ナベツネ渡邉恒雄はコテコテの共産党員だった。
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私はそれを責めない。
軍隊に行き、理不尽に殴られ、天皇制に疑義を抱き、、、
その解を探して、当時、唯一、天皇制打倒を唱えていた共産党に救いを求めた。
そのうち、共産党の「人間性のなさ」に嫌気が差して脱党。
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当時の、軍隊で殴る蹴るの理不尽な扱いを受けた人の立場に立ってみると(put myself in his shoes)、天皇制打倒を掲げる共産党が魅力だったことを責めることはできない。
それがやむを得なかった、とまで弁護はしませんが。
現在の視点からだけではなく、当時の視点から見る。
イデオロギーの視点から見るのではなく、人間の視点から見る。
歴史を学ぶこと、事実を見ること、ってそういうことだと思う。
※だからナベツネも、冒頭画像のように、アカかった当時の自分のことを、悪びれもせず、開き直っている。
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敷衍すると、、、
■ 黒人奴隷を使っていたワシントンやジェファソンを、責めることができるか、って問題ですかね。
当時の空気に生きていて、「自分なら絶対に黒人奴隷は使わない」って言えますかね、、、
誰でも時代の空気に影響される。
他の例で考えてみよう。
■ 今ガソリン車に乗っている人は、100年後、「アイツは2024年にもなってガソリン車に乗っていた! 環境破壊者だ!」って責められるかもしれない。
大多数がガソリン車に乗っているときに、それを100年後に責められる? なんでも多数派に従えばいいってわけではありませんが、それはちょっと違うよね、、、
黒人奴隷を使っていたワシントンやジェファソンと、今ガソリン車に乗っている人は、変わらない。
■ 10年前に、人前でタバコを吸ってた人。
■ 30年前に、飲酒運転してた人。
■ 売春しまくってた幕末の志士。
■ ヒロポン打ってた敗戦直後の方。
■ パワハラという言葉すらなかった時代のパワハラ。
稲盛和夫が、従業員を徹夜させて、商品開発をしていたのは、今でも、美談として語られる。
■ 子供への体罰、も同じですかね。それがほぼ当然だった(倫理的にさほど非難されなかった)時代の「悪行」を、数十年後に責め立てるのは、、
これらを、どれだけ強く非難できるか、、、
その時代の空気に立って、その時代の空気を吸って、モノを考えよう。
これって、演繹的ではなく、帰納的に考えてみよう、ってことですね。
理論から、頭でっかちに考えるのではなく、地べたから、その当時の空気を感じながら、ファクトに基づいて考える。
罪を犯したことのない者だけが、石を投げよ。誰にでも過ちはある。