本人にとってはアマテラスである。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ゴッホ自身が、次のように言っている。

__________
日本美術を研究すると、明らかに賢く哲学的で、知的な人物に出会う。・・・その人はただ一本の草の芽を研究している。・・・どうかね。まるで自分自身が花であるかのように自然の中に生きる。こんなに単純な日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

江戸日本の、特に北斎の芸術は、ゴッホの自然観、人生観、宗教観までも変えてしまったのである。

(「この千年で最も重要な功績を残した世界の人物百人」)
ザビエルが来日してから500年も経ち、多くの神父や牧師が西洋からやってきて日本人のキリスト教化を目指した。明治以降は多くの日本人が欧米に留学して、キリスト教社会の中で暮らし、西洋文明を学んだ。それでも日本人でキリスト教を信じるのは1%以下にすぎない。

逆に江戸の自然信仰はキリスト教の行き詰まりを感じた西洋の芸術家たちに、「自然の中に生きる真の宗教」を教えたのである。

1999年に、アメリカの『ライフ』誌は「この千年で最も重要な功績を残した世界の人物百人」という特集を組んだ。その100人の中でたった1人選ばれた日本人が葛飾北斎であった。19世紀ヨーロッパの単なる異国趣味ではこのような評価はなされるはずもない。北斎を通じて日本人の自然信仰がヨーロッパに与えた思想的影響はこの千年の中でも、特筆すべき事件だったのである。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「北斎はなぜこんなに愛され... | トップ | 「和の国」日本の世界一 ~ ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事