相続税が高いために、結局、子供が親の面倒を見なくなっている面があると思うのです。
昔の長子相続制ではありませんが、子供の一人が、土地や建物などの財産を、そのまま相続できるのであれば、「親を引き取り、その面倒を見る」ということは、あってもおかしくないことです。
ところが、「家がなくなるのであれば、親の面倒を見るに値しない」と考える人が出てくるわけです。家を売り払って税金を納め、残りの額を現金で得て、その一部を親が老人ホームに行く資金にします。「資金を出すので、黙って老人ホームに行きなさい。残りは、自分たちが家を建てたりする資金にする」と考えるようなことになるのです。
実は、日本人があまり親孝行をしなくなった理由として、この相続税の部分がかなり大きいと思います。
また、遺留分制度の問題もあります。
民法には遺留分について規定があり、相続財産は子供に平等に分配されることになっているのですが、これも、やはり親孝行をしなくなった理由なのです。
これについては、「占領軍が、日本を弱くするために、日本の伝統的な家制度を弱めようとして、共産主義思想を取り入れたせいだ」と言われています。
遺留分においては、相続人が配偶者と子供三人の場合、まず配偶者の遺留分があって、そのあと、子供の遺留分は三分の一ずつ分割されます。このように、小さくなっていったら、要するに、どの子供にも、「親を養うほどの責任はない」ということになってくるのです。
愚かな人を表す言葉として、「たわけ」「たわけ者」という言葉がありますが、これは、もともとは、「田を分ける」ということから来ています。農家で田を分けたら、それぞれが小さくなってしまい、穫れる米の量が少なくなります。そうすると、食べていけなくなります。そこで、「田を分ける者は愚かだ」と言われたのです。
そのため、かつては、「長男が田を相続し、ほかの者は独立していく」という制度があったわけです。
しかし、「このような日本の家制度と宗教制度が、日本の国を強くして、“狂暴化”させたので、これを潰す」ということが占領軍の政策として行われ、「これで見事にやられた」と思うのです。
民法とも絡みますが、ここのところも検討の余地はあるでしょう。
例えば、「『親の老後の面倒を見る』と宣言している子供には、全財産を譲ってもかまわない」ということであってもよいと思います。
今、年金問題や「老人福祉のための財源をどうするか」などということについての議論がたくさんありますが、やはり、基本的には、「最後は家族が守るべきだ」と思うのです。
自分の面倒を見てくれるのであれば、結婚して子供をつくる人も増えてくるのですが、老後の面倒も見てくれないのに、お金だけ取られるのであれば、「ばからしくて、子供をつくる気はない」という人が増えてきます。それが、予想されている事態なのです。
現在、不況が起きたり、老後の生活への不安が出てきたりしています。これは、ある意味で、家族観を見直すチャンスでもあると思います。だいたい、年を取った親の生活の面倒を見られないようでは、人間として成功したとは言えません。
現在のような年金制度がなかった戦前であっても、飢え死にした老人は、まったくと言ってよいほどいないのです。
第一次的には、子供が親の面倒を見ていました。子供がなかった人は、養子をとり、自分が元気に働いているときに教育をつけて、きちんと老後の面倒を見てもらうようにしていました。
戦前は、このように、実の子供に面倒を見てもらうか、養子に面倒を見てもらうか、そのようにしていましたし、そうでない場合でも、兄弟などの親戚が助け合いをしていたのです。
こういうかたちであれば、年金制度がなくても本当は困らないはずなのですが、今は、「家族に面倒を見てもらう」ということを忘れた社会へと移行中ではあるのです。
ここは、今後どうするか、考え方を迫られているところではないかと思います。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます