以上を自覚すれば、経済だけでなく日本の突破口は自ずとはっきりする。
「脱近代」の新しいビジョンは日本の歴史の蓄積のなかにあると述べたが、それは次のような話が感得できるか否かということでもある。唐突に思えるかもしれないが、たとえば「祟り」というものをどう考えるか。
安倍晋三氏も麻生太郎氏も、総理大臣として靖国神社に参拝しなかったから英霊の罰が当たって選挙に負けたという話は、科学的証明を必要としない。「祟り」を辞書で引くと「神仏や霊がその意に反する人間の行為に対してもたらすとがめ、災禍」とある。自然科学では証明されていないが、社会現象としては現に存在している。なぜなら信じる人がいるからである。
信じる人がいるかぎり、それは存在する。なんと非科学的、迷信などと頭から排除してしまう人は、秀才であっても「暗黙知」がわからない人である。
こんなエピソードもある。「くぼかん」という愛称で親しまれた久保勘一・元長崎県知事(故人)は、地元生え抜きの知事として人気が高かったが、在任中、難航していた大村市箕島町(みしままち)の長崎空港建設に反対する農家を自ら説得した。久保知事は建設予定地の湾内にある小島を何度も訪れ、そのたびに必ず住民たちの家の墓参りをし、彼らの先祖に礼を尽くした。
あるとき久保知事が海岸で落水しそうになったとき、冷たい顔で迎える人のあいだから何人かが手を伸ばしてくれて、知事は希望を持ったと話してくれた。
知事は本土側に農地を提供するとともに、専任指導者を付けるなど住民の転居後の世話を尽くし、開港にこぎつけることができたのだが、住民の心を開いたのは墓参りと墓の移転だった。政治は効率性の追求を第一にすると、うまくいかない。久保知事は、効率よりも大切なものがあることをわかっていた。
地方の時代といわれるが、その意味を「地方を近代化すること」だと思っているだけでは考えが浅い。何よりも地方に残る「暗黙知」の文化を大切にすることである。それはタブーや迷信といったネガティブな言葉で語られることもあるが、それで括(くく)ってしまうことこそが近代のメガネなのである。
近代を超える歴史の流れは、それまでの歴史の蓄積、習慣、文化、伝統のなかから生まれるという逆説、「暗黙知」の起源と効用について、これから日本人がどれほど気づくことができるのか、思い起こすことができるのかがカギなのである。
---owari---
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