執行草舟の本を読んでいると、「差別意識」が強さを導く、というくだりがよく出てくる。
単なる「差別意識」ではなく、いい意味の「差別意識」とでも言うのだろうか。
差別にいいも悪いもない、というのが現代的価値観ですが、、、
例えば:
西洋人は、「キリスト教徒でなければ人間ではない」と思っていた。
ジェントルマンは、「労働者とは違う」と思っていた。
武士は、「土百姓とは違う」と思っていた。
男は、「女子どもとは違う」と思っていた。
「ノブレス・オブリージュ」ってのも、「自分たちは違う」っていう差別意識ないしは区別意識からくる。
____________
こういうノブレス・オブリージュは今は流行らない。むしろ口にするのが憚られる時代。
偉そうだ。上から目線だ。博愛的ではない。排他的だ。差別主義者だ。
そう思われる、横並びの時代。一億総中流。一億総大衆化。
これがいい時代とは思わない。国家というものは、いい意味でのエリートが築くものだと思っている。
これは中西輝政さんの『大英帝国衰亡史』にとても説得的に書いてあった。
私は、私の経験からも、「俺は他の奴とは違うんだ」って自意識が、自堕落と放縦と安逸から身を守るんだと思っている。
例えば。
筋トレをするとき、ランニングをするとき、常に、「あぁ、疲れた、もう手を抜きたい」って誘惑に直面する。蠱惑的な怠け心にたぶらかされる。
しかし。
そこで、「俺は桐蔭学園で野球で鳴らした中山だ」「俺は極真の黒帯だ」って自負とプライドと意地で、もう一踏ん張りしている。毎日のように。
これって、差別意識。区別意識っていうのか。
「俺は凡百の人間とは違うんだ」って強烈な自意識を持つ。
美意識って、そういう差別意識なんじゃないだろうか。
____________
このように、私は思う。
だから私は、「差別意識が強さを導く」という執行草舟の理論を、是とする。
これ以上に理論化・体系化・言語化できませんが、取り急ぎ。