このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

信長は文化を給与制度に取りこむ

2017年12月23日 | 歴史
天下統一を推し進める信長には大きな悩みがあった。それは部下に対する給与である。給与はすべて土地で与えられていた。しかし、事業を拡大すればするほど日本列島は狭いので土地に限界があった。   これをどうするか、信長は悩んでいた。ゆきづまりが迫っていたからだ。これは、外敵に対する危機ではなく、内部に生じた危機だ。   これをどう管理し突破するか。悩み抜いた信長が活路を発見したのは、今井や千利休た . . . 本文を読む
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信長の楽市楽座

2017年12月21日 | 歴史
「岐阜のまちには、どこの国の商人が住んで商売をしてもよい」ということと、「岐阜のまちで商売をする商人には、税金を課さない」ということであった。つまり、信長は商業の自由競争と無税を宣言したのである。これは当時の日本では大変なことであった。   というのは、日本の商人はすべて大名の城下町で商売をし、しかも、だれが何を売ってもいいということはまったくなく、たとえは酒でも塩でも着物でも、全部が専売制で . . . 本文を読む
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無敵を誇った織田軍、その強さの秘密は?

2017年12月19日 | 歴史
戦国史研究家の小和田哲男・静岡大学教授は『戦国合戦大全』という本のなかで織田信長のことをこう評価している。   「戦国武将に限らず、歴史に名を残す人物は他人より優れた資質とか才能を持っていた。しかし、それもせいぜい一つか二つといった程度。ところが信長は独創性、進歩性、国際性、先見性、決断力、統率力などなど超人的な資質の持ち主であり、文字通り『天才』という言葉があてはまる人物」   魔王と恐 . . . 本文を読む
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桶狭間の合戦、信長の強運とは?

2017年12月17日 | 歴史
戦国時代の申し子、織田信長が世に出るきっかけともなった戦いが、東海の雄、今川義元を打ち破った桶狭間の合戦(1560年5月)である。この合戦の勝敗を分けたのは意外にも、わずか十数分間の豪雨であった。   今川義元は駿河を中心に遠江(とおとうみ)・三河を治める大大名。この時42歳の男盛り。後世、あまりにあっけなく信長に敗れたため凡将のレッテルをはられたが、実像は情けに厚く、文武に秀でた文字通り「海 . . . 本文を読む
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ロシアから見た日本(後編)

2017年12月16日 | 日本
前編のおさらいです。 ・「私たちには日本人の心が絶対理解できない」 ⇒米国は日本占領中に大規模な宣伝工作、言論検閲を行って、すべては戦争を仕掛けた日本の責任という洗脳を行ったのだが、これに現在まで日本人は騙されてきたのである。   ・日本の「お人好し」ぶりは世界一  ⇒自国に都合の悪い歴史を教えているのは、「世界で唯一日本だけ」と知っておくことも大切です。   ・末期ガンに冒された王 . . . 本文を読む
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