図書館裁判の報告集会でした。
青少年ホームの1階集会室に、原告団に参加した人だけでなく、関心を持って見守ってくださった方々が集まりました。
当初から関わってくださった弁護士さんから、「よくある住民訴訟で、オンブズマンの活動をしている人が誰か一人で提訴するというのではなく(「それが悪いということではもちろんない」と断りながら)、図書館を利用してきた人たち、図書館を愛する人たちが、想いをもって集まった運動だった」と、評価してくださったのは嬉しいことでした。
8月25日の大阪地裁の判決で裁判官が読み上げたのは、「主文」だけでした。
原告の訴えのうち、「公金の支出の差し止めを求める部分を却下」、「その余の請求を棄却」。
「主文」に続く「事実及び理由」という30ページにわたる文書が報告集会の資料として参加者に配られました。
ほとんどが、これまで議会答弁などで繰り返し聞かされてきた「市民参加の手続きは充分」という行政の言い分を、なぞったものだが、その中でも、特に以下の点で裁判官の見識を疑う。
その1,「被告の主張」として以下。やや長くなるがそのまま引用する。
「本件において、公共施設基本計画のうち市立図書館に関する部分を、図書館基本構想の内容に変更することは、参画推進条例8条1項1号の「市の基本構想(中略)その他基本的な事項を定める計画の策定または変更」に該当するが、上記変更が行われたのは、市教育委員会が図書館基本構想を決定した平成31年1月30日である。これに先立ち、泉大津市は、整備検討委員会を設置して同委員会による審議を経たほか、・ワークショップ、アンケート、パブリックコメントの各手続きを実施しており、参画推進条例8条1項には違反しない」
下線を引いた部分、「上記変更」は、「平成31年1月30日」にも行われていない。
その後も、いまだに行われていない。
「計画」そのものは、一字一句変更されていない。
「計画」を変更することなく、「計画」とは違う事業が進められてきた。
「計画」とは、それほど軽いものなのか?
何度も問うてきたところだ。
その2,「計画」の策定過程について。
「当裁判所の判断」として「認定事実」のなかに書かれていることの中から。
「泉大津市は、平成29年6月・・・・公共施設基本計画を策定した。」
次のページに、「部長会議における基本方針の決定」という項目がある。
これも引用する。
「部長会議においては、平成29年4月以降、市立図書館の整備の手法について、泉大津市の職員から駅前移転に関する提案があったことから、駅前移転を念頭に置いた検討が始められた。そして、公共施設基本計画において想定されていた市立図書館と南公民館の建て替え・複合化は、適切な移転先候補地が見当たらない上、公民館利用団体との調整に時間を要すると見込まれ、実現可能性が低いと考えられたことなどから、同8月3日の部長会議において、市立図書館の駅前移転を内容とする基本方針が決定された。」
この「部長会議の決定」について、「最終決定されたということではなく、・・・一定の方針が内部的に決定されたものにすぎない」としている。
一方では「複合化・建て替え」を市が策定した「計画」に掲げ、一方ではその「計画」の成案化を待たずに「適切な移転候補地が見当たらない。実現可能性が低い」として、駅前ビルの賃貸による移転へと動き出す。
裁判の過程で、市の職員を証人として招致し、証言を求めることによって明らかになったのは、仮に「内部的な決定にすぎない」という主張を認めるとしても、あまりにも市民を欺く不誠実な姿勢ではないか。
「内部的な決定」だとしても、数年かけた「計画」成案化の最終段階で、「実現可能性が低い」と考えるなら、他の「実現可能性が高い」として検討を始めている案について両論を示すこと、両論の比較検討ができるだけの情報提供をすることを、政策決定過程への市民参加として、参画と推進の条例は求めているのではなかったか。
「参画と推進の条例」を、多くの市民の皆さんにもう一度読んでいただきたいと思う。
報道によれば「全国民が反対しても閣議決定で国葬はできる」と内閣法制局に言わしめる(野党ヒアリング)ようなこの国で、地方自治の現場から民主主義とは何かを問うていきたいと思います。
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。