人間らしさと愛について、さらに考えてみましょう。
「人間は、ともすれば、仏の意図を量りかね、間違った判断をするけれども、契機さえ与えられれば、また立ち直る可能性をも持っている」というところに、人間らしさの根本があると私は思います。
「一つの間違いも犯さない」という生き方は、仏、あるいは、仏の代理人の生き方であり、現実の人間には、かなり困難なことでしょう。ただ、私は、人間らしさを . . . 本文を読む
文学と宗教は、善悪の考え方にも違いがあります。
宗教は、「悪を捨て、善を取れ」という方向を明確に示し、この至上命題に従わない場合は、従わないこと自体が悪になってしまいます。簡単に結論が出るわけです。
しかし、文学の研究するテーマは、「善と悪とがあることは、当然、分かっているけれども、やむにやまれず悪のなかに墜ちていく」、あるいは、「間一髪のところで悪から善に転ずる」。そういう人 . . . 本文を読む
ここでは、「人間らしさと愛」について考えてみたいと思います。
「人間らしさ」という言葉は、さまざまに解釈されていますが、「人間らしさとは何か」ということを真に知りえた人、語りえた人、解き明かしえた人は、世にもまれな人だと私は思うのです。ここに、文学というものの重要性があります。
文学は、ともすれば。「無駄なものである」という捉え方をされることがありますが、私は決してそうは思いま . . . 本文を読む
ときおり、「称賛ノート」というものをつけてみる必要があります。自分が生まれてからこのかた、どういうところがよいと人にほめられたことがあるか、もう一度、自分の過去の歴史を振り返ってみるのです。
そうすると、ほめられたこともあるわけです。「怒られてばかりだった」と思うのは被害妄想であって、そういうことはないのです。やはり、どのような人間でも、よいところはあるものなので、ほめられたこと . . . 本文を読む
悩みにぶち当たるに際して、人生の多角化を考えておくことも大事です。これは決して難しい考え方ではありません。
プロ野球でも、高校野球でも、あらかじめ何人かの投手を用意しています。先発、中継ぎ、抑え、このような分担をしています。何人かの交代選手を用意しておくことによって、どのようなゲーム展開になっても、ある程度、切り抜けていけるわけです。
それなりの用意をしておく、 . . . 本文を読む