短大生活を終えて社会人になろうとした30年前、私は今までやってきた音楽の道を棄て、自衛官になりました。自衛隊にも音楽隊がありますが、私がやってきたのはピアノとバイオリンという、要するにブラスバンドとは縁の無いものだったので、器楽のオーディションを受けるコトもなく、ほふく前進の道を選びました。
もともと、太陽の下でカラダを動かしたかったし、親元から通う生活にピリオドを打ちたかった...
それが一番の理由でした。
毎日向き合ってきたピアノとお別れするのは少々つらかったけど。
でも、当時の私は、好きなコトを仕事にしてはいけない。世の中に出て、もっと苦労しないといけない、そう思っていました。教員採用試験で雅楽についての問題に全く答えられず、自分がやってきたのは西洋の音楽なんだ。日本人として日本古来の音楽に全く触れていなかったコトに気付き、愕然としたコト。そして、哲学の命題で「飢えたアフリカの子供たちに、音楽家として出来るコトは?」という問いに、コレまた答えられず、無力を感じ、だったら、直接、助けに行く側になろう❗そう思ったのです。まあ、当時はまだ自衛隊にPKO任務が課せられていませんでしたが。
今の私は?というと...
好きなコトを仕事にして何が悪い?
先日、ある人から相談を受けました。
自分も、今の仕事にやり甲斐を見いだせない。だけど、自分には養なわなければいけない家族がいるので、今はしがみついて生きるしかない...
恐らく、世の中の多くの人は、このパターンなのかもしれません。
一年前、私はスッパリ自衛隊を辞めましたが、それは養う家族がいなかったから(正式には小樽に母が居ますが)だと思います。
今いるところに居て、全く何も見出だせないのならば、何かを変えなければいけません。お金のため、家族のため...と無理して居座って、結果、自らの心身を害するようでは、もとも子もありません。
が、ちょっと待った‼
全くやり甲斐を見出だせない「理由」を、原因分析をする必要があります。そうしないと、また、新たな場所で同じような壁にぶち当たった時、今と同じ状況になるからデス。
自分が本当にやりたかったコトと今やってるコトとの間にズレが生じているのかもしれません。それも、かなり大きなズレが...
それに気付かないまま、あるいは、気付いても蓋をして、自分の心に嘘をついて、自分自身に無理やり信じ混ませて生きてきたのかもしれません。
本当は何を望んでいるのか?本当にやりたかったコトは何なのか?
答えを探すには、過去に遡る必要があるかもしれません。
例えば、小学校に上がる前、大人たちから「将来、何になりたい?」って聞かれて、何て答えましたか?
おそらく、9割以上の人が何らかの職業を答えたハズです。自分は何も夢が無い。何にもなりたくない。そんな幼児は、逆に想像がつきません。
あの時の夢は、いったい何処へ行ったのでしょうか?
だって、しょせん、夢なんだから、実現するのは無理...
って、いったい誰が決めたのでしょう?
考えてもみてください。今は、当時はなかったインターネットが普及し、調べようと思えば、いつでもどこでも調べられます。つまり、誰でも無料で学べる時代なんです。
でも、好きなコトを仕事にしていくには..第一、どうやって稼ぐんだ?
たぶん、多くの人がひっかかって諦めてしまうのが、この経済的な問題デス。かくいう私自身も、まだまだこの部分をクリアできていません。
だから、その相談者にアドバイスしたのは、今、確実な収入があるうちに、コツコツと準備してください。と。
そして、いざとなったら飛び込む勇気も必要デス。先日の早朝のモノレールのように、今は混んでいるから、空いている列車が来るのを待とう、そうしているうちに次のステージに上がるハズの便が離陸し、乗り遅れてしまう...
まだまだクリアできていない、お金の問題ですが、最近、ぼんやりと浮かんだのは、「人に価値を与え続ける」というコト。
今までの私は、自由を得て、自分のためにひたすら時間とお金を使ってきました。要するに、自分のコトしか考えてこなかった。
でも、世の中には、一年前の私のように悩んでいる人も多くいるハズです。その為にも、私自身が、転身して自分の好きなコトで成功した、パターンを作り出さないといけませんね。
写真は、20年前に東京の楽器店で購入した、バンドネオンという、タンゴの楽器..アコーディオンと似てるけど、実際の音色は、もっと繊細でクリアな音..もともとはパイプオルガンの音を想定して、持ち運びの可能な楽器を、とドイツで戦前に作られた。それがアルゼンチンに渡って(実は南米は、特にアルゼンチンはドイツからの移民が多い。)タンゴと出会い、現在ではタンゴの音楽を代表する楽器となっている。日本でブレイクしたのは、1994年ごろ、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」だろう。以来、CMやドラマ等でよく使われるようになった楽器だが、日本では御茶ノ水の谷口楽器店、ここでしか取扱っていない。第一、教えてくれる先生がいない。たまにやってる人がいるとしたら、ほぼ独学だ。
それくらい、希少価値の高い楽器なのです。
どうせやるなら、人とは違ったモノを‼
自分にしか出来ないコトを。最初から極みを目指すのは大変ですが、大勢の人がやっていないコトから始めるのは、案外、近道かもしれません。
ちなみに、現在、我が家ではコイツの隣に、3年前に入居して以来、未だ組み立てられていない、電子ピアノが横たわって居ます。(笑)
#welovegoo
もともと、太陽の下でカラダを動かしたかったし、親元から通う生活にピリオドを打ちたかった...
それが一番の理由でした。
毎日向き合ってきたピアノとお別れするのは少々つらかったけど。
でも、当時の私は、好きなコトを仕事にしてはいけない。世の中に出て、もっと苦労しないといけない、そう思っていました。教員採用試験で雅楽についての問題に全く答えられず、自分がやってきたのは西洋の音楽なんだ。日本人として日本古来の音楽に全く触れていなかったコトに気付き、愕然としたコト。そして、哲学の命題で「飢えたアフリカの子供たちに、音楽家として出来るコトは?」という問いに、コレまた答えられず、無力を感じ、だったら、直接、助けに行く側になろう❗そう思ったのです。まあ、当時はまだ自衛隊にPKO任務が課せられていませんでしたが。
今の私は?というと...
好きなコトを仕事にして何が悪い?
先日、ある人から相談を受けました。
自分も、今の仕事にやり甲斐を見いだせない。だけど、自分には養なわなければいけない家族がいるので、今はしがみついて生きるしかない...
恐らく、世の中の多くの人は、このパターンなのかもしれません。
一年前、私はスッパリ自衛隊を辞めましたが、それは養う家族がいなかったから(正式には小樽に母が居ますが)だと思います。
今いるところに居て、全く何も見出だせないのならば、何かを変えなければいけません。お金のため、家族のため...と無理して居座って、結果、自らの心身を害するようでは、もとも子もありません。
が、ちょっと待った‼
全くやり甲斐を見出だせない「理由」を、原因分析をする必要があります。そうしないと、また、新たな場所で同じような壁にぶち当たった時、今と同じ状況になるからデス。
自分が本当にやりたかったコトと今やってるコトとの間にズレが生じているのかもしれません。それも、かなり大きなズレが...
それに気付かないまま、あるいは、気付いても蓋をして、自分の心に嘘をついて、自分自身に無理やり信じ混ませて生きてきたのかもしれません。
本当は何を望んでいるのか?本当にやりたかったコトは何なのか?
答えを探すには、過去に遡る必要があるかもしれません。
例えば、小学校に上がる前、大人たちから「将来、何になりたい?」って聞かれて、何て答えましたか?
おそらく、9割以上の人が何らかの職業を答えたハズです。自分は何も夢が無い。何にもなりたくない。そんな幼児は、逆に想像がつきません。
あの時の夢は、いったい何処へ行ったのでしょうか?
だって、しょせん、夢なんだから、実現するのは無理...
って、いったい誰が決めたのでしょう?
考えてもみてください。今は、当時はなかったインターネットが普及し、調べようと思えば、いつでもどこでも調べられます。つまり、誰でも無料で学べる時代なんです。
でも、好きなコトを仕事にしていくには..第一、どうやって稼ぐんだ?
たぶん、多くの人がひっかかって諦めてしまうのが、この経済的な問題デス。かくいう私自身も、まだまだこの部分をクリアできていません。
だから、その相談者にアドバイスしたのは、今、確実な収入があるうちに、コツコツと準備してください。と。
そして、いざとなったら飛び込む勇気も必要デス。先日の早朝のモノレールのように、今は混んでいるから、空いている列車が来るのを待とう、そうしているうちに次のステージに上がるハズの便が離陸し、乗り遅れてしまう...
まだまだクリアできていない、お金の問題ですが、最近、ぼんやりと浮かんだのは、「人に価値を与え続ける」というコト。
今までの私は、自由を得て、自分のためにひたすら時間とお金を使ってきました。要するに、自分のコトしか考えてこなかった。
でも、世の中には、一年前の私のように悩んでいる人も多くいるハズです。その為にも、私自身が、転身して自分の好きなコトで成功した、パターンを作り出さないといけませんね。
写真は、20年前に東京の楽器店で購入した、バンドネオンという、タンゴの楽器..アコーディオンと似てるけど、実際の音色は、もっと繊細でクリアな音..もともとはパイプオルガンの音を想定して、持ち運びの可能な楽器を、とドイツで戦前に作られた。それがアルゼンチンに渡って(実は南米は、特にアルゼンチンはドイツからの移民が多い。)タンゴと出会い、現在ではタンゴの音楽を代表する楽器となっている。日本でブレイクしたのは、1994年ごろ、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」だろう。以来、CMやドラマ等でよく使われるようになった楽器だが、日本では御茶ノ水の谷口楽器店、ここでしか取扱っていない。第一、教えてくれる先生がいない。たまにやってる人がいるとしたら、ほぼ独学だ。
それくらい、希少価値の高い楽器なのです。
どうせやるなら、人とは違ったモノを‼
自分にしか出来ないコトを。最初から極みを目指すのは大変ですが、大勢の人がやっていないコトから始めるのは、案外、近道かもしれません。
ちなみに、現在、我が家ではコイツの隣に、3年前に入居して以来、未だ組み立てられていない、電子ピアノが横たわって居ます。(笑)
#welovegoo