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信長は文化を給与制度に取りこむ

2017年12月23日 | 歴史

天下統一を推し進める信長には大きな悩みがあった。それは部下に対する給与である。給与はすべて土地で与えられていた。しかし、事業を拡大すればするほど日本列島は狭いので土地に限界があった。

 

これをどうするか、信長は悩んでいた。ゆきづまりが迫っていたからだ。これは、外敵に対する危機ではなく、内部に生じた危機だ。

 

これをどう管理し突破するか。悩み抜いた信長が活路を発見したのは、今井や千利休たちがいう“茶道”の存在であった。

 

信長は思わず、「これだ!」と膝を叩いた。


かれの鋭い頭の中に、ある発想が浮かんだからである。一言でいえばそれは、

「土地に対する価値観を、文化という価値観に変える」ということだった。

 

具体的には、「部下に土地を与えていたのを、代わりに文化産品を与えることに切り替えよう」ということであった。

 

しかしそれには、信長自身はもちろんのこと、部下たちも新しいそういう価値観を持つように意識を変革しなければならない。

 

「それを自分から実行しょう」と、信長はそう考えた。

かれはこの発想を自分の、「知的財産」と考えた。当時の日本人で、文化を給与制度の中に取りこもうなどと考えた人間は他にいない。これは完全に信長の独創であり、同時にその発想そのものが一つの価値を持った。

 

信長は、

「この価値観を、自分の専売にしようと」と意気込んだ。  

 

その後のかれは、部下の大名たちに対して、

「おまえは土地が欲しいか、それとも他の物が欲しいか?」と聞いた。

部下の大名たちは、この頃の信長が茶の道を大切にし、いろいろと有名な茶道具を集めることを知っていた。

 

そこで部下たちは、

「いや、土地はもう結構です。それよりも、あなたが大切にしている茶碗を一ついただけませんか。今、有名な茶碗をいただけると、わたくしの格が上がり、部下の心服度も高まります」。

 

そういう風潮が生まれていった。これが信長の狙い目であった。

 

文化を給与制度に取りこむという発想は、信長の独創性がいかに優れていたかを示す証しであると思うのです。

 

---owari---

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